< 自己紹介など >
1998年。新たな思いを誓って間もない1月のある日、キリスト新聞より突然の電話が。何と、原稿の依頼。「何故私に?」という気持ちの一方、「これも神様のいたずらかな」と思い、お引き受けすることにした。
「神様のみ旨」というよりも、「神様のいたずら」と思った方がしっくり来る時がある。「あっ、神様はまた私をからかっている・・。じゃあご希望に応えて、一つやってみるか!」と、つい調子に乗ってしまう。
現在私は、青森県南津軽郡浪岡町に住んでいる。りんごや米が町の主要な産物。青森市や弘前市に近いので、あまり孤立感は感じさせない地域だ。パートナーが牧師なので、彼の赴任に伴ってこの地に遣わされて丸6年になる。
現在28歳。
私にとって大切なものは3つある。一つはオルガン。大学時代はオルガンを専攻。卒業後、東北地方を中心に演奏活動の機会が与えられている。一流の演奏家はどうしても東京に集まってしまうが、ローカルでビギナー向けのコンサートもいいなあ、と夢を膨らませている今日この頃。
二つ目は教会。「牧師夫人」と言う言葉には抵抗があるものの、共に生活をしている人が懸命に関わっている事柄について、またその地で静かに逞しく生きている人々について、無理解・無関心ではいられない。そもそも私たち夫婦の関係や生活が成り立たない。
三つ目は学生YMCA。パートタイムのスタッフをしてこの春で4年目。私にとって学Yはとても大切で、教会や音楽だけでは決して学んだり感じたり出来ないものを、たくさん与えてくれる。そして何より、今ゆきづまりつつあるキリスト教界には足りないであろう、「若い人を育てる」という視点が大いにあると信じている。
続く連載でこれらのことについて書かせていただければ、私個人にとってこれ以上の喜びはない。
(「キリスト新聞 〜東西南北〜」原稿より転載)
< 「通信説教」と受洗式 >
私の所属する日基教団浪岡伝道所の竹迫之牧師が、昨年1月より「通信説教」を始めた。これはパソコンの電子メールやFAXを使って、礼拝には集えない友人や知人に、毎週の説教を配信する・・というものである。
きっかけは、私の勤める学生YMCAの「メーリングリスト」(パソコン通信で意見や情報交換をするシステム)に、たまたま彼が説教を流したこと。地方の若い牧師の気まぐれを見逃さず、「毎週送ってくれませんか」と言う声があり、かくして「通信説教」はスタートした。
そして続けること1年。何と読者の中から受洗希望者が現れた! その方は東京在住だが、浪岡への所属を希望。正直、牧師は大変困惑していた。「教会形成とは? 地域の交わりとは?」など、いくつかの批判や指摘の声もあった。
パソコン通信は互いにどんなに離れていようとも、瞬時にメール(手紙)のやり取りが可能である。特に地方で孤立感を覚える教会や牧師が用いれば、今後一つの有力な宣教の力に成りうるだろう。もちろんこれには不安材料もあり、例えば牧師とその方との個人的な関係に陥らぬよう、配慮も必要である。
しかし浪岡伝道所は、遠隔地にある信徒と、パソコン通信などのネットワークを用いながら、新たな教会形成に乗り出すことを決意した。地方でゆきづまりつつあって、存続自体危ういこの教会は、未知なる宣教へ向かって歩みだしたのだ。
私たちにもっと必要なのは、「今この時代に与えられている環境や状況で、何をしたら神様がいちばん喜ぶかな?」と想像する「自由さ」ではないだろうか。イエスがパソコンを使ったら、どんな用い方をするかな? そんな空想に胸を膨らませながら・・。
(「キリスト新聞 〜東西南北〜」原稿より転載)
< 農村伝道とエイリアン >
いわゆる「農村伝道」について、これまで多くの人が語り、また実際「農村」と言われる場で伝道が繰り広げられてきたことと思う。
よく「地域や地方では、土着化することが望ましい」という意見を聞く。しかし本当にそうであろうか? 二十代の私が言うのもおこがましいが、私なりの感覚で言わせてもらえば、私の思いはちょっと違う。
札幌で生まれて9年、その後牧師である父の赴任に伴い、私は宮城県北の人口7千人弱の小さな町へと移り住んだ。
その町で私が味わった思いは、「この町に何年住んでも、きっと私は『よそ者』なんだな」ということ。それは恐らく、現在住んでいる津軽でもそうであろう。私の姓や言葉が、この土地の者ではないことをはっきりと示している。ある牧師は「この地に3代住まないと、土地のものとは認められないんだよ」とぽつりと言っておられた。
