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(2) 毒牙




_______心の闇


 美鈴の姿は、このところ新宿、池袋、渋谷のネオンの海にあった。
 アイシャドーを濃くし、腿まであらわなミニスカートをはき、派手めのかっこうはどこから見ても水商売上がりで、これがじつは昼間書店勤めするつましい暮らしの女性だなどと誰が想像できるだろう。
 カフェバーの止まり木や駅前ロータリーの一角で美鈴が放つ煽情は、好き者の目を惹きつけて何人もの男が引っかかった。
「どこかで食事しない?」
「いいわよ」
 本来ならそれで決まりで「食事」は単なる通過儀礼に過ぎないが、美鈴としてはその段階で相手をしかと見極める必要があったのだ。
「ねえ、ほんとにわたしを悦ばせる自信あるの?」
 そんな挑発を単純に取り、奮起するような男はその段階で失格で、あとは適当なおちゃらけでごまかし、食事のみでそれきりにした。

――わたしに、ふつうのセックスの悦びなんかはいらないの!

 異界の地下室で長時間にわたる快楽電気責め調教を受けてからというもの、夜な夜な美鈴の女の部分が火照り、疼いてしかたなかった。
 そして、みどりからの電話が鳴る。
「ふふふ……ねえ、またしない? 分かってるのよ、アソコが欲しがっているのは」
「なによ、早紀ちゃんにあんなことしといて!」
 そう反発し、頑として切った。
 夜中の電話は、それからも何回となくあったが、金輪際出るものかと心に決めた。
 ただ、そのため親友の小山内京子とも話せなくなり、美鈴はますます倒錯の闇のなかに落ち込むしかなかった。いつしか夜の盛り場を刺激を求めて彷徨(さまよ)うようになったのだ。
「ねえ、どうなの?」
 美鈴の蠱惑(こわく)を、意味深な目で受け止めた男のようすに直感を感じて1つ目の決心をつけた。
 得体の知れぬ不安と期待でドキドキする心は、まっしぐらにホテルへと向かった。
「ふつうじゃイヤだったんだよな?」
 男の口から初めて言葉らしい言葉がささやかれ、ぬめった瞳に獣欲の光が射したと思うや嵐が襲った。
 なにかにつけて「せめて80(cm)は欲しい」と思ってきた、中学時代からの延長である弱点の乳房を鷲づかみされ、揉みくちゃにされた。
「いやっ!」
「そのイヤがいいんだろう?」
 男が豹変して一匹の野獣になっていた。裸の両足を割り開き、ケダモノの熱い猛根が美鈴の中心をこじ開けて突入してきた。ずんずん侵攻し、奥のまた奥を突いて突いて突き上げた。
「ひいっ!」
 まるで全身の怒りをぶつけるように烈しく腰を使われ、美鈴の急所は破壊寸前となった。ファックの機関銃、いや太さと逞しさの点からも速射砲と思えるピストン抽送で攻め立ててきた。
「いやああーっ!」
 美鈴は叫んだ。ベッドが激しい音を立てて揺さぶられるほどのファックに身をきしませ、子宮を突き破られるかのような衝撃に恐怖した。

――わたしが求めていたのは、こんなんじゃないのよ!

