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(2) 保健室__前篇



淫 夢


 ぴぃぽぉ、ぴぃぽぉ……サイレン音で目を開けると、救急車のなかだった。
(え……またなの?)
 無意識に身体が反応して身を起こそうとするが、手も足もなにかで張りつけられている感じがして、どうにも動けない。
「静かにしないかっ!」
「騒ぐと痛い目を見せるぞ」
 大きなマスクで顔を隠した男がふたり、上からぎろっと見降ろし、脅しつける。
(なんなの? これって……)
 とっさに浮かんだのは、腎臓の不調を起こして倒れる前夜に読んだSM小説、「処刑室への招待」のストーリーだった。
(あれは、奥さんに隠れて浮気しているダンナさんが、医者とぐるになってじゃまになった奥さんを精神病院に入れてしまう話だった)
 近所への買い物途中で倒れた美しい人妻の前に、どこからともなく救急車がかけつけ、人里離れた怪しげな病院へと搬送するが、実はそこは悪徳医師が経営する精神病院だった。
「これからおまえを、いいところに連れていってやるからな」
「そこで、たっぷりとかわいがられるのだ。楽しみにしてるんだな」
と、これは小説ではなく、そのときの救急車内で美鈴の身に降りかかったことばだ。
(わたしも、あの奥さんのように……)
 急停車して車のドアが勢いよく開き、美鈴を乗せた担架はすべり落ちるようにしてストレッチャーに載せられ、そのままどこへともなく運ばれていった。
 見上げる暗い天井がびゅんびゅん走り過ぎる。
(わたしはどうなるんだろう……)
 人妻は着いたその夜から、医療に名を借りたさまざまな虐待行為を受けることになるが、処置室に着く早々、不安におののく人妻に向かって医者はこう言ったものだ。
「おそらく軽い〈うつ〉の症状でしょうが、どんな深刻な病気にかかっているかわかりません。くわしく検査します。わたしたちに任せて大船に乗った気でいなさい」
 そのことばに、とりあえずは患者である人妻は安心し、ストレッチャーが手術室のような部屋に入っていくときも、一心に自分をなだめていたのだった。
 ところが一転、2人の看護婦に左右からはさまれ、衣服を脱がされ、下着まではぎ取られる段になってはじめて狼狽する。
「なにをするんですか? ただの検査ではないんですか?」
「正確に調べるためには、衣服は邪魔なんです。静かにしなさいっ」
「こんな検査ってないわよっ。やめてっ。お願いですから、もう家に帰してっ。わたしはどこも悪くないんですからっ……」
 そうした抵抗もむなしく、全裸にされていく場面を頭に描きながら、美鈴はドキドキしながら、なおつづきをむさぼり読んだものだった。
 全裸に剥かれて手術台に縛りつけられた人妻におこなわれる、おぞましき医療拷問の数々。それは淫らな検査漬けにはじまり、苦痛を目的とした針治療、興味本位の電気ショックや疑似解剖実験等々……。
 廊下の薄暗い一角に、「処置室」という看板が見えた。その扉がきしみ音を立てて開かれ、美鈴はストレッチャーごとそのなかに吸い込まれていった。
(なにこれ! これって、あのときとおんなじじゃないっ!?)
 そう思ったのもつかの間で、つぎの瞬間には「ぱあーっ!」と天井から、まばゆいばかりの光のシャワーが降り注がれた。
 マスクで顔を隠した看護婦か医者か分からない者らに抱きかかえられ、手術台のような解剖台のようなテーブルに乗せられた。そして、身体にかけられていた毛布を一気にはぎ取られた。
「きゃっ!」
 下は全裸だった。美鈴の大弱点である胸は男子みたいな扁平さをさらし、爪先が上を向いた両足はおおきく左右に開かれ、その中心に凌辱者たちの目が注がれている。
「とうぜん処女なんだろうな」
「ゆっくりと時間をかけて引き裂いてやる」
 ぎゅっ、ぎゅぎゅっと、手首足首が締めつけられ、テーブルの四隅方向に引かれ、ぴーんといっぱい突っぱらかされた。
 きいーんと、歯が浮くような電子音のあと、目の前で「ぱちっ」「ばちばちっ」とスパークが飛び散った。
(夢だわ。夢にちがいない!)
 美鈴はそう確信したが、怖いと思う反面どきどきするものも感じた。おおいなる不安感、恐怖感のなかにも、ぞくぞくする期待感がこみ上げる不思議な感情――。
(いいわ、このままで……夢よ、醒めないで)
 美鈴は必死に暗示をかけた。すると、一瞬遠のいた浮遊感がまたもとにもどり、場面はさっきにつづいて現われた。
 電極が美鈴のこめかみに当てられた。
「スイッチ――」
 事務的な声が響きわたり、夢のなかの美鈴が目を大きく見開いた。
「オン!」で、電流が流される。
「ぎゃっ、ぎゃあああっ!」
 強烈な電撃を頭に受け、手術台に縛りつけられた美鈴の裸の全身ががくがくと激しく痙攣する。四肢の筋肉がびくびくと浮き立ち、絶叫を繰り返しながら、美鈴は泡を噴いて苦悶した。
 2度、3度、こめかみへの電気ショックがくりかえされ、精も根も尽きはてたようになった。はあ、はあと、肩で息をしていたが、医療拷問はさらに続行する。
「よし、つぎっ!」
 男の声で、腰が浮かされた。
「あーっ!」
 その瞬間、尿道に痛みが走った。それもリアルな痛みで、この痛みだけは耐えがたかった。ただしかし、痛みのつぎには、身体の中心を異様な異物感が快感をともなって突き抜けていく。
 その直後、「びりびりびりっ」と全身に電気が走り、美鈴は悲鳴をあげてのたうちまわった。
 ぎゃあうーっ、うがああーっ……!!
 ケダモノじみた悲鳴をあげつつ、美鈴はそのときワラにもすがる思いであこがれの友だちの名を呼んでいた。
 さ、き、ちゃ……早紀ちゃーん……! と。そして、その顔がすこしずつすこしずつはっきりしだしたとき、美鈴は現実の世界から引きもどされるところだった。




