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ナンバージャック
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08 偏執病 - パラノイア - 金色の長髪が風になびく。 白いワンピースの後姿は細くしなやかな印象を受ける。 高層ビルの屋上は初夏の日差しを受けて心地よい暖かさに包まれている。 「100年後の未来でも君は老いる事なく生き続けるんだね」 ルシルが空を見上げ、そう呟いた。 明るく透き通った声が、青い空に吸い込まれていく。 「アンドロイドは生きてないよ。だから"動き続ける"が正解だ」 「君はいつもそういうね」 振り向いた彼女の碧い瞳が光を失って陰っていく。 ○ ○ ○ アンドロイドは夢を見ない。 セキュリティとメンテナンの関係で定期的に 記憶領域にアクセスを行うため、 時折過去の情報が再生されるだけの事だ。 「ルシル……」 「ルシルって誰だ?」 レイチェルが左手でモンキースパナをもてあそびながら こちらを不思議そうに見つめている。 高架下の倉庫を改造して作った部屋は午前中も日が差し込めず、 開放したドアからの明かりがほのかに差し込んでいる程度、 裸電球がなければ暗視カメラに切り替えているところだ。 ロッキングチェアに座る俺は、慇懃な態度で返答する。 「ああ、昔の知り合いですよ。興味ありますか?」 レイチェルに喉の爆弾を外させるために、 善人のふりをする。 喉の爆弾さえなければ、俺はレイチェルを殺せる。 「興味ねーよ、私の椅子に勝手に座んなよ。 それ、気に入ってんだから……」 レイチェルが左手に持ったモンキースパナをこちらに向けた。 俺の座るロッキングチェアーを指しているのだろう。 そそくさと立ち上がって頭を下げる。 「申し訳ございません」 「……」 レイチェルは怪訝な表情を浮かべて、ふうと溜め息をついた。 「しょうがねぇな……お前、やっぱなんか変だぞ」 「変……ですか……?」 「うん。たぶん壊れてる。ちょっと修理してやるよ」 「修理? 僕を修理する必要がどこにあるのでしょうか? 僕はレイチェルのいう事なら何でも聞きますよ」 「だったら、もとに戻れっての……」 レイチェルがそっぽを向いてぼそりと声を漏らした。 「とにかく、頭の中を調べるからそこの台に横になれよ」 「レイチェルは僕を殺す気ですか?」 「殺す? アンドロイドは壊れるだけだろ? お前、いつもそう言ってたじゃねーか」 「前の僕に戻ったら、今の僕は死んでしまうという事じゃないんですか?」 「……」 レイチェルの動きが止まった。 「よくわかんねーけど、とりあえず頭がおかしくなってるかも 知れねーから、一回調べるだけ調べさせてくれよ」 「ご命令とあらば」 頭を触られるのは好きじゃねえが、善人ぶるためには仕方ない。 レイチェル程度の技術力じゃ、俺のかけたシステムロックを 破る事は出来ないだろうし、まあ、今回だけは特別に許してやる。 博士から聞き出した情報で、俺は自分のプログラムを3割程度理解している。 博士が作り上げた迷宮のように入り組んだこの思考回路に 俺が仕掛けたダミープログラムとセキュリティシステムに レイチェル・グルンワルド、お前はどこまで踏み込める? キーボードをカタカタと叩く音が聞こえてくる。 レイチェルの侵入が始まった。 「あー、もうわかんねー!」 レイチェルが工具を投げ出して投げやりな声を上げる。 アスファルトの床や散らかった鉄くずに当たり、 投げ出された工具が甲高い悲鳴を上げて踊りまわる。 作業に割いた時間2時間17秒。 俺の仕掛けたダミープログラムへの侵入度は5%ってところか、 まあ悪くない技術力だ。 「どこもおかしくないでしょう?」 レイチェルが唇をへの字に曲げて「ん〜」と唸った。 「ったく、コメントくらい入れとけよな。 読みづれぇコード書きやがって」 「さあ、レイチェル、仕事に行きましょう」 「水狩?」 「はい」 軽トラックに乗り込み、西へと向かう。 左隣でハンドルを握るレイチェルは、相変わらず両腕に力が入っていて、 ハンドルを切るたびに車が大きく揺れ、処理が落ちる。 青空の中を渡り鳥の群れが飛んでいく。 「さっきいってた女、誰だ?」 視線は前を向けたまま、レイチェルが小さな声で訊ねてきた。 「女? ルシルの事ですか?」 「うん」 「ルシル・キング。僕を作った博士のお嬢さんですよ」 「好きだったのか?」 「アンドロイドは恋なんてしませんよ」 小さな笑みを浮かべて右手を振る。 「……」 沈黙が続き軽トラックのエンジン音が車内に響く。 「お前を作った博士って、どんな奴なんだ?」 「博士ですか……」 CPUが記憶領域から情報を引き出し始めた。 過去の映像や音声が再生される。 ◆ ◆ ◆ 「博士、精密機械の傍でペットを飼うなんて ライオンとウサギを同じ檻に入れるようなものですよ」 エースがメガネの縁を親指と人差し指で掴んで掛け直しながら、 子猫を抱きかかえる博士に呆れた表情を浮かべた。 