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運命の連帯
愛と死をみつめて/愛と死の記録

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 バリアフリーの大江戸線では車イスを多く見かけます。じっさいおなじ車両に乗り合わすこともめずらしくなく、ほんとうに便利になったと思います。
 ある年の冬、例によって映画からの帰り――。
 電車が俺の地元の駅に着いて、エレベーターへと向かいましたが、早くも先陣が乗ったあとです。あわててエレベーターボタンに手を伸ばすと、別の手が高い位置のボタンにタッチの差で追い越しました。しかしそれさえ間に合わず、扉を閉じたエレベーターは改札階へ上がっていってしまいました。
「あーあ、間に合わなかった」
 苦笑して見合わせた顔は、色白でぽちゃっとした感じの若い娘さんでした。
 エレベーター前には、また足を止める人の輪ができ、2台目のエレベーターもふくれあがることになりました。
 そのなかで、ふと娘さんの後ろ姿に目が止まりました。アップリケのついた白いあったかそうなセーター。Gパンのお尻や、ぴっちりと張った太腿、かわいい娘さんです。
 「回転して出ますから」と言って俺は最後になり、改札を抜けた次のエレベーターではまたうしろの方になりました。通路には早くも次の順番ができてましたが、「やめよう」と言って階段に歩きだした男性を先頭に、あとにつづく全員はみな若者でした。
 閉まりかけた扉のなかは、また寿司詰め状態でした。そして取り残された一人は、色白ぽっちゃり顔のあの娘さんでした。
 遅れたおかげで、こんどこそは娘さんと2人だけになれたのです。といって、もうお尻も、ほっそりと引き締まった靴下の足首も見ているわけにはいかず、じっと横を向いていました。
 エレベーターのなかで、娘さんが思いがけず口を開きました。
「わたしも身障手帳持ってるんですよ」
「え?」
「もうすぐ、わたしもそういう椅子に乗るの」
 なにを言ってるのかと思いました。
「骨がぐしゃぐしゃになる病気で、ほんとうは、もう車イスに乗るようお医者さんに言われてるんだけど……」ふと見せた横顔がさびしそうな。しかし、
「まだね、こうやって歩いていたいから」
 立ち直るようにあっけらかんと言われ、どう反応すべきか俺は分からなくなっていました。
 エレベーターの扉が開きました。
「近いの?」
「ええ、すぐです」
 そうして「お大事に」と言われましたので、「じゃあ」とだけ言って別れました。
 娘さんはことばどおり、次の角を曲がって去っていきました。

 「軟骨肉腫」という病名を知ったのも、ある映画からです。
 
『愛と死をみつめて』(1964年日活、斎藤武市監督)は、「難病純愛映画」の走りではないかと思われるような作品でした。軟骨肉腫という不治の病にかかった女性と、彼女を励ましつつ彼女への愛をはぐくんでいく男性bbまさに純愛物語の典型としかいえない主役2人を、日活青春路線の看板スター、吉永小百合と浜田光夫が演じていました。
 高野誠と小島道子のなれそめは、高野が浪人中、阪大病院に入院したことによります。2人は会ってすぐ親しくなり、互いにミコとマコの愛称で呼び合い恋に落ちる。知的で勝ち気で健康美を発散する道子。だが、進行性の難病「軟骨肉腫」の病魔は刻々道子をむしばむ。アルバイトで苦学する高野は、それでも時間をやりくりしては病院を訪ね、道子を励ます。高野のやさしさに支えられ、道子は病気への不安をはねかえして明るく生きます。しかし、ある手術を前に道子は、高野に突然別れの手紙を送りつけるのです。愕然として病院に駆けつける高野を前に、道子は号泣するだけです。手術は病気の進行を阻止するため、どうしても必要なのですが、それによって顔半分つぶれるというのです。しかし高野は「顔の半分くらいなんだ」と、変わらぬ愛を誓って道子を手術へと踏み切らせます
(画像は在りし日の大島みち子さん)
 ベストセラーにもなった大島みち子と河野実の往復書簡集を元に、八木保太郎が脚色しています。映画と実話のギャップを、映画評論家・田山力哉が、「友人・八木」のことばとして、著書『わが体験的日本娯楽映画史 戦後編』のなかで、こう記しています。
[あの病気というのは悲惨なもんだよ。
 いろいろ取材して聞いてみると、実際はもう娘のことを、家も見放し、病院もあきらめて放ってあったっていうんだよ。義憤を感じたよ、ありゃあ。病院へ行ってどういう病気かって聞いても、説明できないんだ。
 あの娘と同じ病気のひとを、俺が医者に化けて病床まで見に行ったら、もう顔なんか融けちまってありゃしない。]