訪 問


「み、す、ず……みすずぅ……美鈴っ!」
 身体を揺すられ、はっと目覚めたとき、すぐそばに母泰子の顔があった。
「先生が、わざわざ見舞いに見えられたわよ」
「福原先生が?」
「ううん、そうじゃないのよ」
 泰子が振り返ったとき、美鈴の勉強部屋兼寝室にジャスミンのかぐわしい香りとともに保健室の先生、川村みどりが入ってきた。
「こんにちわ」
 にっこりと微笑んで母とならんだとき、美鈴はあまりに場ちがいな感じで恥ずかしくなった。
「先生はね、ご近所に寄ったついでに、わざわざおまえのことを気にかけてくださって……」
「わざわざだなんて。美鈴さんは本校の生徒ですし、いまはご病気の身、養護教員として気にかけるのはとうぜんの務めですから」
「まあまあ、そんなごていねいに……」
 美鈴は早くもいらついてかんしゃくを起こし、「お母さん、もういいから、下へ降りてって」と追い出してしまった。
 みどりは泰子がだしていった椅子にすわって、ベッドの美鈴と対面した。
「気分はどう?」
「もう、すっかり」
「きょうは、ようすを見にきたのよ」
「はい」
「横になって。診察してあげるから」
「え?」
「医者の資格はなくても、川村大介の血を引く娘よ。あなたの診察くらいできるわ。さ、横になって横になって」
 みどりの勢いに追しまくられ、そのとおりにすることにした。毛布をはらいのけると、パジャマの姿で横になった。
「お腹を見たいので、ちょっとがまんしてね」
 みどりが、パジャマのパンツに手をかけた瞬間、美鈴は「ハッ」となって身がまえた。
「どうしたの?」
 不審の目を向けつつ、みどりの手は美鈴の手をぎゅっと握って、どけさせた。そしてパジャマを下着ごと降ろされた。
「!」
 美鈴は動転した。だいじな部分をかくしていた衣類は、腿の中間くらいまでも降ろされていた。おろおろしてなにか言い返そうとしたとき叱責が飛んだ。
「だめっ。いいからそのまま、気持ちを安らかに天井だけを見ていなさい。そうしないと正しい診察ができないから……」
 激しい怒気をふくんだことばの調子に美鈴は息を呑んだ。保健室の世話になったことなどついぞなかったし、たまに廊下ですれちがう先生からは、いまみたいな怖い印象はみじんも感じられなかったのに、と。
「じゃあ、診察するわね」
 うって変わったやさしいことばのあと、みどりの手が、じんわりと腹にかかって触診をはじめた。それもゆっくりと時間をかけ、バカにていねいに診察している。
 その間に、美鈴は恥ずかしさでいっぱいだった。
(見られてる。イヤらしい夢でたっぷり濡れた〈あそこ〉を、川村先生の目でしげしげと見られているんだわ!)
 美鈴は顔から火がでるようだった。
「美鈴ちゃん」
 いきなり名前を呼ばれてぎくっとした。
「え?」
 顔を天井に向けたまま、臆病に返事する。
「美鈴ちゃん、寝ていたんだっけ?」
「え? ええ」
 答えながら胸はどきどきしている。
「なにか、夢、見たぁ?」
 妙に語尾を伸ばした訊き方に、美鈴はなんと応えていいかわからなくなり、どぎまぎした。
「夢、そんなものは……」
「なんか、とっても愉しい夢見てたんじゃないの? 先生も参加させてもらいたかったな」
 この先生はなにを言っているのかと思った。その瞬間頭のなかでは、夢にでた怪しげな人物群のひとりが川村先生になり、マスクの上の瞳をぎらつかせながらかってに動きだしていた。
 お腹をさすっていた手がすっとはなれたと思うや、つぎにはパジャマと下着がセットで、またすこしずり下げられたのを感じた。そして、
「ふふふふふ……くっくくくくく………」
 みどりの不気味な笑いがまっ白になった頭でがんがん響きわたり、胸のドキドキは頂点に達し、不整脈が高じて発作を起こしそうな錯覚にとらわれた。
「診察終わりっ」
 凛とした声で吾に返ったとき、パジャマのパンツが下着ごともとの位置に上げられ、川村先生がすっと椅子から立ち上がった。
「……」
 美鈴はみどりの顔をまじまじと見つめながらベッドから身を起こした。
「またひと月後に――こんどは保健室で」
 そう言い置いてでていく後ろ姿を見送り、美鈴の動悸は、それからしばらく鎮まるようすがなかった。




早紀が住む町


 バスに揺られながら、美鈴はN町に向かっていた。
 もうすぐ早紀ちゃんに会える――そう思うと心の底からうきうきして、思わず笑みさえこぼれてしまう。向かいの席にすわる母娘が、美鈴を見てくすくす笑っていた。
 さそってくれたのは早紀だった。
 腎臓の検査入院で一夜を明かした県立病院のベッドでのことである。
「退院おめでとう!」
 大きな声で起こされた。
 眼を開けて見ると早紀ちゃんだった。びっくりして起きあがった。
「どうして……?」
「どうしてってことないでしょ。お見舞いにきたら、もう退院だっていうから」
 かたわらで看護婦さんがくすくす笑っていた。
「じゃ、体温測っておいてね」と、床頭台に検温器をおいてでていった。
「早紀ちゃんが……」と、おもわず感動しかけたが、これは早のみこみだった。
「それは、ちょっとウソかなぁ。見舞いにきたかったのはウソじゃないけど、わたしもこの病院にくる用あったから……」
「え?」
「お母さんの診察についてきたの」
「あ!」と思った。ここは早紀のかかりつけ病院でもあったのだ。自分のことばかりに夢中になって、そんなことにも気づかずにいた。
 早紀が見舞客用の椅子を取ってきて、前にすわった。
 早紀と目の高さがおなじくらいになって向かい合った。すべらかな、きれいな白い肌の清楚なおもだち。こんなに近くで早紀ちゃんを見るのははじめてだと、美鈴はどきどきした。
「声かけるの気がひけたんだけど、もう朝からだいぶ寝てるはずだから起こしてあげなさいって看護婦さん言うから……。落合さん、ゆうべはあんまり眠れなかったんだって?」
「うん」
「どうしたの? 初めての入院で、それも検査漬けにあってるなら、疲れて熟睡するはずなのに……」
「なんだかね、いろいろ頭のなかで思いだされて」と言いかけ、あわてて首を振った。
「わたし、ほかで寝たことないから」
「そっかぁ」と、早紀は軽く笑った。
 SM雑誌の場面がつぎつぎあらわれ、妄想で混乱したなんていえっこない。大部屋ならこんなことはなかったろうと、ふだんから世間体やていさいを気にして、そのせいだろう個室を希望した母を恨んだ。
「じゃ、母が待ってるから」
 早紀は、思い出したように、さっと立った。
「もう行っちゃうの?」
 急に情けないほどさびしくなった。
「また学校で会えるでしょ」
「星川さんと2人きりで、もっと話したいのに」
「じゃ、こんどうちにこない?」
 そういって誘われたのだ。
 その週末の土曜日がこの日であった。
 到着を知らせる車内アナウンスがながれて、美鈴はバスを降りた。
 N町3丁目通りの標識を確認しながら、母にウソをついてでてきたことに多少の後ろめたさを感じた。
 チリリン、とベルを鳴らしてすごいいきおいで目の前を通りすぎると思ったら、新聞配達の自転車だった。もう夕刊が配られる時間なのかと、思わず腕時計に目を落とした。
 屋台のラーメン屋のチャルメラの音が聞こえたり、廃品回収車のテープ録音の音声がながれたりして、なんとも雑多な雰囲気がただよう町だった。美鈴のいる界隈とは大ちがいだ。
「こんにちわー」
 いきなり声をかけられ、びくっとしてふりかえった。
 立ち話している2人連れの主婦から声をかけられたのだとわかり、にこやかにあいさつし返したが、そういえばさっきの「こんにちわ」は、「コニチワ」だった感じもする。
 もういちど見返したとき、声をかけてくれたほうの顔が、どことなく日本人とはちがって見えた。
 腰のポーチに手をまわして、クラスの仲良し、梶山拓也から書いてもらった地図をひろげたが、それをたしかめるまでもなかった。
「落合さーん」
 背後からの声に振り向くと、早紀だった。美鈴は手を振ってあいさつしてそちらにもどりかけるが、「いいのいいの」と言いながら手を横に振って駆けだし、すぐに追いついた。
 ふたりならんで早紀の母親の待つ家に向かったが、早紀の手には野菜やなにかを詰め込んだ買い物袋が重そうに下げられてあった。
「たいしたものできないけど、ご飯食べていってね」
 美鈴はそのとき、幸福感でいっぱいだった。
 その日の早紀はタンクトップに短パンという活発ないでたちで、腿まで細く見える白い美脚を惜しげもなくさらしていた。一瞬そこに目がいくが、あわてて目をそらした。
「夕刊、早いのね、このあたりは……」
「え?」
 照れかくしに、変なこと訊いたかなと思って、つい、あらぬほうを向いてしまう美鈴だった。