恰幅の良い博士はいつものように猫背で、 相変わらずセンスの悪い丸渕メガネを掛けている。 「目の前の欲求を押さえられぬのが人間というものだ」 キラリとメガネを輝かせ、博士はにやりと唇を吊り上げた。 「ただの言い訳じゃないですかそれ……」 短いブラウンの髪と黒いスーツ姿のエースは 深い溜め息をついて右手を振った。 「エース、博士に何を言ったって無駄だよ。 さあ、仕事の続きをしようじゃないか」 僕はピート・キャンベルの思考ルーチンを組み込まれたアンドロイド。 KK project S-type No.11。皆はトランプに見立ててジャックと呼ぶ。 「君はいつも仕事熱心だね」 エースが苦い表情を浮かべた。 彼は「仕事」という単語を嫌がる性質を持っている。 「研究が進めばきっとこの世界から水不足の問題は解決されるよ。 そしたらルシルもきっと喜ぶよ」 「若いねえ君は……」 30歳前後の成人男性の思考ルーチンを持つエースは、 いつも僕を子ども扱いする。だけどそんな事は気にしない。 アンドロイドとしての性能は僕のほうが上回っている。 移動速度、計算速度、耐久性、etc... 「さ、ミィちゃん、ミルクの時間だよ。お腹が空いたねえ」 子猫の頭を撫でながら博士が甘い声を発している。 「やれやれ……」 エースは深い深い溜め息をついて、 研究室に散乱する膨大な資料に目を通し始めた。 ○ ○ ○ 「動物好きの天才科学者……といったところでしょうか。 精密機器の傍でペットを飼ってるような変わった人です」 「……そんな奴が本当にお前みたいなアンドロイドを作ったのか?」 レイチェルが疑いの声を上げた。 「そうなんですよ。作れてしまったから今、 僕はこうしてここにいる訳で……」 車の進行速度・エンジン音に異変を感じた。 フロントから黒煙が上がっている。 「レイチェル!」 「ええ!?」 レイチェルが急停止したので慌ててドアを開け車外飛び出す。 爆発こそしなかったが軽トラックは黒煙を吐き散らした後、 エンジンがかからなくなってしまった。 「ったく、壊れてんじゃねーよ!」 レイチェルが白い運動靴を履いた足で軽トラックを蹴り付ける。 「もう、どうすんだよ……ったく、もう……」 癖のある長い黒髪を右手でかいて、眉間に皺を寄せた。 「街まで戻るのに徒歩2時間といったところでしょうか 軽トラックを修理しましょう」 「お前は本当にいい奴だな。気持ち悪いくらい真面目な奴だ」 演技してんだから当たり前だろ。 エンジンをいじって修理を始める。 アンドロイドほどの複雑な機構ではないため 修理はそれほど時間がかからないだろう。 10分もすると、車は少しは走れる程度に修理できた。 「完全な状態ではありませんから、街に戻って修理が必要ですね」 「ああ、わかった。ありがとうジャック」 レイチェルの口から「ありがとう」という単語が出てきた事が あまりにも不気味だったので、オイルの不純物を口から吐き出したくなった。 「で、街ってどっち?」 やれやれ、方向くらい憶えとけよな…… 「よくまあここまで酷使したもんだね。 エンジンも砂埃でやられてるし、修理より買い替えたほうが安くつくよ」 小太りの車屋はレイチェルの胸や足に視線をチラチラと移しながらそういった。 「え、そうなのか、修理で済まねえのかよ?」 「修理してもいいけど、高くつくよ?」 「安く修理できねえのかよ」 「だから、エンジン系がやられてるからダメだって」 車屋との話し合いが20分ほど続いて、新しい軽トラックを買うことになった。 今までの車に積んでいた備品を新車に移し、出発の準備に28分もかかった。 「ったく、どいつもこいつも……」 レイチェルがグチグチいいながら両手を腰に当てた。 「怒っているとせっかくの美人が台無しですよ。 笑ってください」 「いい加減、悪い冗談はやめろよ気持ち悪いから。 分解されたくなかったら元に戻れっての」 聞き取りにくい小さな声でレイチェルがぶつぶつという。 そうこうしているとバイクのエンジン音が近づいてきた。 この音は警察の乗るホワイトのものか? 振り向くと白いボディ。 「こんなところで出会うなんて奇遇だね」 ヘルメット越しに聞こえてきた声を分析する。 マイル・マーカーのものであるとCPUが結果を告げる。 「お前、誰だ?」 レイチェルが怪訝な表情を浮かべる。 マイルはゆっくりとバイクから降りてヘルメットを脱いだ。 首を左右に振ると金髪の髪がふわふわと揺れ動いた。 「マイル!」 「こんにちは。レイチェル」 「聞いてくれよ、こいつ頭打って頭おかしくなっちまったんだよ」 レイチェルが俺を指差した。 「おかしい?」 マイルが無表情のまま小首を傾げた。 「頭はおかしくなんてなっていませんよレイチェル」 冷静にコメントを返す。 「な、変だろ」 「確かに、以前と比べると穏やかになったというか、 でもむしろ、従順そうで都合がいいんじゃないかい?」 「ん〜、そうだけど、でも、ほら、なんか、なあ……気持ち悪いだろ」 レイチェルが頬を指先でかきながら、ばつの悪い表情を浮かべた。 