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09 残像

 どれだけ神に祈りを捧げても届かない。
 願いは叶わない。

 医者でもない少年に弟を救う術はなかった。

 弟は病魔に蝕まれ日に日にやつれ精気を失っていく。
 少年はただ困惑と怒りや悲しみの入り混じった瞳で
 衰弱していく自分に良く似た幼い影を見つめる事しか出来ない。

 話しかける声は虚しく、弟の苦しげな吐息にかき消されてしまう。
 祈りは神に届かず、声は弟に届かない。

 少年は絶望していた。それは母親とて同じであった。
 弟の死が間近に迫っている。

 思い出すのは楽しかった日々、二人で駆けっこをした思い出、
 砂山を作った事、家族と食べたご馳走……

 少年は何度も祈った。だが神は少年の祈りを受け入れる事はなかった。
 弟の呼吸は止まり、静かになった。暖かいのに動かない身体……
 何度ゆさぶっても目は閉じたままで、呼吸をする事はなかった。
 少年の目から涙が溢れ出した。視界が揺らぐ。
 景色が滲んむ。弟の姿がぼやけていく。

 神はいない。
 少年はその日から神に祈りを捧げる事を、
 自分以外の何かにすがる事をやめた。

 その日から、少年は涙を流さなくなった。


 ○ ○ ○


「バーニィ……残念ながら俺はお前の兄じゃない。
 ピート・キャンベルじゃない……」

 だからいつかお前を俺の記憶領域から削除する。
 博士のプロテクトを解除して、過去の記憶を完全に消し去ってみせる。

「何ぼそぼそ言ってんだよ気持ち悪ぃ」

 現実に引き戻す声。
 隣を歩くレイチェルが表情を歪めた。

 ここは人気の無い郊外。
 ある人物を訪ねにいくというレイチェルにつき合わされている。
 足場が悪いため、途中で車を停め、歩いている。

「亡霊が……消えねえんだよ」

 口からペッとオイルの不純物を吐き出す。
 安物のオイルは不純物が多くて困る。

「亡霊? お化けの事か?」
「……ったく」
「たく……じゃねーよ! ちゃんと説明しろよ!」

 ギャーギャーとうるさいレイチェルに舌打ちして、速度を上げて先へと進む。

「おい、返事しろよ! コラ!」

 甲高い怒鳴り声が耳障りだ。

 振り返ってレイチェルの胸倉を掴む。
 白いブラウスに皺がより、レイチェルの眉間にも皺がよる。

「静かにしろよ。いくらお前を殺せないってったって、
 小指から順に潰すくらいの事は可能なんだからよ」

 そういってレイチェルの左手を持ち上げ、威嚇するように睨みつける。

「やれるもんならやってみろ!
 そのかわりお前の修理が出来なくなるぞ!
 わかってんのかコラ!」

 レイチェルが唾を飛ばす。

 俺はそっとレイチェルから手を離した。

「なあ、レイチェル」
「なんだ?」

 レイチェルが怒りをあらわにして拳を構えた。

「アンドロイドって何だ?」
「何って……」

 眉間に皺を寄せたままきょとんとした表情を浮かべてレイチェルが考え込む。
 そう、この問いに答えはない。

 未だにCPUは答えを見出せないままだ。
 博士でさえもこの問いには答えられなかった。

『さて、なんだろうね?』

 それが博士の答えだった。

 踵を返して先へと進む。
 後ろから「待てコラ」という声がして、
 小走りにこちらへと駆けつける足音がする。





 正午まであと27分57秒。

 太陽はいつものように眩しく輝き、
 砂漠の大地からわずかな水分をも蒸発させようと照りつける。

 草木ひとつ無い干乾びた庭を超え、
 家のドアをノックすると、錆びたノブがゆっくりと周り、
 ぎぃと音を立てて老婆が現れた。

「おやおや、こんなところにお客さんかい?」

 背筋の曲がった老婆が笑顔を浮かべている。

 老婆の髪は約7.22%の黒髪を残してあとは白い。
 長さは肩よりも長く、後ろで結ってまとめている。
 服装は小汚いという表現が的確だろう。
 デザイン性を欠いた継ぎはぎだらけのボロを着ている。

 老婆越しの薄暗い部屋の奥、薄汚れた壁と痛みの酷いフローリング、
 奥の部屋には、つぎはぎだらけのカーテン。
 子供の泣き声、女の怒鳴り声。

 老婆の声に反応してか、後ろからレイチェルが身を乗り出した。

「マイルの紹介で……ここにアリアって女の子がいるって聞いたんだけど……?」

 レイチェルが大げさに両手を動かし、理解不能なジェスチャーをしている。

「ああ、あの子かい。あんた、あの子の知り合いかい?」
「うん、ちょっと知り合いっていうか、知り合いの知り合いというか、えーと……」

 顎に手をあてて考え込む。

 相手にとって必要な情報を的確に伝えるという事が、
 レイチェル・グルンワルドは苦手なのだ。
 それはつまり、他人に対して意思を疎通させるという事を長らく怠っていた、
 もしくは初めから他人に興味がないとう事を推測させる。