母と娘


 バス停から歩いて10分ほどのところの角地に、早紀の住むアパートがあった。1階にある部屋もアパートの角にあたり、2辺の窓が南と東に面し1階にしてはずいぶんと日当たりにめぐまれていた。
 むかえてくれた母親の良子は、早紀によく似た色白美人だった。
「いらっしゃい。お母さん、なにもいわず出してくれたの?」
「え、ええ。いつものことですから」
 軽く答えたものの、母には外泊も公認の仲良し女の子の家に行くといつわってきた。この町に偏見のある泰子に正直言おうものなら、トイレに閉じこめられ、外から釘を打ちつけられかねない。
「あー」と、ちゃぶ台の一輪挿しに飾られた濃い紫の花に歓声をあげ座りこみ、もっとよく見ようと羽のように裂けて広がる葉っぱの縁をつまんで、棘に触れた。
「いたっ」
「あ、その花は気をつけなければ」
 良子がお菓子を盛った盆を出しながら、説明した。
「アザミの花よ。美鈴さん、知らなかった? アパートの前の道に咲いてたのを摘んでおいたの」
「これが、アザミかあ」
 そういえば、きれいな紫の花びらもとげとげしく毛羽立って見える。美鈴が、こんどは用心して手に取った。
 買い物袋をあずけながら、早紀の顔は心臓病の母を気づかう。
「だいじょうぶ? 料理なんかして」
「みっともないこといわないの。いつも、なにもしてないみたいじゃない」
「だって今朝、ぐあい悪いって言ってたから……」
「美鈴ちゃんの顔見たとたん元気でたわ。だいじょうぶよ、この調子なら」
 割烹着の上から腰をたたき、明るい顔ではりきった。
「いいなあ。仲良さそうで」
「美鈴さんとこは仲悪いの」
 早紀のあまりに不思議そうな顔を見て、うっかりお母さんの疑問にも答えかけたが家庭の話題に触れるのはやめにした。おなじ一人っ子家庭でも、こことは親子の絆の質がちがいすぎるという卑下もあったし、逆に早紀たちへは、母子家庭やなにかということで失礼なことを言いかねないと用心したからだ。
「生まれてはじめての入院生活だったのよね」
 早紀が冷蔵庫から缶ジュースを1本ずつ両手に持ち、扉をお尻で勢いよく閉めた。それを見た美鈴が口をあんぐり開けておどろいた。
「え? なあに?」
 こんどもまたオーバーなほど不思議そうな顔をする。
「だって、星川さんってそんなことする人だなんて思わなかったから……」
「そんなー。学校では猫かぶってんのよ。わたしがそんなわけないでしょ」
 けろっとして言ったあと、
「早紀でいいよ」
「え?」
「学校じゃないんだから、苗字じゃなく名前で呼ぼうよ。ね、美鈴さん」
「じゃ、早紀、さん」
「さん、じゃ呼びにくいか。そうだ、ちゃんづけがいい。わたしもそうするね、美鈴ちゃん」
 そう言って、ちゃぶ台に置いた手を握られ、美鈴はカミナリにでも打たれたようになった。
「はい」と一言、まるで恋人にでも握られたように、しおらしくうなずく美鈴だった。
 それからあとは、早紀がたくみにリードして会話を引きだした。早紀に乗せられ、美鈴は検査入院した日の印象、先生も看護婦も大きなマスクをかけて不気味だったことを、あのときの恐怖心をよみがえらせて夢中にしゃべりまくった。
「ね、おかしいでしょ? 断然おかしいよ、あの病院」
「!」
 だまって話を聞いていた早紀の目がまんまるになり、それから美鈴を凝視し、やがて、どうにもこらえきれないといったようすで、ちゃぶ台の下に伸ばした足をばたばたさせて笑い転げた。
「あの病院の泌尿器科はね、先生も看護婦さんも花粉症で、みんなマスクを放せない人たちなのよ」
「えーっ!?」
 わけを聞けばなんのことはないと、すっかり拍子抜けした。
「そんなんで怖がるなんて、美鈴さんの臆病も、そうとうだわ」
「でも、笑いすぎだよ」
 そうやってまた、学校ではついぞ目にすることのなかった早紀の快活ぶりにも触れ、憧れの級友のあたらしい一面をどんどん発見する美鈴だった。
「検査入院、よく1泊だけですんだね」
「中間試験やなにかを理由にゴネたら、川村先生が乗り出してくれてね」
「え? 川村先生……」
 早紀の顔に一瞬、暗い陰が射した。そして、
「わたし、あの先生きらい!」
 ぴしゃりと言い切った。
 食事の用意ができ、夕ごはんを食べながら早紀の母、良子も会話にくわわったが、美鈴は早紀が川村先生にいだく悪感情の原因が気になり、自然とことば少なになっていた。
 川村みどりの父川村大介は、地元では評判の産婦人科医院を経営する町医者の院長で、そればかりか市がおこなう福祉事業への貢献度も高く、地元の名士としてもてはやされていた。だが1年ほど前からアルツハイマー症になり、評判の医院も閉鎖された。一人娘のみどりが医院を継がず医師にもならず、独身で養護教員の職をつづけていたからだ。
 したがって医師として美鈴の体調を調べたり診察したりする資格は持たないが、親しい友人に町医者の内科医がいて、検査入院することなく定期的に診断してもらえる便宜をはかってくれたのだ。それほど親切な先生を嫌うというのは、やはり数日前先生が見せた“異常な行為”に関し、誰も知らない先生の裏の顔を早紀が知っているということか。
 そんなことを考えているところへ電話が鳴り、良子が早紀を制して自分で立って行った。
「美鈴さん、急におとなしくなっちゃって……」
「え? そうかなあ」
「そうよ」
 軽くふくれっ面をしたとき、その早紀に良子が取り次いだ。
「田宮先生、あなたにって」
「先生が? なんだろう」
 早紀が「田宮先生」の電話にでるため美鈴のもとを離れた。とっさに美鈴は、病院のベッドから見た、40年輩の男性医師の姿を思い浮かべた。
 夢中で話していて早紀は気づかなかったが、廊下を通りかかったその先生は、一時早紀のようすをじっと立ち止まって見ていたのだ。なぜだか、美鈴はその目にいやらしいものを感じ、早紀が汚されているような気がして、いたたまれない思いをしたほどだ。
「わたしの主治医なのよ。いい先生で、早紀とも仲良しで……」
 良子が説明する「仲良し」ということばが、とてもいい意味には取れなかった。
(早紀ちゃんだって……)
 そのとき美鈴は、自分の心に湧きあがる強烈な嫉妬心を冷静に判断も制御もできず、受話器を握ってにこにこ受け答えする早紀に腹を立てていた。
 ただ、そんな気持ちになるのはつまらないこととすぐに思いなおし、早紀が電話からもどってからは、もう川村先生のことも田宮先生のことも頭から追い出し、早紀との会話に夢中になった。
 そうして楽しい時間はまたたくまに過ぎ、気がつけば帰りのバス停に向かって2人ならんで歩いていた。
「コニチワ、マタ、アッタネ」
「あ、どうも。これから帰るとこです」
「マタ、キテネ」
「はーい、また来ます」
 ここに着いた最初に会った、かたことの日本語の主婦とも、もう顔なじみになれたことを、美鈴はしあわせな気持ちで受け入れることができた。
「ほんとに、また来ていい?」
「もちろんよ」
 にっこりする早紀の顔が、またひときわまぶしく見えた。
「ね、わたしたち、いいお友だちだよね」
「決まってるわよ」
 美鈴が差し出した手の平を、早紀は男の子がするように勢いよく打ち返してくれた。
 町はもうすっかり暮れなずんでいたが、美鈴の心は晴れわたった朝のように輝いていた。