 そう反発しながら、レイプならレイプでいいと思いなおしもした。早紀の痛みにわずかでも近づけるなら、それはそれで美鈴の気休めだったからだ。
 そうして何度か行きずりの狂態を繰り返したが、結果的には男たちの性欲処理人形でしかなく、美鈴の心の闇は深まるばかりだった。
 すこし上の年代ていどでは不向きと判断し、倍の年代に目をつけた。恰幅のいい紳士然とした男を、はじめて自分から誘ったときだった。
「ふつうじゃないって?」
「エ・ス・エ・ム……」
 耳元でいたずらっぽくささやいたら男の瞳がキラリと光った。
 グラスを軽く打ちつけてきた男と乾杯し、すぐにカフェバーはお開きとなった。
 男はどこへともいわず2人分の切符を買って電車に乗った。電車は都心をどんどんはなれていくが、不思議と不安はなかった。そのとき美鈴は、身も心も男に預けきっていた。
 電車を降りてすこし歩くと、鄙びた街の鄙びた一角にしもたや風の民家が1軒、それが男の家だった。
「ほかには耳の遠い母親がいるだけ――」
 男の言葉を真に受け、男につづいて1階から2階へ。どの部屋にも入らず、廊下の奥の暗がりの非常梯子のような階段を伝って、屋根裏部屋へと上がらされた。
 身体半分階段に残していると、先に上がった男が明かりをつけた。
 天井が三角に傾斜して圧迫する屋根裏部屋は立つこともかなわぬ狭さで、いざるか四つんばいで進むしかなかった。
 ビニールシートを敷いた床にロープがばらけているが、美鈴は着替えも詰めてあるハンドバッグを開けると、持参の一品をだした。
「縛った痕が消えにくいと困るから――」
 翌くる日は休みだったが、いつものことからファッションロープを使ってと頼んだのだ。
「道具も入ってるの?」
「ほかにはなにも――。あとはおまかせします。ただしスカはイヤ! それとあまりキズつけることも……」
 男が笑った。
「ぜいたくなSMだなあー」
 その言い方がおかしくて美鈴も苦笑した。
 どこか開いているのだろうか。夏にしては冷んやりとした夜気が入り込んでいるようだ。やはり田舎だと思った。
「すこしくらい声を荒げても、ここなら心配ないからね」
 やさしい物言いだが、意味することをかんがえればにわかに緊張した。
 男の目が脱衣をうながした。
 美鈴が足を投げ出したかっこうで服を脱ぎ、裸になった。
 その裸を舐めるように見ていたが、不意に男の手が伸びてきて胸の手をどけさせた。
「いいなあー、このオッパイ。ちいさくて可愛いくて――」
(こいつは貧乳フェチか?)
 ただ、胸を見るだけで手をどけさせたわけでなく、そのまま後ろに回すと美鈴が持参してきた見た目も肌ざわりもソフトなほうで縛りあげた。あっという間のことだった。
 いったんは後ろ手に縛って床に転がした。
 それからが本格的だった。
 目の前に座卓が置かれた。男は美鈴を引き起こし、座卓に抱きつかせるかっこうで上体をうつ伏せに倒し、はみ出た腰から下は膝を着かせて縛りつけた。
 足の短い座卓だったから上体は突っ伏し、逆に尻は高く突き出て恥ずかしい部分は丸見えだ。
(これは――!?)
 ぷーんとただよう異臭――男の手に火の点いたロウソクが握られていた。薄暗いなかに赤々と灯る火は、どこからか入り込む風でゆらゆら揺れていた。
「ああっ!」
 男の姿が視界から消えたと思うや、股間に耐えがたい熱さを感じて美鈴は叫んだ。
「あっ、ああっ!」
 焼けるような熱さが近づいては遠のき、いきなりまた近づくといった責めをくりかえされた。
「ああっ、熱いっ! 熱いわよっ!」
「はじめてなんだね、ロウソクは――」
 男はみごとに言い当てた。
 かんがえてみたら、そのとおりなのだ。フィストや器具をつかっての拡張、そして電気とハードに責められ、それでいてSMの定番のロウソクや鞭は使われたことがなかった。
 それが男の狙い目になってしまった。
「だったらなんだね、君がいつも愉しんでいるプレイは。ご主人様にしてもらうことを、あらいざらい言ってしまいなさい」
 性器炙りを尋問、いや拷問の手段にした。
「熱いーっ!」
 後ろ手に縛られた上体を暴れさせて喚いた。
「さあ、見なさい」
 男が手を差し出した。その手に無雑作に三重四重、いや、それ以上に折り曲げた針金が握られていた。それを見せておいて引っこめた。と――
「うーっ!」
 アヌスに異様な痛みを感じた。さっきの無雑作に束ねた針金が挿入されているのは歴然だった。ぐいぐいと押し込み、ひねり込みながら奥まで挿入された。
 なにをしようというのか。
 そうしておいて、性器炙りを再開した。
「あ、あつっ……ああーっ!」
 美鈴が後ろ手で縛られた不自由な身で上体を激しくよじった。じりじりと焼かれる性器の熱さはとどまることを知らずつづけられるようになった。耐えがたい熱さが連続している。
