|
|
| 海を見晴らすパーカー邸の炎上、崩壊から8年後の2002年1月22日。 その日深夜、横浜埠頭の一隅では、連続レイプ逃亡犯が人質を連れて逃げこんだ廃倉庫をにらみ、携帯電話片手に神奈川県警Y署警部補、高嶋裕美が、後輩刑事と張り込んでいた。 応援はこない。突破口も見えない。 犯人のスキを突いたかしてスイッチを入れっぱなしにしている被害者の携帯電話を通し、軽快なポップスが途切れなく聞こえていた。そしてその間にも―― 「もっと、ケツをあげろっ。オマンコを引き千切られたいか?」 「う、うーっ!」 この期に及んで、またレイプでもはじめるのか!? それにしてもバックで流れる曲の、なんという不釣り合いさ! 8年前のあの日、北陸I県K市内を舞台にしたあの事件でもこんなだった。そしてやけに寒かった。 館の窓越しにながめるリビングで、一歩おそかったがためハリツケ柱に架けられ、はじけるリズムのポピュラー音楽をバックに生きながら焼かれた女子高生の無惨な姿――。 「ぎゃああああーっ!!」 絶叫とともに、ジュウジュウと肉を焦がす異臭、「かっ」と目を見開いた断末魔の顔――。あの場の一コマ一コマが、ばらばらの断片としてフラッシュバックされてよみがえる。 焼け跡から製本屋で使われる梱包機を応用した装置とテグスの燃え残りが発見され、遺骸の二の腕に食いこんだテグス痕と一致した。 そこから飛躍して、みどりと女子高生のこんな会話が想像された。 「これはあくまで警察への目くらまし。“十字架ポーズでの炎上ショー”というわけよ」 「なぜ縛る必要が?」 「トリックとはいえ炎をつかうのよ。パニくって身体がぐらついたらバレるでしょ。だからこれは姿勢を維持する仮留め。万が一にはこんな糸、かんたんに千切れるからだいじょうぶよ」 透明のテグス(釣り糸)には、細くてより見えにくいものもある。それがみどりのねらい目で、警察には縛っている風には見せず、梨沙には簡単に切れると思わせる必要があった。だが、まんまとその両方に成功した。 宇津木の勘違いを真に受け、裕美でさえテグスと釣り糸は別物と思っていた。その伝で世間知らずの娘を〈たばかる〉などは造作もないことだったろう。 かくして紺野梨沙は川村みどりの罪のいっさいがっさいを背負わされ、あの日現場で威嚇発砲して逮捕された鉄砲玉のヤクザ――それも実際は、みどりに加担したどこかの組長に言い含められての替え玉――との共犯ということでケリがつけられた。 すなわち、 ・コンパニオンを募って残酷パーティーを催し、秘密会員から多額の報酬を得た ・それを嗅ぎつけた星川早紀を組員に襲わせ、集団レイプして自殺に追い込んだ ・パーティー参加者の一部は事件の証拠隠滅のために謀殺した、ただしこれは未だ捜査中 これがI県警の結論だった。 これに宇津木一行警部補も、当時はまだ平刑事の裕美も反発した。 ・焼け落ちた館の地下に通じていたトンネル ・そのトンネルの行きつく先に事故と偽装して停めてあったタンクローリー車 ・そしてなにより落合美鈴らの拉致、監禁、虐待被害をはじめ、金と暴力と麻薬がらみでSMを強要された女性たちの被虐証言の数々 「あれら事実はどこへ消えたんですか?」 「イングリッド・パーカーなる女性の行方も!」 憤然と食ってかかる宇津木と裕美。 だが、裕美は自分が口にした名前に自分で愕然とした。イングリッドの夫こそは米軍特殊機関の要職につく身。日米地位協定が邪魔をしてかんたんには手が出せないのだ。 それを苦々しく思いながらも、この捜査での全権をになう県警捜査部長はこうも言った。 「そんなことを明るみにして誰が得するのかね。いまさらどうにもならぬことを暴きたて、辱められた少女たちが喜ぶとでも?」 