標 的


 その夜、山中正夫は市内の安ホテルで、なじみの女を抱いていた。
 ふた汗かいてシャワーを浴び、タバコをふかして小休止したものの、すぐまたせがまれて身体を合わせ、これが3度目だった。
「あっ、ああっ、くうーっ!」
 固くシーツを握りしめ、喜悦の声を発してのけぞる裸身は早くもしっとりと汗ばみ、女の恍惚はこれ以上ないほどはっきり見てとれる。
 山中の腰の動きが速くなる。それにつれて反応する女の声も、断続的に早くなる。激しく抽送をくり返す自分の分身が、女の締めつけをきつく感じる。近い。腰の動きが、おのずとまた速くなる。
「あっ、ああっ、いくっ、いくいくっ!」
「うっ、うっ、うっ、うーっ!」
 最後の一押しで爆発させた。
 2本目のタバコに火をつけたとき、身体を反転させた女がしなだれかかってきた。
「おいおい。そんなに若くはないんだぜ」
「そうじゃないのよぉ。わたしもタバコ」
 ねだられ、いま火をつけたのを女の口にくわえさせた。
「良かったわよ」といい、汗が吹いたままの肩にキスしたあと色っぽい目を向けてきた。まだ30にはなっていないはずだが、行為のときの貪欲さは熟女かそれ以上だ。
「おもしろい人だよ、君は」
「え、なにが?」
“パーティー”での今井江利子を思い出そうとするが、どうしても別人に思えてしかたない。いまの彼女が、少女相手にサド行為におよぶときの江利子のイメージとは重ならないのだ。
「もう2年になるのかな」
 茫乎としてふりかえったとき、きっぱりとしたことばで返した。
「ちょうど2年よ」
「そうか。そんなになるのか」
 ということは、例のパーティーをやるようになってからも、それくらい経っているということになる。よくいままで挙げられるようなこともなく済んだものだ。
 江利子は「“守り神”がついている」と言ったが、その守り神が江利子自身だということを山中は知らない。ただ、今井江利子が本名のはずがないということくらいは勘づいていた。
「君にはいったい、いくつの顔があるのかな」
「さあ、いくつかしら」
 はぐらかしておいて、タバコを自分の口から山中の口にもどした。自分用のタバコを取りだし、火をつけるのを、すっかり忘れていたのだ。
 山中の目の前に、買ってきたばかりのSM雑誌7月号がページを開いて置かれる。
「いまやあなたは、押しも押されもしないSMイラスト作家。いつかこうなることを見越してわたしは惚れたのよ」
 この女はこれが怖い。山中は「なぜこんな関係になったのか」それを考え、ともすればそれを口にだすところだった。それに先回りしたいまのことば、なぜそれがわかるのだ、と。
 開いたページには見開きいっぱい、全裸の少女がベッドに縛られ、少し開いた扉の陰から、目を見開いておどろく看護婦の顔がのぞいているといった構図。タイトルは「処刑室にて」だが、クレジット部分のキャッチフレーズ、「異端の残酷絵師・ウルフ山中画」がふるってる。
「ここまでくるには、ずいぶん長かったよ。しかし、まだまだ……。“押しも押されもせぬ”というなら、雑誌の扉絵に使われなくては……」
 山中はそう言って雑誌をいったん閉じ、また表紙からめくりなおした。するとそこに、江戸時代の女囚が半裸で逆さ吊りされた点描画が、「牢問」というタイトルを冠されて描かれていた。
「ムリよ」
 にべもなく否定されたので「むっ」となって見返すと、決してけなしたつもりで言ったのではない江利子は平然とあとをつづけた。
「あなたの世界は、こんな雑誌の編集者が理解できる範疇を超えてマニアックなものなのよ。だから、そんな雑誌のトップを飾るようではダメなの」
 そう言って、また山中のページを開いた。
「これよ。この少女の戦慄の表情。かたわらの器具の数々に目を向けて、迫りくる自分の運命を呪い、おののく表情。こんなリアルな恐怖を、他の誰に描けた?」
「だったらどうすれば……」
「時期をみて、わたしがあなたにうってつけの世界を見つけ、そのときスターダムにのしあげてみせるわ」
 そういってくくくっと笑ったときだけ、鬼畜な妖女、今井江利子にもどった。
「実は……」と、山中は枕元の背広の内ポケットから封筒を取り出した。封筒からは、もう一通封筒がでてきて、その封筒から、ようやく目当ての写真は取りだされた。
「ずいぶんと厳重ね」
「あたりまえだよ。こんなもの、人前で落として見られでもしたら、それこそこの町ではどんな目で見られるかわからないからね」
 山中がシーツの上にならべたのは数枚の盗撮写真だが、それを見た江利子の表情がわずかに動いたのを山中は見のがさなかった。
「K中グラウンドを、背後の公園の茂みからとらえたものだがね――」
 ブルマー姿の女子中学生、それも最高学年とおぼしき子たちが体操をしているところだが、レンズは明らかに特定の一人に向けられていることがわかる。写真を見ながら、「あまりよく撮れてないわね」と感想を洩らし、
「さぞかし、ヤブ蚊で苦労したんでしょうね」
 そのときの山中のようすを想像して、おおいに可笑しがった。
 被写体の中心は5、6人写ったなかでいちばん大人っぽい感じの子で、山中好みのほっそり体型だった。そう思ってよく見ると、雑誌の見開きに描かれている女子に、よく似ている。
「この子、意外に筋肉質でね、責めたらあちこち、ぴくぴく反応することまちがいなしだよ」
「さすがに観察してるわね」
「この子をぜひ、などということはもちろんいわないが、似た子をなんとかならないか。ただ、次の号には間に合わないか……」
 前回のパーティーは、ついこのあいだあったばかりだった。
「『処刑室にて』の続編『処刑執行!』で、どうしても“地獄の苦痛”の表情を、よりリアルに再現したいと思ったんだが……」
「この子はムリ」
 あっさり断定され、とっさに山中は「こいつ、もしやK中の先公か、この女学生を知ってるのか?」と思ったが、いつもの江利子で「わたしの直感よ」ととぼけた顔をした。だが、その目はなぜか怒りに燃えていた。
「ずっとチビの子でも良かったら、ひとり、可能性のあるのがいるんだけどなー」
 にんまりした顔が、また一瞬“鬼畜の江利子”にもどっていた。
(やっぱり、K中の先公だ!)
 山中は確信し、今井江利子の、いや、川村みどりの顔をじっくりと見つめなおした。




