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06 虚言の行方

 バスに揺られている。
 濁った白色のバスは2時間かけて同じコースを走る。
 1日に4回しか同じ場所を走らないバスは、
 荒々しい運転で停留所から停留所へと人々を運ぶ。
 バスが揺れるたびに処理落ちし、カメラからの映像が細切れになった。

 窓際の席に座るレイチェルはすやすやと寝息を立てている。
 彼女が頭を持たれかける窓から覗く空は黒く、
 太陽が完全に沈んだ事が見てとれる。
 体内時計は18時58分11秒を指していた。

 レイチェルは頬を赤らめて眠っている。
 何か恥ずかしい夢でも見ているのだろう。

『人間は嘘をつく生き物だ。
 だが必ずしもその嘘が人を不幸にさせるとは限らない』

 ふと、浮気がバレて奥さんに叩かれ頬を赤くした
 博士が淡々と述べた台詞を思い出した。
 しきりに必要悪だと弁論する博士はとても滑稽だった。

 レイチェルの赤い頬を見て、記憶領域が反応したようだ。
 記憶領域は事柄から連想される記憶を引き出してくる。
 その情報の必要性の有無に関わらず。

 車内アナウンスが次の停留所の名を告げる。

 車内には運転手と後部座席に座る家族連れと、
 前の席に座る男二人、それに、通路を挟んだ隣に座る老人。

 チラと老人にカメラを向ける。頭髪はなく、白い鬚が生えている。
 体系は中肉といったところだろう。
 よれよれのシャツとハーフパンツ。
 それにサンダルといった軽装をしている。
 肌はこんがりとした小麦色で、腕や顔に斑点のような染みがある。

「お前さん、アンドロイドじゃな」

 こちらに目を向ける事もなく、老人はぼそりとその言葉を吐き出した。
 俺に話しかけているようではないので無視する事にした。
 静かに瞼を下ろす。

「人の気配がせんと思っておったらそうじゃ。お前さんアンドロイドか」

 老人はしわがれた声で一言一言を空間に刻みつけるよう、
 ゆっくりと話始めた。

「バスに乗って街に着くまであと30分もある。
 お前さんはどこから着なすった?」

 瞼は閉じたまま。俺はゆっくりと口を開く。

「そんな事なんてどうだっていいだろ?」
「ふむ、あまりお喋りではないようじゃな。
 まあいいわい。少し、話し相手になってくれんかね」

 答える前に老人は話し始めた。

「こう見えてもワシは昔、軍の研究施設で働いておったんじゃよ。
 今でこそアンドロイドは枯れた技術となってしまったが、
 40年も前はアンドロイド開発の全盛期でのう。
 あらゆる技術が開発されては、数年もしないうちに消えていった。
 100年前の技術と比べれば、どの技術も小手先だけのものじゃった。
 87年前に起きた13ヘル現象以降、世界の技術力は落ちる一方じゃ。
 結局はブラックボックスといわれる解読不能のパーツを
 外部装置によって無理やり動かすのが精一杯じゃった」

 13ヘル現象。目覚めてから調べた限りでは、
 87年前の9月13日から断続的に起きた連続的大自然災害の事を指すようだ。

 こほんと咳をして続ける。

「軍はアンドロイドが動いただけで研究は成功だと判断しよった。
 じゃが、それは違う。無駄なパーツをそぎ落とし、本来の機能を
 復旧させる事こそがワシら研究者の夢だったのじゃ。
 何人もの技術者がブラックボックスの解析に挑み、
 いくつもの説を立て、実験を繰り返したが
 結局解読できたのは微々たるものじゃったよ。
 結局は外部装置による復旧が限界じゃった。
 100年前の技術というのは、ワシらの技術や常識というものの
 枠の外に存在しているような、遠い存在じゃったよ」