「マイルの妹のレスカの仲間のモニーの娘なんだ。
 それでレスカが私の友達だから、友達の知り合い」

 老婆はゆっくりと頭の中で話を整理してから、
 「ああ、そうかい」と頷いた。

「何も無い家だけど、ゆっくりしておいきなさい」

 老婆がにこりと微笑む。

「こんな小汚ぇ家でゆっくりできるかよ」

 口からオイルをぺっと吐き出す。

「バカ! 何てことを!」

 レイチェルが俺の腹へ肘うちをする。
 もちろん、ダメージを受けたのは俺ではなくレイチェルだ。

「痛ぇ……ちっ……くしょう!」

 地団太を踏むレイチェルを目を細めてみやる。

 自分の喉を指先で触る。
 ここに爆弾が仕掛けられている。
 早く喉の爆弾を外してレイチェル・グルンワルドを殺したい。
 これさえなければ俺は自由になれる。

 チラリとレイチェルを見ると、肘を擦っている。

「おばちゃん、誰、誰、誰、誰、お客さん?」

 老婆の後ろから小さな子供が顔を出した。
 背は老婆の腰くらいの高さ、推定で6歳といったところだろう。
 左足の膝から下が存在せず、松葉杖をついている。
 水色のシャツに黒いハーフパンツを履いている。どちらも酷くボロだ。
 通りの悪い鼻筋に、ハの字の情けない眉と、細い目。
 黒い髪を後ろで結っていて男か女か判別できない。

「バーニィ、静かにしてなさい」
「チェッ、つまんねーの」

 老婆が子供の背中を押して、奥へと追いやった。

「本当に、何も無い家なんだけどね、ゆっくりしておいき」

 老婆はにこりと笑う。

 歩く度に痛んだ床がぎぃぎぃと悲鳴をあげる。

 リビングの小汚い椅子に座る。
 隣にレイチェルが座った。

 老婆は「ちょっと待ってな」といって、
 奥へと消えて言った。

「小汚い家だぜ」

 ここにはレースのカーテンも、
 華やかなカーペットも無い。

 生活ができるだけの最低限の設備、それしかない。

 ふと、レイチェルを見やると、無言のまま俺を睨みつけていた。
 何もいわないという事は、何も無いという事だ。
 無視する。

 しばらくすると、老婆の足音と、小さな足音が聞こえてきた。

「ほら、この子だよ」
「アリアちゃん!」

 レイチェルが立ち上がって大声をだした。
 甲高い声がマイクに響く。

「あなた、誰ですか?」

 アリアが小首を傾げた。
 相変わらずメガネをかけ、黒髪を頭の上で結っている。

「ほら、洞窟で会ったじゃない。レイチェルお姉ちゃんだよ」
「ああ、あの時のお姉ちゃんですか。こんにちわ!」

 アリアが微笑んだ。

「パパとママが遠い国に旅に出かけてしまいました。
 だから、ここでお世話になっているんです。
 おばさんはとても良い人です。
 ごはんを作ってくれたり、洗濯をしてくれます」

 相変わらずの敬語だ。レイチェルよりも流暢に話をする。

「……」

 レイチェルが沈黙して俺を見つめる。

 アリアの父親モニーは死んだ。俺が殺した。
 母親はモニーに殺された。
 つい先日の事だ。

「馬鹿だな、テメーの両親は……」
「あー、あー! 今日はいい天気だなあ!」

 レイチェルが俺の口を押さえて話を遮った。 

 アリアが小首を傾げた。

「ふたりは恋人なのですか?」
「え……!?」

 レイチェルが間抜けな声をあげ、チラとこちらを見た。

「違う。こいつはアンドロイドで、私はその持ち主だ」

 顔を赤くしてレイチェルは首を振った。

「アンドロイド?」

 アリアが小首を傾げる。
 立ち居振る舞いが死んだ母親に似ている。

「ロボットだよ。機械、機械。かつどーをゆーいにする人工の道具の事だ」

 腰に手をあて、レイチェルがえへんといった。
 言葉の意味を本当に理解しているのかは定かではない。

「アンドロイド、お兄さんはアンドロイドなのですね」
「ま、そういう事だ」

 左手首を取り外して、右手で弄んで見せると、
 アリアが目をキラキラと輝かせた。
 その表情は話に食いつく時の母親のものに似ていた。

 洋服や小物を選ぶセンスは一目置いていたが、
 死んでしまったのでもう彼女と話をする事は二度とないだろう。

 老婆がアリアの背中を押した。

「まあ、立ち話もなんだから座ってしゃべりな。
 あんたたちもゆっくりしておいき、私はやる事があるから、
 帰るときはまた声をかけとくれ」

 老婆はそういって奥へと消えていった。
 アリアが小汚い椅子にちょこんと座った。

「お姉さんはパパとママの事に詳しいですか?」
「えーと、モニーは……」

 レイチェルが言葉を詰まらせた。
 二人に関してそれほど詳しく無い訳だから、
 与えられる情報が無いのだろう。

「馬鹿、テメーの両親は……」
「おい、ジャック、テメーちょっとこっちこい!」

 レイチェルが俺の口を押さえた。
 俺は力で手を引き剥がした。

「さっきから何なんだ? 静かにしろよ……ったく」

 事実を伝えりゃいいんだよ。くだらない。
 本当の事を知らないから、戻るはずのない両親を
 いつまでもこいつは待ち続ける事になる。

「お前、喋ったら、殺す」

 マイクに耳を近づけ、小声でレイチェルがそういった。

「……ったく」

 アリアがこの先どうなろうと、どうでもいい事だった。
 早く下らない用事を済ませて帰りたい俺としては、
 ここは静かにしているのが利口だと判断した。

 沈黙は金という言葉があるし、しばらく静かにしておく事にする。

「ねえねえ、ママはね、とっても優しいんですよ。
 毎月20日になるとご馳走を作ってくれるんです。
 パパはその日になると早く家に帰ってきてママのお手伝いをして、
 みんなでご飯を食べるんです。
 アリアの生まれた日だからって、毎月お祝いしてくれるんです」