保健室


 閑散とした校舎のどこかから、ピアノの音がしていた。はずむような軽快な曲だが、美鈴にその曲名は思いあたらなかった。
 グラウンドから引き返すと、体操着のまま校舎の裏手をはいり、保健室の方角に向かう。
「わたし、川村先生はきらい!」
 暗い表情で、きつい調子で、早紀はなぜああもはっきり「きらい」と言い切ることができたのか。思いつくのはただ一つだが、早紀が自分とおなじ経験をしたとは、どうしても考えられなかった。
 でも、あのこと自体――。
 約1か月前、川村先生が自宅の、しかも自室にまで訪ねて“エッチな診察”をしたのは、ほんとうにあった出来事なのだろうか。病みあがりの不安定な精神状態による妄想が招いた白昼夢としか思えず、あのあとずっと自分の記憶から払拭しようと努めてきた美鈴だった。
 ピアノの音は、ちかづく電気ドリルの音にかき消されていた。激しい機械音に、高鳴る自分の鼓動が重なった。不安な感情にまじり、別の高ぶりが胸の奥で渦巻きはじめている。
 今日はまた、なんで呼ばれたのだろう――。
 もしやという予感はあった。しかし、あのときの再現どころか、もっと直接的で刺激的な体験が待っていようとは、そのときの美鈴には想像もつかないことだった。
 ドリルの音がまぢかに達したとき、扉がなかから開いて川村みどりが顔を見せた。考えごとに気を取られ、いつの間にか保健室まできていたのだ。
 思わずドキンとして、足が金縛りにあったようだった。
 みどりはなかに入るよううながすが、ぐずぐずしているとその手を取り、あっという間に引っ張り込まれた。
 2つあるベッドは入口側がふさがり、深々と毛布をかぶった身体のてっぺんからは、真っ赤な髪の毛がのぞいていた。あんなに派手に染めた子がいたっけかと、ちらっと思いをめぐらせたとき、ちょうどドリルの音が止んだ。
「こっちへお入んなさい」
 うながされるままその方へ足を向け、奥のベッドを間近に見たとき、ザッと音をたてて間仕切りのカーテンが閉じられた。
「いちおう、グラウンドにはでたのね」
 まっ白なジャージスーツのうえから、なにもかも見透かすような目をして訊いた。
「はい。でも準備運動だけして、あとは先生に断ってきました」
 いまごろは全校生徒のほぼ全員、3日後に迫る地区中学体育大会に向け、さいごの練習に励んでいるはずだ。がんばっている出場組には、早紀もいる。
 母親の身を案じ、好成績をとって国体予選となっても地元をはなれることができない。だったら国体を前提にした大会にでるのはムダと欠場のつもりだった。それを「自分の実力を知るためにも」と担任の福原先生に言われ、背中を押されての翻意だった。
「星川さんとちがって、あなたは運動神経にぶそうだから、あんなのに出ることないわよ」
 にべもなく言われ、へこまされた。体操の嫌いなのも事実だから気にしないが、そこまで言うかと、いかな相手が先生でも、ちょっとむかついた。
「じゃ、ベッドにあがって」
「え?」
「また、たのしい診察してあげるのよ。イヤじゃないでしょ?」
「先生、わたしは……」
 口ごたえしようとしたら、前で組んでいた手をぴしゃりとたたかれた。
「いうことをききなさい」
「はい」
 なぜだろう。なぜこんなことに逆らえないのか。自分で自分の気持ちがわからないまま、素直に先生の指示にしたがうしかなかった。
「くつ下、脱ごうね」
 まるで我が子をあやすような口調でくつ下を脱がせ、裸足になった先をつかんで、あちこち向けて遊んだあと、ちょんちょんと突ついたりもする。
「かわいいアンヨ」
 そのあと体温計をわきの下にはさまされ、脈拍をとられ、つぎに問診となった。
「おしっこはちゃんとでてる?」
「はい」
「薬はちゃんと飲んでるわね?」
「ええ」
「頭痛とかめまいとか吐き気を感じることは?」
「頭痛は軽いのがときどき。めまいや吐き気はありません」
 体温も平常どおりだった。
「オーケー。異常なし。ここまではふつうの診察」
 ぽんとお腹をたたいたあと、みどりは口の前に人差し指を立てて、ないしょ話をするときのひそひそ声で言った。
「ここからが別の診察。きもちいい診察よ」
 そう言って色っぽい目をし、素早い動きでシャツの裾を乱暴にめくりあげた。
 美鈴がおどろき、「あっ」と声をあげて抵抗しようとしたとき、またドリルの音がけたたましく響きはじめた。この時間はとなりの職員更衣室の壁をこわし、配線工事をしているところだったのだ。
「だめよ、だめだめ。じっとしてなさいっ!」
 ドリルの音にまぎれ、先生はますます大胆になった。ブラジャーのあいだに両手をすべりこませ、美鈴の弱点の貧乳をわしづかみにして揉みしだく。
「あ、先生っ、どうして、そんな……」
「この前の“診察”のとき、先生も美鈴ちゃんの夢に参加させてって言ったでしょ」
 扁平な胸が、みどりの手のなかで蹂躙されまくった。苦痛と恥ずかしさに美鈴は思わず悲鳴をあげるが、みどりの攻勢はおさまるどころか、かんじんかなめの部分をも狙った。
「さ、こんどはもっといいとこよ」
「いやっ、いやいやっ!」
 胸を離れた右手が下降して、体操着の下のパンティのなかまで滑りこんだ。そして陰毛をかき分け、ラビアを押し分けた指が膣をえぐる。
「いやっ、いたいーっ!」
「しーっ、あんまり大声だすと、廊下に聞こえるわよ」
 それを聞いて、美鈴が飛び上がるほどおどろいた。すぐとなりに寝ている子がいたのをすっかり忘れていた。
「あの子ならぜったいだいじょうぶ」
 川村みどりは自信たっぷりに言い、ひるむことなく膣責めを開始する。
「あうっ、ひっ……いい、あ、あひぃー……」
 みどりにのしかかられ、片方の胸をしっかりつかまれ、抵抗もかなわぬまま弱々しく身悶えするしかなかったが、最初むりやりだったかんじんな部分を責める指が、急に繊細な動きに変わった。
 バリバリバリッ……ドリルの音が響くなか、耳元で猫なで声がささやく。
「美鈴ちゃん、ごめんねえ。先生、美鈴ちゃんがあんまり可愛いいんで、つい夢中になっちゃったぁ」
「あ、いぃ……はぁ……」
 とろけるような愛撫のなかで、抵抗する美鈴の気持ちはたちまち萎えた。
「美鈴ちゃん、もう、濡れてるよ」
「あ……あ、あ……」
「びしょびしょ」
「あ、ああ……」
 なんだろう。恥ずかしい、怖いと思いつつ、ドキドキする快感、それもエキサイティングでサスペンスフルな。オナニーよりずっと気持ちいいエッチに、身も心も溶けていくようだった。
 と――。
「?」
 先生の指が止まった。はっ、誰かが? という不安がよぎったが、みどりは急になにか思い出したといった顔をして美鈴から離れた。
「たいへんたいへん」
「えっ?」
「このかっこうのまんまじゃ、下着が濡れちゃう」
 そう言って呆っ気にとられている美鈴にかまわず、ジャージのズボンを下着ごと下ろしにかかる。
「あ、そんな。先生、やめてください」
「じっとしてと言ったでしょっ」
 メッと睨んで下半身裸にし、つぎにはジャージの上も脱がせ、残るブラジャーも取って丸裸にされた。
 胸を押さえてがたがた震えている美鈴の手を、みどりの手がどけさせる。
「可愛いい、か・ら・だ……」
 実験動物を見る眼で下までながめていったあと、またのしかかってきて耳元で妖しくささやいた。
「〈解剖〉、しちゃおっかな」
 その瞬間がーんと、後ろ頭を殴られた気がした。
(かいぼう、カイボウ……)
 いつかなにかで聞いたことば、「解剖」。そうだ、不良女子学生に虐められたこともある梶山拓也が、イジメの特異なケースのひとつとしてあげた“解剖ゲーム”――拓也はその内容は知らないととぼけたが、反射的にひらめいたのがそのことだった。




眩 惑


 バリバリバリッ……ドリルの音がずっとつづいていたが、それがまた、ふっと絶えた。
 白衣のポッケから出されたみどりの手には包帯が握られており、それを持ったまま頭のほうに回った。
「なにをするんですか?」
「縛るのよ」
「いやっ、ぜったいにいやっ」
「だったら、じっとしてるって約束する?」
「約束します約束します」
 みどりがにこっと笑い、包帯を白衣のポケットにしまった。
「そうよね。こんな遊び、誰にも見られたくないもんね。先生も見せたくないわ」
 そう言ったあと、いきなり両手を引っ張られ、寝たままバンザイの姿勢を取らされた。そのあと下にまわっては両足をひろげさせた。そうしてXの字のポーズをとらせて“ゲーム”を提案する。
「いま、美鈴ちゃんは見えないロープで縛られてるの。だから、けっして暴れたりしてはだめ。もし、すこしでも動こうものなら……」
 その目は本気そのものだった。
 みどりが毛布を持ってきて、みすずの身体をすっぽりと覆った。
「?」
「きょうにかぎっては〈誰もこないよう手をまわした〉けど、ほんとうの病人がでて、入ってきてもことだからね」
 先生は、一枚に広げてかけた毛布の下半分をめくり、二つがさねにした上半分をこんどは逆に折って重ねることによって、陰部から下と扁平な乳房から上を裸にさらした。
「万が一にはわたしが下を受け持つけど、そのまえに美鈴ちゃんが毛布をもとにもどして、胸から上を隠すのよ」
「誰もこないよう手をまわしたって、どういうことですか?」
「ふだん授業をサボって寝にくる子たちに、今日は美鈴ちゃんの診察やなにかあるから、病気でないかぎり保健室には近づかないでって指示しておいたの」
「あー……」
 美鈴の全身から力が抜けた。そんなことを話したら、早紀ちゃんの耳にも入りかねない。勘のいい早紀ちゃんが、この現場を見抜いて乗り込んできたらどうしよう。早紀ちゃんにこんなところを見られたら、それこそ生きていけないかも知れないではないか。
(それに、この子……)
 そう深く疑問に思っていたところ、
「この子はだいじょうぶって言ったでしょ」
 美鈴は「ぎょっ」となった。なんで気持ちが読めるのか。それに「だいじょうぶ」と断言できる自信はなんだろう。そういえば、あの子は寝返りも打たず寝息ひとつたてない。
「この子は注射で眠らせてあるから、体操の時間が終わるまでは確実に目覚めないのよ」
 美鈴は絶句した。
 すべて仕組まれたことなのか。「知人の医師に紹介するための調査書作成のため」と、全校生徒がグラウンドに集中する体育大会予行演習日をえらび、美鈴をその授業からはずさせたのも計画的なら、となりの壁の解体工事だって、じつはこの日になるよう、し向けたことかも知れない。“町の名士”という父親の威光をもってすれば、一介の養護教諭でさえできないことではなかった。
 しばらく絶えていた工事場のドリル音がけたたましく再開した。それを待っていたように、みどりは妖しく口元をゆがめると、左手の人差し指と中指にゴムサックを装着した。
 座布団をもってわきにまわり、それを背中の下にはさみこんで、お尻を浮かせた。
「さあ……じっと……ね」
 ドリルの音にじゃまされ、みどりのことばがきれぎれに聞こえた。
「ひっ、ぎひーっ!」
 美鈴が、Xの字に伸ばしきった四肢を、さらにおおきく伸ばしてぶるぶる震えた。
「いやあっ、ひいーっ!」
 みどりの指が性器をなぶり、ぐいぐいとえぐり込んだそのすぐあとで、お尻の中心にも火のような痛みがおそった。
「いたいっ、痛いーっ!」
 きつい締め付けをはね返し、サックをした指がぐいぐいと押し入ってきた。
「いやっ、先生、やめて」
「……………」
「ぎゃあうっ!」
 いきなり、クリトリスをひねられた。それも経験したことのない痛みだった。思わず足を閉じかけたら、素早く右手で払われた。その罰としてだろう、こんどの痛みは前以上だった。
「くうっ……痛いーっ!」
「足を閉じないでといったでしょ。言うことを聞かないと、こぶしを突っ込んで処女膜はおろか、性器もずたずたに引き裂くわよっ」
 恐ろしいことを言う。こんどはそのおそろしいことばが、はっきりと全部聞こえた。気がつけば、またドリルの音が静かになっていた。
「いやっ、いやぁ……」
 美鈴は痛さと恐怖で、どうかなりそうだった。肛門をえぐられる痛さ、そしてみどりの右手の指が乱暴に押し入り、これまで守ってきたものを奪われるのではないかという恐怖心、それからのがれられるなら、どんなに恥ずかしい思いをしてもいいから、誰かきてくれないかとさえ希うようになった。
「う、ああ……あっあーっ……!」
「だいじょうぶよ、つらいのは最初だけ……」
 うしろを貫くみどりの指の動きが、さらに大胆になった。いつのまにか中指か人差し指かどれかしらの1本は深々と挿入され、なかで乱暴に突き動いている。
「うう、いぃ……いやっ……」
 美鈴の抵抗はむなしく、みどりの2本目の指がカマ首をもたげ、先に押し入った指ときつく締めつける菊門を割って入りかけた。
「ああっいやあっ!」
 美鈴が思わず足を閉じた。同時にひっこめた手がベッドのへりをつかんであとずさる。その両手をみどりの右手が取って頭の上にもどす。
「ふっ、しかたない子ね」
 もはや耐えろと言ってもムリと、みどりは上にのしかかり、自分の脚を相手の脚にからませ、美鈴の下半身を割って、おおきく開かせた。
「先生、もうやめてっ」
 ドリルの音が再開された。
 だが、こんどのみどりは美鈴の上にあり、直接息がかかるくらい間近に顔がある。その顔がさらに近づき、美鈴が恐れていた話題を耳元でささやいた。
「たのしい夢は“監禁”された美鈴ちゃんだっけ……あ、ちがった、“処刑室”でむごい目に遭うんだったっけね」
 美鈴は目を剥いた。最初のキーワードでカマをかけられたとは思わず、「処刑室への招待」を言い当てられたことのみに驚愕し、すっかりみどりの心理作戦にハマってしまっていた。
 みどりの追い討ちが、とどめを刺した。
「変態的な夢であんなに反応し、濡れたなんて、そんなこと、お友だちに知られて平気なの?」
 美鈴は、いよいよもって川村先生が恐ろしく思えた。だが時すでにおそく、みどりの加虐“性”は調教のエキスパートとしての手腕とあいまって、美鈴の被虐“性”をとことん見抜き、刻一刻その毒牙に取り込んでいたのであった。
(こんど遇うときは、おまえの蕾が無残に散るときよ。くっふふふふ、あっはははは……)
 ほほえみの裏に隠された残忍なたくらみを、美鈴はまだなにも知らない。