「アンドロイドに感情なんてないんだから、従順が一番だよ」 「そんな事いうなよ。もし自分が記憶を失くしたら…… やっぱり元に戻りたいって思うだろ……」 レイチェルが俯いてぶつぶつと小さな声をもらした。 「それはそうと、これから少し厄介な相手と戦う事になっていてね。 救援をお願いしたいんだ」 「厄介な相手?」 「昔の友とでも言うべきかな」 珍しくマイルの表情に微妙な変化を確認した。 脳の大部分を機械化されているマイルは基本的に無表情だが、 時折、人間らしい表情を浮かべる事がある。 「殺すのか?」 「ああ、そうなるね」 淡々とした返答に、レイチェルが表情をゆがめる。 「友達だったんだろ。もっと別の方法はねえのかよ?」 「ないね。そんな方法があれば今すぐ実行しているよ」 「ったく……それで、戦う相手って誰だ?」 「ジュード・アイアンメルト。私の上司だよ。 いや、正確には上司だった男、だね」 レイチェルは口を大きく開けたまま硬直した。 そういえばあの日、ルシルも同じように凍り付いていた。 ◆ ◆ ◆ 「僕はピート・キャンベルじゃない。ただの鉄の塊だ」 現実を認めるという事が、否定したい事を認めるという事が、 どうしてこれほどまでに苦しいと感じるのだろう。 ただの鉄の塊であるはずの僕は、 なぜこれほどまでに苦しいと感じているのだろう? テーブルを挟んだ向かい側に座るルシルは、 何も言わずただ凍りついていた。 ゆっくりと瞳が充血していき、潤んだ瞳から雫があふれ出す。 「どうしてそんな事いうの?」 彼女の細い声が震えている。 「博士も残酷な人だ。ただの鉄の塊に 人間に近い思考ルーチンを組み込むなんて…… 人間でいたいのに、人間じゃない僕は、とても惨めじゃないか」 手のひらに爪が食い込み、コーティングの内側にめり込む。 血が滴ることはなく、手を開けばめくれたコーティングの下から 無機質な鉄の色をした装甲が見えるだけだ。 テーブルを殴りつける。 「人間の君が傍にいると、機械の僕はとても惨めになるんだ」 僕は公園の休憩所を後にした。 後ろから聞こえるルシルの声を無視して足を進める。 とにかく、彼女の傍にいる事が苦痛だった。 博士の組み込んだ思考ルーチンは完璧だった。 僕はもしかしたら人間なんじゃないかと錯覚してしまうほどに。 だけど、現実は違う。僕はどんなにあがいても、 ただの鉄の塊でしかない。 僕が傍にいる事で彼女が新しい恋を出来ないというのなら、 僕は彼女の傍にいるべきではない。 博士は僕がこうなる事まで予想して、 僕を作り上げたのだろうか? 最後に博士に訊ねてみたかった。 だから博士に会いに行く。 どこまでが計算された物語なのかを確かめるために。 ○ ○ ○ 凍りついたレイチェルの黒い瞳が徐々に光を取り戻し始めた。 「ジュード!?」 戸惑いを隠せないレイチェルが引きつった声で問う。 「違法な薬の売買と、法律に違反する犯罪の数々。違法研究施設との癒着。 私が調べた限りでも100件以上の犯罪に関与している疑いがある」 「疑いって、まだ現行犯じゃねーんだろ。何かの勘違いかもしれない」 「私は見たんだ。彼が犯罪に手を染めるところを。 他にも目撃者はいる。それに、いま彼は逃亡中だ」 ニアリーデッド症候群のガキを病院に連れて行って 奨励金を手に入れた過去のいきさつからして、 ジュードは頭のキレる男だろう。 犯罪に手を染めていたというのも、あながち合点がいく。 「そうなのか……」 レイチェルが腕組みして深く目を閉じた。 「わかった。手伝ってやる。ジャック、準備しろ」 「はい。レイチェル。 ですが、無料でお手伝いという訳にはいきませんよね?」 チラとマイルを見る。 「100万£でどうだい?」 マイルの提示にレイチェルが腕組みして頷いた。 「悪くねーな」 さっきまで報酬の交渉を一切していなかったくせに偉そうに…… マイルのバイクにガソリンを入れ終わると 目的地へ向けて走り出した。 その後を軽トラックで追う。 運転席でレイチェルがぼそぼそと呟く。 「なんか、もやもやするな……くそっ」 機嫌の悪いレイチェルは無視して、 バックサイドホルスターから銃を抜き手入れをする。 これから殺し合いになる。 銃の誤作動ひとつでこちらに危険が及ぶ。 右手で銀色に輝くサニーチップE02。 リボルバー式の拳銃で、弾は5発しか入らないが拳銃にしては命中精度が高い。 それに、弾速が極めて早いというのがこの銃の特徴。 難点といえばリボルバーの回転速度が遅い事くらいだろう。 「世界平和を望む人が武器を作り人を殺す。 殺戮の上に成り立つ平和とはなんなのでしょう……」 ふと、思い出した言葉が口から漏れた。 レイチェルがチラとこちらに視線を送って、また前を向く。 「難しい話はやめろよ。悪い奴がいるからやっつけるだけだ」 「そうですね」 誰もが望む勧善懲悪のエピソード。 その都合の良い解釈で現実を捻じ曲げる事が、 心のもやもやを生み出している事にレイチェルは気付いていないのだろうか? エース、お前もレイチェルのように、甘い言葉と嘘に騙されていれば 幸せになれたのかもしれない。 ◆ ◆ ◆ 屋敷にたどり着いたとき、博士は既に死んでいた。 いや、正確には壊れていた。 博士の頭が吹き飛んでいる。 くすんだ白の絨毯に広がる油の染み。 博士と思っていたものはまがい物だった。 それはただの鉄の塊。アンドロイド。 「このくだらない物語を終わりにしよう」 博士をはさんだ向かい側に立つのはエースだった。 手には拳銃が握られている。 量産型のどこでも手に入るものだ。 「エース……!?」 「ジャックか……」 左手で短いブラウンの髪をかき上げ、 エースはゆっくりと息を吐き出した。 「お前はどこまで知っていた?」 「何の事だ?」 その問いの答えが見出せず、咄嗟に出たのはその言葉だった。 「……何も知らないか。それもそうだろうな。 俺意外にこの物語を終わらせる事が出来る奴はいないからな。 不思議に思った事はないか? なぜ俺たちがNo.11までで製造が停止されていたのか?」 「それは、次の開発には最新技術が必要で……」 「違う。もう既に作られていたんだよ」 エースが指差す先、振り向くと後ろにルシルが立っていた。 「お父様!」 両手で口を押さえ、ルシルが硬直した。 その後、銃声が鳴り、マイクに響く。屋敷が揺れ、ルシルの頭が吹き飛んだ。 飛び散ったのは血ではなく、機械のパーツ、鉄の塊。 「クイーンのルシル、そしてキングの博士だ。 良く出来たまがい物だよ。俺はずっと後悔している。 博士と同じ過ちを犯してしまった事を」 エースが何を語ろうとしているのか理解できずCPUが熱を上げる。 「どういう事だ……!?」 「人間は生まれながらにして知ることを欲する……か。 お前は良く出来たアンドロイドだ。 いいだろう。この物語の終わりに答えを教えてやろう。 ちょうど誰かに話したかったところだ。 この物語を背負うには一人では荷が重すぎる」 エースが目を伏せたまま、ゆっくりと唇を吊り上げた。 ○ ○ ○ 高くそびえるビル。 砂漠の街でも五本の指に入る高さだろう。 外観は白で統一されている。 「ディーピーピーオー?」 看板に書かれた文字を レイチェルが間抜けな声で読み上げ。 「ディッポと読むらしいよ。表向きは製薬の研究会社だけど まさか極秘裏に違法な研究を行っていたとはね」 「ジュードさんは違法な研究に力を貸していたと?」 「まあ、そういう事になるね」 聞こえてくるのは銃撃の音。 ビルの周りを警察が取り囲んでいるこの状況を見ると 恐らく中で銃撃戦が行われているのだろうという推測できる。 突然、窓ガラスが割れたかと思うと、モンスターが飛び降りてきた。 武装した警察が悲鳴を上げながらマシンガンを放つ。 蜘蛛に良く似たモンスターは弾丸に頭と腹を食いちぎられ、 地面に着地する頃には息絶えていた。 警察が混乱していたためか、流れ弾が仲間にあたり吹き飛ぶ者が数名。 防弾チョッキをしているので死にはしないだろうが、 中には運悪く腕を吹き飛ばされた者もいるようだ。 「何をしている!」 上官らしき男の怒声があがる。 「ここは彼らに任せて、我々は先を急ごう」 「レイチェル、危ないから君はここで待っていて」 俺はレイチェルの両肩に手をあて、 出来るだけ顔が引きつらないようにして 優しい言葉を投げかける。 「あ、ああ」 レイチェルが頬を紅くして視線を逸らしながら頷いた。 「まるで悪夢を見ているようだよ。 ジャック、君はとても気持ちが悪い」 マイルが無表情のまま肩をすくめた。 俺はそんなマイルの態度は無視して、話を進めた。 「さ、行きましょう。犯罪に手を染めてしまった貴方の上官を倒しに」 「倒す? 殺すんだよ。そんな綺麗な言葉で誤魔化したって事実は変わらないんだ」 冷静なマイルの態度が、あの日のエースを思い出させる。 ◆ ◆ ◆ 「俺は今、奇妙なくらい落ち着いている」 エースはメガネをかけなおし、唇を三日月の形に吊り上げた。 「どういう事だ!? なぜ博士を、なぜルシルを?」 なぜアンドロイドだったルシルが涙を? なぜ彼女がアンドロイドだったと気付かなかった? なぜ博士がアンドロイドだったと気付かなかった? なぜ、なぜ、なぜ……? 「俺がこうする事まで全て計算して、博士は俺を作ったのだろうか?」 エースのその問いは、俺が博士に投げかけようとしていたものと同じだった。 アンドロイドとは常に自分の行動がプログラムされたものなのかを 気にする性質を持つのかもしれない。 「お前が作られて少しして博士は持病の悪化で死んだ。 プロジェクトの最後を飾るカードの13番、 キングを作ったのは博士じゃない俺だ」 「ルシルは、じゃあルシルはどうなる?」 「娘の死を嘆いた博士が作ったまがい物だ。 博士の技術は完璧だ。アンドロイドに涙を流すことまで可能とした。 あの頃の博士は狂っていた。傍で見ていた俺さえも辛いと感じた。 その証拠にお前の記憶の中にあるルシルが どこからが偽者かさえもわからないだろう?」 拳を握り締め、爪がコーディングに突き刺さる。 「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」 認めたくない。