 母親に似て良く喋る。
 もっとも、母親とこの娘は血が繋がってはいない訳だが……

「そう、早く戻ってくるといいな」

 レイチェルはただただ話を聞くばかりだ。

「見てください。これ作ったんです。
 パパとママにプレゼントするんです」

 そういって取り出したのはボロ布で作った小汚い人形だった。
 目や鼻の位置が歪に歪んでいる。

「お守りなの。これを渡せばパパとママはきっと幸せになれるんです」

 既に死んだ人間を、生きていると思い込んでいる者を目の前にする
 この光景はなんとも滑稽だ。

「うん、きっとパパもママも喜ぶと思う」

 レイチェルが目を充血させながら微笑んだ。

 スニーカーの足音が近づいてきたかと思うと、
 レスカが現れた。

「あれ、レイチェルちゃん……来てたの?」

 ブロンドの長髪を頭の上で纏めたレスカが、
 口をぽかんと開けた。

 裾を折って長さを調節したオーバーオールに、白いスニーカー。
 長袖の白黒ボーダーシャツを着て、首にゴーグルを下げている。

「レスカお姉ちゃん!」

 アリアが立ち上がってレスカに駆け寄っていった。
 レスカは軽々と少女の身体を持ち上げて抱っこした。

「いい子にしてた?」
「うん」
「よしよし」

 頭を撫でる。

「レスカさん、どうしてここに?」とレイチェルが問う。
「私は10歳の時からここで育ったのよ。だからたまに遊びにくるの」
「……くっだらねぇ。外で待ってる」

 付き合いきれない。

 ゆっくりと立ち上がり、痛んだ床を歩いていく。

「おやおや、散歩にでもでかけるのかい?
 この辺りは何も無いところだから、どこへ行ったって退屈だよ」

 先ほどの老婆が腰をトントンと叩きながらそういった。

「それならあんたは、どうしてこんな退屈なところに住んでいる?」

 老婆はあははと笑い声をあげた。

「子供たちの世話をしないといけないんだよ」
「見捨てたほうが暮らしは楽になるんじゃねえのか?」
「神様ってもんはいるもんでね、
 こんな施設にも毎月お金が振り込まれれるんだよ。
 匿名の心優しい人たちが毎月ね」
「なるほど、ガキを育てるかわりに、金をもらってるってわけだ」

 老婆は首をゆっくりと左右に振った。

「お金が無くたって育てるよ、それに、今月は振込みがなかった、
 もうずっとお金は振り込まれないのかもしれないねえ、
 どこかの優しい富豪かなにかが寄付してくれていたんだろうねえ、
 だけど、歳をとって亡くなってしまったのかもしれない。
 せめてお礼が言いたかったよ……」

 ぼそりぼそりと呟く老婆。

「まあ、お金の心配はないよ。
 レスカやこの家で育った子供達が仕送りしてくれるお陰で、
 生活には困らないんだ。ただ、贅沢ができないだけさ」

 自分に言い聞かせるように老婆はそういった。

「あんたそういえばマイルの知り合いだといったね」
「まあ、そんなところだ」
「あの子、元気にしてたかい?」
「体調は悪くないんじゃねーか。動いてたぜ」
「そうかい。ならいいんだけどねえ。
 ほら、あの子、あんな感じだから友達も少なくてねえ、
 仲良くしてやっとくれよ。ああ見えて妹思いの優しいお兄ちゃんなんだよ。
 酷い事件に巻き込まれて、頭をケガしてからは特殊な施設で育てられたようだけど、
 妹のレスカに会いにちょくちょくここにやってくる。本当に優しい子だよ。
 バカ息子のジュードがちゃんと面倒見てくれていればいいんだけどねえ」

