主の食卓礼拝 ![]()
1999 2/14 ご飯を食べる礼拝を試みました!!
1999年10月の様子
1999年3月の様子
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大阪淡路教会の報告
浪岡の小さな取り組みが、大阪でも試みられました!
北海道・帯広教会の説教
浪岡の小さな取り組みが、帯広教会の説教で語られました!
「お茶を飲む礼拝」
浪岡伝道所では2月に、深澤 奨さん・深佐和美紀さんご一家(現・佐世保教会、元・神奈川のつきみ野伝道所)をお迎えしました。「奨さんたちが来てくれるのだから、何か新しい礼拝を試みたいね」と言う話になって・・。 奨さんたちは浪岡の礼拝終了後、会津坂下教会に行かなければならなかったのですが、それはPM12:20分の飛行機に乗らなければ間に合わない・・という、強行スケジュールでした! 青森の浪岡と福島の会津は、同じ東北地方と言っても5−6時間はかかるのです。 「う−ん、ご飯を食べる時間がないね」 「子どもが出席してくれるのだから、子どももリラックスできる礼拝がいいね」 (※浪岡のメンバーは、シングルや子どものいない人が多いのです) そうして思いついたのが、何と「礼拝の中で、ご飯を食べよう!」ということでした。これは厳密には「聖餐式」ではないのだけれど、「愛さん式」とでもいうのでしょうか。とにかく計画してみました。 最初は「説教をどっちがしようか?」という話しから始まったんだっけ。 「竹迫のを聞いて欲しい気もするし・・」 「奨さんのも聞きたいし・・」 「じゃあ、2人にしてもらおう!」。 普段の礼拝とは式順も変えてみました。 礼拝の準備を奨さんと美紀さんと竹迫と、4人でいろいろ話して作り上げて行った過程が、とても面白かったです。 いつもの礼拝も、このぐらいわくわくするものに出来たらいいのにね。自己への反省も含めて。 実際行なってみるまでは、すごくドキドキしました。「ほんとにこんなことしても、いいのかな?」と不安になったり・・。 < 当日のプログラム > 前 奏(黙 祷) 招きの言葉 イザヤ書55章10-11 献 金 主の祈り 62 <天にいます私たちの父> 祈 祷 聖書と使信 コリントT 12章 12-26 竹迫 之牧師 聖書と使信 マタイ 9章 35-38 深澤 奨牧師 祈 祷 主の食卓 490 <かみさまに感謝> ☆ 主から与えられた食事と使信を共にわかちあいましょう ☆ 讃美歌 419 <さあ、共に生きよう> アーメン 派遣の言葉 93−6−6 後 奏(黙祷) メッセージはそれぞれ5分強。それを聞いた後に「ご飯を食べながら、皆で感想を言ったり自由に話合い」というイメージだったのですが、1回目の時は初めてだった事、またいつもよりも多くの人(全部で15名)が遠くから来て下さった事もあり(京都や東京から。通信信徒の横山さんの受洗1周年でもあったのです!)、いくぶん緊張気味で自己紹介と簡単な感想・・で終わりました。 2回目を3/21に実施したのですが、その時は大体通常の5人の出席者。人数が少ないのがかえって幸いし(!?)、牧師のメッセージを聞いた後にかなり突っ込んだ話になり(説教への疑問・批判というよりは、聖書やメッセージと自分の生活や立場をからめて)、とても面白かったです。 「グループ・カウンセリング」のような役目を果たしたようにさえ感じ、本当に驚きました。私自身、慰められたり励まされたりしました。 また、一方的に牧師の話しを聞くだけではなく皆で対等に話していると、例えば「真の信仰」と言った時に、その言葉が自分自身のものになっているかなどそう言う部分が見えやすく、お互いに突っ込んで聞いてみたり・・大変興味深かったです。 私は学生YMCAのスタッフをしているのですが、そこで学んでいる「ファシリテート」の必要性も、痛感しました。互いの思いを引き出しつつ・・というのが、大事なんですね。 どうも今までの礼拝は、一方的ではなかったかな? 司会・牧師・奏楽者だけがプロフェッショナルではしょうがない。(しかも私はプロのオルガニスト。ややこしい・・) 個人的に、浪岡が造っていきたい教会形成と礼拝のギャップに、なんだかずっと違和感がありました。 これまで浪岡の礼拝スタイルは、講壇を使わず聖さん卓を囲んで牧師も出席者も同じ高さで礼拝を持っていましたので、ある意味で「ご飯を食べる礼拝」がやりやすい状況ではありました。 気付かないうちに、ゆっくりと積み重ねがされていたのですね。 ご飯を食べてそれぞれが言葉を語るのは、本当に豊かな交わりでした。 「どうして今まで、これをしなかったんだろう?」とさえ思えるほど。 1回目の礼拝の時は、ご飯を食べる前の深澤 奨さんのお祈りが、とっても良かったです! イエスの出来事を想起させるような、そして「礼拝でご飯食べてもいいのかな」という迷いや不安まで取り去ってくれるようなものでした。 「主イエスは差別された者、切り捨てられた者たちと食卓を囲み、また飢えた多くの者たちと僅かな食べ物を豊かに分け合われました。その食卓はどんなに楽しく、慰めと希望に満ちていたことでしょう。今私たちも主イエスの食卓を思い起こし、ともに命の糧に与ろうとしています。どうかこの時をあなたが祝福し、私たちがこれを通していよいよ主に仕え、人に仕え、御国を世にあらわす者となることができますように。」 浪岡は「喫茶店のような教会」が夢だったのに、一気に「食堂のような教会」になってしまった? 今後の課題としては、こういうスタイルに違和感を持つ人が出ないように(レギュラーメンバーの間では丁寧に話し合っていますが、たまに来る人に対して)フォローや学びが大切だな、と思っています。 まだまだ試行錯誤の状態ですが、小さい教会なりの小さな試みを、これからも続けて行きたいです。 「主の食卓礼拝」は、4月と5月にも行ないました。今後も月に1回ぐらいの割合で実施したいと思っています。 ほんとは毎週出来ればいちばんだけれど、今の所はレギュラーメンバーでご飯を作れるのは私だけなので、その辺がネックかな。毎週奏楽とご飯作りはちょっときついかも。 出来る事からゆっくり・・ですね! 1度浪岡で、共に「ご飯を食べる礼拝」してみませんか? お待ちしています! 竹佐古真希 (最終更新日 Tuesday, July 06, 1999 6:30:48 PM) みんなの感想へ |