 話が終わったと思い安心したのもつかの間、
 続きが始まった。

「しばらくして、人体改造が主流になった。
 それは、人間の細胞や脳をいじりたおして
 強化するおぞましい研究じゃった。
 ワシはそんな研究には参加したくなかった。
 人間が人間の体をいじくりまわすなど、
 してはならんことじゃと思った。今でもそう思っとるよ。
 10年前、アンドロイド研究からの完全撤退を軍が表明したとき、
 ワシは軍を去る事を決意したのじゃ」

 そこで、老人は大きく咳をした。
 瞼を開くと、隣に座るレイチェルが「う〜ん」と唸り、
 また寝息を立て始めた。未だに頬は赤いままだ。

「お前さん、自分がどうやって動いとるかわかっとるかね?」
「さあ、目覚めたときから動いていたものでね。
 あんたは、自分がどうやって動いてるか知ってるのか?」
「はっはっは。これは面白い。確かにワシは自分が
 どうやって動いとるかなんて気にもした事がなかったよ」

 老人は咳き込みながら笑い声を上げた。
 隣で寝息を立てるレイチェルが鬱陶しそうに首を動かした。
 まだ、眠りから覚める気配はない。

「ワシはずっと、ずっと、考えておったよ。
 なぜアンドロイドが開発されたのか。
 きっと人は、人間を作ろうとしてアンドロイドを作ったんじゃよ。
 たぶん、神にでもなろうとしていたのじゃろうな」

 しわがれた溜め息とともに、バスは急停車した。
 勢いで映像が細切れになる。
 後部座席に座る家族連れがバスを降りていった。
 バスは急発進して走り出した。
 体内時計は19時04分50秒を指していた。

 バスは予定時刻よりも30分ほど遅れており、
 運転手は早く帰宅したいのか速度を上げて荒々しい運転を続けていた。

「じゃが、ワシは気付いたんじゃ。アンドロイドなんていうものは、
 この世に存在せんほうが幸せじゃったのかもしれんとな」
「本人を目の前にして、デリカシーに欠ける発言だな」
「はっはっは。アンドロイドに人権なんてありゃせんよ」

 お前たちはいつも俺をそうやって見下している。
 まあ、気にするまでもない。
 俺はお前たちを見下しているわけだし。

「つまり、俺を破壊したいって事か?」

 右手をゆっくりと腰のホルスターに移動させる。
 乗客は前に座る男二人と、運転手のみ。
 全員殺したって構いはしない。
 状況をみて臨機応変に対処すればいい。

「いや、逆じゃよ。アンドロイドなんてものを作ったワシらが死ぬべきじゃ」

 意外な人間もいるものだ。
 アンドロイドを作った事を恥じるなんて、人間らしくない。

「死にたいなら殺してやってもいいぜ」

 白い歯を見せて口を歪める。
 銃弾に抉られて飛び散る血の色は嫌いじゃない。

「残念だけど、話は終わりにしてもらおう。アンドロイドと爺さん!」

 前の座席に座る男がたちあがった。
 一人は勢い良く運転手に駆けつけて行った。

 白いシャツを着た男は震えた手で安物の銃を構え、こちらに向けている。
 男の顔色は悪く、視線が定まっていない。

 バスジャックだろうか?
 状況はあまりいいとはいえない。
 まず、隣にいるレイチェルに銃弾が当たった時点で、
 俺の首の爆弾も恐らく吹き飛ぶことになる。
 つまりはバスの乗客と心中する事になる。