 面倒な話だ。無視することにした。

「ねー、ジュードおじちゃん最近来ないね」
「おやおや」

 年齢は10歳くらいだろう。髪の短い少女が心配そうな表情を浮かべる。

「なーに心配ないさ、そのうちひょっこり現れるよ」

 笑顔を浮かべる老婆。

 それがもし、俺の知っているジュード・アイアンメルトなら、
 既に死んでいる。

 唇がつりあがる。

「あのバカ、月に一度は帰るといっておいて、
 最近は全然姿をみせないんだから……
 臆病で弱虫のあの子が警察だってんだから笑いものだよ」

 そういって老婆はふうと溜め息をつく。

 くだらない会話に巻き込まれる前に立ち去る事にした。





 子供たちは庭でわいわいと騒いでいる。

 ジャンケンで負けた者が目を閉じて数を数えている間に、
 勝った者達が隠れる。しばらくすると数を数え終えた敗者が立ち上がり、
 隠れた者を捜し始める……

 鬼ごっこか。

 庭の隅、日陰になった場所に立ち、空を眺める。
 服が汚れるため壁にはもたれない。

「嘘つきの少年はオオカミに食べられてしまいましたとさ」

 崩れた塀の木陰に子供が二人。
 一人は左足の無い少年。確かバーニィと呼ばれていた子供だ。
 そしてもう一人は目をつぶったままの少女。

 記憶領域が音を立てる。

 少し前に俺はあの少女を見ている。
 たしか、トーマスとかいうガキが大人から盗んだ金で養っていた姉だ。

 レイチェルから水リスの水袋を奪い取って
 逃げさったあのときは傑作だった。

 ガキは大人の恨みを買って撲殺されたから、
 姉のほうも飢え死にしているものだと思っていた。

「その話、嫌い……」
「じゃあ、えーと、青い鳥を探しに行くお話にする?」
「うん」

 少年の昔話が始まった。

「くだらない」

 カタカタと記憶領域が音を立て始めた。
 記憶の中にだけ存在するピート・キャンベルの弟が笑顔を向ける。

「死ねよ……」

 左手で頭を押さえる。
 今日はシステムの調子が悪い。

『ねえ、お兄ちゃん、僕ね、大きくなったらママと結婚するんだよ』

 無邪気に微笑むその顔は、決して丹精な訳ではない。
 これといって美しいわけでもないのに、記憶から離れない。

 映像が切り替わる。ベッドに横たわるバーニィが涙を浮かべて問いかける。

『お兄ちゃん、どうして僕は死んじゃうの? ねえ、どうして?』
「うるさい。お前はもう死んだんだよ。出てくるな……」
『ねえ、どうして?』

 知るかそんな事……

 難病だから誰も治せなかっただけの話だろ。

「俺は、お前の兄じゃない……」

 消す、お前の記憶をいつか消してみせる……

「相変わらずだね。今日は一人かい?」

 突然、話しかけられ、咄嗟に構える。

 身長約172p。金髪。黒目。

 カメラとマイクから得た情報から、
 目の前の男をマイル・マーカーであると判断した。

 気配を消して近づいてきた?

「お前か……」
「あの女の子が気になるのかい?
 不憫な境遇でね。両親と弟を事故で亡くしたんだよ。
 それに彼女は目が見えないんだ」
「別に気にしてなんてねーよ。
 レイチェルの付き添いでここに連れてこられて退屈してんだよ。
 ああ、そうそう、お前の妹が来てるみたいだぜ、
 もっとも、レスカはお前の事を兄だとは思ってないみたいだがな」

 マイルの表情は変わらない。

「そうかい。やっぱり嫌われているんだね」

 抑揚のない声が返ってくる。

「はっきり言うね。君のそういうところはとても評価しているよ」
「お前みたいな奴に評価されるようになったら、俺も終わりだな」

 ペッと地面にオイルの不純物を吐き出す。

「さて、妹に会いにいってくるよ」
「幸運を祈るぜ」

 妹に嫌われる姿を想像すると唇が釣りあがる。

「君は平気で嘘を付くね。そういうところは減点だ」
「幸運を祈っても、幸運になれるとは限らねぇだけの事だろ」
「嘘でも……嬉しいよ。幸運を祈ってくれてありがとう」

 無表情な男は高音と低音の混じった声でそういうと、
 踵を返して歩いていった。

 しばらくするとレスカが家から飛び出していった。

「くだらねえ……」

 唇が釣りあがる。

「もう、レスカさん……どうして」

 レイチェルが飛び出してきた。

「レイチェル、気は済んだか? 帰るぞ」
「帰るって……マイルがせっかく来たんだからちょっと喋ってくぞ」
「喋る? 何をだ? ビジネスの話か?」
「違う」

 レイチェルが首を横に振った。

「じゃあ何を話すんだ?」
「身の上話とか?」

 首を傾げるレイチェル。

「……」

 嫌な予感がした……





 痛んだソファに座り。マイルの身の上話を聞かされた。

 10年前に連続殺人犯に家族を殺され、マイルは脳を損傷。
 特殊研究機関で手術を受け強化人間となるが、感情の大半を失う。
 1年が経ち、施設に預けられていたレスカに会いに行くも、
 まるで別人のようになってしまったマイルは、
 兄として認めてもらう事ができず、避けられているという。

 幸せだった頃の話を淡々とマイルが話す。
 家族で旅行に行った話や、一緒に料理をしたこと。
 レスカと二人で家出をして親に怒られたこと。

 ずずずと音がして、隣に座るレイチェルが服の袖で鼻水と涙を拭いている。

 前々から思っていたが、レイチェル・グルンワルドという人間は
 ハンカチの使い方を知らないのだろう。
 せっかくの服に、汚い体液がついて汚れてしまっている。

 服は主人を選べない。それが哀れでならない。

 主人を選べないのはアンドロイドも同じ事か……

 自虐の笑みを浮かべる。

「仲直りしないとダメだぞ! よし、私が手伝ってやる!」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「ダメだ! いつまでもこんなんじゃダメだ! 家族なんだろ!」

 レイチェルが立ち上がった。
 そんなレイチェルに釘を刺すように一言。

「それで、具体的にどうすんだよ?」
「え……?」

 レイチェルの動きが一瞬で硬直する。

 そんな事だろうと思った。

「レスカが元気でさえいてくれればそれでいいんだ。
 この話はもう終わりにしよう。
 そうだ、これから宝石を探しに行くんだ。一緒にくるかい?」
「宝石!?」

 レイチェルが血相を変えて甲高い声を上げた。

 珪孔雀石、虎目石、水晶、孔雀石、紅玉髄、赤水晶、黒曜石、瑠璃、瑪瑙……

 輝く宝石の映像が過ぎる。

「ああ、この近くに鉱山があってね。とはいえもう10年以上も採掘はされていないし、
 宝石は掘り尽くされてしまったようだから、見つかるかはわからないけどね」
「そんな勝算の無い事に付き合ってられっかよ」
「わかった。その宝石をレスカさんにプレゼントするんだろ!」