 おなじ頃――。
 いつもの“パーティー”会場となる、あるアメリカ人の屋敷で、夜を待って残酷な催しがおこなわれようとしていた。
 物置部屋に全裸の女子高生が後ろ手に縛られて転がされ、それを囲んで数人の世代のちがう男女が、いまやおそしと狂宴の開始を待ち望んでいた。
「このクソ淫売が、いまさらグループを抜けたいなんて!」
 真っ黄色に染めた頭でいまいましそうに毒づくのはF高3年――本書第1章冒頭で中2の小山内京子をカツアゲしようとして、早紀に撃退された連中をもたばねる――女子不良グループの元締め、“蛇苺”の異名を持つ紺野梨沙だった。
 いまもそばには、屈強な男子学生2名を“親衛隊”にしたがえている。
 女子高生が女子高生を性リンチする――いつもとちがう趣向に、わきに立つ中年の男どもは舌なめずりしてことの成り行きを見守っているが、そのなかでこの屋敷の女あるじでもあるイングリッド・パーカーは、グラマラスな媚態を惜しげもなく黒のレオタードに包み、ひときわ生彩をはなつ存在だった。
「リサ、イイトコノ、オジョウサンガ、ソンナハシタナイコト、イッタラ、イケナイヨ」
「ふっ」
 白目を剥いて凄むと、足もとの少女を踏んづけ、思いっきり体重をかけた。
「うぐうっ!」
 少女が、おおきく顔をゆがめて呻いた。
「たっぷりとヤキを入れてやるからね。ふふふ……」
 梨沙の脅し文句を聞きながら、ウルフ山中はすっかり有頂天になっていた。
(いよいよホンモノの残酷絵が描けるゾ。締切は過ぎているが、まだ間に合う。今夜ここでおこなわれる地獄をリアルに再現して読者の度肝を抜けば、俺の人気はこんどこそ不動のものになる!)
 ウルフ山中の胸は興奮の鼓動を速めるばかりだった。




取調室


 紺野梨沙がたばねるF高極悪グループ“蛇苺”の横行はK中でも恐怖のタネだったが、そのメンバーである同校の女子高生が1週間近くも家にもどらず、警察に捜索願がだされるという事態が発生した。
 まだ事件と呼べるかどうかもわからないこの段階で、他校の生徒の失踪騒ぎが直接K中におよぼす影響などないはずだから、ガチャガチャスピーカーことクラスの広告塔、梶山拓也のご注進も右から左と聞き流していた美鈴だった。
 ところが――。
 友だちの家に音楽CDを借りに行こうと身支度をととのえ、家を出るばかりになっていた美鈴は、拓也からの電話でおどろいた。
「早紀ちゃんが警察に!? いったいなんで逮捕されたのよっ」
 あわてて問いただす美鈴の耳に、受話器をとおした拓也の声がきんきん響く。
「逮捕じゃないよ! 参考人として呼ばれたんだ」
「だからどうして?」
 美鈴の心は混乱の極に達していた。

 日曜の朝からいきなりK市警察署に呼びつけられ、机と椅子だけの殺風景な取調室で、早紀は警察の参考人聴取を受け、一対一で対峙させられた。
 だが、神谷という40がらみの主任刑事の態度は、参考人聴取といいながら犯罪容疑者に対する取り調べそのものだった。
 はじめ中間にあった取り調べ用の机はわきにどけられ、2人は椅子にすわった者同士向き合うかっこうになった。
「参考人で呼ばれたんじゃないんですか?」
「生意気な口きくなっ」
 傲岸不遜に言い捨て、短めのミニの裾から伸びた細くて白い腿脚に、無遠慮でいやらしい目をさっきからずっと注いでいた。
(なんて奴っ!)
 敵意をこめてにらみつつ、ミニとタンクトップという服装できた自分の軽率を深く後悔していた。
「N岬付近を歩いている君を目撃した住人がいる。ちょうど島崎若菜が岬の断崖で誰かともみ合っている現場を別の住人から目撃されたすぐあとだ。疑られるのが当然だろう」
 神谷の“視姦”はなおもつづいていた。
「わたし、島崎若菜という高校生とは、なんの面識もないんですよ」
 そのように失踪事件との無関係を主張し、事件現場とされる付近で目撃されたことについては、「他人の空似。なにかのまちがいですっ」と、頑強に否定した。
「しかし、あの不良グループともめてたことは事実だろ?」
「もめてただなんて……。何度かあのグループにいじめられているK中の下級生をかばったり、助けたりしたことがあるだけで、その後はなんの接触もないんですから」
 そう抗弁したとき、刑事の目がはじめて、ぎろっと動いて早紀を真正面からにらんだ。やおら立ち上がり、ゆっくり近づいて背後にまわってた。
「かばったのはK中の生徒だけかな。おまえは朝鮮学校の生徒とも親しいそうではないか」
“君”から“おまえ”に変わった呼び方に、早紀は精一杯不快な感情を顔にあらわした。
「地元ですから同校の子は何人も知ってます」
「日本人なら日本人とだけ親しくしていればいい。チョンのガキなんかと気やすくすると、ろくなことはないぞ」
 早紀は耳を疑った。振り返ってまじまじと対面すると、目を吊り上げて抗議した。
「あなたは、いったいいつの時代の日本にいるつもりですか。そんなことを口にすると、あなたこそ問題になりますよ」
「“淫売娘”がなにをほざくっ」
 吐き捨てるようにいい、「いいか。てめえのような“売女”の弱みなど、とっくの昔に握ってんだ」とつづけ、刑事の手はすばやく早紀の身体に伸びた。白くて細い腿脚を、やんわりとまさぐったりもする。
「なにをするんですかっ!」
「じっとしていろ。じっとしていればなにも起きないし、誰にも知られることはない」
 涙がでるほど憤慨し、ミニのすそをつかんだ両手は、ぶるぶる震えたが、なぜかそれ以上の抵抗はみせなかった。
「そうそう。素直にすることだ」
 そう言って刑事はかがみ腰になって目の高さをいっしょにし、大胆にもミニのなかに手を挿し入れてきた。
「おまえには心臓病のお母さんもいるんだったよなあ。だったら、その身体にさわることなど、いっさい耳には入れたくないだろう?」
 刑事の手が腿のうえを這いまわり、パンティのすき間にまで入ろうとしていた。

