竹のことは 竹に 聞け。
聞くには手がいい。
いつも頼りになるのは、結局、
だ。

竿作りを始めた頃は、お祭りの後らしかった。
ギャリソンさんの本は高価で買えなかった。
和訳CD−ROM付きは完売、それ以前に更に高額だった。
教本ビデオも完売、持っているという数人に頼んでみたが、売ってはくれなかった。
これ以上ビルダーは増やさない、といった意味合いが返事の裏から読み取れた。
距離的に最も近いビルダーの所在地まで時速100kmで片道4時間余り、通うには遠すぎた。
何もかもが 
「やるなら独りでやれ」 と言っていた。

まず、リールシートをつけるに至る竿とするまでに、約30本のブランクをこさえた。
ブランク作りは大工さんだと分かった。
それは、天気と、己の筋肉に相談しながらの肉体労働に他ならない。
各工程で、曲げて、折って、切って、裂いて、焼いて、振って・・・捨てて。
ひとつずつ、確認していった。
先が見えなくなった時は、ある一つの言葉が、いつも私を竿作りに引き戻してくれた。
そうして、竹の割り数で予定した竿数、ほぼ10割を竿にするようになった頃、
初めて全てを終わらせた竿には、妻の名を入れた。

余談になるが、私と妻には子がない。
死んだ後に、私と妻の何かが、何らかの形で残ればいいと思った。
それが私の場合、竿だった。

話しを元に戻す。
一人、公園で、その竿を振った時の感触は、今でも忘れる事ができない。
この時までにできあがった手順は、今もほとんど変わらない。
変わるのはいつも、その 
まわり のほうである。

先人のテーパーデータの中からも得るものは多い。
私も、私なりの作り方で真似てみて学んだ事がある。
模倣は、数字のその 
向こう にあるものが目当て。
聞いたところでは、私の工法は、ポール・ヤング中期〜ボブ・サマーズの流れらしい。
私も、外観を見る限りだが、サマーズの竿と似ていると思うので、間違いではないと思う。
という事は、そのあたりのデータは、他より参考になるというわけだ。
しかし、私が、そういう竿を作りたいかは、また別の話し。
コピーとかは、興味がない。

あの頃、何でも手に入っていたら、
今より、もっと小さくまとまって、続ける情熱も冷めていたかもしれない。
だから、今でも、情報は選んで、他のビルダー諸氏とも交渉は避けている。
井の中の蛙、大海を知らず。
知らぬほうが良いという事もある。
少なくとも、止めてしまうよりいい。

最後になるが・・・
私の 
幸せ は、
誰かが、私の作った竿で、魚を掛け、引き寄せ、網の中におさめ、
魚を眺めている、その時にある。