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05 記憶

「レスカさんのバカ……」

 大広場の張り紙からレスカ・マーカーの依頼を発見した俺たちは、
 張り紙に記載されていた待ち合わせ場所ではなく、
 レスカの家に直接向かった。

 レイチェルのうろ覚えの情報と住所を元に、なんとかたどり着くも、
 レイチェルが渡したマイルからのプレゼントが気に入らなかったようで、
 ペンダントを投げ返され、ドアの鍵を閉められた。

 あてもなくなったので、水獣を探しに行くため街を歩いて進む。
 レイチェルは唇をへの字にまげて、
 先ほどから同じ台詞ばかりをいうようになった。

 左腕で頭をかこうとして、故障のため取り外していた事に気付く。
 黒いパーカーの左袖がだらりと垂れ下がっている。

「レスカさんのバカ……」

 バカはお前だよ。

 そういってやると、レイチェルの口から罵詈雑言と唾の散弾が飛び出してきた。

『真実を知るという事が必ずしも幸福になれる事だとは限らない』

 再婚を考えていた交際相手に旦那がいたことがわかり、
 絶望を感じた博士が死んだ魚のような目をしてぼそりと呟いた言葉を思い出した。

 レスカがマイルのプレゼントを受け取らなかったという事実は、
 少なからずレイチェルにダメージを与えたようだった。

 そのまま人生に絶望して、
 俺の喉の爆弾を外してから自殺してくれればベストだ。

「金がねえんだ。俺たちは仕事を失った。新しい仕事が必要だ。
 俺達に残された選択肢はただひとつ……」
「ただひとつ?」

 レイチェルが真剣な表情になり、横目で俺を見る。

「銀行を襲……」
「犯罪じゃねーか!」

 レイチェルが腰に提げた作業鞄からモンキースパナを取り出そうとしたそのとき、

「キミ達、賞金稼ぎかい?
 メカのパーツが欲しいなら店に遊びにきてよ」

 目の前に汚れた白衣を着た女が現れた。
 癖のある長い金髪に、左目に眼帯をしている。
 女は赤いルージュの塗られた艶やかな唇を吊り上げた。
 



 街の一角にある看板もない寂れたパーツショップ。
 シャッター全開の入り口から、日の光が眩いばかりに差し込んでいる。
 天井からつるされた電球は日中は使用しないのか消灯していた。
 白い天井に指先ほどの大きさで×印が二つ並んで小さく刻まれていた。
 電気屋が電球の取り付け位置で悩んで、何箇所か印をつけたのだろうか?
 詳細は定かではない。 

 話によると、汚れた白衣の女はこの店を一人で切り盛りしているという。
 パーツ屋というだけのことはあり、棚中パーツが並べられている。
 部屋の奥にはパーツでできた小高い山があり、
 今にも崩れそうな危ういバランスで成り立っていた。
 店は作業場も兼ねているのか、作業台や機材も目に付いた。

「コネクタってこれのこと?」
「おお、それそれ、それが欲しかったんだよ!」

 金髪の女がガラクタの山から取り出したパーツに、
 レイチェルが瞳を輝かせて反応した。
 半径1.32cm、厚さ5cmの筒状のパーツだ。
 濃いグレーの色をしていて、光沢が一切無い。

「それがあれば修理できんだよ!」

 俺の左腕の事をいっているようだ。

「運が悪いね、高級なほうだ。結構高いよコレ、お金あんの?」
「えーと……」

 レイチェルが気まずそうに俺をチラと見て、押し黙った。

 白衣の女は細い目を更に細め悪戯な笑みを浮かべた。

「私の記憶を見つけられたら、タダであげてもいい」
「記憶?」
「そう。記憶、私の記憶」

 女の名はメリル。気がつけばここにいて、
 自分のメカニックとしての知識と、
 街の人の協力でこの場所でパーツ屋を始めたのだという。
 なぜかこの店には初めから機材がそろっていたのだという。

 街の人たちは彼女の事を何も知らないらしい。
 彼女が現れる前は店のシャッターは常に閉まっており、
 一度も開かれた事はないそうだ。
 誰も住んでいないと思っていた、というのが大多数の意見らしい。

「記憶を探すっつっても、何かヒントがねえと難しいな」

 レイチェルが鬱陶しそうに頭を強くかいた。
 乱れた髪を押し付けて元に戻す。

 戻すなら、最初から乱すなといいたい。

「記憶ディスクって知ってる? 知ってるよね。アンドロイドいるもんね」

 メリルは何が面白いのか、腹を抱えて笑っている。

「人間やアンドロイドの記憶をデータ化したモノで、
 そのシステムは100年前に考えられたんだけど、
 今ではその60%がブラックボックスと呼ばれる解読不能コードになっていて、
 つまり、並みの人間じゃ解読できないって事なんだよね」

 何が面白いのかメリルは肩を震わせて笑った。

「どうやら、このディスクが私の記憶の補完ディスクらしいんだけど、
 どうにも解析できなくて困ってる訳……おかしいでしょ」

 そういって、メリルはどこからともなく取り出した
 記憶ディスク専用装置を右手で持ち上げた。

「レイチェル、解析してやれよ」
「うん……」

 散乱したパーツの山の脇、床に直接PCが置かれていた。
 記憶ディスク専用装置を専用の機材にセットし
 コードで繋ぎレイチェルがキーボードを叩き始めた。

「うん、やっぱりわかんねー」

 3分もしないうちに、キーボードを投げ捨てた。

「どういう事だ?」

 レイチェルの肩を右手で強く掴む。

「わかんねーんだもん、仕方ねーじゃねーか」
「違う、お前は俺を目覚めさせたときにこういっただろう。
 お前の性格もある程度は解析済みだ、と?」

 レイチェルが目をきょろきょろさせ、
 額に汗を浮かべて、唇をへの字に曲げた。
 そして、視線を逸らしてぼそりと呟いた。

「あー、あれ、嘘」
「嘘!?」
「嘘っていうか、あれは記憶ディスクに残ってた映像を再生して、
 お前がなんか危なそうな奴だったから、喉に爆弾仕掛けたんだよ」
「じゃあ、このディスクも映像を再生すれば何かわかるってことか?」
「かもな」