これにはぐうの音も出なかった。 それにしても、忽然と姿を消した神谷元刑事の凶行と思える殺人が4件、いや5件。 ウルフ山中を入れたSMパーティー参加者のうち口の軽い男連中4人。さらには岬の断崖付近に住む、「天女が舞うところを見た」と言っていた老人1人の変死も謀殺くさかった。 老人以外は荒っぽく首をひねって殺す手口が共通しており、自衛隊レンジャー部隊出身の神谷だからこそできる殺人ワザだった。 裕美は思う。老人は「天女を見た」ため殺された。その天女とは何かとさぐり、やがて断崖の岩盤にハーケンの痕跡を認めた。先に見つかったテグスとあわせ、こんな推理を立てた。 ・早紀の替え玉が、土地の者の目に触れるようにして断崖へと向かう おそらく替え玉は早紀のかっこうをして、体型も早紀によく似た紺野梨沙にちがいない。だからこそ殺される必然性もあったのだ。 ・そのあと梨沙は、断崖のどこかで一定時間、息をひそめて待機する もちろんこれは、梨沙扮する早紀が断崖から返った姿を見られては、早紀が自殺したことにはできないからだ。 ・そこへ神谷が梨沙救出に向かうのである その手順は、あらかじめハーケンを経由して崖の上下に張っておいたテグスの一方に縄をかけ、別の一方を引いてハーケンに縄を通す。あとはレンジャーで鍛えた体力とワザのみせどころだ。 その日が雨だった。だから合羽をまとった2人の影が、すこしボケのきた老人には「天女」に見えた。周囲には戯れ言と取られたが、後難を廃したみどり一味は消しにかかった。 老人の死は捜査部長も謀殺と見ており、だから彼は最後にはこう言ったのである。 「6人目の犠牲を出したくはないだろ!」 「あ、大変だぁっ!」 裕美がうろたえた。倉庫内では拷問がはじまったようなのだ。 すすり泣きに、ときおり悲鳴がまじる。男の愉快そうな笑いと下卑たセリフ……。 「なにが聞こえるんですか!?」 8つ年下の新米平刑事が横でいらついた。 「踏み込むわよ」 裕美が携帯をしまい、拳銃を抜いて突入の体制をとった。 なぜかシャッターは一部開いており、ぴったり床に張りつき音をたてることなく中に入れた。 入るとすぐ、あのポップス曲が聞こえた。 そこからは足音をたてぬよう靴を脱いだ。が、裸足になる必要はなかったようだ。 廊下に明かりが洩れている。ラジオの音はそこから聞こえ、裕美も若い刑事も忍び足でそのほうへ向かった。 倉庫の戸が開いていた。木箱が乱雑に置かれていた。木箱の陰に身を隠し、1つ1つたどって慎重に犯人に近づいた。 また、あのときのことを想い出した。 「見つけましたっ!」 猛煙をあげる館の真裏の下手。 狭い石段を、刑事たちに肩を借りたり、抱きかかえられたりしながら落合美鈴、渡辺伊津子、兵藤サツキの中3と高3少女が助け出された。 猛火と煙を避けて空き地に避難した。 救急車がそのまえにすべりこむ。 「しっかり。いま病院に――」 憔悴いちじるしい伊津子を裕美が励ました。と、その袖口をしっかりつかんで訴えかけた。 「早くっ。早くあいつらを逮捕して。知ってることのすべて証言しますから、早くっ!」 復讐にかられたように目をらんらんとさせた。 「まず、病院へ」 「病院なんかあとでいいんですっ!」 伊津子の迫力に気圧された。 「わたし、知ってます。気絶したふりしてあいつらの会話、残らず聴いてたんです」 裕美はとっさの判断でその場を仕切った。 まず、医師を遠ざけた。 つぎに、性的被害の状況確認に女性同士で話し合いたいといって他の刑事をも遠ざけた。 「さあ、もう2人だけよ」 「じつは……」 伊津子の話に聞き入る裕美の顔が、驚愕のあまり凄い形相になった。 