「も、もう、やめてっ!」
「こういうのが良かったんだろう?」
「もう、いい、いいですっ!」
「いいって、止めずにつづけるんだね?」
「ちがううーっ!」
 美鈴は無茶苦茶に首を振って叫んだ。
 ロウソク責めがこれほど辛いとは知らなかった。炙られるだけでこれだ。熱いロウを局部に垂らされるなんてことになったら……いつもの美鈴とちがう。なにかが嗜虐を邪魔してた。
 じりじり炙られ、性器を焼かれながら、ふと別の熱さに気づきだした。針金を突っ込まれたアヌスにまで熱が伝わりだしたのだ。
「あ、あ、あーっ!」
 美鈴は驚愕した。
「ふふふ、やっとわかったようだね」
「いやあーっ!」
 美鈴の全身が恐怖に貫かれた。
 性器といっしょに肛門に突っ込まれた針金の、肛門から出た先が焼かれているのだ。焼かれて焼かれて、その熱さが高まり、熱が移動している。やがて肛門まで達して焼くだろう。
「さあ、言ってしまいなさい。君が経験したプレイのすべてを。そうしたら止めてあげるよ」
「そんなーっ!」
 まさに拷問だった。
 アヌスを焼かれ、ヤケドでウンチができなくなったり、入院にでもなったらどうする? そんな恥ずかしいこと、親友の京子にまで知られたら――と、美鈴はここに至ってじつに具体的、日常的、常識的恐怖に怯えてしまった。
 心底戦慄した。
 こいつはホンモノのサディストだ。ひょっとしたら殺されるかも。人気のない鄙びた地域なのだ。耳の遠い母親の話もわかったものではない。とんでもないところに連れ込まれた、いや、来てしまったとつくづく恐怖し、後悔した。
 が、うしろに目のない美鈴は知らないことだが、男は肛門に近い部分の針金を空いた手に触れており、ちゃんと熱さを自分の感覚をもって測っていたのである。
「言いますっ、なんでも言いますっ!」
 美鈴が音を上げた。
「ほお、なんだね?」
「で――」と言いかけ、これはすんでのところで呑み込んだ。「電気責め」などと言っておもしろがられ、慣れないプレイを真似て事故でも起こされたら、それこそ命取りになるからだ。
 その代わり、
「フ・イ・ス・ト……」
 消え入りそうな声で、それだけは告白した。
「フィストぉー?」
 間延びしたうえ、ずいぶん語尾を上げて男が驚喜した。美鈴の一言がそれまでのプレイを中断し、それ以上本格的なロウソク責めを経験することはかなわなくなった。
「あう、ううっ!」
 指が、乱暴に性器をほじくった。1本、2本、3本まで入れられ、
「ううーっ!」
 美鈴は苦痛にうめいて身をくねらせた。
 そのとき、男は壁の照明に手をかけた。足の長いZライトを精一杯引き寄せて、美鈴の股間を照らすと、またぐいぐいとほじくった。
 複雑にうねる肉の襞が、ロウソクの火に炙られたためか赤みを帯びてぬめり、いままた指でほじられて潤み、これ以上ないほどイヤらしい形状で男の目を愉しませていた。
「おおっ、素晴らしいっ!」
 声にだして感嘆した。
 フィストにおよぶまえに、男の股間のものが張り切りすぎて爆発を求めていた。
 ズボンを下着ごと下ろすと、太さはそれほどでないが長さに富んだ一物が勢いをもって飛び出た。であるならば、これにふさわしい容れ物はと――
「うしろだって当然初めてじゃないよね」
「そ、そこは――!」
 拒否するまえに痛みがきた。
「あうーっ!」
 アヌスを突いて、男の分身がゆっくりと押し入ってきた。きりきりと開かれる痛みが襲った。そして固くて熱いものが、ようしゃもなくずんずん押し入ってきた。
「あ、ああ……うーん」
 美鈴の発する声に甘美さがくわわった。男の太さが苦痛とはしなくなったからだ。
「突いて、烈しく突いてっ!」
 思わず知らず自分から求める言葉を発した。
 男の劣情がそそられた。
 激しく腰が使われた。美鈴の身体を、身体を縛りつけた座卓ごと揺さぶって、突いて突いて突きまくった。
「虐めてっ。もっと虐めてっ!」
 美鈴の嗜虐に火が点いた。
 それとともに、アヌスにくわわった締めつけが男の欲望の炎を烈しく燃え立たせた。
「す、凄いっ!」
 男が、また感嘆の声を洩らしたが、凄いのは男の方だった。美鈴のなかで暴れ狂うペニスが、締めつけを受けて猛り立ったからだ。長さに太さとさらなる固さがくわわった。
「あ、ああーっ!」
 美鈴のアヌスがさらに膨張させられ、キリキリという痛みがくわわった。裂かれる痛みに貫かれながら、激しい猛根の小突きを受けた。ミシミシという座卓のきしみ音は、美鈴の華奢でやわな身体のきしみでもあった。
「ああっ、つううーっ!!」
 目を剥いて嗜虐の興奮を叫び上げた。
 がくがくと揺れる汗で光る背中を、Zライトの光を受けた男の恐ろしく大きな影法師が覆いかぶさり、包みこんでいた。