 レイチェルはキーボードをカタカタとたたき始めた。

「再生してみるから、あと30分くらい待ってろ」

 レイチェルがキーボードを不規則なリズムで叩き、
 時折うなり声をあげ作業を進めていく。
 ディスプレイに映し出された黒い画面に緑色の文字が
 一文字ずつ打ち込まれては、スクロールして流されていく。

 メリルは「ああ、その手があったのか」と右手を頭の上に置き、大笑いした。

「あんたたちは二人で旅をしてるのかい?」

 メリルが眼帯をしていない右目を見開き、俺のカメラを覗いている。
 黒い瞳に俺の姿が映りこんでいる。

「旅なんてしてねえよ。俺達は水狩だ。時々賞金稼ぎもする」
「二人で仲良く仕事が出来るのは幸せな事だね」

 メリルはニコリとして、汚れた床に散乱したパーツを足で蹴ってどける。
 パーツの山から、乱暴に丸椅子を取り出し腰掛る。
 ガラガラと音を立ててパーツの山が雪崩を起こした。

「立ち話もなんだから座ったよ」
「俺の椅子も用意して欲しいものだな」
「キミ、アンドロイドのくせに面白い事いうね! 座りなよ!」

 メリルが瞳を黒々とさせ立ち上がり、座っていた丸椅子を俺に差し出した。

「アンドロイドは精密機械だからな。椅子に座ったほうが長持ちする」

 片方の唇をつりあげ、ぼそりとつぶやく。

 メリルはパーツでできた山の一角から強引に丸椅子を取り出して座った。
 雪崩。パーツの山が崩れ、金属がぶつかる悲鳴がまた聞こえた。

 昔から女のメカニックにろくな人間がいたためしがない。

「メカニックならもう少し機械を大事に扱えよ」
「この子たちはまだ大丈夫。そういってるから大丈夫。
 こういうのって、甘やかすといけないんだよね」

 メリルは腕を組み肩をすくめて白い歯を見せて微笑んだ。
 歯並びはお世辞にも綺麗とはいえないが、醜いほどでもなかった。
 前歯や八重歯が少し歪んでいる。

 眉間に皺をよせつつ、丸椅子に座る。
 これで、立っている時よりは消費エネルギーを削減できる。

「目覚めた時から記憶が無いのか?」
「そうなのよね。目覚めたらココで眠ってて、
 メカの機材はたくさん置いてあって、
 どういうわけか私はメカに詳しくてロボットを作ったり、
 修理したりするのは難しい事じゃなかったんだよね。
 ああ、でもおなかが空いちゃって、シャッターを開けて倒れてたら、
 みんなが私を助けてくれて、これだけパーツがあるなら、
 パーツ屋をやればいいじゃないかって進めてもらって、
 食料もわけてもらって、みんな親切で優しいんだよね。
 この辺りはメカの修理屋さんがないから、私がいるとみんな助かるみたいだね。
 私もそういってもらえて、とても嬉しいんだ」

 言動や仕草から、嘘をついている素振りは検出されなかった。

「目覚めてからどのくらいが経つ?」
「まるで警察みたい。こういうのって尋問っていうの? それとも取り調べ?」
「いや、ただの知的探究心の追求だろ」
「アンドロイドのくせに面白いこというねキミは」

 そういって、メリルは白い歯を見せ、目尻を下げた。
 彼女はそのまま話を続ける。話の中で大げさな身振り手振りが入るのが印象的だった。

「目覚めたのは半年ほど前になるかな。あの日は雨が降っていて、
 私は無性におなかが空いていて、
 あそこの入り口のシャッターを開けて、そこで力尽きて倒れたんだよね」
「そのときから以前の記憶がないって事か?」
「そうなんだよね。もしかして私はアンドロイドなんじゃないかって疑って、
 肩や首のコネクタを探したりもしたよ。でもね、つなぎ目さえないんだよね。
 無理に腕を引き離そうとすると痛いし、
 カッターを指にさしてみたら血があふれ出したんだよね。
 そこで、私は自分が人間なんだって事を始めて自覚したんだ。
 この部屋だってもともとはもっと綺麗だったんだけどね。
 日記や本を探していたら、こんなにちらかっちゃって。
 しかも、日記は1冊も出てこないんだから呆れちゃうね」

 女はうつむいてふうと息を吐いて、フフフと笑った。

「そこで、記憶ディスクを解析しようとして、失敗したというところか」
「その通り」

 ヒントになるような情報は何一つなかった。
 この女は嘘はついていない。ただ記憶を失っているだけだ。 

 しばらくは街に住みつき、レイチェルの借金返済に付き合う必要があるため、
 この女を殺して目的の左腕パーツを奪うという行動は取れない。
 殺人はこの国では重罪だ。公で殺していいのは賞金首くらいだ。
 