「両手を頭の後ろに回せ!」

 言われるままに従った。
 レイチェルはこの状況にも関わらず寝息を立てている。

「おい、女! お前もだ!」
「気絶しているから、それは難しい」

 男は「お、おう」と言って静かになった。
 どうやら簡単な嘘に騙される男のようだ。

「目的は何だ? 金か?」
「金なんかじゃない! 俺たちの目的は……」
「そのくらいにしとけビル! 喋りすぎだ!」

 運転手に銃を向ける男がバリトンの大声を上げた。
 肩幅が広く、背の低い男だ。
 口元にバンダナを巻いているせいで顔の半分しか認識できない。

「バスだけ乗っ取る気だったが、状況が変わった。
 アンドロイドと技術者。おまけとしては十分だ!」

 ビルと呼ばれた男は余程の馬鹿なのだろう。
 あれだけ忠告されたにも関わらずすらすらと目的を述べてみせた。
 運転手を脅す男が「チッ」と舌打ちする音が聞こえた。

 目的はバスと俺の身体か……

 両手は後頭部にまわしたまま、ビルに話しかける。

「ひとつ忠告しておく、俺の喉には爆弾が仕掛けられていてね。
 爆発すれば半径3M以内を吹き飛ばす事になっている。
 その銃で俺を撃つと被爆する可能性があるから危険だ」
「だったら、この女を撃つぞ!」

 俺はゆっくりと首を左右に振った。

「それが、そう言うわけにもいかないんだ。
 この喉の爆弾は、隣の女の心臓とシンクロしていてね。
 女が死んだ時点で爆発する」
「だったら、この爺さんを撃つ!」
「それはご自由に。なんなら弾を貸してやろうか?」

 ビルの表情が怒りと戸惑いで複雑なものになった。
 血色の悪い顔から更に血の気が引いていく。

「なんなんだお前ら! もっと驚けよ!
 こっちは銃持ってるんだぞ!」

 ビルは声を裏返して唾を飛ばした。
 前髪、顔、服、腕、ズボン、床やシートに唾が飛び散った。

「お願いだから下手な事はしないでくれよ」
「下手なんてするもんか!」

 ビルが大声を上げ、銃のグリップで俺に攻撃を仕掛けてきた。

「俺の頭を撃てばいいのによ」

 高性能カメラに映し出される映像から、軌道を算出する。
 左腕は壊れて外したままなので、仕方なく右手で腕を掴む。
 勢い良く立ち上がり腕を持ち上げる。痛みでビルは銃を落とした。
 逃れようと身をよじるビル。逃れられないように強く握り締める。

「人質ゲットだ。動くなよ。動いたらお前の右腕を握りつぶす。
 もし動く気なら、せめて動く前に右手にさよならの挨拶くらいしとけよ」

 ビルは諦めたように抵抗を止めた。

「兄貴ぃ〜助けてくれ〜!」

 ビルが情けない声で助けを求めた。
 兄貴と呼ばれた男は小さな声で「チッ」と舌打ちした。

 両手があれば銃で相手を脅す事もできたが、無いものは仕方ない。
 運転手を脅す男に問いかける。

「目的はなんだ?」
「目的? そんなことを聞いてどうする?」
「そんな事を聞いてどうする? 聞く事に意味なんてねえよ。
 俺の目的は早く家に帰る事だ。後はどうだっていいんだよ」

