老人介護についての個人的HP-4 知識 - (3) 痴呆について−1

痴呆/ボケということの考え方(の一例(^_^; )

痴呆への一般的なマイナスイメージ

 「痴呆」というと、一般的には大変嫌悪されているようです。「“寝たきり”になるよりも“痴呆”になる方が嫌だ!」という方も多いのではないでしょうか?「痴呆」とは「年取ることへの恐怖」の象徴のように扱われることが多いようです。

痴呆の定義

 では、「痴呆」とはどのような状態を言うのでしょうか?きちんとした医学的な定義があります。それは、

  1. 脳内に器質的損傷/疾病を有する。
  2. 後天的に知能が低下したもの。
  3. 非可逆的。

 ということであり、

 の3つを中核症状とする「病気」です。いかにも「医学的」な無味乾燥な定義づけで、現場には関係ないことのようにも思えますが、きちんと以上のことを踏まえて現場を見なおすと、やはり様々なことが思い浮かびます。

痴呆の何が“問題”か?

 その代表的な例として、「痴呆に伴う介護困難」ということを考えてみましょう。「知能や記憶力や見当識がダメになったら介護が困難になるのは当然ではないか?」というのは、いささか現場をよく知らない人の言われることでしょう。(^_^; つまり、「痴呆の程度」と「介護困難の程度」は必ずしも比例しないのです。例え知能や記憶力や見当識がダメになって何もわからないような状態でも、いつもニコニコと「ありがとありがと」と応えながら介護を受けている方もいらっしゃるし、反対にわずかな記憶障害から「不穏状態」に陥り、大騒ぎされる方もいらっしゃいます。

 知能・記憶力・見当識がダメになる痴呆に伴いやすい「随伴症状」として、「意識障害/せん妄、幻覚妄想、感情障害人格変化、言語障害、行動障害」などがあげられます。つまり、痴呆に伴う介護困難を引き起こすのはこれらの「随伴症状」であることが多い、と言ってよいと思います。そして、痴呆そのものは改善困難ですが、「随伴症状」は随分と変わるものでもあり、改善もします。

 また、精神機能を表す言葉として「知・情・意」という言葉があります。「痴呆の定義」の中で扱われているのは「知」のみです。例え「知」がダメになっても、「情・意」の部分が穏やかに安定していれば、俗に言う「可愛いお年より」ということになると思います。反対に「知」の障害がわずかでも「情緒」面で混乱し、被害妄想が強くなったり自虐的になったりしたら、途端に介護困難となってしまうに違いありません。

痴呆の“判断”について

 ですから、よく実施される「痴呆スクリーニングテスト」の結果を、そのまま「介護困難さ」と混同してしまわないように注意しなければいけません。例えば「100−7」が分からないとして、分からなくても気持ちは穏やかなのか?分からないことに本人さんが混乱してしまっているのか?そこが介護上の問題となるわけで、それは痴呆テストの結果には現れません。

本人さんの「情緒」を左右する因子

 では「知能障害」の原因は「脳の器質的」な障害だとしても、「情緒面」の障害の原因は何でしょうか?それは「ご家族の態度」だったり「本人さんの考え方・感じ方・もともとの性格」だったり、何にしても極めて社会的/心理的な側面が強いもののように思われます。例えば、老化に伴って起きてくる正常な範囲内での「物忘れ」に対して、ご家族が「もぅ、お願いだからしっかりしてください!」とか「ボケてダメになったねぇ」などの「否定的な態度」をとりつづけたり、本人さんも「俺はダメになってしまった!」とか「どうにかしなければ!」と必要以上に悲観したりあせったりしては、結局、ボケ〜痴呆を強めてしまうことになりはしないでしょうか?つまりは「老いへの不適応状態」と言ってよい状態です。この辺は「思索のコーナー」でありあげた「活動理論/後退理論」のお話しの、「活動理論的価値観の限界」ということが連想されます。

 そして、この「老いへの不適応状態」が痴呆の原因の一端であることも、強く感じられます。もちろんアルツハイマー病など、明らかな「疾病」は存在しますが、それが全てではないということ。むしろ、もっと社会的な、あるいは心理的な面での「痴呆の原因」というものがあるように感じられますがいかがでしょうか?

痴呆の予防ということ

 こんなふうに考えてくると、巷でよく言われる「痴呆の予防法」というものも考え直してみる必要があります。「“折り紙”は手先を使うから良い」とか「“日記”をつけるといつも頭を使うから良い」とか、その類のことはいくらでも聞きます。しかし、折り紙にしても日記にしても、他人から嫌々ながらに「やらされる」のでは何の予防効果もないどころか、かえって有害かもしれません。私であればこうアドバイスしたいと思います。『何でもよいから、自分の好きなこと・やりがいのあることをみつけましょう。』能動的に自ら楽しみを持って取り組めるものがあること、それが大切でしょう。

 それから、『他者との交流を積極的に持ちましょう。』ということ。『痴呆者へのボランティア』などは素晴らしいと思います。これからいよいよ老いを深めようとしている方々にとって、「痴呆や寝たきりの姿」というのは見たくない姿かもしれません。でも、単に嫌悪するのではなく自分の優越性を確認して満足するだけでもなく、「もしかしたら自分も行く道」としっかり見据え、できる限りの援助の手を差し伸べることは、自らの老いにとってどれほど有益だろうか?と思います。

 そして、「価値観」ということ。「健康でさえあれば幸せ」とはよく言われる言葉ですが、それだけになってしまうと、いざ病気になったり障害を負った途端に「自分は不幸」ということになってしまいます。(^_^; そうではなくて、いざ病気や障害を負ったらその時はその時で「どうにかなるさ」と思える心の余裕、そんなものが大切なように思います。もちろん、自分の力よりも大きな力を信じる宗教も有益かもしれません。

 もうひとつは「ご家族の態度」ということ。特にまだ若い家族にとっては、段々と老いていく親の姿を見ることは、大変辛いことであるというのも間違いないと思います。ただ、それがそのまま言葉として「お願いですからしっかりしてください!」などと本人さんにぶつけられるのは、「あなたはそれ以上、年をとってはいけない!」と、無理難題を要求していることと同じであり、それがいかに本人さんのストレスとなるか、それを忘れないでいただきたいと思います。

子供達の問題との類似性

 このテーマは、自分自身まとめてみることにかなり勇気が必要です。何故なら以上のようのな文章を読んで、実際にある程度のお年の方から「お前みたいな若造に何が分かる!俺の気持ちが分かるとでも言うのか!」と言われれば、返す言葉がないからです。でも、やっぱりわずか10年少しの経験からでは、以上のようなことが言えるように思います。そして気づくことが「子供達を巡る諸問題」との類似性です。「“不登校”を治そう治そうとしている間はダメだったが、親が開き直ってとことん子供に付き合う覚悟ができたらケロッと治ってしまった。」というようなお話しは聞いたことがありませんか?まるで「痴呆者の問題行動」のお話しか?と思います。ここではこのことについてこれ以上深くは考察しませんが、私達一般成人から見て、「発育途上の子供達」と「老いの過程のさなかにいるお年より」に、私達との「付き合い方・関係」において似たような状況があるのは非常に象徴的だと思います。

中〆め

 やはりこのテーマは「重い」ですね。(^_^; 長くなってしまいますので、一旦切ります。でもなるべく早く是非とも、「仮性痴呆」ということと「痴呆に対する接し方」ということについて、なるべく簡潔にまとめてみたいと思います。

コーナートップへ ◆HPトップへ ▲総目次へ