老人介護についての個人的HP-4 知識 - (28) 治療的ケアと受動的ケア

治療的ケアと受動的ケア

  えっと、このテーマは私自身がPTという資格でもって高齢者介護の世界に飛び込んだ20年も前に、一番最初期に個人的に直面したテーマでしたが、こうしてみると未だにHPではとりあげていないので、現段階の見解ということでまとめておきます。

 まずは皆さん、よろしければ以下の質問に(国家試験ふうに)答えてみてください。

Q:左片麻痺者で左半側空間失認のある者に食事を提供する際、食事はご本人さまに対して、

 A1:正面に置く。
 A2:本人のより左側に置く。
 A3:本人のより右側に置く。

 正しいのはどれか?

 よろしければ、↓の続きをすぐに読まないで、皆さんそれぞれの「答え」と「その理由」をしっかり考えてみてください。

 ・・
ドウカナドウダロカ?
 ・・


 では、お答えに対して私なりのコメントしますね。

 A2:左に置く、という方。本人さまが「俺の分の食事が無い!」と不穏に興奮してしまいませんか?自らの障害への自覚を迫り、訓練効果?によって少しでも障害の軽減を図ろう!という意味合いで、あえて本人さまが見落としやすい左側に置くのは、まぁ「治療的態度、治療的ケア」と言っても良いかと思います。ただし「“治療的”だから、より“高レベル”なのでこちらが正解!」だと思う方がいらっしゃったら、ちょっとお若すぎ、かな?(^_^;

 A3:右に置く、という方。左半側空間の無視傾向が、ますますひどくなってしまわないでしょうか?右手で食べるのだし、本人がしっかり意識できる右側に置いてあげるのは当然の配慮、それが快適な暮らしの提供、という意味合いで、あえて右側に置くのは、まぁ「受動的態度、受動的ケア」と言っても良いかと思います。ただし、「介護は医療じゃない!病院の真似事は不必要だしむしろジャマだ!」と考える方がいらっしゃったら、ちょっと「反骨精神が過常ぎみ」かも?(^_^; 介護の持つ可能性をむしろ狭めてしまっているかも・・と考えます。

 A1:正面に置く、という方。その理由がただ何となく根拠も無く、ということだったら、もう少し色々考えてみる習慣をぜひ!考えてみる、というのは面白いですよ。↑のA2・A3それぞれのようなことを両方考えてしまって答えが決まらず、どうでもよくなってA1にした方、「混乱する介護」を象徴するかのようだと思います。
(ところで、コレ、本当に介護福祉士国家試験の過去問題として出てないでしょうね?(^_^; )


 もう少しありがちな例をあげましょうか?膝に屈曲拘縮傾向のある方に、車椅子に座っていただく場合、(膝の屈曲傾向のために)足部がフットレストから後方下方に落ちてしまいそうになりがちです。そこで、足部の後ろでレッグレストとの間に枕を挟みこむか?(拙HPのどこぞのページに書いたように)フットレスト自体を後方に下げてしまうか?あなたらなドッチ?
 
足部の後ろに枕を挟みこむことで、膝の屈曲拘縮は悪化が予防されむしろ改善に向かうかもしれませんが、同時に(足部が前方に引かれることで)お尻も前に滑って“ずっこけ座り”になってしまいやすいでしょうし、ご本人さまも苦痛かもしれません。足部を屈曲拘縮しているなりに後ろに引けるようにすれば、ご本人さまはずっと安楽でしょうし、おそらく骨盤〜体幹もしっかり起こしてきれいに座っていられると思います、が、ますます膝の屈曲拘縮がひどくなるかもしれません。
 この場合、前者が治療的ケア、後者が受動的ケアと言って良いかと思います。どちらが“正解”なのでしょう?


 ここまで書けば、皆さんお分かりですよね?正解はこないだまでトップページにも書いてありました、どちらにしても『絶対に正しい」とか「絶対に間違い」とは言えない』。(^_^;
 つまり、空間無視の方に対する食事の置き方にしても、膝屈曲拘縮気味の方のフットレスト前後位置にしても、その方の障害の程度・理解力・情緒状態・回りの(私たちの)介護力と将来的に提供されると予想される介護力などなどを勘案して、ケアの方針を決める、そしてその方針に沿って皆でケアしていく、ということです。主に受動的ケアを行なうが、時間によって治療的ケアを行なう、とか、療養棟内では受動的なケアを行なうがそれとは別に“機能訓練”の時間を設けるとか、色々なバリエーションがあるでしょう。

 一番マズイのは、「訳も分からず、ただ何となくそうしている」という状況が続くこと、です。上にあげた2つの例でも、それぞれに「利点と欠点」がありましたね。「何となく」では、結果として「欠点ばかりが増長する」ことが多いように思います。