 男が訝しげに眉をひそめた。

 構わずに続ける。

「取引をしよう。停留所まで俺たちを運べ。
 バスジャックはその後にしろ」
「何ぃ?」

 男の表情はますます険しくなった。

「別に答えがNOでも構わないぜ。断った場合、俺はまず、
 こいつの腕をへし折る」

 そういって、掴んだ腕をギュッと握り締める。
 情けない声を出してビルは身もだえした。

「兄貴ぃ助けてくれぇ〜」

 震えた声で助けを求める。

「この男の腕をへし折った後で、俺はお前を殺す」
「馬鹿なことをいうな。そんな事が出来るわけがない」
「いや、殺す。お前に選択肢は無い」

 語気を強めていう。人間を服従させるのは優しさではなく、
 大きな声と自信に満ちた態度だ。
 気圧されてか、男は目をきょろきょろさせて戸惑っている。

「わかった。お前たちはバスから降りろ。それでいいんだな」
「次の次の停留所で降ろせ、No21ゲートだ。
 あんたが利口で助かったぜ。無駄な血は流したくない」

 ビルの腕を握り潰せば、返り血で服が汚れる事は避けられない。
 それを回避できただけで十分だ。

「おい、21ゲートであいつらを降ろせ!」

 男が運転手を脅す。
 座席に隠れてこちらからでは正確な状況は把握できないが、
 男は銃を運転手に押し付けるような動作をしている。

 沈黙が続く。しばらくすると停留所にたどり着き、バスが止まった。

 運転席に視線を向けたまま、レイチェルの足を蹴って起こす。

「おい、起きろバス停に着いたぞ」
「蹴んなよ、痛えなあ……」

 レイチェルの不機嫌な声が静まり返った車内に響く。

「その人は誰だ?」

 チラとレイチェルを見ると、ビルを目視しているのがわかる。
 視線を運転席に戻して答える。

「バスジャックだ」
「はあ!?」
 
 感情むき出しの声。

「安心しろ、こいつらがバスジャックするのは、
 俺たちが下車した後だ」
「それ、どういう意味だよ?」
「言葉の通りだ。取引をした。関係ない俺たちが下車するかわりに、
 俺はこのビルを解放する。お互いのメリットは一致している」
「お客さんと運転手はどうすんだよ!?」
「関係ねえだろ」
「ある! 殺されちまったらどうすんだよ!」

 甲高い怒鳴り声がマイクに響く。
 喉に爆弾さえなければ殺せるのに、煩い女だ。

「ったく、お前はバカか。自分の命が助かるんだ。それでいいだろう」
「ダメだ。みんな助からないとダメだ!」

 お菓子をねだる子どものように駄々をこねる。
 そんなレイチェルに対して、殺意しか芽生えない。
 両手があれば、もう少し戦略も立てられそうだが、
 右腕しか使えない今の状況では乗客を救う手立てがない。
 それに、救う義理も無い。

「わかった。お前は先に降りていろ、後は俺がなんとかする」
「ダメだ。お前はそういって逃げる気だろう」
「お前たち早く降りろ! 時間がないんだ!」

 運転手を脅す男が怒鳴り声をあげた。

「ああ、わかっている」

 落ち着いた声で返事をする。そして、レイチェルに一言。

「レイチェル、死にたくなければいう事を聞け」
「犯罪だぞバスジャックは。なんでこんな事をするんだよ」
「目的はバスだ。俺たちは関係ない」
「だったら、バスだけ置いて、みんなを逃がしてもらうんだ。
 おい、そこのバスジャック。バスはいいからみんなを逃がしてくれ」
「いいだろう。もともとバスが目当てだ。お前たちは関係ない。
 だが、俺たちは車を運転できない。運転手を逃がす事はできない」

 いい事を聞いた。運転手を殺した時点でこいつらは車を運転できなくなる。
 つまりは、運転手という人質が意味を成さないという事だ。

 片方の唇を吊り上げる。

「わかった。私が代わりに運転する。運転手を逃がしてやれ」
「何!?」

 身代わりを志願するレイチェルに、思わず声が漏れた。
 メリットの無い行動にCPUが熱を上げる。

「いいだろう。よし、運転手、お前はここで降りろ」

 慌てて悲鳴を上げながら運転手は逃げていった。

「レイチェル、しゃがめ!」

 言うが早いか、ビルの腕を折り、後頭部に手刀を入れて気絶させる。
 低姿勢で運転席に接近し、バスジャックの顔面に蹴りを放つ。
 バスジャックはフロント硝子を割り、外へと飛び出し、
 舗装されていない土と石の転がった地面を転げまわった。