_______泪


 駅前ロータリーのベンチに腰かけ、美鈴は道行く人の波に目を向けていた。
 今夜もムダな時をつぶしている。こんなことをしてなにが癒されるというのか。あまりにも非生産的時間の空費ではないか。
 ふと、ぼんやりとみどりの言葉を思い出した。

――早紀ちゃんがどんなひどいレイプを受けたか知ってる?

 みどりは約束どおり早紀のことを話した。
 だが、「人づて情報」としてみどりが聴かせた話は、関節を外され、無惨に自由を奪われた身で鬼畜レイプと拷問に泣き叫び、血まみれにのたうちまわる早紀の地獄絵だった。
 謎のアメリカ人女性イングリッド・パーカー、悪徳刑事神谷、不良女子グループのリーダー紺野梨沙、その他おおぜいの屈強なヤクザたち。それがみどりのいう「共犯者群」だった。
(なに、しらばっくれてんのよ)
 当然、美鈴はそこにみどりを加え、みどりを入れた総勢が寄ってたかってなぶり者にし、しなやかに伸びきった早紀の剥き身の肌をけがし、傷つけ、女の部分をズタズタに裂いた。それが真実に決まっている。それも凄惨な真実だ。
 それに美鈴が起因しているとしたら……。
 というのも、一度だけ女刑事高嶋裕美から手紙をもらったことがある。そこには――

――最後に早紀ちゃんが目撃されたのは、川村みどり邸の近所でした。
 後難を恐れて長く口を閉ざしていたその証言者によると、早紀ちゃんは衆人環視のなか、ヤクザ風の男らに拉致され、車で連れ去られたということです。
 あとで調べてみると、どうも何者かによってマインドコントロールのようなことが付近住民にほどこされたようです。だから、それらの人が間接的共犯者に仕立てられたなかでの早紀ちゃん拉致ということになりますね。
 それから、おなじ目撃者証言から拉致現場には一人の少年がいて、それが暮れから失踪して行方がわからないままの……

 手紙を読んだときの美鈴のショック――。
 文面にある「拉致現場にいた少年」とは仲良しだった梶山拓也で、それにもショックを受けたが、それよりなにより“自分の罪”を意識しての衝撃に美鈴は打ちのめされたのだった。
 なぜなら探偵を気取って川村邸に近づいたとき、付近の異様な雰囲気は感じ取っていた。それなのに深く追及せず、早紀にはついつい言いそびれ、そのままにしていたのだった。

