老人介護についての個人的HP-5 思索 - (35) 認知症高齢者ケアに当たるご家族への態度

認知症高齢者ケアにあたるご家族への態度

以下は、ある精神科医さんのブログ内容です。まぁ、ちょっと長いですが、ぜひ読んでみてください。


(認知症)老人介護が楽になる方法 [医学・科学関連]

 ある精神科医が主催しているメールマガジンに、「老人介護を楽になる方法」と題した記事が書かれていた。テニオハが少しおかしいような気もするが、引用なのでこのままで行くことにする。これは、ちょっと前に起こった介護者による痴呆老人の殺害事件をきっかけに書かれたという。実際、痴呆老人を介護する家族の苦労というのは並大抵のものではなく、苦しみから逃れたいと介護者の方が自殺企図を起こしてしまったり、痴呆患者に対してひどい虐待をしてしまったりという例はいくらでも目にする。

 そして、そういう苦しみの原因を治療者側がさらに倍加させていることもよくあるのだ。行政主催の痴呆シンポジウムなどに出ると、メインの講師がその手のデタラメを教えていたりすることはしょっちゅうで、普通に臨床に関わっていれば、こんなアホなことはいえないのになぁと、天を仰ぐこともしばしばである。ま、この手の人は自分がデタラメをやっているという自覚を得るほどの関わりをすることはないので、非当事者にはそれなりに響く、建て前だけのきれい事をいっていてもそれに気付くことは永遠にないのだけれど。

 大概の痴呆老人介護マニュアルには、余裕をもって接していこうという、それ自体正しいことが書いてあり、今ちょっと検索しただけで恐縮だが、たとえばある病院が提供しているこのページには、原則をさまざまに箇条書きにしてあるものの、はっきりいって、だから具体的にどうすればいいのかはさっぱり判らない。その点、先のメールマガジン主催者は、「言語的コミュニケーションを重要視するな」という、実に判りやすい一言でまとめているのである。

 ちょっと考えれば当然なのだ。ボケていなくても耳も遠いし、関心や知識データベースなどが全然違う相手である。ましてボケが加わり、意識水準だって変動しているのに、言葉でごちゃごちゃいっても仕方ないというのは容易に推察されることだ。それなのに、「真摯に向かい合って説得し、ねばり強く相手を納得させましょう」などというような有害なアドバイスをする「専門家」は結構多い。つまらん修身道徳のタワゴト建て前に捕らわれていて、それがどういう意味があるのか考えたことなどない連中なのである。

 そもそも人間のコミュニケーションというのは、言語能力が保たれている者同士であっても、非言語的コミュニケーション要素の方が多いものだ。日常的な場面で言葉として発した情報だけをいくら集めても、そこで交わされた情報伝達を再現することはまず出来ないだろう。言葉がすべてであるのは、文学とか学術的情報交換場面だけのことである。

 痴呆老人は重度軽度を問わず、適切なコンテキストを感じ取る能力が大きく低下している場合が多く、非言語的情報と言語的情報の矛盾をうまく処理することが難しい。「婆ちゃんのためだけを思ってやってあげているのに!!」などと叱責しながら行動を指示したりしても、彼らはまず拒否と敵意を受け取り、混乱するだけなのである。

 したがって、その対応は非言語的なレベルでの受容というものが中心になるべきで、もっと簡単にいえば、「説教せずに、相手のいうことはハイハイと受け入れ、主にボディコンタクトなどを介して行動を導く」という単純な手順だけで、痴呆老人の問題行動のかなりの部分は軽減する。もちろん、しつこい非現実的要求が続くことはあるが、それを言語的説得しても意味はない。あえていえば、「とにかくその場はゆったりとごまかす」という対応で十分だ。何しろ相手はぼけているのである。このアドバンテージさえ自覚すれば、いくらでもごまかせる。

 その意味では、痴呆老人への対応のエキスパートはそこらの医療福祉関係者ではなく、リフォーム詐欺などを生業にしている連中であろう。非言語的レベルで相手の不安をうまく和らげれば、言語合理性のレベルでは無理とも思える消費行動に引き込むことも出来るのだ。医療福祉関係者はこのテクニックを、何としても学ぶべきであると思われる。

 先に紹介した精神科医のメールマガジンでは、そうした点を指摘してはいるのだが、惜しむらくは、別の形の修身道徳建て前をいつの間にやら密輸入しているという限界があった。それは例えば、「『思いやり』の気持ちで心を一杯にしてください。そして、『思いやり』の気持ちを持って、介護してください。あなたの『思いやり』を非言語的に伝えてください」といった記述によく現れている。他にも、「くそじじいと思ってはいけない」なんて書いてあったりする。実際相手はくそじじいなんだから、そういう道徳論に持ち込まれても、介護者は自責感を持つだけである。

 専門家は、ここでもう一度はっきりというべきである。「誠意を持ってその場をうまくごまかそう」と。ものを盗られた、お前が泥棒なんだろうと責められても、それを言語的に説得は出来ないのは当然である。といって、それは自分が痴呆老人に対する拒否と怒りがあるから相手に悟られてこうして責められているのだろうと、介護者に自分を追いつめさせたって何の役にもたたない。ちょっとしたノリツッコミのテクニックで、相手の怒りや不安に同調し、別のテーマにうまくつないでいくというのが差し当たっての道であろう。

これ以上の詳細は、また別の機会ということで。

投稿者 webmaster : 2005年09月26日 21:57 医学都市伝説 2005年09月26日 http://med-legend.com/mt/archives/2005/09/post_665.html


 いかがですか?青文字の部分なんかは「ふ〜む、なるほど・・」と思えませんか?こんなふうに青文字部分でなるほど、と思えても、赤文字の部分(の表現)には抵抗感を感じてしまう方は多いのではないでしょうか?

 この点について、引用紹介の許可を頂く際に、お聞きしてみました。お答えが・・

 あの文章ではあえて露悪的な書き方をしていますが、そもそも、痴呆老人への対応法に妙なきれい事を持ち込む事への批判のつもりでもあります。介護者の側が自分の感情をコントロールするためには、聖人君子であれという指導は害があるだけだと思うからです。

 とのことです。

 くれぐれも勘違いしないで頂きたいのですが、我々職業者が↑このような態度で臨めばよい、ということではないですよ。あくまで、認知症の高齢者を毎日在宅でケアに当たっているご家族様に対する我々職業者の態度の問題、です。身体障害系のケアに当たっているご家族様に対しても一緒です。「できる限り、手を抜いていきましょう!」ということが、まずは前面に第一に強調されるべきでしょう。ただ、明らかに生命や健康に害になるとか、わずか先にかえって大変なことになる、なんてことが専門職の立場から窺えるときに、最低限のラインを実践できるようサポートしていく、ということです。

 それにしても、痴呆老人への対応のエキスパートはリフォーム詐欺などを生業にしている連中・・これ、真理かも?(^^ゞ このブログ、介護医療関係の話題はむしろ少ないのですが、面白いです。


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