 レイチェルが記憶ディスクに残る映像の再生を成功させるまでの間、
 身動きがとれなくなった。

 メリルは左目だけでこちらを興味深げに
 じろじろと舐めつけるように見つめてくる。

「キミさあ、分解されたいよね?」
「残念だが答えはNOだ」

 分解を好むアンドロイドなんていない。
 それは、起動停止、永遠に再起動しないかもしれないというリスクを伴うからだ。

 だが……

 仮にメリルが優れた技術者であった場合……

 キーボードをカタカタと叩き続けるレイチェルをチラと見る。
 ぼそぼそと独り言を発し、黙々と作業を続けている。

 視線をメリルに移す。右目の眼帯は黒く、中央には薄青色い花の刺繍がされている。
 この女なら、レイチェルに仕掛けられた喉の爆弾を取り外すことができるかもしれない。

 レイチェルが記憶ディスクを再生するまで推定であと20分。
 その間に色々と確認しておきたい事がある。
 もしも、喉の爆弾を取り外す事ができるのだとすれば、
 そのときは……レイチェル・グルンワルド……

「お前を……」

 殺す……

 カメラの先に映るレイチェルの後姿。
 猫背になってキーボードを叩く女。
 俺の喉に爆弾を仕掛け、覚醒させた女。

 口元が釣り上がる。
 俺は自由を手に入れる。そして、お前を殺す。

「わあ、装甲がむき出しになってる。手抜きもいいところだね」

 メリルが喉の爆弾に興味を示した。
 レイチェルが制作費を節約したため喉のコーティングはされておらず、
 その部分だけ装甲がむき出しになっている。

 運がいいのか悪いのか、作業に没頭しているレイチェルの耳には
 その声は入らなかったようだ。

「喉に爆弾が仕掛けてある。そこの女、レイチェルの心臓が止ると、
 こいつもぶっ飛ぶ仕組みになってる」
「へえー、凄いね。これは面白そうだ」

 メリルはパーツや工具の散乱する机から、ペンチとドライバーを手に取った。
 道具を口に咥え、パーツの山に手を突っ込んだかと思うと、工具箱が現れた。
 パーツの山は雪崩を起こし、金属のぶつかる音がした。

 レイチェルが小さな声で舌打ちする音が聞こえる。

「へえ、なかなか精巧な作りだよこれ。外していい?」
「おいおい、失敗して、すみません無理でした、じゃ済まない話だぜ?」
「その爆弾が吹き飛んだら、私の身体も吹き飛んでるって」

 大きく口を開けてメリルが腹を抱えて笑った。

「うるっさいんだよ! お前ら映像みたくねえのかよ!?
 だったら黙ってろよバカ! あと、喉の爆弾外したらぶっ殺すからな!」

 レイチェルがこちらを振り向き、怒声を上げた。

「ごめんごめん、目の前に面白そうなシステムがあったんで、
 興味が沸いてしまったんだ。悪かったね」

 メリルが工具を床に投げ捨て、ぺこぺことお辞儀する。
 レイチェルはその声を無視して、ディスプレイと向き合い、
 キーボードをカタカタと打ち続けた。

「レイチェル怒っちゃったね」

 肩をすくめるメリル

「いつも怒ってるから、心配するだけ無駄だぜ。
 怒ってるのがスタンダードなんだ。逆に笑顔になったときのほうが怖い」
「るっせーっつってんだろ!」

 モンキースパナが俺の顔へと飛んでくる。
 回転率、速度から軌道を算出し、素早く右手で掴み取る。
 傷や汚れの目立つレイチェルのモンキースパナだった。
 先端が8mmほど欠けているのがもっとも特徴的だ。

「そろそろ動かねーのかよ。いつまで待たせる気だ? やる気だせよ」
「お前らがうっさいから作業が進まねえんだよ! いい加減にしろよ!」
「なになに、再生できないの? 手伝おうか?」

 メリルが片方の目を宝石のように輝かせた。

「いい。一人でできる。大丈夫だ。たぶん……」

 後半になると声が小さくなり、目が泳いだ。
 レイチェルはあまり機械に詳しくないのかもしれない。
 俺を覚醒させたということなので、
 そこそこの技術者なのかとは思っていたが、ただの思い過しなのかもしれない。

「記憶ディスクの再生って、簡単なのか?」

 メリルに訊ねてみる。100年前の技術者達は誰でも扱えた。

「記憶ディスクってさ、なかなか高度な技術で面白いよね。
 一般人はまず再生なんてしない。というかできない。
 アンドロイドなんて国家の研究機関にでも入らないと触ることはできないし、
 街で売られているような電動義手や作業用ロボットのパーツなんかじゃ、
 アンドロイドなんて作れやしない。それに、アンドロイドはお金がかかる」

 ペラペラと良く喋る女だった。

 なるほど、レイチェルは記憶ディスクを再生しようとしているって事は、
 素人って訳でもないらしい。むしろ、情報の少ないこの時代で、
 記憶ディスクを扱えるということは、優れたメカニックというかとか……

 レイチェルがキーボードを強く叩いた。

「動けよ。動かねぇとぶっ殺すぞったく。いう事きけよな」

 優れたメカニック?