 甲高い声がマイクに響いた。
 相変わらず感情の起伏の激しい女だ。

「正解」
「よし、手伝ってやる」

 レイチェルがえへんといった。

 まあ、貴重な宝石を手に入れるというのは悪くない。

 長い歳月を暗い闇の中で過ごした輝く石は、
 研磨され光を浴びることでその美しさを発揮する。

「何も手に入らなくても僕を責めないで欲しいね」
「絶対に見つけてやるって」

 レイチェルがモンキースパナを空高く掲げた。

「馬鹿が一人」
「何ぃ!」

 馬鹿の眉間に皺がよる。





 暗い鉱山の中、ヘルメットライトの明かりが辺りをオレンジ色に照らす。
 洞窟内は錆びた鉄が等間隔に打ち付けられており、鎖が繋がれている。
 落下防止か、それとも手すりの役目を果たしているのだろう。

 マイルが黄色いヘルメットを被っているのは滑稽だった。
 レイチェルは腰につけるタイプのライトを装着している。
 暗視スコープやサーモグラフ内臓の俺は、ライトを必要としないため、
 手にはつるはししか持っていない。

 洞窟の入り口は人がひとり入れる程度の小さなものだったが、
 中に入ると意に介して広い空間が広がっていた。

 ただし、足場はひどく悪い。

「キャー!」

 隣で馬鹿がしりもちをついている。

 声色を老婆に変えて皮肉を言う。

『お子様はお外で待ってなさい』

 レイチェルが白い歯をむき出し、むんずと立ち上がった。

「誰が子供だと!」
「静かにしないと崩落するよ」

 マイルがつるはしを持っていない
 左手で頭上を指差しそういった。

「ほーらく?」

 レイチェルが疑問符を浮かべている。

「崩れるって事だよ」
「だったら最初からそういえよ」

 つんと唇を尖らせてレイチェル。
 己の無知を認めず相手を非難するその様はまるで愚の骨頂。

「レイチェルには少し難しかったのかもしれないね」
「バカにしてんのか?」
「事実を述べただけだよ」

 無表情なマイルの言葉がレイチェルの機嫌を損ねていく。
 なかなか悪くない見世物だ。

「汚ぇなあもう。しばらく人が入った気配がないな」

 レイチェルが「まったくもう」といって、服についた埃を払った。

「……」

 無言。俺もマイルも最初から気付いていた。
 確かにレイチェルの言う通り、人が入った気配は無い。

 壁についた不自然な手形、
 ぬるりとした粘着質な液体がところどころに付着した跡。
 これは、人間のものではない。

「レイチェル、危ないよ」

 マイルがレイチェルの手を引っ張ると、
 先ほどまでレイチェルがいた場所に黒い影が現れた。

 推定160メートル。黒に近い色をしている。
 細い舌をしゅるしゅると出し入れして、
 白い眼球に縦長の瞳孔がこちらを睨んでいる。
 形状は人間や猿に近いが、恐ろしく細い身体をしていて、
 地面に四肢をついて低い姿勢を保っている。

 その様はまるで影のようだった。

 指先は4本で先端は丸く粘着質。
 壁や木に登るのに適した形状をしている。

 ブラッディシャドウ。
 日の光を嫌い、水蒸気や結露した水分を舐めて暮らす生物だ。
 とはいえ、雑食の彼らは動物が近づいてくれば
 襲い掛かってくるような恐ろしく好戦的な生物だ。
 血に飢えた獰猛性と濁った黒い身体からその名が付けられた。
 一部地域では黒猿やブラッドダストとも呼ばれている。

「なんだ、やめろ、離せよ変態! どこ触ってんだ!」

 レイチェルがマイルの頬を叩いた。
 パチンという音が洞窟内に反響する。

「胸に腕があたったくらいで感情的だね」
「え……!」

 期待していたリアクションが返ってこなかったからなのだろうか、
 間抜けな表情を浮かべるレイチェル。

 それはさておき、敵に視線を移す。

 バックサイドホルスターから銃を取り出す。

 左手に持ったつるはしで戦うのは得策ではない。
 なぜなら、服に返り血を浴びる可能性があるからだ。

「ジャック、数年前に崩落事件が起きてるから、
 あまり大きな音は出さないほうが良いよ」
「素手で戦えと?」

 そんな事をしたら十中八九、服が汚れるじゃねーか。

「ここはお前に任せるぜ」

 やってられない。

「レイチェルを任せたよ」

 マイルにレイチェルを押し付けられた。
 胸の中でレイチェルが「やめろ変態」と言ってもがいている。

 ああ、早く首を絞めて殺してしまいたい。

「静かにしてろよ……」

 じゃないとうっかり殺しそうになっちまうだろ?