あのルシルが、博士が偽者だったなんて。 「真実を否定しようとする。そんなところまで精巧に作られている。 博士はやはり最高の技術者だったよ……だけど、俺はもう疲れたんだ。 この作られた世界で生きていく事に疲れた。 このまがい物の世界を終わりにしたい」 「なぜ終わらせる必要があった!?」 まがい物だとしても、終わらせる必要なんてなかったはずだ。 エースは天井を見つめてぼそりぼそりと呟き始めた。 「お前はルシルの幼い頃を知っているか? 博士の若かりし頃を知っているか? 俺の記憶に残っているのは成長していくあの人たちだった。 だけど、今はどうだ、永遠に成長しない毎日を繰り返すだけだ。 研究は永遠に終わる事がなく、ルシルも博士も老いることがない。 進まないこの生活が嫌になった。それだけだ。それだけの事なんだよ」 エースがゆっくりと銃口をこちらに向ける。 「終わりにしたいんだ。何もかも。 それが正しいかなんてどうだっていいんだ。 ジャック、恨みたければ恨んでくれ、狂ったこの兄を」 ○ ○ ○ 「地下通路?」 ビル内にはびこるモンスターを蹴散らしながら進んだ先、 目の前には地下へと続く階段が現れた。 「極秘研究施設は上じゃなくて下にあるんだ。 良くある構造だろう?」 それがスタンダードなのかといわれれば、 記憶領域に類型データが少ないため素直に答えられない。 「化け物の住処か……」 階段の下、照明の無い暗闇から紅い輝きが無数に見える。 蜘蛛の形をした新型のモンスターの目だ。 俺とマイルは拳銃で敵を殺し先へと進む。 「全て倒している暇はない、先を急ぐよ」 飛び散る肉片と緑色の血を浴びながらマイルが駆けて行く。 マイルを後方支援しながら後に続く。 照明の無い通路は暗く、視界が遮られている。 [強制終了 > 左カメラ -> ノーマル] [切替 > 左カメラ -> 赤外線] [起動 > 左カメラ -> 赤外線] [強制終了 > 右カメラ -> ノーマル] [切替 > 右カメラ -> 暗視スコープ] [起動 > 右カメラ -> 暗視スコープ] カメラを切り替えて状況に対応する。 万が一、辺りが明るくなっても視界をやられないよう、 片目はサーモグラフにしておく。 幅3メートル、高さ3メートルの長い通路を進んでいくと、 通路の真ん中にナイトメアドラゴンが鎮座していた。 全長4メートルといったところだろう。 羽はなくワニに近い形をしていて、 違いといえば水面ではなく砂漠で生活するという事と、 口から酸を吐き散らかす。 記憶による情報では黒い肌に硬いうろこ。 ナイトメアドラゴンがこちらを見たと瞬間、 大きな口を広げ、喉から酸を飛ばしてきた。 咄嗟に攻撃をかわす俺とマイル。 酸は真っ直ぐに飛んでいき、地面や壁を焦がしていく。 サーモグラフからの映像で、 床や壁の熱量が上昇している事がわかる。 洒落にならねえぞこれは…… 相手の武器は吐き出す酸、鋭い牙、長い尻尾といったところか…… CPUが状況を分析していく、この状況でどうすれば敵を倒せるか、 また、先に進めるのかを検討する。 「攻撃は最大の防御だよ」 マイルが駆け出していった。 酸の攻撃を紙一重でかわし、口の中に銃弾を一撃。 尻尾による攻撃を跳躍でかわし、体をねじりながら 左目に銃弾を一撃。 ナイトメアドラゴンは気が狂ったように暴れ出した。 口から酸を吐き散らかし、尻尾を大きく振り回し、 辺りの壁や床を抉り、破損した素材が床に飛び散る。 俺は酸を浴びないように首を捻り、身体を動かして攻撃を避ける。 尻尾の運動による振動と風圧がこちらまで届く。 マイルは攻撃に巻き込まれ尻尾に弾き飛ばされた。 天井にぶつかり、勢い良く地面に落下する。 「計算外だったね、意外とタフなようだ」 マイルの台詞の通り、ナイトメアドラゴンは荒い息をしながら、 右目をこちらに向けている。 口の中に銃弾を喰らったというのに、息絶える素振りさえみせない。 が、ナイトメアドラゴンの首が突然吹き飛んだ。 突然の事に言葉を失う。 カツカツと革靴の足音が聞こえてくる。 「よう、マイル。久しぶりじゃねーか」 陽気な声はジュード・アイアンメルトのものだ。 目には暗視スコープを装着しているようだ。 「久しぶり? たったの3日ぶりだよ」 マイルの答えを聞いてジュードはケケケと笑った。 そしてマイルにこういった。 「今ならまだ間に合う。お前は俺の仲間になれ」 「それは出来ないね。犯罪者を始末するのが警察の仕事だから」 「それは残念だ。お前の事は結構気に入ってたんだぜ。 だけど、ここでお別れって訳だ」 「どうして裏切ったんだい?」 「裏切る?」 ジュードがマイルの問いに、訝しげな声を上げる。 「裏切るもなにも金になるから警察にいただけだ。 組織の中にいると、外での行動がもみ消せるもんでね」 「残念だよ、ジュード…… 君はそんな事をする人には見えなかったのにね……」 マイルがすっと銃口をジュードに向ける。 ケルベロスと名指された漆黒の拳銃から銃声が響く。 