 PCに向かってボソボソとひとりごとを言うレイチェルは、
 傍から見て優れたメカニックとは思えなかった。

 メリルが俺の首の爆弾を指差した。

「話戻すけどさ、その爆弾ってほんとセンス悪いよね。
 最終的に2本のコードのどちらかを切断する必用があるんだけど、
 そのコード、両方とも黒色なんだもん。
 普通、赤と青とかわかりやすい色つけるよね」

 何がおかしいのかメリルは大笑いしている。

「この作りだと、レイチェルしか爆弾は外せそうにないね。
 作った人間しか外せない作りにするなんて、ほんと笑える」
「チッ……」

 まだ、しばらくレイチェルと一緒に行動しないといけないのか。
 これじゃまるで、首輪をつけられた飼い犬じゃねえか。

「ああ、そうだそうだ、さっきさ、ヒントがないっていってたよね。
 日記はなかったけど、部屋を調べてたら写真がでてきたんだ。
 ちょっと待ってて」

 メリルが慌しい足音を立て、途中何度がパーツと激突しながら、
 奥の部屋へと消えていった。そして、10秒もしないうちに戻ってきた。

「これこれこれこれ。見て見て見て見て」

 差し出された写真は3枚。受け取って確認する。

「1枚目は子供の頃の写真ね」

 一番劣化が酷い写真だった。四隅の色落ちが特に酷い。
 10歳前後の男と女が並んで立っている。どちらも笑顔だ。
 背景は民家だろう。レンガを使用した作りとなっている。
 この国の建築技術とは違う、どこか違う国の技術だ。
 左隅に花が咲いている。ガーデニングでもしていたのだろう。
 咲いている花はミオソチス・アルペストリス。
 メリルの眼帯に入った刺繍の花と同じものだ。
 花言葉は真実の愛か……

「2枚目のそれが、15歳くらいの写真かな。
 公園かどっかだよね」

 湖の見える公園。ホログラムによる偽りの湖なのだろうか、
 どこか作り物めいた嘘くささが感じられた。
 メリルは頭にバレッタを付け、前髪を後ろに回している。
 メリルはこの写真でも細い目を細くして微笑んでいる。

「3枚目が20歳くらいかな。
 今の私はいったい何歳なんだろう? ははは」

 メリルがまた大笑いした。視線をチラリとだけ向けてから、
 写真の確認を再会する。

 メリルの推定年齢が25歳前後だとすると、
 写真のメリルはそれよりも若い。

 しゃがんで犬と一緒に映っている。
 飼い犬だろうか、品種はグレイハウンドだった。
 他の犬には無い視野の広さを持つ短い毛の犬。
 早く走るために作り出された犬種で、長い四肢と
 アーチが掛かった背中を伸縮させて素早く加速できる体系となっている。
 メリルは犬の首に腕を回して抱きついている。
 相変わらず笑顔だった。

「ね。全部笑ってるでしょ。だからきっと私はずっと笑ってたんだよ」
「安易な発想だな」
「記憶がなくて、情報がこれだけだったら、誰だってこうなるって」

 そういってメリルがまた肩を震わせて笑い始めた。

「考えたり悩んでたって記憶は戻らないわけだしさ、
 笑って楽しく暮らしたほうがいいよね」
「この頃はまだ、右目が見えてたって事か?
 その右目の眼帯、右目が見えないからつけてるんだろ?」
「これ? うん。そうなんだ。結構傷が深くて、見たら気持ち悪いもんね」

 表情を曇らすことなく、メリルは微笑んだ。
 傷や目については特にコンプレックスは抱えてのだろうという推測ができる。
 コンプレックスがある人間は、言葉が詰まったり、目が踊ったりするものだ。
 メリルにはそういった仕草が見受けられなかった。

 そのとき、入り口に人影が現れた。
 外からの光が遮られ、影が部屋に伸びている。

「あの〜すみません、メリルさん、また、足の調子が悪くなってしまいまして〜」
「ポワソン君、またキミか。だからいったじゃないか。ちゃんと手入れはしようねって」
「ごめんなさい。ついつい忘れてしまうんですよね」

 ポワソンと呼ばれた15歳前後の男が頭に手をあててへへへと笑った。
 裕福な家庭で育ったのか身なりはしっかりしている。
 体格は痩せ型で、肌が病的に白い。

「埃を取って、オイルを注いでやるだけでいいんだから。
 調子が悪くなってからだと分解して掃除してあげないといけないから、
 ちょっと時間がかかるんだよね。まあ、座って座って」

 メリルはパーツの山を足で蹴り、雪崩を起こした。

「あったあった」

 そういって、どこからともなく現れた丸椅子を手に取り、ポワソンに差し出す。
 度重なる雪崩により、部屋は当初よりも散らかっていた。

「いつも、すみません」
「まあいいよ。近所のパーツ屋っていったら、
 片道2時間も歩いた先の頑固オヤジしかいないしね。
 あんなオヤジに頼むよりはお姉さんに任せたほうがいいよね」

 ポアソンはソバカスの白い頬を赤く染め、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「はい。メリルさんはとっても綺麗で……」

 メリルの豊満な胸にチラリと視線を移し、また唾を飲み込む。

「僕は、僕は、」
「メリルちゃん、ほれ、ちゃんとご飯食べてるかい?」

 顔なじみだろうか、40過ぎの女がメリルに食料の入った袋を渡して去っていった。

「エリリナさんありがとう〜。とっても助かる〜」

 そういって、メリルは店から出て行き、
 外でエリリナと短い会話をして、戻ってきた。

「ええと、足の修理ね。ちょっとズボン脱いで足を外してくれるかな?」
「は、はい。あ、あの……」

 ポアソンが顔を紅潮させ、メリルから俺に視線を移した。

「お客さんですよね。僕は後からでもいいですよ」
「いいのいいの。この人たちはお金もってないから、
 今は逆にタダ働きしてもらってるところなんだよね。
 さ、ズボンを脱いで足を外して」