 マイルが素早く胸ポケットからキラリと光る何かを取り出した。

 カメラから受信した情報からCPU演算結果が出力される。
 あれはナイフだ。

「悪いね、君に恨みは無いけれど、僕は君を殺さないといけない」

 殺せ。殺せ。血を見せろ。
 赤く鮮やかな色を、その映像を俺にくれ。
 苦しみもがく声をくれ。

 唇が釣りあがる。

 ブラッディシャドウは危険を察知してか、そそくさと撤退していった。

「チッ」

 舌打ちが反響する。逃がしたか……

「気をつけないといけないね。
 レイチェル、君はジャックから離れないようにするんだよ」
「えー、なんでこいつなんかと一緒にいねーといけねーんだよ。
 気持ち悪い」
「まあ、そういうなよ。俺たち相棒だろ。仲良くしようぜ」

 肩に腕をまわし耳元で囁くと
 レイチェルが「ああもう!」といって地団駄を踏んだ。

「ほら」

 レイチェルにそっと手を差し出す。

「なんだよ?」
「手を握って歩く」
「嫌だ」

 レイチェルが表情を歪めて首を振った。

「お前馬鹿か? ブラッディシャドウの瞬発力は凄まじく、
 人間の反射速度では回避不可能なんだよ。死にたくなければ手を繋げ。
 金を取りたいところだが、今回は特別にタダにしておいてやる」
「なんだと!」
「レイチェル、素直にいう事を聞くか、洞窟の外に出て行ってくれないかい?」

 相変わらずの無表情で、無機質な声。
 レイチェルはマイルをチラと見てから、
 チッと舌打ちして俺の手を握る。

 白く小さな手は暖かく、手のひらから伝わる微かな鼓動が
 彼女が人間である事を象徴していた。

「変な事したら殺すからな」

 レイチェルがそっぽを向いてそういった。

「アンドロイドは死なねーよ」
「壊れるだけだ」

 マイルがかぶせるようにそういった。

「ったく……」

 ペッとオイルの不純物を吐き捨てる。





 33分48秒ほど歩いた頃、レイチェルが声を上げた。

「もう! まだ見つからねーのかよ」
「もっともっと奥深くに行かないと、
 入り口付近は既に掘りつくされているわけだし。
 あと30分は歩かないといけないんじゃないかな」
「えー」

 レイチェルがうんざりするような声を漏らした。
 徐々に天井が狭くなってきた洞窟に声が響く。

「なあ、ジャック、ベタベタしてねえか?」
「お前の汗でベタベタでぬるぬるだ。
 手のひらのコーティングが無かったら塩分で錆びているところだぜ」
「ちょっと、手を拭かせてくれよ。
 ずっと握りっぱなしで気持ち悪いんだって」
「ダメだ。見てみろ」

 俺が頭上を指差した先にブラッディシャドウが這いつくばっていた。
 首をこちらに向け、隙を見せるのを待っているのだ。

「げ……」
「血塗れになりたけりゃ手を離してやってもいいぜ」

 唇をつりあげる。

「……」

 レイチェルが表情を歪めた。

「手をつないで仲が良いね。
 僕も幼い頃は良く妹と手をつないで歩いたよ。
 レスカは泣き虫でね、二人で手をつないでおつかいに行った帰りには
 彼女は歩きつかれてしまって、いつも僕がおんぶして帰ったものだよ」
「……」

 マイルの話に言葉がでないわけではない。
 隣で口をへの字にして泣いているレイチェルに返す言葉が無いのだ。
 きっと、この女は涙腺のスイッチが壊れているのだろう。

 そして案の定、服で涙を拭くわけだ。

「ふぅ……」

 呆れて首を振る。

 カタカタと記憶領域が微かな音を鳴らす。

 あの笑顔が蘇る。100以上も前に死んだ
 ピート・キャンベルの弟バーニィ。

『お兄ちゃん、怖いからちゃんと手を握っていてね』

 夜が怖いからといって一緒に眠った記憶。

「死人は黙ってろ……」

 左手で頭を押さえる。今日は調子が悪い。
 家に戻ったら、一度、再起動したほうがいいのかもしれない。

「なにぶつぶつ言ってんだよ」
「何も言ってねーよ」

 お前の手を握ったりするから、
 くだらない映像を見せ付けられる羽目になったんだろう?

「なんだよ、教えろよ。気になるだろ」
「ったく、今日は調子が悪ぃんだよ……、静かにしてろ」
「大丈夫か?」

 心配そうにこちらを見上げるレイチェル。

「ああ、たいした事じゃねえよ……」
「ジャック、無理するなよ」

 俺の手を握るレイチェルの手に力が入った。
 細くしなやかで、人一人殺すことも出来そうにない。

「……」

 しばらく無言のまま歩いた。

「そろそろ始末したほうがいいんじゃねーか?」

 頭上の刺客を見上げる。

「無益な殺生は好まないよ。彼らだって生きる権利はあるわけだし、
 襲ってこないのなら無闇に殺す事もないと思わないかい?」
「今にも襲ってきそうだってのに、のん気なもんだな」
「短絡的な行動と排他的な考え方を好まないだけだよ」
「たんらくてきなコードと吐いた敵な考え方……?」

 隣で呟く馬鹿は無視して話を続ける。

「そうやって見逃した敵が、
 お前の妹や施設のガキどもを殺しに来るんだぜ」
「ブラッディシャドウはそんな事はしないよ。
 あまり遠出をしない生物だからね」
「例外はどこにでも存在する。だから保障は無い。
 殺すのが懸命な判断だと思うぜ……
 まあ、あのババアが血塗れになる姿を……」

