老人介護についての個人的HP-5 思索- (8) 忘れ得ぬ三人の方々

忘れ得ぬ三人の方々〜今の私がある理由


 昭和59年、私がまだPT免許をとったばかりで某県庁公衆衛生課職員だった頃、当時は行政職PTは珍しかったので県内の市町村の保健婦さん方などは、この新米行政職PTに興味をお持ちだったようです。そしてある日、山中の村の地元保健婦さんに、谷あいの小さな一軒家へ引っ張っていかれました。中には脳卒中後10年というカチカチの寝たきりの大きなお爺さんを小さな腰の曲がったおばあさんが面倒をみています。保健婦さんは私をグィと押しやって『さぁ“先生”!この方どうにかしてください!』(^_^; 参りました。3年間でよいところを4年間も学校に通ってとった資格なのに、何にもできませんし何にも言えませんでした。結局その日のことは「何もできなかった」ことしか覚えておらず、あとは何をしゃべって何をしたか、全然覚えていません。「大変な仕事(職場)だぁ・・」真っ青になって県庁に戻ったことは覚えています。(^_^;

 今の私であれば、もちろん何らかのお役にはたてただろうと思います。でも、この時の経験が私の「スタート地点」だったことは間違いありません。


 昭和61年、救急外科病院に勤めていた頃、小さなお婆さん、Aさんが私の担当になりました。病名は「変形性膝関節症」。長年の農作業で膝がO脚に変形し、痛む病気です。お若い方ならば手術で治したりもしますが、ある程度の年齢の方以上は「保存療法」つまりは「リハビリ室通い」となります。ところがこれは、言うなれば「関節の老化変性」ですからそう簡単には症状の改善は得られません。お婆さんの膝の痛みも、毎日運動したり暖めたり引っ張ったりしてもなかなか良くなりません。いつしか私はこのおばあさんのことを「早くあきらめて退院してくれればいいのに・・」と気持ちの中で疎んじるようになっていました。(“治療契約”をこちらが守れていないのだから後ろめたいんですね(^_^; )でも、お婆さんはえらく私のことを気に入ってくれたようでした。そして大して「効果」もあがらないままやがて退院されていきました。

 ところがその後、私が通勤で車を走らせていると、ある集落の中でそのお婆さんが立っています。思わず私が車を止めるとお婆さんは、ビニール袋に入れたナスなんぞを私に渡そうとされます。どこで誰に聞いたものか、私の住所から通勤時に自分の家の近くを通ることを察知して、待ち伏せしていたようです。その後も何度かそんなことがあり、私もしばらく車を止めて話しをしたりナスやきゅうりをもらったりしていましたが、いつしかそんなこともなくなり私も職場を代わっていつしかそのお婆さんのことは忘れていました。

 何年も経ってから、息子の影響からか特養でのボランティアをしていた母親が私に向かって、「お前が○○病院でみていた○○さん、亡くなったってよ。膝がどんどん悪くなって最後には寝たきりになって惨めな姿で亡くなったって・・」と、同じ集落の特養利用者から聞いてきた話を伝えてくれました。

 私は言いようのないショックを受けました。そして「単に“治そう”というだけではなくて、“どう暮らしていってもらえばよいか”を一緒に考えなくちゃだめだ。」と心底痛感しました。この方にも、今の私であれば痛む膝は膝として、どうしていけばそういう自分の身体を上手に使いながら長持ちさせていけるか?力になれただろうと思います。無力で、しかも自分(Aさん)のことを疎んじてさえいた私を慕ってくれて、道端でじっと待っていてくれたこの方の姿が忘れられません。この方の御霊に報いるためにも頑張らなくちゃいけませんね。


 平成元年、すでに老人病院で仕事をしていた私は、脳梗塞で片麻痺と軽い痴呆をおこされたお爺さんを担当していました。その頃はもう、盛んに家庭訪問して在宅環境を整えたりご家族と一緒に介護方法の検討をしたり、そんなことをしていました。このお爺さんもそんな過程を経て、山中の古い家で奥さんと一緒の暮らしができるようになって退院されました。その際には地元の福祉施設さんにフォローアップをお願いしたのは言うまでもありません。

 ところが半年ばかり経った頃、その福祉施設さんから連絡が入りました。「○○さんが再発作を起こされて、亡くなりました。」・・やはり在宅生活は無理だったのか?無理がたたったのか?健康管理が不十分になってしまったのだろうか?そんな思いで、一緒に動いていた大学卒業したてのケースワーワーさんと家にお邪魔しました。お悔やみを述べる私たちに奥さんは、「嫁いできてからすぐに、農作業しながらこの人の弟妹の面倒を見てきた。そのうちに自分の子育ても加わった。やっとそれが終わったと思ったらこの人は酒ばっかり飲んであげくに脳卒中になってしまって・・、でも、この半年間は私たち2人だけの本当に落ち着いた暮らしで、これが私の新婚生活みたいなものでした・・。本当にありがとうございました。」と、そんな風に言ってくれました。見ると若いケースワーカーさんは目を真っ赤にして泣いています。(^_^; 私は、家の軒先で鋸を引いたりトンカチでトントンいわせたり、およそ医療職PTらしくない自分の仕事を、でもやっぱり「それで良いんだ」と心から思えました。


 以上の方々は、「今の私がある大きな理由」です。(もちろん、その他にも大勢の方々も)懺悔と感謝とこれから頑張ることへの誓いと、そしてご供養の気持ちをもって紹介させていただきます。

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