――それさえ知らせていれば……。

 早紀の油断はなかった、したがってみどりの奸策に墜ちることもなかったはずだと。
「うん?」
 ふと見上げたところに、自分と同い年か、わずか下に見える男が立って、なにか言いたげな風だった。
「誰か待ってるの?」
 訊かれて美鈴は返答に窮した。
 誰か待っているというのは、ひょっとしたらウソじゃなかったかも知れない。
 早紀が自分に遺した最後の言葉はこうだった。

――美鈴ちゃん、ほんとうの恋をしなさいね。そうしたら、みどりのような女にひっかかることもないんだから。

 それは9年前早紀からとどいた、遺書のようなあの手紙にも書かれたことだった。
 大都会のネオンの海を彷徨いながら、もしや早紀ちゃんのいう“本当の恋”が見つかるかも知れない――心のどこかに、そんなはかない夢のような希望を抱いていたのも事実だった。
「ヒマだったら、お茶しない? すぐそこに感じのいい店あるんだけど」
 美鈴の反応を待ちきれず、なお誘いの言葉をかけてくる若者にうなずき返した。
「でも、今夜は遠慮する。待ちくたびれて疲れちゃったから……」
 そう言ってほんとうに疲れた顔をして立ちあがり、手を振ってその場をはなれた。
 雑踏にまぎれて歩きながら、鄙びた街の鄙びた一軒家の、それも狭苦しい屋根裏部屋でのプレイが思い出された。
 精力的なアナルファックのあとがだらしない結末だった。
「フィスト」と聞いたからには、男はこんどは座卓を裏返しに美鈴もあおむけ姿勢にして開脚縛りに縛り、ローションをふんだんに使って1時間も2時間もかけて拳挿入を試みたのだ。
 結局無理だった。
 そのときには男も美鈴もへとへとになり、そのまま屋根裏部屋で寝てしまった。
 翌朝は、前夜のプレイがウソのような微笑ましい息子像を見せつけられた。
「耳の遠い母親」はたしかにいた。足弱な老婆を息子である男は、朝餉の席に着くまで甲斐甲斐しく付き添い、なにくれとなく世話を焼いた。
 もちろん、客である美鈴へも気を使い、食事のあいだじゅう母親との仲立ちもつとめ、耳元で大声だして美鈴の通訳にも余念なかった。
 その姿を思い出し、トイレで通勤着に着替えながら、男との生活を一時夢見て一人で可笑しがった。
 改札へ向かう途中、なにげなくポッケに入れた手が、1枚の紙切れに触れた。開いて見たら携帯の電話番号が書いてあった。
「気が向いたらここへ電話して――」
 男が別れ際に書きなぐって渡した手帳の切れ端だった。それを一瞥しただけで丸めて駅のクズ箱に捨てた。行きずりは行きずりのまま、美鈴と男との縁はそこで切れた。

 その夜はいつもより1時間ほど早く帰った。
 下宿のアパートまえの路地で足を止めた。暗がりから凝然と立ちすくんでこちらを見ている人影に気づいたからだ。
(京子ちゃん!)
 息が止まるほどに驚いた。
 逃げるようにまえを横切って下宿へ走った。足音が迫った。鍵を開けて入った美鈴のあとにつづき、玄関の戸は京子が閉めた。
 まともには京子の顔が見られなかった。
「どうしたの?」
 茫然とした京子が、つぎには愕然となった。
「なにやってんのよ!? すずちゃんっ!」
 足下に放り出したハンドバッグが開いていて、派手な衣裳の一部が飛び出していた。
 あわてて座りこみ、身体ごと覆いかぶさって隠したがあとの祭りだ。SMのロープが飛び出てなかっただけましだった。
 だめ押しの言葉が飛んできた。
「口紅、残ってるわよ」
 ギクッとして手をやったとき、電話が鳴った。
 あわてて駆け寄る間もなく京子が受話器に飛びついた。
「あなたね? すずちゃんの心を掻き回している張本人は。もう、電話しないでっ。さもないとわたしが許さないから!」
 決然として烈しい剣幕で「がちゃーん」と、それこそ壊れるほどに受話器を置いた。
「どうしちゃったのよ。わたし、どうすればいいの? だって、わたしに早紀ちゃんの代わりはできないんだからね。しっかりしてよ、すずちゃんっ!」
 そう言って美鈴の肩を抱き寄せた。
 友の慟哭を身体で感じながら、「ごめんね、心配かけてごめんね」と、ただ京子に謝るしかない美鈴だった。