 ドサリと音がしたかと思うと、
 胴を切断されたブラッディシャドウが落ちていた。

「きゃっ……」

 つないだ手がひっぱられる。
 レイチェルが口元に手をあて、後ずさった。

「短絡的で排他的な行動だな」
「……」

 服に返り血ひとつ無い。

 マイルはただ静かにブラッディシャドウを見つめていた。

「もう、何も失いたくないんだよ。
 だけど、僕は……とても残酷な生き物だね」

 声に感情はなく、口元はいつものように平坦だった。

 俺は唇を吊り上げる。

 綺麗ごとを並べる人間が豹変する様を見るのは嫌いじゃない。

「さあ、先に進むよ」
「……」

 レイチェルはしばらくブラッディシャドウを眺めてから
 「行くぞ」といって歩き出した。





「水……水……」

 レイチェルが腰に下げた水筒の水を一口飲んだ。

「ぷはー、生き返る」

 洞窟の奥深く。ライトの明かりに照らされた壁。
 掘り尽くされたこの鉱山に宝石は眠っているのだろうか?

「よし、宝石を見つけるぞ」

 レイチェルが腰の工具ベルトからモンキースパナを取り出した。

「それで掘る気か?」
「……」

 レイチェルはモンキースパナをベルトに戻し、
 金槌を取り出した。

「こっち?」

 小首をかしげるレイチェルは無視して、
 マイルに問いかける。

「マイル、どの辺りが怪しい?」
「そうだね、あの辺りが怪しいんじゃないかな」

 採掘が始まった。

 10分が経ち、1時間が経ち、レイチェルが苛立ち、
 マイルがそれをなだめる。気がつけば1時間30分を過ぎた。

「もう、全然でてこねーじゃねーか」

 壁に持たれてレイチェルがふてくされている。
 服が地面と壁にぴたりと着いている。
 汚れた服が哀れだ。
 飼い主に恵まれなかった服の末路というのはいつも哀れなものだ。
 クロゼットに押し込められたままの服に次いで悲惨だ。

「簡単に出てこないから価値があるんじゃないか」

 服が汚れないようにシャツを脱いだ俺は、
 無言のままつるはしを振った。

 なかなか出てこない。

「ったく、ヘタクソなんじゃねーか?
 センスがねーんだよ二人とも。
 私にちょっとやらせてみろよ」
「近づくと危ないよ」

 レイチェルはぷうと頬を膨らませたかと思うと、
 金槌を取り出して「とりゃ」といって壁を殴りつけた。

「あー、見ろよ! なんか茶色い石が出てきた。
 でも変な色してるから宝石じゃなさそうだな……」
「大きな声を出すと崩落……」

 駆けつけていったマイルが言葉を呑んだ。
 釣られて俺もそちらを振り向く。
 カメラをアップしてレイチェルの視線の先を追う。

「紅玉髄」
「カーネリアン」

 俺の声がマイルの声と重なった。

 紅玉髄は水晶や血玉髄と同じ種類の鉱物で、
 玉髄の中で網目模様がない亜透明〜半透明の赤橙色を基調色とするものを指す。
 鉱物中に微量に含まれる鉄分の影響で色が変わる。
 加熱すると濃い色になるのが特徴的だ。
 モース高度は6.5から7。比重は2.61。化学式はSiO2。

「レイチェル。君が天使に見えるよ」
「え……天使?」

 レイチェルがまんざらでもない表情でにやにやしている。

「こんなに沢山は必要ないから、少しだけ分けてくれないかい?」
「おお、いいぞ。でもこの石、そんなに綺麗じゃねーぞ」
「磨いて加工すれば綺麗になるんだよ。女性が化粧するのと同じだよ」
「化粧……確かにレスカさんは綺麗……」

 レイチェルが腕組みして複雑な表情を浮かべた。

 節約を生きがいとし、すっぴんを苦としないレイチェルには
 マイルの例えはいまいちだったのかもしれない。

 華やかな花もあれば、素朴な花もある。
 レイチェルは素朴な花といったところだろうか。
 バラの棘のような性格とは別に、顔だけは綺麗な女だった。

「さあ、帰ろうか」
「うん。ジャック、これ、取り出して持って帰るぞ」

 片手サイズの大きな紅玉髄の原石。
 磨いてどんな形にしようかと考える。

 この辺りに宝石の加工場はあっただろうか?
 腕の良いデザイナーが見つかればいいが……

「何にやにやしてんだよ」

 レイチェルが腕組みして上目遣いにそういった。

「……にやにやなんてしてねーよ。ったく」

 紅玉髄の原石を持ち運ぶ。
 マイルは紅玉髄のカケラで十分だったらしく、
 それ以上は必要ないといったので言葉にあまえて全て
 俺とレイチェルのものになった。

「ペンダントか指輪か……ブレスレットもいいな」
「売る」

 レイチェルが夢の無い事をいう。

「レイチェル。冷静に考えろ。宝石だぞ」
「うん。だから高く売れるんだろ」
「これほどのものはなかなか手には入らないぞ」
「だからとっても高く売れるんだろ?」
「……」

 話しても無駄だ。隙を見て加工屋に行こう。

 しばらく歩いていると、
 レイチェルが「ああそういえば」といってマイルに問いかけた。

「何でこの石が欲しかったんだマイル?」
「妹にプレゼントしたかったんだよ」
「何でこの石なんだ? 店で売ってる奴でも良かったんだろ?」
「僕が始めて妹にプレゼントした宝石が、この採掘場で取れたこの石なんだよ」