 それを追うようにして割れたフロント硝子から外へと飛び出し
 追い討ちをかける。
 バスジャックの腹に蹴りを入れ、胸倉を掴み地面に投げつける。

 男は呻いて腹を押さえ、肩を上下させるように
 大きく素早い呼吸をしている。

「あまり手荒な真似はしたくなかったんだぜ。
 なんてったって服が汚れるんだからよ」

 男の顔からバンダナを剥がす。

「なんだ、あんた指名手配犯か」

 死刑の確定された指名手配犯というのは、
 生け捕りにする必要はなく眼球さえ残っていれば報酬がもらえる。
 網膜認証というシステムで、照合が行われるのだ。

「あんたに恨みは無いが、金に困っていてね」

 親指と人差し指で男の喉を押さえる。
 しばらくすると男はぐったりとして動かなくなった。

 ハンカチを地面に広げる。眼球を取り出してハンカチでくるみ、
 黒いパーカーのポケットに収める。

「さてと……」

 バスへと戻る。気絶したビルと、恐怖で気絶した老人。
 それに、小刻みに震えるレイチェル。

「帰るぞ」
「終わったのか?」
「ああ」

 それだけで全てを察したのか、レイチェルはゆっくりと立ち上がり、
 通路を挟んで隣の席に座り気絶している老人をゆすって起こした。

「おお、ああ」

 言葉にならない声を発して、老人はゆっくりとバスから降りた。
 しばらくしないうちに警察がやってきた。
 逃げた運転手が通報でもしたのだろう。

 取調べが17分54秒行われた。
 この国の警察は一つの事件にあまり時間をかけない。
 事件の数が多い事と、人手が不足している事が原因らしいが、
 詳細は定かではない。

「ご苦労様でした」

 指名手配犯の眼球を渡すと警察官は敬礼し、
 片手サイズの機材をカチカチと叩いて処理を済ませ、
 俺に報酬を支払った。12万£。悪くない金額だった。

「7割」
「笑えない冗談だな」
「冗談じゃねーよ!」

 レイチェルが俺の脚を蹴り、自分の足を痛めてしゃがんで痛がっている。

「7割、絶対渡せよ」
「ったく、貧乏神かお前は……」

 俺から金を奪う女レイチェル・グルンワルド。
 喉の爆弾が外れたときがお前の死ぬ時だと思え。

 レイチェルは未だに足が震えている老人に向かって話しかけた。

「爺さんはここで降りる予定だったのか?」
「ああ、ちょうどこの駅じゃ。ちと用事があってのう」
「物騒だから送ってってやろうか?」

 足が痛いのか、レイチェルが涙目で老人を見上げている。

「おお、それは助かるのう。なんといっても夜は危険じゃからのう」
「それで、どこに用があるんだ?」

 レイチェルがゆっくり立ち上がって、黒い瞳を大きく見開いた。

「この辺りに、レイチェル・グルンワルドという娘が住んどると聞いた」
「レイチェルって私だけど?」

 レイチェルが首を傾げた。

「おお、君がレイチェルか!
 どうりでアンドロイドが一緒におったわけじゃな」

 老人は長々と前置きの話をして、
 最終的には家でゆっくりと話をする事になった。




 高架下の家の前には若い男が立っていた。
 夜のせいで正確な容姿を確認する事ができない。

「爺ちゃん待たせすぎだって。
 昼過ぎにここで待ち合わせっていったのにさ」

 低く腹に響く声で男はそういった。

「すまんのうルッツ。ちとバスジャックに襲われてのう」
「爺ちゃん冗談はもう聞き飽きたって」
「冗談なんかじゃないんじゃ……」

 すねた声を発し、老人はぶつぶつと小さな声を漏らす。

 レイチェルが室内に案内する。
 薄暗い裸電球に明かりが灯り、ほのかな明かりが部屋中に広がる。

「汚い部屋だが気を使う必要はねえぜ」

 俺はそういって、機材の散乱した床を歩いて
 パイプ椅子を手にとって座った。

 レイチェルはいそいそと散らかったパーツを片付け、
 パイプ椅子を取り出してきて、二人に座るよう促した。

「まさか、借金取りと爺さんが家族だったとはな」

 レイチェルに借金取りと呼ばれた男はルッツと名乗った。
 金髪でエメラルドグリーンの瞳を持つ背の高く細身の男。
 服装は洒落ていて、装飾品は身に着けていないものの、
 仕立ての良い黒地のスーツや襟の高いシャツから、
 富裕層の生まれを想像させる。