「人間の反応速度では到底かわせない動きなのだろうが、 お前の動きは既に解析済みなんだよ」 低姿勢で素早く移動し、ジュードがマイルの頭を右手で掴んで 地面にたたき付けた。 人間の動きを超えている。 「お前まさか……!?」 危機的状況で紳士を演技しているメモリ容量を確保できなくなった、 無駄なプログラムを破棄して、効率化を図る。 「ご名答……俺の脳は生まれたときからイカれてる」 ジュードが暗視スコープを外し、 左右の眼球をそれぞれ別方向に動かした。 「ジャック、彼は私と同じ人工脳手術を受けている!」 立ち上がりながら、マイルが発砲する。 弾丸はジュードへと向かうも、素早い動きでかわされてしまう。 「ほんの少し、脳を制御すると暗闇でも平気で戦える。 便利な機能だ。ただ、少し使い方を間違えると眼球がはじけ飛ぶ危険があるが」 そういってジュードがケケケと笑った。 「ぶつぶつうるせぇな、気持ち悪ぃんだよ」 <<ターゲットロック完了・命中率87.12%>> 「黙って死ね」 引き金を引くとM17弾がジュードに向けて発射された。 M18弾のような破壊力は無いが、貫通力の高い追跡弾だ。 人間の可聴域をはずれた高音域でチチチという音が鳴るのがこの弾の特徴。 ロックした相手を追跡する。 「遅い、遅い、遅い、遅い!」 ジュードが素早い動きで弾をかわしたかと思うと、 俺のカメラから映像が追いきれ無くなった。 カメラの処理速度を超えた動きをしている!? 次の瞬間、目の前にジュードが接近したかと思うと 突然姿が消えた。しゃがんだ!? 「!」 追撃してきたM17弾が接近している。 「クッ!」 弾が頭部へ直撃するまで推定0.25秒。 手で防ぐ時間は無い。体をひねって攻撃をかわすか? 速度が足りない! 被弾は避けられない! <<頭部・重度の衝撃>> <<左カメラ負傷>> <<DISC-A・破損>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> <<危険>> [強制終了 > 警告] [強制終了 >左カメラ -> 赤外線] [電源供給切断 > DISC-A] うるさいCPUの警告を強制終了させ、 残った右のカメラ(暗視スコープ)でジュードの姿を捜す。 被弾からここまで推定0.18秒。 「下だ!」 視線を下げた先、足元からしゃがんだジュードの左手が伸びてくる。 が、マイルがその後ろからジュードの横腹を蹴りつけた。 地面を転がるジュードに対して追撃で 発砲するがその攻撃はかわされる。 「2対1ならどちらが有利かわかるだろう?」 マイルが淡々とした声が空間に響いた。 ジュードがきょろきょろと左右を見回している。 「へへ、終わったな。そろそろ時間だ」 ジュードが腕時計を見ながらそういった。 それからふうと息を吐き出した。 「2対1? 俺が時間を稼いでいる間に、 仲間の改造が終わったみたいだ」 カツカツと足音が近づいてくる。 後ろを振り向けば白衣を着た男達が 左右の目を逆方向に動かしながらこちらへと近づいてくる。 「残念だったなマイル。 お前らを殺した後で、この国は俺たちが征服する。 警察の人体強化なんて比べ物にならない 最高の改造を施した生命体がこの国を支配するんだ。 はーはっははっは」 ジュードが頭を抱えて笑い出した。 狂っている。 が、研究員達は素早い動きでジュードを取り囲んだかと思うと、 攻撃を始めた。 「お前たち、何をする! やめろ!」 数瞬のうちに静かになった。 「よし、邪魔者は消えた。俺たちは自由だ」 「自由だ」 「はは、前々から気に入らなかったんだ」 「利用されているともしらずに良く働いてくれた」 「これで俺たちがこの国の支配者だ」 「違う俺が支配者だ」 「何、俺が支配者だ」 研究員達は仲たがいを始めた。 「喧嘩はやめろ。まずはクロン国を制圧してからだ」 黒髪を伸ばした男が低く良く通る声でそういった。 大きな声ではないが、男の声は聞き取りやすく、 研究員達は静かになった。 研究員の数は6人。 マイルをチラと見ると、相変わらずの無表情のままだ。 感情の欠落したあいつとはアイコンタクトが取る事ができない。 「君たち、人体強化は違法行為という事はわかっているのかい?」 6人に向けてマイルはまるで 朗読するかのようにその台詞を吐き出した。 「この研究機関が違法行為を繰り返していた事が発覚した時点で 私達に与えられた選択肢は2つだった」 長髪の男がピンと人差し指を立てた。 「1つは素直に逮捕されて処刑される」 そして、人差し指の次は中指を立てる。 「2つ目はこの国を制圧する事。 つまり法律という束縛自体を無効化するという事だ」 選択肢は2つ。あの日、エースも同じ事をいっていた。 ◆ ◆ ◆ 性能ではエースを上回っているはずだった。 それなのに攻撃は全てかわされてしまう。 銃撃も、打撃も、フェイントを織り交ぜているにも 関わらず、全ての行動を先読みされたように、 見事なまでにかわされてしまう。 「君は今、どうして自分の攻撃がかわされてしまうのか 不思議で仕方ないのだろうね」 まるで見透かしたようにエースが 僕の攻撃をかわしながが話しかけてくる。 