_______毒牙


 8月最初の日曜日、池袋東口裏の雑居ビル地下にある会員制SMクラブの事務所――。
「なんか、凄いわよ」と、外から帰ってきた楓のママ、野々宮潤子の一言が気になり、美沙樹は従業員用エレベーターで1階に上がった。通用口のドアを開けて「あっ!」とおどろいた。
 見上げる空はざんざん降りで、しかも顔をだしたとたん、「ぴかっ!」と閃光が驟雨を切り裂き、雷鳴がとどろいた――。
 あわてて首を引っこめ、下へ逃げ帰った。
 地下2階の事務所にもどると、2人の同僚Sネエがママと顔を見合わせていた。
「ね、凄いでしょ?」
「いまの、近くに落ちた音よ、きっと」
 同僚の1人が、美沙樹も思っていたことを興奮気味に言った。
「困ったなあ、こんな降りじゃ」
「あなた、もう帰っていいわよ。この天気じゃ、もうお客もないだろうし――」
 ママが気を利かせた。
 これでは一月まえ、美鈴とかいう子がきたときとおなじ状況だ。ちがうのは荒天が台風のためでないのと、雷というイヤなオマケ付きなこと。美沙樹はそう思った。だから、
「せっかく早退けさせてもらっても、これじゃ出られないじゃないですかあー」
 ブツブツ不平をこぼした。
「だから車で送ってあげるわよ」
「え?」
 そういえば、Sネエの1人がいそいそとパウダーを当てて出じたくに余念がない。
「派遣依頼が入ったのよ」
 ママが携帯電話を振って応えた。
 こういう嵐のときはマニアの血も騒ぐと見える。ダメ元で電話してくるのを、車と女の子の余裕があるときこうして応じる。お客がSなら美沙樹が行かされたところかも知れない。
 つぎに上がったときには、通用口まえには車が着けられていた。
 稲光と雷鳴のなか、豪雨を突いて走り出すとすぐ、同乗の子が不平たらたら、
「この天気でお茶挽いてられると喜んでたのに……」
 反対に美沙樹のほうはうきうきしていた。
(愛ネエと愉しむの、何日ぶりだろう……)
 指折りかぞえ、ドキドキした。
 運転手は慣れた男の子で、愛や美沙樹の愛の巣も何度か訪ねていた。S嬢を池袋駅近くで降ろし、あとは千早町へと直行した。
 閑静な住宅街に建つ7階建てマンションのまえに着いた。
「ごゆっくり」
「サンキューっ!」
 はやる心で管理室まえをとおり過ぎ、気づいたらエレベーターに乗って最上階ボタンを押していた。
 ここの住人は水商売が多く、下の6階全部とここ7階の他の4部屋は某事務所が、社宅として借り切って専属ダンサーに充てており、夕方から明け方まで原則誰もいないことになっている。プレイにはおあつらえ向きの環境だった。
 愛の巣にはキューピットがぶら下がっていた。
 ブザーを鳴らす。
 待っていたように、すぐドアが開けられた。
(あっ!)
 もうすこしで声に出すところだった。
「いらっしゃい」
 川村みどりが真っ赤なルージュの口元を微笑ませてドアを大きく開けた。