〈異常な〉参考人聴取を、マジックミラー越しにのぞいている者たちがいた。その刑事たちからも神谷の〈不埒な挙動〉は、わきにどけた机が死角となって見えてはいなかった。
「ちょっと問題じゃないですか!」
 持ち前の正義感から、憤る若い刑事。
「だれか止める者はおらんのかっ!」
 いらだち、口吻を押さえきれない刑事。
 だが、そのなかで神谷の性癖を知りつくしつつ、おもしろがる無責任なヤカラもいた。
「まあ待て、よほど確信があるんだろう。もう少しつづけさせろ」
 実際そうした強引なやりかたで、いくつか凶悪な少年犯罪を自供に追い込んだ実績もあった。
 こうして、批判的な意見は追いやられ、神谷の傍若無人なふるまいは、もうしばらくつづくことになった。

 早紀の腿の細さからすればパンティ深く分け入り、陰毛の感触を愉しみつつ神秘の領域まで到達することも可能だった。が、しかし、神谷の冷静さはすんでのところでそれを耐えた。
「いつの時代の日本にいるかといわれて、おもしろい話を思いだした。子どもの頃、伯父貴から聞いた話だ。満州といっていた中国で憲兵をしていた伯父貴の自慢話が、ゲリラの容疑をかけた中国人の農夫や若者を何人も捕まえ、石油をかけて生きたまま焼き殺したことだった」
「!」
 早紀の目が、かっと見開かれた。この者の言動を一言たりと聞き漏らすまいと、その耳は神経を集中した。
「苦しみ悶えながら人が焼け死ぬ姿を想像するのは、子ども心にも興奮するものがあった」
「……………」
「だが、すこし大人になると、もっとおもしろい話をしてくれた。なんだと思う? チョンやチャンコロ、また、そいつらをかばった裏切り者の売女(ばいた)を姦(や)ったり、なぶり殺しすることでな。なぶり殺しの手はじめには拷問するんだ。拷問……わかるよな」
「……………」
 早紀の目は怒りに燃えた。が、つぎの瞬間、神谷の手は、早紀の中心を、パンティのうえから押さえつけた。
「ここだっ、ここをめちゃめちゃにする」
 親指が割れ目をとらえて薄布越しに食い込んだが、そんな理不尽きわまりない行為を受けながらも、早紀は憤怒に燃える目でにらみ返すだけで、それ以上は目立ってあらがうことなく、ただじっと耐えていた。
「う、ううっ、つううーっ!」
 苦悶のしわを刻む早紀の顔――。
 そのとき神谷の頭のなかでは、裸で逆さ吊りされた少女に対して、さまざまな拷問行為がくり広げられていた。
・火のついたロウソクを突き立てられ、熱ロウのしずくで焼かれる割れ目!
・または、深々と挿入された筒竹に煮えたぎった油が注がれ、煙をあげる股間を揺すぶり、キチガイのように絶叫する顔!
・さらには、冷たい光を放つ金属製の医具で全開させられた股間の穴という穴に、電線を挿入され、高圧電流を流される電気拷問!
……などなど。
 それらはすべて神谷の伯父が戦争中、大陸で犯した罪業の数々から得た神谷のたくましき妄想だった。
 その男が、こんなことまで口にして迫る。
「ここに〈俺のも入れさせて〉くんないかなぁ」
「な、なにをっ、バカな……!」
「聖女ぶることもなかろうが。いろんな男のものを入れてるくせに。え、そうだろ?」
 早紀がうろたえ、顔を真っ赤にして抗議した。
「なんて見下げ果てた人っ……訴えますよっ!」
「ほらほら、じっとしてろと言ったろ。その鏡越しに見ている同僚らにけどられたらどうする。なにもかも説明せんけりゃならんだろうが」
「だから、そんなウソっぱち……」
 神谷の手に、また力が込められた。
「う、うぅーっ!」
「ふっふふふ……くっくく」
 不気味な笑いを洩らし、勝ち誇った顔をした。
「ほおら、濡れてきたじゃないか。これが男を何人も知っている証拠だ。わかっただろ? おまえはこのとおりの淫売なんだよっ」
「ケダモノっ!」
 とうとうこらえきれずに吐き棄てるように口走った。が、神谷はその肩をがっしとつかんでこうも言った。
「いいか。いつかこの身体を生まれたまんまの姿にひんむいて拷問にかけてやる。時代がなんだって? そんなのわしには関係ない。わしには、なんだってできるんだ。ふふふふ……くっくくくく……あっはははは……!」
 昂然と高笑いする顔を見上げながら、早紀は言い知れぬ戦慄をおぼえた。そこには狂気がみなぎり、血のにおいすら感じられた。
(この男は、もう何人も人を殺している!)
 早紀にそう直感させる異常さが神谷という刑事の言動や態度から感じられ、背筋が寒くなる思いにつらぬかれた。




波 紋


 失踪から4日後、ようとして行方がわからなかった島崎若菜がN浦海岸で発見された。
 N浦とは目と鼻の先にあたるN岬の断崖から飛びこみながら、なぜすぐには見つからなかったのか。漁師の話では、その海域特有の複雑な潮の流れのせいで、いったん外海にでた遺体が一時そこにとどまり、潮の変化でまたもどってきたとのことだった。
「死体は意外にきれいだったそうだよ」
 どこから集めた情報か知らないが、クラスの広告塔でもある梶山拓也が美鈴の関心を惹きたくて、教室に着くとすぐ報告にきた。
「やっぱり自殺だって?」
「おなじクラスの男友だちが警察にひっぱられたけど、すぐに帰された。必死で止めようとしたのを振り切り、島崎という女子高生はその彼氏の目の前で飛び降りたそうだよ」
「じゃ、もみ合ってたというのは……」
「そうだよ、星川じゃないよ」
 ただ、この期におよんでも、大人たちの関心は死んだ不良学生にではなく、早紀が警察に呼ばれたころから、ある噂がたちはじめていた。早紀が「裕福な中年と不倫している」「その前には何人もの男と経験している」というのだ。美鈴もそれで母と口論したほどだ。
「なにが原因で転校してきたのか……。やはりあんなところに住んでいる子なんか、ろくなもんじゃない」
 朝食のあとかたづけをしながら、ぶつぶつつぶやいているのを黙って見過ごせなかった。
「証拠もないのに失礼よ」
「火のないところに煙は立たないっていうわ。美鈴もあんな子とつきあうの、やめなさいね」
「お母さんになんか、わからないっ!」
 そう叫ぶなり家を飛び出し、登校したのだったが、その日の授業を終えるとすぐ、美鈴はバスでS町へと向かわねばならなかった。