「借金取りじゃと?」

 慌てたのは老人だった。
 隣に座るルッツの顔を見て目を丸くしている。

「爺ちゃん、レイチェルがどうしてもお金を受け取らないもんだから、
 お金を貸してあげるって約束にしたんだよ」

 ルッツの話によると、爺さんは大手家電メーカーの社長をしており、
 何不自由ない暮らしをしているという。
 そして、有能な技術者に資金や機材を提供して研究をさせ育成しているという。

「なんか、金返さないと悪い気がするだろ?」

 レイチェルが同意を求めるように俺を見つめてきたので、
 俺は素早く左右に首を振った。
 努力せずに得る金ほど嬉しいものはない。

「それで、まあ、レイチェルがアンドロイドを完成させたという
 噂は聞いていたので、今日ここを訊ねる事になったんだ」
「ワシは優れた技術者に会うのが楽しみじゃった」
「優れたって……」

 レイチェルが恥ずかしそうに頬を指先でかいた。

「かのニッキー・グルンワルド博士の一人娘
 レイチェル・グルンワルドは確かに素晴らしい
 技術者じゃったよ。外部装置無しで過去のアンドロイド
 を復旧させよったのじゃからのう」
「つまり、今日は借金を取り立てに来たって事だよな」

 楽しげに笑う老人とは裏腹にレイチェルは眉間に皺を寄せ、
 真剣な眼差しをしていた。

 傍から見ていて話がかみ合っていない事が容易に推測できる。

「金などワシはいらん!」
「いいから受け取れって!」

 どこから取り出したのか、しわしわのビニール袋に入った札束
 を老人に押し付けるレイチェル。
 それに反抗する老人。その様はまるで子どもの喧嘩だ。

「200万£にはまだ足りねえけど、少しくらいなら返せるんだ。
 だから、今日はとりあえずこれを受け取って帰ってくれ」
「じゃからワシはそんな金などいらんといっとろうに!」
「よし、わかった、ひとつ提案がある」

 俺は人差し指を立てて二人に提案した。

「その金は俺が受け取ろう」
「却下!」

 レイチェルと老人が同時に叫んだ。
 悪い提案ではなかったと思ったが、
 この二人、妙なところで息が合っている。

 肩で息をする二人。拮抗した頑固さを持つ二人はお互いに引かず
 それゆえに妥協点を見出す事ができないでいる。

 見かねたルッツが提案した。

「わかったよ。そのお金は僕が預かろう。
 そして、他の有能な技術者に支援するよ。
 もちろん、レイチェルがお金に困ったときはいつでも返してあげる」
「それでいいのかよルッツは?」