 メリルが微笑んだ。

 レイチェルは相変わらずカタカタとキーボードを叩いている。
 小さな声で「死ね」「鬼畜野郎」「動けバカ」など、
 得意の罵詈雑言を口ずさんでいる。

「で、でも、恥ずかしいんで、みんな後ろを向いててください!」

 メリルが大爆笑して床を転げまわった。

「かわい〜」

 床に膝をついた状態で両手を腕の前で組んで、黄色い声をあげた。
 そして、立ち上がってポワソンに近づいて頭を撫でた。

「か、からかわないでください!」

 慌てて後ろに下がろうとしてバランスを崩したポワソンが
 椅子から落ちてしりもちをついた。

「いてて」
「はーはっはっはっはっは〜」

 ポワソンを指差してメリルは大笑いした。

「もう! メリルさん! バカにしないでくださいよ!」
「ん〜、じゃあ早く足ちょうだいよ」
「……」

 ポワソンが奥歯を噛み締め、俯いて服の裾を手で押さえてもじもじしている。

「つきあってらんねーな。レイチェル、まだ再生できねえのか?」
「……」
「おい、聞いてんのかよ?」
「あと、30分くらいかかりそうだな」
「チッ、しけてやがるなあ」
「うっさい死ね!」
「アンドロイドは死なねえよ。壊れるだけだ」

 どいつもこいつも……

 右手を開閉する。

 鬱陶しい。

 そのとき、カメラに映るメリルやポワソンの映像が
 どこかで見た映像とシンクロを始めた。

 雨が降っていた。
 ドレスを着た女が笑顔を向けている。
 女は俺に笑顔を向けていた。
 死んだ恋人に似せて作られた俺に……

 映像はそこで途切れた。

 消せない記憶。アンドロイドが削除できる記憶領域には限度がある。
 全てのデータを削除する事はできない。
 それは、システムを破壊する事でもあるからだ。

 KK project S-typeという規格はとりわけ
 アンドロイド本体による記憶の消去が困難となっている。
 忘れたい過去を消せない人間とできるだけ
 同じ作りにしたかったのだと博士はいっていた。
 俺はくだらない人間の思考ルーチンを破棄し、
 記憶ディスクから消せる限りのデータを消した。
 それでも、完全にデータを消去する事はできなかった。
 消せたのはせいぜい30%というところだ。
 都合の悪いデータ領域にはアクセスしないようにする事で対応しているが、
 ふとした瞬間にくだらない記憶にアクセスしてしまう事がある。

「まだまだ子供ね」
「うるさいな、もう!」

 下着までまとめて脱がされ、電動義足を取り外されたポワソンが、
 慌てて下着を履きながら怒声を上げた。

 ポアソンは左足の太ももから先が無い。
 左足は接続部のコネクトシステムが見えるだけだった。
 コネクトシステムとはパーツを細分化する事で汎用性を高めたシステムだ。
 このシステムにより、義手や義足の着脱というのは安易に行える。
 このシステムはアンドロイドにも使われている。

「ああ、これはダメだ。制御系がやられてるから、
 パーツを取り替えないといけない」

 メリルはごそごそとパーツの山に手を突っ込んだ。

「あったあった。これだこれだ」

 そういって、黄緑色の円柱のパーツを取り出した。

 無言のまま作業を続ける。作業用手袋を装着し、金髪を後ろで結って、
 電動義足を作業台の上に置き、分解が始まる。

 いつの間にかズボンを履いたポワソンは、静かにその作業に見とれている。

 10分もしないうちに作業は終わった。

「はい。付けて動かしてみて。ズボンを脱いで装着するの手伝おうか?」
「自分でします!」

 ポアソンは顔を紅潮させ、座ったまま足を受け取ると、
 後ろを向いてズボンを脱ぎ、電動義足を装着した。

 足首や肘を曲げたりして、動作確認をする。

「うん。とってもいいよ! ありがとうメルチさん!」
「ズボン、早く履いたほうがいいよ〜」
「あわわ」

 ポワソンは慌ててズボンを履いた。

「メリルさんは本当に凄いです。電動義足をこんなにあっさり修理しちゃうなんて」
「道具があれば誰でもできるって」
「そんな事ないですよ。爺やや家の者ではこんな風にはいかないんです。
 僕はメリルさんに出会えて本当に良かったです。
 それに、片目がなくても元気に生きてるメリルさんを見てると勇気が湧くというか……
 僕も、片足だけど、頑張ろうって思えるんです!」
「片目とか片足とか関係ないって。楽しい人のまわりに楽しい人が集まるんだって。
 エリリナさんがそういってた。だからキミもできるだけ多く笑いたまえよ。フッフッフ」

 そういってメリルはポワソンの頭をポンポンと優しく叩いた。

「はい! 頑張ります! 僕もいつかメリルさんのようなパーツ屋さんになります!」
「がんばれ〜」

 ポワソンはメリルに掲示された修理代を払い、勢い良く店から飛び出して行った。
 太陽の位置が西へと移動していた。
 あと1時間もしないうちに夕焼けが見える時刻になるだろう。

「初めて出会ったときは、全然笑わなかったんだよあの子。
 でも、私の心の優しさに触れて、笑顔を取り戻したんだ」
「自意識過剰もいいところだな」

 メリルが「やっぱり?」といって大声で笑った。
 勢い余って椅子から転げ落ち、パーツの山が雪崩を起こした。

「いてててて」

 崩れた山から出てきたパーツに気になるものがあった。

「このプレートは?」
「ああ、なんだろう? 数字が書いてるね。
 ああ、思い出した私が目覚めた時に握ってた奴だ」

 手のひらに収まるほどお長方形のシルバープレートには、
 規則性の無い数字とアルファベットが並んでいた。

「パスワードかなにかか?」
「知らない。始めの頃は意味を調べたりしたんだけど、結局なにもわからなくて、
 気がついたらなくなってたから、こっちも忘れちゃってたよ」

 赤い唇の両端がつりあがる。

 記憶を失った女が手に持っていたプレート。
 メリルの記憶喪失と何か関連があるのだろうか?
 この展開で関連が無いという事はあまり計算したくないが、
 このプレート自体が偽装情報である可能性もある。

 偽装?

