老人介護についての個人的HP:雑記帖(18)新潟日報連載コラム11
読みやすいとは思いますけど、自分でも何ともまぁ力みまくった無いようです。(^_^; 最終回ということで勘弁してもらお!これでやっと、原稿追われから少し開放されます。(^_^;
早くも最終回となりました。まとめの回とさせていただきます。
これまでこのコラムで取り上げたのは、車椅子やベッドといった介護機器とそれにまつわる介護技術の話題、ご家族の施設への思いや介護負担感といった心の問題、介護をめぐる社会状況として介護保険の要介護認定の話題、です。なるべく要領よくと思いつつ、いずれも複数回にわたることが多くて、意外と少ない話題しか取り上げることができませんでした。まだまだ触れたい話題も多かったのですが…。
でも、たったそれだけでも介護をめぐる話題というのは、実に様々であることが分かります。食事と排泄と入浴のお世話の、毎日の繰り返しだけが介護なのではありません。もちろんそれも大切な要素ではありますが、そういった日々繰り返される「暮らし=介護」の中で私たちは、私たちの、そして高齢者の“生きざま”に直接触れていることに気づきます。介護は、介護する人にとってもされる人にとっても、生活そのものであり、人生の一局面であり、その質を問われる場面でもあります。
介護をしているから、介護を職業としているから尊いのではありません。要介護の状態だから人としての価値が低いわけでもありません。介護をしながら己の醜さ、いたらなさに打ちのめされることもあるし、そう感じることさえできない不遜な自分のこともあり得ましょう。介護されながらも、思わずこちらが頭を下げたくなるような方もいらっしゃいますし、その反対のこともあり得ます。ただ、他者の援助を必要としている人がいて、それに応えようとする人がいたら、そこに人の関わりとしての“介護”が生じます。私たちの人生は、結局他者との関わりを通してこそ“人生”になるのだと思います。介護という場面は、そのことを濃密に演出してくれる場なのかもしれません。私が理学療法士という医療職者でありながら、医療・福祉・保健・実生活にまたがる“介護”という場面に深く関わってきたのは、そんなことが理由なのかもしれません。
でも日頃は、いちいちこんなことを口にはしません。周りの人がわずらわしくて仕方ないですね。ですから毎日の仕事の中で、ただ自分にできること、少しでも人様に喜んでいただけそうなことを実践している私であろうと思います。今後もお付き合いいただく皆さま、どうぞよろしく!医療・介護を職業としている皆さま、ともに頑張りましょう!そして在宅で介護を受けている皆さまと、介護をしている皆さまのお幸せを心よりお祈り申し上げ、終わりの挨拶といたします。

パソコンを前にする筆者。「この連載中、沢山の方々に声をかけていただいたことに感謝します」
新潟日報平成13年3月18日