 女優・吉永小百合はサユリストと称する熱狂的ファンも多く、それは一般人にとどまらず、タモリや野坂昭如といった一流芸能人や作家にまで及んでいます。テレビ演出家の和田勉などは「『小百合』という名前を芸能界の永久欠番にしろ」と言ってるくらいです。
 ところが吉永小百合ほど、ことほどさように作品に恵まれない人もありません。そのなかで評価できる主演作は、この2年前に作られた『キューポラのある街』以外、数えるしかないといっても言い過ぎではないと思います。
 『愛と死をみつめて』は記録的ヒットをとげたが、じつは大空真弓が道子役を演じたドラマ版(橋田壽賀子脚本)の方が先(映画は9月公開、テレビは4月12日初回)。しかも、これをかけた日曜劇場では通常1回1時間(CM抜き正味約45分)を異例の前・後篇に分けての放送とするほどの熱の入れようでした。歌は「マコ、甘えてばかりでごめんね」の歌詞ではじまる、青山和子のテレビ版のほうが有名ですが、吉永小百合が歌う映画主題歌もなかなかなものです。
 「愛とは、運命の連帯感である」とは、映画監督・熊井啓のことばです。『愛と死をみつめて』は、熊井のことばの意味をも考え、「愛とは殉ずるもの」という真実を俺に教え、人を愛するときには努力目標にする映画であるはずでした。
 しかし実在の河野実は、みち子が死ぬと他の女性と結婚、山口百恵、三浦友和主演で再映画化の話もあったようですが、拒絶したとのことです。はぐらかされたような、裏切られたような思いととともに、映画もただの幻想と化してしまったのです。