 記憶喪失が第三者によるものだとしたら、
 その単語がでてきてもおかしくはない。

 推理が始まった。だが、俺は演算を強制終了させた。

 手元にある情報だけでは何も解決しない。
 エネルギーの無駄。無限ループともいえる可能性の追求は避けたかった。

 重要なヒントならメリルの記憶ディスクの再生で得られそうだし、
 計算を開始するならその後のほうがいいだろう。
 しばらくCPUには休んでいてもらう事にした。

「レイチェル、いつまで待たせる気だ。そろそろ30分が経つぞ」
「おお、今やってるところだって。でも、パスワードを入力しないと
 いけないみたいなんだよ。だったら最初から言えよって感じだろ。
 パスワードの解読すっからあと2時間くらいかかりそうだな。はあ……」

 レイチェルが深いため息をつく。
 表情に影があることから疲労しているのだろうという推測が立つ。

「パスワードってこれじゃねえか?」

 俺はレイチェルにシルバープレートを投げ渡す。
 プレートは放物線を描き、レイチェルの手のひらに着地した。

「こんなプレートにわざわざパスワード書くバカがいるかよ」

 と鼻で笑い、キーボードを叩いた。

「あ、動いた」

 拍子抜けした声でレイチェルがそういった。
 17インチのディスプレイに、映像が浮かび上がった。

「動いたの? 見る見る見る見る」

 メリルがレイチェルの隣にしゃがんで肩を並べた。
 レイチェルは鬱陶しそうにチラリとメリルを見てから、
 ディスプレイに首を向けなおした。

 俺は二人の後ろから映像を見る事にした。

 薄暗い部屋だった。機械のパーツが散乱する前の片付いたこの部屋だ。
 シャッターが閉じているせいで、暗く感じるのだろう。

 映像はメリルの視点で動いている。
 左手に持つパスワードの彫られたシルバープレートを、
 指先でそっと撫でてから机の上に置いた。

 メリルは机に座っているようだ。そして、日記のデータを開いた。

「PCで日記をつけてたのか。ってことは日記は存在してたって事になるな」
「おかしいな。PC内には日記なんて見当たらなかったのに」

 メリルが小首を傾げた。

 映像は音もなく続く。

 レイチェルにチラリと視線を移して、俺は口を開く。

「音声データは保存されてねえのかよ?」
「さあ?」

 レイチェルが肩をすくめた。

「さあってなんだよ?」
「だって、スピーカーがねえんだもん」
「本当だ。この部屋、スピーカーがない!」

 メリルが驚きの声を上げた。

「高いもんじゃねえしスピーカーくらい付けとけよ」

 毒を吐く。体内のオイルが減ってきたので、
 パーカーのポケットからオイルボトルを取り出し、
 右手に持ったまま指先で蓋を外し、一口飲む。

「スピーカーならあるよひとつだけ」

 メリルがこちらを振り向き、怪しげな笑みを浮かべた。

「落ち着いて、冷静に考えろよ」
「私はいつでも冷静だって。
 この状況でスピーカーといえば一つしかないわけだし。
 減るものじゃないし、いいよね。うん、いいよね」
「ったく……」

 PCからケーブルを延ばし、俺の頭につないだ。
 しばらく俺は喋れなくなった。
 当分はメリルの記憶ディスクからの音声情報を吐き出す事になる。

 聞こえてくるのは物音。足音であったり、メリルの息遣いだ。

 メリルは日記を読み返していた。毎日の楽しい話。買い物に行った話。
 旅行に行った話。デートに言った話し。近所の野良猫の話。
 公園で子供と遊んだ話。ナンパされた話。

「私の思ってた通り明るい女の子だね」

 メリルはディスプレイに展開される日記に目を通しながら、
 うんうん頷いている。

 ちょっと待て、と言いたかった。
 お前は目覚めたとき、街の誰一人としてお前の事を知らなかったんだぞ?

『はあ……』

 それは重苦しい声だった。小さくて暗い。
 まるで深海の底のような闇の色を帯びた声だ。

 日記を閉じて、メリルは立ち上がった。
 部屋の片隅に置かれた姿見を見て微笑む。
 鏡に映るメリルの表情にはどこか影があった。

『これで、姉さんみたいになれるかな。
 生まれ変わったら私、姉さんのように暮らせるかな』

「何これ……」

 メリルが両手で頭を押さえた。
 呼吸が乱れて、肩が大きく上下している。

『姉さん、私ね一生懸命生きたんだよ。だけど、もう無理そうなんだ。
 父さんと姉さんが死んで、私は一人ぼっちで、とっても寂しかったんだよ』

 メリルの眼帯をしていない左目から涙が溢れ出た。
 声と喉が振るえている。

「何これ? こんなの……私じゃない……」

 後ろからなので表情は見えないが、メリルの挙動がおかしい。

『私ね、姉さんと同じ髪型にしたんだよ。
 自分で切ったから少し変かもしれないけど、
 でも、わりと上手く切れたと思うんだ。
 服装だって同じにしたよ。
 まるで、目の前に姉さんがいるみたい。
 さすがに右目の眼帯は外せないけどね……』