 S町は早紀の住むN町のとなり町で、そこに川村みどり紹介の町医者内科医院があり、この日は腎臓を診てもらうため月1度と決めた定期外来の1回目検診の日だったからだ。
 午後のいちばん最後という予約だったが、あとで聞けばその日にかぎって急患が立て込み、いつになっても順番がまわってこなかった。それで、つい邪推してしまった。
(また、変なことされるんじゃ……)
 川村みどりにイタズラされた保健室でのできごとが頭に浮かび、ドキドキしていた。
 けっきょく1時間以上待たされ診察室に通された美鈴は、思わず吹き出すところだった。
 院長はヤギのような顔のひょろひょろ老医師で、とてもそんな邪心や性欲がある人には見えなかったからだ。だが美鈴は、安心するというよりは、正直すこしガッカリした。
「どこか痛いところはないかね?」
「なんともありません」
「そうか。じゃ、おなかをまくって見せて」
 触診のあと5分ほど問診しただけで、あとは学校は楽しいかとか、休みにはどんなことをしているのかとか、うちにもおなじくらいの孫娘がいるとか、とりとめのない話に終始した。
「君は誰のファンかね」
 そう訊かれたので、顔を輝かせ、勢い込んで「ドリ・カムにサザン!」と答えたら、ヤギ先生が「うちの子もサザンオールスターズのファンだよ」とにこにこしながら応じた。
「あのー、これって診察なんですか?」
 恐る恐る尋ねる美鈴に、「君くらい元気なら心配ないよ」と先生は太鼓判を押した。
 それでも不安をうち消せないでいると、「あの先生はね――」となにか言いかけ、ちょっと顔を曇らせたのが気になった。そのときに電話が鳴った。
「先生、例のお嬢さんからです」
 看護婦から受話器を受け取り、一時ぼそぼそ会話していた先生の顔つきが険しくなり、「わかった」と無愛想にうなずくと電話を切った。
「先生、あのー」
 話のつづきを訊こうとしたが、ヤギ先生はなにも答えてくれなかった。ぱたんとカルテをしまうと、「今日はもう帰っていいよ」と診察の終わりを告げた。
「とにかく、気をつけるんだね」
 診察室をでる美鈴に、そうつづけたのだった。

「あのクソ野郎が、なにを言いやがるっ!」
 自棄になってペンを投げつけたとき、ペンをはね返した玄関ドアのブザーが鳴った。
「誰だ。こんなときに」
 重い腰をあげて立った。玄関までは数歩しかない。そのドアを開けて、ぎょっとなった。
 真っ赤な髪の女が立っていた。一瞬には面食らったものの、すぐにとんぼメガネをはずした今井江利子とわかった。読者はすでにおわかりのはずだが、今井江利子は“裏の世界”での川村みどりの変名だった。
「ここへはくるなといったじゃないか」
「陣中見舞いにと気を利かせてきたのに、ごあいさつだわね」
 持参した高給ワインをぶら下げてとんがった。
 ウルフ山中は、ベッドの前に散らかしたコンビニ弁当の食べ残しやら、ビールの空き缶やら、吸い殻が山となった灰皿やらをとりかたづけ、江利子が腰をおろす空間をつくった。
 その間、江利子は窓を開けて換気をしたり、冷蔵庫を開けてつまみの有無を確認したりしていた。
「なに腐ってんのよ、未来の大SMイラスト作家が」
「それどころじゃないよ」
 山中はベッドのうえであぐらをかくと、SM雑誌最新号を置いて開いた。
「この『処刑執行!』にケチをつけやがった」
 江利子が問題のページをのぞきこむ。
 裸で解剖台に縛りつけられた絶叫顔の少女を3人の男が取り囲み、性器責めにおよんでいる。クスコで開き、鉗子ではさんだクリトリスに、半田ゴテを押しつけるという拷問画だが、黒煙を立ちのぼらせているかんじんの部分は、もちろんぼかしてある。
「これのどこが問題なの?」
「リアルすぎるっていうんだ」
「そういうリアルさを追及するのが目的だったでしょ。本来ほめ言葉であるはずの“リアル”が、けなされる理由とは、どういうこと?」
「リアルなら写真でいいというんだ。イラストなら、リアルな醜さでなくエロスの美を追究すべきでないかと。あのクソったれ編集者がっ」
 こぶしを握りしめてくやしがった。
「まあ、いいじゃない。その人にあなたを見る目がなかったということでしかないわ」
 ウルフはそれでも憤懣やるかたない気持ちを鎮めることはできず、江利子が注いだワインを水でも飲むように一気にあおった。

「八木先生っていうの?」
 ジュースのコップを置いて訊く早紀に、美鈴はにやにやしながら首を振った。
「ほんとうは吉田医院の吉田先生。ヤギ先生というのは、わたしがつけたあだ名。だってヤギみたいにひょろひょろしてるんだもの」
「あ、吉田先生? あの先生はいい人よ。えらぶらないし、やさしいし、子ども好きだし――そっかあ、ヤギ先生か。そりゃぴったしだわ」
 そう言って思いだし笑いした。
 向かい合わせた席には早紀とならんで、美鈴の1年後輩の子もいっしょにいた。
 小山内京子という名前を覚えているだろうか。S川土手で梨沙の配下の女子不良グループに脅され、早紀に助けられた少女である。
 勘のいい早紀が、あのとき美鈴が京子をかばわず、その負い目を引きずっているものと思いこみ、この日の喫茶店での待ち合わせに誘ったのだった。
「あのね、早紀ちゃん」
「なあに」
 美鈴が知りたいのは早紀のことだった。不倫の噂、複数男性との淫らな関係の噂、それらを全否定してもらいたかったが、さすがにそれは訊けず、代わりに別の質問をした。
「保健の先生は注射もあつかえるの?」
「川村先生に、なにかされたの?」
 早紀の素早い反応に美鈴があわて、「風邪のときとか、保健室で注射してもらえれば便利だろうからと」と、苦しい言い訳をした。
「サボって寝にくる生徒にはきつく言い渡した」という川村先生の根回しはあまり効を奏さず、イタズラの最中に3人ほどきて困らせたが、その際にも先にきた子でふさがっていた廊下側のベッドはかっこうの防波堤になった。
「養護教諭ができることなんか、ほとんどなにもないのよ。美鈴ちゃんの診察にしたって、どちらかといえば校医がすべきことなのに、川村先生ったら親の威光をカサに、でしゃばったりして。おかしいよ、ゼッタイに!」
 あまりに憤然としたようすにおどろき、美鈴はまた収拾につとめるしかなかった。
「ううん、いいの、いいの。わたしの親も権威に弱いから、川村先生の厚意をことわりきれなくて。ただそれだけのことだから――」
 それにしても〈あのとき〉保健室のベッドで寝ていた真っ赤な髪の子は、工事の騒音や、先生のイタズラでざわざわするなか、どうしてあんなにもじっとしていられたのだろうか。

「おどろいたね、そのカツラには……」
 枕元に転がっている真っ赤なざんばら髪に一瞥くれると、ウルフは江利子と抱き合った。
「あんなんでも、いざというときには、けっこう役にたつものよ」
 江利子は保健室での場面を思い浮かべ、ほくそ笑んだ。
「とにかくあなたは、あなた自身の世界を押し通せばいいのよ。いいわ、近々別の雑誌に新作を載せられるよう手配してみる」
 自信満々にいってウインクした。
「ところで例の女学生、思いきったことを……」
「そうね」
「遺書がなかったというのが不思議だが……」
「〈あれぐらい〉のことで自殺するなんて……“突発的衝動”とでもいうのかな。とにかく、いまどきの子の心理は不可解だから……」
〈あれぐらい〉は笑わせるが、それにしても江利子の反応の、なんとそっけないことか。
「ほんとうに自殺なのかな」
 ウルフはにやにやしながらさぐりを入れた。
「そんなことどうでもいいじゃない。
 それより今夜はめろめろに溶かして欲しいわ。このところむしゃくしゃすること多くて、イヤになってたから。
 さっきだって……」
「どうかしたのか?」
「吉田のジジイよ。わたしに説教するなんて」と、不快を目一杯顔にあらわした。
「さ、早く。はげしく突いて。あの若菜を拷問のあとで犯しまくったように……あ、ああっ、そう、もっと強く、突いて、突きまくってえ、あ、ああっ!」
 江利子はうわごとのように口走り、貪欲にもウルフの股間のものを握りしめ、つかみ寄せ、自分のなかへ導き入れた。
 ウルフの記憶に、若菜リンチの一場面一場面は、それこそ鮮明に刻みつけられていた。
(江利子も、梨沙も、イングリッドも……あの場にいた女たちは、みんなサドにとりつかれて狂っていた。ぴちぴちした生け贄の子羊に食らいつき、むさぼる3匹の牝獣、いや、“狂獣”そのものだった!)

――蜜の章/保健室後篇につづく――

―創作の記―

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