 それはマイルが12歳の頃の話。
 レスカが街の子供に虐められて帰ってきたことがあった。
 マイルはいじめっ子たちを殴り倒したのだけれど、
 レスカは塞ぎこんで家からでようとしなくなってしまった。
 困ったマイルはこの採掘場のおじさんに頼み込み、
 採掘を手伝う代わりに紅玉髄を少し分けてもらう約束をした。
 苦労して手に入れた紅玉髄を持ち帰り汚れた服のまま妹に渡した。

「なんだその話? 宝石で解決するのかよ?」

 レイチェルが小首を傾げた。

「カーネリアンには勇気という意味があるからね。
 研磨も何もしていないただの原石だというのに
 彼女はそれをとても喜んでね。袋に入れていつも持ち歩いていたよ。
 この石があったから、彼女は家の外に出られるようになったんだと思う」

 またしてもレイチェルが泣いている。
 ずるずると鼻水を啜る音がした。
 服の袖は残念なほどに濡れて皺になっていた。

「仲直りできるといいな」
「ああ、僕にできる事といえば、これくらいしかできないからね」
「勇気出せよマイル! 絶対大丈夫だって!」

 レイチェルがポンとマイルの肩を叩いた。

「ありがとう」

 感情の無い声が洞窟に小さく響く。





 洞窟を出る頃にはすっかりと辺りは暗くなっていた。
 施設に戻った俺たちを老婆が迎えた。

 子供たちは奥の部屋でにぎやかに夕食を摂っている。

「おやまあ、カーネリアンかい。
 懐かしいねえ。無くなった主人が私にくれたペンダントと同じ石だ。
 あれは質に入れてしまったけれど、懐かしいねえ」

 施設の老婆がマイルの持つカーネリアンを懐かしげに眺めた。
 過去を、死んだ主人や、若かりし頃の思い出を
 見ているように心がどこか遠くに行ったような目をしている。

「レスカに渡しておいて欲しいんだ」
「こういう物は直接渡したほうがいいよ」
「それは言わない約束だよ」
「……あの子も悪い子じゃないんだけどねえ」

 老婆がふうと溜め息をつく。

「レイチェル、帰るぞ」
「え、今いいところなのに」
「アンドロイドに空気を読む機能なんてねーよ」
「もうちょっと待てよ」

 老婆がはははと笑った。

「あんたたち面白いねえ。まるで喜劇を見ているみたいだよ」
「……」

 レイチェルが苦い表情を浮かべた。

「レイチェル、ジャック、ありがとう。お陰で欲しい物が手に入ったよ」

 マイルは味気ない挨拶をかわして去っていった。

「不器用な子だよ。あんな事件さえなければ幸せに暮らせていたんだろうに……」

 子供たちが楽しそうに話す声に反応し、
 記憶領域が過去の映像をたどり始めた。

「チッ……」

 見たくもない映像が、声が再生される……

『お兄ちゃん。僕ね大きくなったらお花屋さんになるんだ』
『バーニィ・キャンベルアタック!』
『お母さんにプレゼントする花を探しに行くの手伝ってよ』
『お兄ちゃん。また一緒に遊んでくれるって言ったのに、
 どうして遊んでくれないの? どうして? ねえどうして?
 どうして僕はお外で遊べないの?』

「死ねよ……」

 左手で頭を押さえる。

 削除の指令を出してもプロテクトではじかれ消せない記憶。

 ピート・キャンベルの弟バーニィが語りかけてくる。
 100年も前に死んだはずの子供が記憶領域から消えない。

 そして、まだ6歳にもならない少年の影は微笑みかける。

 息子の不幸を嘆く母親に、そして見守る家族に
 バーニィは優しい笑みを浮かべた。

 不治の病となり、安静を必要とされ、それでも夜な夜な外へ飛び出し、
 『どうして?』と繰り返し問い続けたバーニィが最後に残した言葉。

『僕は幸せだったよ。お外にも行けないし、目はもう見えやしないんだけどね、
 だけどね、だってみんないつも傍にいてくれるんだもん。
 だから、かわいそうなんかじゃないんだよ。僕はとても幸せなんだ。
 幸せか不幸かはママが決める事じゃない。僕が決めることなんだからね。
 だから、悲しまないで。僕はとても幸せなんだよ』

 それが、悩み続け、「どうして」を繰り返した
 バーニィが最後にだした答えだった。

 記憶の中の少年が必死に語りかけてくる。
 老婆に言えと催促する。

 老婆はふうと溜め息をついた。

「あの子がどうしてあんな不幸を背負わないといけないっていうんだい」
「不幸かどうかは、本人が決める事だろう?
 見てみろババア。あれは不幸か?」

 盲目の少女や片足の無い少年は、奥の部屋で楽しげに食事を摂っている。

「……」

 老婆はしばらく子供たちを見つめたあと、ふうと溜め息をついた。

「あの子は、マイルは幸せなのかもしれないね。
 あんたみたいな友達がいてくれるんだから」

 老婆がにこりと微笑んだ。

「それと、今度ババアって言ったら容赦しないからね!」

 拳を振り上げ老婆が冗談交じりにそういった。
 それから、老婆は微笑んだ。

「マイルを頼んだよ」

 それはただの残像なのだろう。
 老婆の笑顔に記憶の中の少年が重なる。

『お兄ちゃん、ありがとう』

 消えない記憶が笑顔を浮かべている。

END

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