 陰りのある笑顔を浮かべたあと、メリルは机に戻った。
 引き出しから写真を取り出す。

 枚数は10枚。ゆっくりと1枚ずつ見ている。
 写真のほとんどは3人で写ったものだった。眼帯をしたメリルと、
 メリルに良く似た女、そして父親だろうか、年老いた男。

『さすがに、この写真を見たら、私がいたって気付かれちゃうね。
 ごめんね父さん、姉さん』

 写真にぽたぽたと雫が落ちた。

 メリルは缶の中に7枚写真を折り曲げて入れ、
 マッチで火をつけて燃やした。
 炎が踊りつかれるまで、メリルはその光景を眺めていた。

 残ったのは、先ほどメリルに見せられた3枚になった。
 写真を引き出しにしまう。

『さすがに、日記はやりすぎね。嘘なんてすぐにわかっちゃうもんね
 私、バカだからそんなことも気付かなかったんだ。
 半年もこんな部屋に閉じこもってて、誰にも会ってないんだから、
 この日記、誰かがみたら嘘ってばれちゃうじゃない』

 メリルはPCから日記と思われるデータを削除した。

 ディスプレイの中のメリルはふうとため息をつき、
 記憶ディスク専用装置を取り出し、机の上に置いた。

『生まれ変わった私は気付いてくれるのかな。
 私が生きていた事に、私の事、思い出してくれるかな……』

 独り言の多い女だった。

 頭に専用のコードを8本繋いだ。

『だけど、もし生まれ変わったら、
 私の事は忘れてしまったほうがいいのかもしれない
 空なんて見上げずに、真っ直ぐに前だけ向いて歩いてくれたほうが、
 幸せになれるかもしれないね……』

 メリルはそこで言葉を止めた。
 首を振ったせいか、映像が左右に動いた。

 メリルは機材のスイッチを入れた。

 記憶ディスクに人間の記憶を書き込む場合、
 生身の人間には耐え難い苦痛が走るという。
 麻酔なしでの作業はあまりスマートとはいえない。

 画面が揺れる。メリルは痛みを堪えているようだ。

 映像はそこで終わった。

 俺はゆっくりとコードを抜き取った。

 メリルは頭を抑え、床にひざまずいたままだ。

「大丈夫か、メリル?」

 心配してレイチェルが肩に手を置いた。

「うん……大丈夫……」

 メリルは震える足を手で押さえ、
 ゆっくりと立ち上がって、丸椅子に腰掛けた。
 目は赤く充血し、涙で頬が濡れていた。

「ははは、そういう事か。なるほど。私は本当にバカだね」

 メリルから先ほどまでの明るさは消えていた。

「どういう事か教えてくれよ」

 レイチェルが黒い目を震わせながら、不安げにメリルを見ている。

「記憶は戻ったんだろう? だったらパーツをくれよ。帰るぞレイチェル」
「何いってんだよ! このまま帰るわけにはいかねえだろ」
「ったく」

 時間の浪費もいいところだ。
 メリルは記憶を取り戻したようだし、任務は達成したわけなのに。
 人間というのは結果や答えというものに執着しすぎる。

「何から話せばいいんだろう。
 まあ、ご察しのとおり私はメリルじゃないんだよ。
 姉さんの妹なんだ。記憶を消す薬っていうのがあってね。
 私は生まれ変わろうとして、記憶ディスクで見てもらったような
 手の込んだ事をしていたみたいだね。
 1つ上の姉さんは私と顔がとても似ていて、
 でも、私はこの通り右目に傷もあって、コンプレックスもあったし、
 人見知りが激しかったんだよ。
 姉さんの写真だけ残したまま、記憶を失ったら、きっと私は姉さんのように
 明るくなれるんじゃないか。そんなことを考えていたんだろうね」

 大きく息を吐き出し、首を左右に振った。

「さすがは自分の事をよくわかってたみたいで、作戦は大成功だったみたいだ。
 私はとても笑うようになった。今では街の人に頼りにされてる。
 右目の事なんて誰も気になんてしないのにね。バカだったよ私は。
 あの時、こんな手の込んだ事なんてしなくてよかったんだ。
 私は、この部屋のシャッターを開けて微笑むだけで良かったのに……」

 交通事故で家族を失った彼女は、遺産の相続争いに巻き込まれ、
 遺産を全て奪われ、姉と購入したこのショップの
 権利だけが残るかたちで家を追い出された。

 姉妹でパーツショップを運営しようとしていたのだ。
 人あたりの良い姉が受付をし、メカの知識に長けた妹が作業をする予定だった。
 だが、姉を失い、人見知りの激しい彼女には
 この部屋のシャッターを開くことができなかった。

 運がいいのか悪いのか、食料や水は買い置きしていたので、
 外に出る必要もなかった。

 OPENを盛り上げるため、機材を深夜に搬入しており、
 翌日、不運な事に父と姉を交通事故で失い、親戚に遺産を奪われた彼女は
 シャッターの閉ざされたこのショップで一人静かに生活をする事になったそうだ。