 『愛と死をみつめて』公開からまる2年後の9月bb。おなじ吉永小百合主演で
『愛と死の記録』(1966年日活、蔵原惟繕監督)が公開されました。共演は渡哲也です。
 レコード店に勤める20歳の和江は、偶然知り合った4歳年上の青年・幸雄と親しくなります。幸雄は印刷会社に勤めていますが、腕のいい写真製版技師でもあり、だれからも一目置かれている存在です。2人は会うたびごとに親しくなり、ついには恋におちいりますが、ある日幸雄は会社で体調をくずします。彼は4歳のときに原爆で被爆し、いつ発病してもおかしくない体だったのです。
 こんどの映画の舞台は敗戦から20年後の広島です。幸雄が原爆被爆者、和江が健康者という点では前作『愛と死をみつめて』とは逆の設定ですが、映画それ自体はこちらのほうがぐっと地味です。「風がやきもち焼いとるんよ」という、吉永小百合の甘いセリフもある前半は、青春メロドラマの常道を行く展開ですが、幸雄がふたたび発病して、入院という後半からは凄みを増します。
 足しげく幸雄の見舞いに通う和江に、家族は「被爆者の男などやめとけ」とつれなく当たります。そして、一途な愛をつらぬこうとする和江に、「放射能障害をどう見ている、カタワな子ができたらどうする」と懇々とさとしたりもする。というのも、和江には見合いの話が舞い込んでいたのです。全快祈願の千羽鶴を折りつつ、自分の非力を呪い、和江は幸雄の運命に対して自分がどう関わるべきか、真剣に悩みはじめるのでした。
 口や鼻にチューブをつながれての凄絶な闘病生活。和江の必死の看病もむなしく、ある日幸雄は和江に看取られることもなく、病院のベッドで息を引き取ります。そして和江も……。一時は強く生きていく決意をしながら、ある日みずから命を絶つのでした。
 「運命の連帯」という、先の熊井啓のことばを体現した映画が『愛と死の記録』であり、和江の一命を賭した姿だったのです。
 この映画の脚本は、大橋喜一、小林吉男の共同であるという以外なにもわかっておりませんが、実は物語のベースには実話があります。大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』の第7章、「広島へのさまざまな旅」でも、そのエピソードが紹介されています。
 そこに登場する青年も4歳で被爆し、いつ再発するか知れぬ原爆病の不安を抱きつつも、残りの2年を病院のベッドで過ごす「猶予の時とは見なさ」ず、「敢然として、人間らしく生活し、社会的存在たることを希望」して印刷会社で働いたのです。精一杯生きて、そして死んだのです。
 一方、20歳の恋人は楽器店に働いており、青年が死んだのち、青年の婚約者として原爆病院の主治医を訪ねました。医師や看護婦たちに礼を言ったあと、楽器店に勤める娘らしく、レコード棚やバイオリンのケースと並んで置いてある、一対の陶製のシカを土産に置いて行き、翌朝、睡眠薬自殺体として発見されたのでした。
 『愛と死の記録』のような映画を語るとき、人はよく「この手の作品はえてして反戦、反核ものに走ってしまいがち」とカッコつきで論じますが、反戦、反核を叫んでどこが悪いのでしょう。冷戦崩壊後、反戦、反核、反軍は死語のように見られますが、核の脅威は去ったわけではなく、民族紛争、大国のエゴはさらにおぞましい愚行を繰り返しています。いまこの時期、ふたたび核が使われないと誰が断言できるでしょう。
 幸雄も和江も、まぎれもなく核に殺された戦争被害者といえます。その実話を踏まえ、大江健三郎は私憤、義憤のなかからこうも書いています。
[死んだ青年が被爆したのはかれが4歳の時だった。かれは戦争に責任がなかったばかりか、原爆による、まさに理不尽な不意の襲撃を理解することすらできなかったであろう。その幼児が、20年後に、みずからの肉体において国家の責任をひきうけたのであった。(中略)
 しかし、自殺した婚約者は、いかにも象徴的な年齢、二十歳で、まさに戦後の子だった。それでいて、彼女は、みずからの意志において、この被爆した青年の運命に参加し、青年の死後、まさに彼女が青年にたいしてとりうる全責任をはたしたのである。]

 今回紹介した2つの映画を障害者運動的視点でみるとき、ある一つの真理に到達します。
 これも脳性マヒ者協会、青い芝の会の人たちの口から出たことばと記憶しますが、「健常者を信じるな。彼らは障害者から逃げることはできるが、障害者は身に負った障害からは逃げることはできない」と。
 「愛」と「死」は、ときに対義語となり、またあるときは同義語にもなります。いずれにせよ、真実の愛をつらぬくということは、厳しい、過酷な道を通らねばならないということです。

「愛と死をみつめて」いろいろ

沖縄で……
とある映画会でのチラシですが、この程度のタイトル違いはご愛敬とゆるせるか

 映画とおなじ年、というか映画に先駆け、TBS「日曜劇場」で前・後篇と分けて放映されたドラマ版(橋田壽賀子脚本)
 画像は大空真弓のミコを見舞う山本学のマコ
 青山和子の主題曲も大ヒットし、レコード大賞まで取った
 広末・草ナギ共演の2006年日本版ドラマ

 2003年韓国版でこんなのもある
 ただし、ヒロインの病気は末期の胃がんとのこと

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