「C基地――!?」 そう言ったきり絶句した。 すべてを聞き終えたとき、伊津子の目をまっすぐ見て言った。 「このことは誰にも口外してはダメよ。友だちはもちろん、ご両親にだって。でないと伊津子さん、あなたが非常に危険なのっ!」 その瞬間、伊津子は茫然として口が利けなくなった。 部長刑事が恐れた犠牲者の「6人目」は渡辺伊津子のことだったのだ。 犯人の坊主頭が見えた! 乳房から血を流している女性を盾に、抱き抱える左手と頭以外は向こうにしていた。その下がどうなっているかは木箱に邪魔されて見えなかった。 裕美が拳銃を両手に固く握りなおした。 「動くなっ!」 叫んで飛び出し、ハッとした。 男の右手にマグナムが握られていた。銃口はまっすぐ裕美の胸板を狙っている。逃亡犯が銃器を持っているという情報はなかった。 「女刑事さんだったとはな。だが、ずいぶんおそかったじゃないか。痺れをきらしたぜ」 左手に携帯が握られていた。 「当然、車かなにかできてんだろうな。安全なところまで運んでいけ。そのまえに相棒は縛りあげろ。うしろにいるんだろ? ごまかしてもダメだ。刑事は2人1組が原則だからな」 そういうことだったのか、カッコつけて回りくどいことをしてと、裕美はほぞを噛んだ。ほぞを噛みつつ、そのあとの対処をめまぐるしく思案した。 「先輩、僕が囮になって……」 「ダメッ。あなたはじっとしてて!」 裕美はきびしく言いつけた。自分の落ち度で若い同僚を危険にさらすわけにはいかない。 「おいおい。わかってるだろうが、要求を容れなければ人質が死ぬんだぜ」 そういって電話器のとがった部分を人質女性の血を流す傷口に押しつけ、こすりつけた。 「ぎゃあっ!」 悲鳴に一瞬、気持ちがひるんだ。が、裕美はみじろぎもせず踏みとどまった。 拳銃はそのとき、まっすぐ犯人の頭を狙っていた。口径は小さいが狙いどころに当たれば確実に仕留められる。裕美は射撃の名手だった。 「お、おい!」 先に犯人がひるんだ。が、マグナムはそのままだ。ただ、固く握る手が震えている。 つぎには、裕美がうろたえだした。焦った犯人が銃を暴発させることを恐れたのだ。 (よしっ、殺ってやるっ!) 憤然として身がまえた。 犯人が撃ったら、その瞬間には乾坤一擲引き金を引こう。殺せる自信はある。いや、いまでは確実にこの男を殺すことにこそ意義を見いだしていた。 視界のおよぶ範囲内に、床に点々と血の痕も見えた。それを意識しながら、力およばずして助けられなかった早紀の無念が裕美に乗り移った。 こんな男、殺さずにおくものかっ! 裕美の殺意が、その場の者すべてに鬼気として感じられた。いまや絶体絶命は犯人だった。 「ま、待てっ、待ってくれ!」 犯人が左手を挙げながら、右手のマグナムを横に放った。そして人質女性を突きのけた。 裕美はそれでもまだ、銃口の狙いを解かなかった。怒りの呪縛が裕美を金縛りしていた。 ちょうど音楽が鳴り止んで番組がニュースに変わった。 そのトップニュースが裕美の“不運”だった。 「新潟県三条市で、当時小学校4年生だった女性が誘拐され、9年間にわたり監禁された事件で、39歳の男に対して新潟地裁は懲役14年の実刑判決を言い渡しました。 この事件は平成2年11月、新潟県三条市で当時小学校4年生だった女性を……」 ラジオのニュースを裕美も聞き入っていた。 そして犯人も――聞きながらニヤニヤ笑ったのだ。笑ったうえに、 「俺、〈病気〉だからさぁー、いいんだろ?」 へらへらしてバカの真似をした。 裕美の胸に怒りが沸いた。むらむらとこみ上げ、怒りは出口をうしなった。 パァーン! かわいた銃声が夜のしじまを突き破り、港湾埠頭の闇空にこだました。 |