 レイチェルが疑問符を浮かべた。

「いいんだって。どうせお金なんて家に腐るほどあるんだから。
 使わないと腐っちゃうんだって」

 そういってウィンクするルッツは無邪気な少年のようにも見えた。
 実際20歳は超えているのだろうが、それを感じさせない仕草だった。

 レイチェルと老人は互いの顔を見合わせて、頷いた。
 金はルッツの手に渡った。

 返す必要の無い金を返す女。
 やはり死んでもらうしかない。CPUは先ほどから熱を上げっぱなしだ。
 計算は強制終了だ。この女を理解するのは時間の無駄だ。

 その後、しばらく談笑が続いた。
 メカニックが2人もいると専門的な話題になる。
 お互いに知識をひけらかすような次元の低い会話だ。

 しばらくして、老人は一枚の写真を取り出した。
 10cm四方の白いパーツが映っている。

「これは、100年前に作られたと思われるパーツじゃ。
 ワシはこのパーツをずっと研究しておる」

 軍が研究から撤退した後も、老人は個人的に研究を続けていた、と続けた。

「これは、何のパーツなんだ?」

 レイチェルが興味深そうに老人を見やった。

「アンドロイドの背中に取り付けられていたパーツじゃ。
 しかし、これが何のためのパーツなのかがわからん」
「このパーツは……」

 見知ったパーツだったため、声が漏れてしまった。

『人間は意味の無いモノにさえ意味を見出そうとする』

 その昔、博士がそんなことを言っていた。
 あれは100年前のことだった、博士が俺に教えてくれた。

『このパーツに意味は無い。意味がありそうな仕組みを持った
 ただの見せ掛けだけのパーツだ。
 しかしだ何も知らない人が見たらどう思うだろう?
 このパーツに意味を求めるのではないだろうか?
 もしだ、このパーツに意味が無いことを立証できる者がいたとすれば、
 私はとても幸せに思う。研究会の奴らは無能だから、
 このパーツの存在にさえ気付かなかったよ』

 博士はそういって微笑んだ。
 あの時のパーツが今、目の前の写真に写っている。
 天才と呼ばれた科学者の思いつきによる悪戯は、
 こうして一人の男の人生に多大なる影響を与えている。

「ワシはこのパーツの謎を解く事が使命だと思っとる。
 死ぬまでに必ずこの謎を解く」

 躍起になって老人は話した。

「おい、あんた、バスで言っていただろう。
 アンドロイドなんて存在しないほうがよかったと。
 今の話は矛盾している」
「ああ、言ったさ。あんなものがなければ、
 ワシはもっとまともな人生を送る事ができたんじゃからのう。
 研究が面白くてワシには辞める事が出来んのだ。
 だが、後悔はしておらんよ。ワシの人生に意味などなくともだ、
 捨てたものではなかった、そう思っとるよ」

 人生をかけた謎解きの答えが、意味が無い事に気付いたとき、
 老人はいったい何を考えるのだろうか。
 博士の仕組んだ悪戯に命を懸ける老人はとても滑稽に見えた。

 答えは教えない。答えを解いた先の絶望を味わって死ねばいい。

「なあ、爺さん、もし、このパーツに意味がなかったらどうする気だ?」
「はあ、何を馬鹿なことをいっとる。そんなことあるはずがなかろう。
 じゃが、もし、そうだとしたら……」

 老人は俯いて白い鬚を右手で撫で、しばらくして顔を上げた。

「そんなパーツを作った科学者に言ってやるよ。
 こんなパーツを作ったお前はよほどの暇人だとな」
「それだけか?」
「もし、例えじゃ、このパーツに意味がなかったとしてもじゃ、
 ワシはこのパーツの謎が解けるだけで幸せなんじゃ。
 そして、意味の無いパーツの謎を解いたワシも
 よほどの暇人という事になるのう」

 老人はそういって微笑んだ。

 なんだ、絶望しないのか。

 ルッツと老人は近くに止めてあった車に乗り込んで去っていった。

「なあ、ジャック、あの白いパーツの事、知ってたのか?」
「知らねえよ」
「嘘ついてたら、腕を修理してやらねーからな」

 レイチェルが眉間に皺を寄せて俺を睨む。
 興奮するとすぐに頬が赤くなるのが印象的だ。

『嘘が人を不幸にさせるとは限らない』

 博士がその昔いっていたあの言葉を思い出す。
 あの日、浮気がバレた博士は奥さんに叩かれ頬が赤くなっていた。

 記憶領域は似通った現象に反応して記憶を呼び覚ます。
 その情報の必要の有無に関わらずだ。

「嘘じゃねーって。まず、嘘をつくメリットが俺に無い」

 レイチェルは「あっそ」といって、俺の左腕の修理に取り掛かった。

 この嘘はレイチェルを不幸にするのだろうか?
 それとも幸せにするのだろうか?
 恐らく、そのどちらでもないだろう。

 あの老人は博士の嘘で不幸になるのだろうか?
 残念ながらアンドロイドに未来を見る能力は無い。

END

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