私がいくらそれぞれの土地で「土着化しよう、同一化しよう」と思っても、そこにはやはり無理や限界がある。よそから来た人はある意味で、「エイリアン」なのである。
以前は新しい土地に住む度に「ここはくせがあるなあ」と思っていた。でもきっとそれは、どこへ行っても同じだ。
それぞれの土地で大切な文化や風習があることだろう。でも若い人の都市への流出を防ぐためにも、色んな生き方を認めて行ける地域共同体になっていければいいな。
よそ者であるエイリアンを「あの人ちょっと変わっているけどね」とそのままで受け入れてくれる地域になっていければ、素晴らしいな。
それは「よそ者」だけでなく、その地に生きる全ての人々に対しても、多様な生き方や価値観の存在するコミュニティーへの変貌につながっていくだろうから。
(「キリスト新聞 〜東西南北〜」原稿より転載)
< 地方でオルガニストとして >
大人向けの「礼拝」に出席したのは、小学校4年生が最初だった。牧師である父が札幌から宮城県の農村に移り、初めてその礼拝に出た時に、「え、これしかいないの? お父さんかわいそう」と、子どもなりにショックを受け、それからはほぼ毎週出席した記憶がある。
ピアノを習っていたので、そのうちに自然と教会で奏楽をするようになった。私のオルガニストとしての原体験、そしてキリスト者としての原体験は、この地方の小さな教会で味わったものだ。
母と交代で奏楽をしているうちに、いつしか「教会音楽を学びたい。オルガンの勉強をしたい」と願うようになり、神さまの「いたずら」で宮城学院のオルガン科に入学。オルガンについての基本的な演奏技術を身につけることが出来た。卒業後は、演奏活動の機会も与えられている。
現在所属している教会は、礼拝出席が5―6名。「プロのオルガニストがいるのにもったいない」という方もいる。
でも、私はそうは思わない。年に何回かのコンサートホールでの演奏会は、ある意味で気持ちがいいし魅力的だ。しかし毎週の礼拝での奏楽は、ついおごりがちな私の心を謙虚にさせてくれる、大切な「出発点」でもある。
近頃は、近隣の教会の方にオルガンのレッスンをする機会も少しずつ増えているが、小さな教会ほど奏楽者がいなかったり、あまり弾けない方が苦労して奏楽している現状を、本当に痛みに思う。ヒムプレーヤーを購入するにも、そのお金さえない教会が未だ多くあるのだ。
でもいつの日かそのような小さな教会から、喜びに満ちた力強い賛美の声が溢れることを、心から祈ってやまない。そのためにも、「この地で共に生きていきたい」と願おう。
(「キリスト新聞 〜東西南北〜」原稿より転載)
< 通信教会の幻 >
洗礼を受けているのに教会の交わりから遠ざかっている人は、一体どのぐらいいるのだろう。「神は信じている。でも人との交わりで傷ついている」・・そんな人がなんと多いことだろう。
この世で生きていくとは、さまざまな人と出会い関係性を築いていくことだと思う。しかし「人との関係性」故に傷つき、時には病を負っている人は少なくない。礼拝に集い教会に関わることだけが「信仰生活」とは言えないが、その人たちは「集えない」という事実に自ら苦しんでいる。
それらの方々にとって、浪岡伝道所の試みー「通信教会」は、新たな可能性を拓くことになるかもしれない。FAXやパソコン通信を通して説教や教会の情報が定期的に伝わる。そして時には自分も、何らかの応答をする・・。それは、たった1本の細い線。でも、細くてもつながることが可能なのだ!
しかし「電脳・マルチメディア時代の到来」という言葉に躍らされているわけではない。私たちはそれが「新しいから」ではなく、むしろそれらを道具として使うことにより、最も自分たちにふさわしい教会が作れるのでは・・と感じているに過ぎない。
パソコンを用いホームページを作る教会も増えているが、インターネット上で「ここにこんな教会がありますよ」と待っているだけでは、これまでの教会がやってきたことを、電子ネットで繰り返すことにしかならないのではないだろうか。
教会やそれに連なる私たちが、本当に福音を必要としている人々とどう向き合い、どうつながっていくか。それを追求することなしにトレンドに飛びつくだけでは、どんな試みも長続きはしないだろう。
今までにはない自由さと、そして発想の転換が求められている。若いなりに、地方なりに・・そして「私たちの方法」を求めつつ、歩んでいきたい。アーメン。
(キリスト新聞 〜東西南北〜」より転載 最終原稿)
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