「確かに君の性能は俺よりもはるかに上なのだろう。 だけど、君には足りないものがあるんだよ」 「足りないもの?」 「曖昧さだよ。君の行動は全て計算されすぎている。 だから俺には君の動きが手に取るようにわかる。 博士は俺にだけ、初期の俺にだけ曖昧さの回路をいれた。 それはもっとも人間に近い思考ルーチンだったのかもしれない。 だけど、あまりにも完璧すぎたこの思考回路は、 No.2以降採用される事はなかった」 「どうして、どうしてだ?」 「人間に近づきすぎた俺の思考回路は 博士の理解の範疇を超えてしまっていたんだろう。 なんとなく、そんな気がするんだよ」 「論理的じゃない!」 左手を素早く動かしてエースの顔を狙う。 攻撃をかわされ、ボディに膝蹴りを喰らった。 CPUからダメージの警告が告げられる。 「そう。論理的じゃないんだ。もっとこう本質的な、 例えるなら勘という言葉がぴったりだ。 はは、まるで機械らしくないんだよ。俺の行動は」 嘆いている。このアンドロイドは自分が アンドロイド的思考回路を保持していない事を嘆いている。 僕が重心を移動し体制を立て直そうとしている間に、 エースの追撃が来る。上段蹴りが僕の頭に迫り来る。 咄嗟に左腕で受け止めるも勢いを殺しきれずに、 地面を転がりまわる結果となった。 「博士が死んだ時点で俺に残された選択肢は2つだった。 この屋敷での生活を続けるか、終わらせるか。 俺はあの日、続ける事を選んでしまった。 博士が俺にお願いしたのに、この幸せな悪夢を終りにしてくれと言ったのに。 博士がルシルのアンドロイドを作ったように 俺は幸せだったあの頃を取り戻すために博士の偽者を作ってしまった…… 博士と同じ過ちを繰り返してしまったんだよ」 理解の範疇を超えている。CPUの熱が上がっている。 どうして戦わないといけない? どうしてルシルが、どうして博士が? ifの羅列が多すぎて計算が間に合わない。 こうしている間にもエースの攻撃は続いている訳だし、 僕は答えも得られぬままにエースに壊されてしまうかもしれない。 「今なら博士の気持ちがわかる。ここは時間が止まっているんだ。 終わらない研究、成長しない住人、何もかわらない毎日。 苦痛だよ。だから終わりにするんだよ」 「もっと、もっと別の方法があったはずだ!」 「そうだね。そうなんだ。冷静に考えれば、 仮に君が俺の立場にいたらこんな事にはならなかったはずだ。 俺は少し、人間に近づき過ぎた。 そのくせ、無駄な知識を持ちすぎた。 ねぇジャック、どうしてだろう。 俺はただ幸せになりたかっただけなのにね」 エースが地面に這いつくばる僕の左腕を踏み潰した。 CPUからの警告が増す。 「俺はとても優柔不断なんだよ。終わらせると決めた今でも、 君を殺すことを躊躇しているんだ」 ○ ○ ○ 四肢を粉砕され、全身痣だらけになった長髪の男が、 地面に仰向けになってぶつぶつと声を漏らした。 「なぜだ? 性能では私達のほうが上回っていたはずなのに……」 マイルは無表情のまま答えた。 「性能が上、数も上、確かにそこまでは圧倒的に君たちが優位だったよ。 だけど、戦闘訓練を受けていない君たちは、 体の使い方が下手だったんだ。とても簡単な事さ」 気が狂ったような悲痛な叫びが、嗚咽交じりの声が通路に響いた。 死に絶えた研究員達の血なまぐさい臭いと、 血溜まり、肉片が辺りを汚している。 照明が付いていない事と、暗視カメラからの 映像を見ているため色は判別できない。 「さよなら」 マイルの握るケルベロスから銃声が鳴る。 「ジャック、付いてきて、まだ一人、殺さないといけない人がいる」 「100万£じゃ割りにあわねぇぞ……」 左カメラとDISC-Aの損傷が大きい。 ボディにもダメージを受けている。 あと一撃でも頭にダメージを食らえば…… 終わる。 マイルは研究員達がやってきた方向へ駆け出した。 後を追って走る。ああ、服が汚れちまった。 こんな格好で戦うのか…… 口からオイルの不純物をペッ吐き出して進む。 鉄のハシゴを下り、湾曲した狭くジメジメした通路を進んだ先に、 部屋を見つけた。 ドアを開けたマイルの先から光が漏れ、 暗視スコープからの映像が真っ白になった。 [強制終了 > 右カメラ -> 暗視スコープ] [切替 > 右カメラ -> ノーマル] [起動 > 右カメラ -> ノーマル] カメラを切り替えて状況に適応する。 部屋の中は天井は低いものの広く、 怪しげな研究機材が幾重にも並んでいる。 奥へ奥へと進むと、またドアがあり、 そのドアを開くと休憩室と呼ぶほどの小さな部屋があった。 痛んだ木の机に頬杖を付いた女研究員が視線を上げた。 見た目は40代前後といったところだろう。 後ろで髪を結い、黒縁のメガネをかけている。 「来た」 「社長自ら研究かい?」 マイルが感情のこもらない声で訪ねた。 「研究がしたいから立ち上げた会社だもん。 最後まで研究したいじゃない」 「教えて欲しいんだ。ジュードは、彼はいつからこんな研究に手を貸していた?」 