 介護では実に多くの場面で、この「治療的 or 受動的」という選択が図れるものですし、ただ何となくではなくて、それぞれの利点と欠点となりをきちんと検討してケアの方針を決めていくことこそが本来の「ケアプラン」ということだと思います。
 そして一つの介護場面に、「治療的ケア」と「受動的ケア」とそれぞれを想定できるためには、基盤となる「知識」(上にあげた例でいえば、高次脳機能障害についての知識や車椅子についての知識)が必要ですし、それを踏まえて様々なことを勘案してケア方針を決めていくためには、「豊かな感性」が必要なんだと思います。いや、介護って面白い?です。

(p,s, 一度ですね、「介護福祉士国家試験の模擬問題」作成作業したことがあります。いやはや、苦痛でしたね。既に終わった試験問題についての解説は、随分ツッコミ入れながら楽しく作業できたのですが・・。でも、やはり試験は大事です、ね。)

 さて、ここでは一応「治療的ケアと受動的ケア」という言葉を使いましたが、言葉はこれで良いのかな?もっと適切な言葉がある、または使われているよ、なんてことをご存知の方はぜひご教示ください。


 さて、このページについてPTとしてディケアでご活躍のたけ2さん(ご年齢不詳)から、掲示板に書き込みをいただきました。示唆に富む内容なので、こちらに要旨を収録して、私のコメントを添えておきます。


 さてHPの上記コラムの質問に対して、私なりの答えを書きつつ、「治療的ケアと受動的ケア」、特に治療的ケアについて思うことを硬い文章ですが、書きたいと思います。せめて皆さんの考える材料にでもなれば幸いです。

Q:左半側視空間失認のある者に、どの位置に配膳するか?
A:以下私なりの答え。もちろん必ずそうするわけではないですが。

 私の勤める通所リハに、上記症状のある新規利用者さんが初回利用。さて食事だが、症状は知りつつも、あえて正面に置く。まずは一般的な配膳をして、利用者がどう対処するか。決して意地悪ではなく、あくまで“普通の対応”をすることも、その方を尊重することにならないか。 当然情報収集はするが、あえて「治療的でも受動的でもない」中性からスタートすることで、その後が対応を柔軟になるという利点もある。

 この方法で、食べ残しや“一点食い”も少なく、声かけでうまくいくなら、これから暫く正面に置き続ける。さて次は「治療的」にあえて左へもっていく提案があった場合、とにかくまずはその治療的効果を、真に専門的に判断することが必須である(これが治療的ケアには一番重要)。これはリハ専門職の仕事の一つであるが、結局勉強したり文献調査するしかない。それでも分からなければ、「リハ」の時間にペグボードなど用いて訓練を始めることが必要だろう。それらをせずにいきなり左に配膳することには慎重である必要がある。食事は誰しもおいしく安楽に食べたいはず。そこに今は効果がはっきり分からない治療的ケアを行い、結果「しんどい食事」になるのなら、修正が必要だろう。

…治療的ケアの方法論に対する姿勢。先ほど書きましたが、まずはリハ専門職がその治療効果を評価しなければなりません。つまり実際に効果のあがるケアかどうか、本当に専門的に評価するべきです。

…その上で、それを行うことのリスクを踏まえなくてはなりません。治療的ケアは時々、日常生活の安全性・効率性・安楽性・持続性を低下させます。それでも必要性があるならば、ご本人に説明して可能な限り自主的に取り組めればベターと思います。

…「治療的ケアと受動的ケア」両者を想定するため、大渕さんは「知識」、「豊かな感性」が必要といっています。私はそれに補足して、「治療的ケア」を想定するには“治療効果に真剣でいること”を加えたいと思います。実際の効果判定は非常に難しいものですが、一般的なコンセンサスがあること、特定の治療コンセプトに傾倒しないこと、が、よい「治療的ケア」を実現するものと思います。…


 たけ2さんのお書きになっている、「実際に効果のあがるケアかどうか、本当に専門的に評価するべき」という点については、養成カリキュラム上、医学科目が量的に少ない介護職さんでは難しい面もあるかもしれません。(まぁ、私だって自信バンバンではありませんが(^_^; )ただ、何らかの方針に基づいたケアを行なった場合に『ご本人さまの様子に敏感でいる』ことは、職種に関係なくできるはずだしそうでなくてはいけないと思います。そして、介護という場面に関わる医療職さんは、私みたいに自信がない、なんていうのではダメで、「事前に評価し予測をたてる」くらいのことはキチンとできて当然というべき役割だと思います。