 相続争いと、遺産を奪われた事もあって、
 人間不信に陥っていたのだという。

「記憶を消す薬って知ってる? 医療研究機関で開発中だったのね。
 研究機関で働いていた父さんのロケットの中にその薬が一粒入ってたんだ。
 小さい頃にこっそりとその薬を盗んで隠し持ってたのよね。
 薬をもってるだけで、気分が落ち着いたのよね。
 嫌な事はいつでも忘れられるんだって思えたから。
 私はこの薬を飲んで、生まれ変わろうと決心した」

 記憶を消す薬というのは、正確には思い出せなくするだけの薬だった。
 何かを思い出す強いきっかけや刺激があれば、記憶が蘇ってしまう曖昧な薬だ。
 だから、彼女は記憶ディスクに自分の記憶を残した。
 もしかしたら、思い出せるかもしれないと思っていた。
 生まれ変わった自分が、記憶を取り戻す。
 また、過去の自分に戻ってしまうかもしれないというリスクもあったし、
 生まれ変われたのなら過去など必要ないとも思っていたそうだ。
 だが、彼女は悩んだあげく、記憶ディスクにデータを残す事にした。

「だって、姉さんや父さんと過ごした記憶まで
 消えちゃうなんて悲しすぎるじゃない」

 大きく息を吐き出して、両手を頭の上で組んで伸びをする。

「ちょっと暗い話だったね」

 初めて出会ったときのような、屈託の無い笑顔が戻っていた。

「昔ほど人が怖くもないし、臆病でもない。街のみんなが優しくしてくれるからね。
 かといって、さっきまでの底抜けの明るさもないけどね」

 メリルは優しく微笑んだ。先ほどよりも人間味のある暖かな笑みに思えた。

「私はいったい誰なんだろう? あれ、でも、おかしいな。
 私、名前が思い出せない……」
「ええ、記憶が戻ったのに!?」

 レイチェルがまつ毛の長い黒目を見開いた。

「きっかけがあれば思い出せるはずなんだけど……私の名前なんだろう?」
「名前なんてどうでもいいだろ? お前はこの街じゃメリルなんだ。
 今更、全員に説明すんのかよその暗くてじめじめした話」

 メリルは俯いて大きく息を吸い込んでからふうと息を吐いた。

「それもそうね……名前も過去もこの街の人には関係ないね。
 姉さんと父さんの記憶は蘇ったことだし、
 自分の名前はゆっくりと思い出すことにするよ。
 それまでは、私の名前はメリルだね」

 片目の女はそういって微笑んだ。

「ありがとうね。お陰で記憶を取り戻せたよ。
 パーツ持って帰ってね。あと、また気が向いたら店にも寄ってね」
「当たり前だ。こんなに色んなパーツが
 揃うショップなんてそうそうねえからな」

 レイチェルが明るい表情でそういった。

「ありがとう」

 にこりと微笑む。レイチェルも微笑み返す。
 レイチェルが笑っている……
 今夜は雨が降りそうだ。

「あのさ、ちょっと聞きたかったんだけど、
 その眼帯の刺青の花の名前ってあんのか?」
「刺青? 刺繍の事?」
「あー、えーと、うん。それのこと。シシュー」

 レイチェルが間抜けな表情を浮かべている。

「勿忘草っていって、この国に移り住む前に住んでいた故郷に咲いてた花だよ。
 花言葉は私を忘れないでください。だから、私の事、忘れないでね」

 映像がシンクロする。消せない記憶はアクセスをしないようにしあるが、
 何かが引き金として、時折こうして映像が蘇る。

 晴れていた。女は俺に花を手渡した。

『はい、プレゼントをあげる』
『勿忘草か』
『その名前は好きじゃないな。
 だって好きな人に花を渡そうとして川に溺れて死んじゃう人の話を思い出すから。
 この花は別名ミオソチス・アルペストリス。花言葉は真実の愛。
 勿忘草って名前で呼ばないでよね』

 そこで映像は途切れた。

 過去なんて、全て消えてしまえばいいのにな。

「過去は忘れちゃいけないんだよ。あの日の私はそんなこともわからなかったんだ。
 あのときの私には開けることのできなかったシャッターも、
 今では簡単に開けられてしまう。あの日、私に勇気があれば、
 こんなに遠回りしなくてもすんだのかもね」

 パーツを受け取った俺たちは店を後にした。

「おーい、メリルおるか〜」

 後方でしわがれた老人の声がした。

「ああ、おじさん、今日はもう店じまいだよ」
「なに〜」
「うそうそうそうそ。冗談だよ」
「脅かすでないぞ〜。腕の調子が悪くての〜、見てもらえんか〜」
「はいはい。座って座って」

 メリルの明るい声が聞こえてくる。

「今日はなんかいいことをした気がする」

 レイチェルがそういってスキップしながら歩いていく。
 ところどころ音程がズレる鼻歌が聞こえてくる。

「なあ、ジャック、メリルさんの本当の名前ってなんだったんだろうな?」
「名前なんてどうでもいいだろ?
 真実を知るという事が必ずしも幸福になれる事だとは限らない」
「でも気になるだろ?」
「まあ、電球が切れるころには、思い出すんじゃねーか?」
「何わけわかんねー事いってんだよ」

 ぷいと首を振って、先を歩いていく。

「書いた本人ならわかると思うけどな……」

 レイチェルに聞こえないように、小さく呟く。

 それはそうと……

「なあ、レイチェル……」
「ん〜?」

 レイチェルが振り向いた。

「帰り道はあっちだ」
「ええー、先に言えよ!」

 甲高い怒鳴り声が、マイクに響く。

END

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