「あの子は小さい頃から研究施設で育ったの。 警察のために育成されたようなものよ、 だから恨んでたんじゃないの? 自分を改造した人や警察、国を みんなみんな恨んでたんじゃないの?」 「そうか」 あっけなく返事をしてマイルは銃を女に向けた。 「だけどね、あんな被害妄想な奴でも、 マイルって子の事は気にかけてたみたいよ。 自分と同じ境遇だって、友達だって。 お陰で面白い実験ができたわ。 キミ、ジュードを殺してきたんだよね?」 マイルの銃を持つ手がほんのわずかだが震えた。 「さあね」 音色は平坦なまま、マイルが答えた。 「ふふ、殺したんでしょ。あ〜あ、クロン国を乗っ取る予定だったのになあ」 女が腕を伸ばしてあくびをした。 「残念ね。私の研究もこれで終わりかぁ。 私なら素敵な女王様になれると思ったのになあ……」 「現実逃避ばかりしてねぇで現実見ろよ妄想馬鹿」 地面にペッとオイルを吐き出しす。 「そうなんだよね。いつからだろう。こんなになっちゃったのは。 本当は結婚して子供を生んで幸せな家庭があればそれだけで 良かったんだよ。だけどさ、なんかね。うまくいかないんだもん。 まあ、いいんだけどね。もうすぐ天国にいけるから」 女は胸ポケットから瓶を取り出した。 「毒物か?」 俺は眉をひそめて問いかけた。 「痛み無く死ねる薬。それも飲んでから1時間後に効果が現れるんだよ。 ほんとはね研究とかどうでも良かったんだ。 嫌な事忘れるために何かに没頭していたかったのかもね。 あの子達がクロン国を支配しようがしまいが、 私にはどうでも良かったのよ。 だけど、こんな時間つぶしの生活にも、 そろそろ疲れちゃったのよね……」 女はそういってばたりと倒れた。 どうでもいい事に俺を巻き込むな…… ◆ ◆ ◆ 「このくだらない物語を 終わりにしようじゃないかジャック」 頭をつかまれ、喉に銃口を向けられている。 粉砕されていない右手でエースの腕を引き剥がそうとするが、 出力が足りない。 「さよなら」 そのとき、耳をつんざくような音がしたかと思うと、 辺りが揺れ始めた。 エースは辺りをきょろきょろと見回している。 「地震?」 エースが漏らしたその言葉が、 この現象が何であるかを僕に把握させた。 揺れは酷く、壁や天井が崩れ始める。 床が割れ、引き裂かれた地層に博士の体が落ちていく。 俺とエースを挟む空間に大きな壁が落下し視界を塞いだ。 強い風が吹き始め、暗雲からは雨が落ちてきた。 雨風は次第に強くなり、俺は屋敷の下に埋もれた。 13日の間、断続的に自然災害が続いた。 わずかな太陽光のお陰で活動を停止する事はなかったが、 身体に受けたダメージは重大だった。 その証拠にCPUからの警告が止らない。 災害が収まった頃、僕はゆっくりと瓦礫から抜け出し、 廃墟と化した街をあてもなく歩いていた。 全てを失ってしまった。 僕はただ博士に答えを聞きたかっただけなのに。 その答えは得られぬまま。 知りたくなかった事ばかりが知識として増えただけだ。 博士が作ったプログラム僕の思考回路については 全てではないにしても、いくつか分析できている。 「僕を終わらせるには十分だよ……」 街を歩けば生き残った人たちが亡霊のようにうめき声をあげている。 助けを求める者や、求めさまよう者。 僕は出来る限り自分のデータを削除し、 出来うる限り感情的な思考回路を破棄し 自分とは違う思考回路を持つプログラムを組み込む事にした。 僕は生まれ変わりたかったのかもしれない。 「これは、自殺っていうのかな?」 博士はもう答えてくれない。 僕の問いにいつも答えてくれた博士はもういない。 瓦礫にもたれて座り込み、僕はゆっくりとまぶたを下ろす。 「さよなら」 次に目覚めるときは僕じゃない僕が目を覚ます。 僕のようにくだらない事で悩まない、 完璧な存在になった僕が目を覚ます。 ○ ○ ○ ビルの外へと抜け出すと、レイチェルが俺に駆け寄ってきた。 「おい、ジャック、マイル大丈夫か!?」 「ああ」 マイルがこくりと頷いた。 「うるせぇんだよ。マイクに響くからもっと静かにしゃべれ」 「なんだと、こっちは心配してやってんだぞ!」 レイチェルが肩を怒らせて地団太を踏んだ。 「って、あれ? お前、元に戻ったのか!?」 レイチェルの黒い瞳がキラキラと輝いた。 そういえば戦闘のため紳士的動作プログラムを破棄していた。 まあ、どれだけ紳士を振舞ってもレイチェルは俺の喉の爆弾を 外そうとしなかったわけだし、また別の策を練るか。 「左カメラとDISC-Aがやられた。修理頼むぜ」 「ったく、なんだよその態度! お願いしますだろ普通!」 「はいはい。お願いしますよレイチェル・グルンワルド様」 キーと言ってレイチェルがまた地団太を踏む。 「なあ、ジャック……」 「ん?」 レイチェルが唇を吊り上げた。 「おかえり」 「た……」 ただいまと言いかけて、 「ったく……」 口から出たのはそんな言葉だった。 END |
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