 ただ、ある意味繰り返しになりますが、「医療者として医学知識と技術に富んでいれば、効果予測の事前判定評価作業をきちんと行ない、それに基づいて介護ケアの方針を立案していけるか?」というと、必ずしもそうではない、とも考えます。「医学知識と技術に富んでいる」と同時に、「高齢者の生活実態や介護ということをよくよく知っている」のでなくてはならない、と思うのです。たけ2さんは、そういうPTさんなのだと思います。

 私自身は、↑ここにこそ、ずっと昔からいわれている「医療と介護の連携」の真の姿を見るような気がします。右側に置いてあげることが「福祉的介護的」ということではないし、左側に置いてあげることが「医療的」ということではないのですね。たけ2さんがお書きになっているような態度こそ、私たちがこれから作っていくべき「新しい介護」(?)だと思います。


 さて、話題がポンと飛ぶようですが、手元に「高齢者リハビリテーション研究会中間報告のポイント」という資料があります。その内容として、

●高齢者リハビリテーションの現状
・急性期リハビリテーションが不十分
・長期間にわたる効果のないリハビリテーション(医療としての機能訓練の意味?:大渕注)
・医療から介護への不連続
・リハビリテーション(機能訓練の異味?:大渕注)とケアの境界不明瞭
・在宅リハビリテーションが不十分(在宅者に対する“医療的な機能訓練”が不十分の意味?:大渕注)

とあり、さらに、「現行サービスの見直し」として、

●現行サービスの見直し
予防、医療、介護が断片的でなく、総合的に提供されるべき。
2:医療介護のリハビリテーション強化
・急性期リハビリテーションの強化
・入院リハビリテーションの改善
・訪問リハビリテーションの拡充
・通所リハビリテーションの適正化
・ショートスティの改善
・福祉用具、住宅改修の適正化

加えて、必要な基盤整備として、

●必要な基盤整備
3:人材育成(リハビリテーション専門医、専門職等)

 とあります。膨大な資料のごく一部を取り出して全体を批判するつもりはさらさらなく、内容的にむしろ嬉しく評価できる面も多いのですが、でもやっぱり部分的には突っ込みたくなります。(^_^;

「医療から介護への不連続」:それはその通りだと思うけれど、医療機関から介護スタッフ側へ確実に連絡票を発行すれば済む問題でしょうか?あるいは、医療機関を退院してすぐにタイムラグなしで介護サービスを利用できるようになれば済む問題でしょうか?そうではなくて、このページやパラダイム論のページで述べているような、医療と介護の本質的な部分での「すり合わせ・統合」の問題ではないでしょうか?

「リハビリテーション(機能訓練?)とケアの境界不明瞭」:機能訓練自体はPTやOTが担ってこそ、より高品質になるはず(ならないといけない)だけど、広い意味合いでのリハビリということであれば、「リハビリテーション理念と介護ケアの心底からの“融合・一体化”」こそが必要なんじゃないの?あたかも「リハビリ」とは「介護ケア」とは別にある、というような考え方・表現の仕方こそ、問題じゃないの?(介護スタッフさんが行なう日常生活ケアとPT・OTの行なう機能訓練は別のもの、とは言えるかも?ですが。まぁ、PT・OTの行なう機能訓練だって、日常生活の一環でなくちゃいけないと私は思いますけどね。)

「人材育成:リハビリテーション専門医、専門職等」って、既に年間に何千人というPT・OTが増えていて、もはや多すぎ!に近い状態だと思うけど?このままさらにPT・OTが増えていけば、そのまま高齢者リハや高齢者ケアの「質」が本当にあがるの?今の教育体系のままで医療専門職を増やすこと、あるいは(医療的な)質を高めること(例えば大卒PT割合を増やすとか?)で、本当に現場の質もあがっていくの?

「…の拡充・改善・強化」:サービスが増えることは自体は良いことだけど、今のままで増えればそれでいいの?

 そうかなぁ?(^_^; 私は、このページやHP全体をも通して表明しているつもりのもっと根深い部分での問題だと思うし、表面的な制度上では例えば、「医療資格としての医療職」「福祉職としての介護職」という別系統立てのままではマズイんじゃないの?とか、「医療保険制度」と「介護保険制度」という別系統立てのままではうまくいきっこないじゃん、と書いては実もフタもありませんが、少なくとも「疾病急性期は医療保険、急性期治療が終わったら介護保険」なんていう「疾病:医療」を中心にした見方ではムズカシイだろな?とか、思います。中間報告をまとめた委員さん方も、「とりあえずはすぐに取り組めることから」というスタンスなのか?とも思いますし、まぁここまでくると、たけ2さんや他のこのページをご覧の皆さまにも、また違った意見もあるかとも思いますが、個人のページということでご勘弁を。


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