 くくくくっ、と、みどりが笑った。ひとしきり笑って携帯電話の相手に応じた。
「ちゃんときたわよ。さすがに驚いて最初は戸惑ってたけど、もうすっかり観念したわよ」
 半開きのドア越しにそこだけ「ぽっ」と明るくなって、テーブルからはみ出た美沙樹の下半身の半分、くの字の太腿から下が見えている。
 電話の相手は愛だった。
「あーあ、またしばらく機嫌悪いわね」
 本心かどうかわかったものではない慨嘆の声が受話器から伝わった。
「むくれさせておいて仕置きの口実にする。いつものパターンじゃない。じゃあ、また」
 あっさりかわして電話を切った。
 ダイニングルームからリビングにもどるが、間接照明のまえをいったんは素通りし、奥まで行くとカーテンを開け、その窓も開けた。
 雨が音とともに入り込んだ。
 いつもならきれいな星空も望めるが、この嵐ではあいにくだった。ただ、彼方の空では、まだときおり小さな稲妻が申しわけていどにぴかっ、ぴかっと光っていた。
 窓を閉じた。
(10時――)
 壁掛け時計を見上げ、時間を確認した。
 テーブルに目隠しされた美沙樹の小柄体型がハリツケにされている。むっちりした太腿の下半身にくらべ上半身は華奢だ。暗いなかで、緊張の喘ぎにつれて美乳が、そのしたのあばらを浮き立たせておおきく息づいている。
「カエルの解剖を思い出すわ」
 ライトに照らされた下半身を見て言った。
 部屋の隅にはAV機器もそなわっていた。
 大型テレビの前の三脚付きビデオカメラを取ってきて、美沙樹のその部分を撮す位置に立てた。ビデオにつなぎ、デッキ側には3時間テープをセットした。録画ボタンを押した。
 テーブルからはみ出た下半身は、極端なガニ股体形に開いて腿の付け根を縛り、折り曲げた膝から下の足首も支柱にくくりつけてある。
「〈沙樹〉ちゃんガエルの解剖だわ」
 頭の一字を抜いた呼び名で戯れ口たたき、カメラを邪魔しないテーブル横に立った。ワゴンの上のコントローラーを20ボルトにセットし、コードを結んだドライバーを手にした。
「すこしきついわよ」
 覚悟をうながし、2本の先で股間を突いた。
「ぎゃあっ!」
 悲鳴が叫ばれ、テーブルがギシギシと音を立てて揺れた。
「つうっ、うんむううーっ!!」
 必死に声を殺して小柄な背中が円孤を描いて震えた。

 いったんドライバーを置いた。2つのドライバーの先はぬるぬるに濡れていた。
「はあ、はあ、はあ……」
 みどりが美沙樹の喘ぐ息が届く近くまできた。
「10分が1時間にも思えたんじゃない?」
 耳元でそうささやいてから、またライトに照らされた股間に向きなおった。
 ふわっと盛り上がった中心は勝手なほうを向いた生え方だが、周囲は薄墨で掃いたように靄って見える。美鈴の陰部もこうだった。
「さ、こんどはクリよ」
「………!」
 手が細かなちぢれ毛が縁取る大陰唇を押しのけ、小陰唇を剥き上げた。紐付きクリップを2個、3個、柔襞にはさみ付け、紐の先を太腿を縛ってあるロープに結びつけた。
 もう片方も同様にして秘貝がぱっくりと開かれた。
 変圧ダイヤルの数値を15ボルトに下げた。それでも快楽責めにはきつい。美鈴にだって10ボルト程度しか試してないのだ。
 開いた秘貝の中心にドライバーを近づけた。
「ひいいっ!」
 尖った先がクリットをつまみ、力を込めてはさみこんだ。
「いやっ。むううっ……」
 声を殺し、歯を食いしばった。
「すぐよ、すぐ慣れるわ沙樹ちゃん」
 加虐の欲望にとり憑かれたサディストの本能は、美沙樹の苦悶を悦に入って愉しんだ。
「ひいいーっ!!」
 また背中がおおきくのけぞった。

 さらに30分経った。
 壁掛け時計の針は10時40分を差していた。
「あ、ああ……」
 ドライバーの先は、さまざまに形を変えて執拗にクリットをなぶっている。クリップで引っぱられ、無理に口を開けさせられた柔肉の割れ目は愛蜜をしたたらせつづけている。
 じつは美鈴のまえで愛が言ったことなど嘘っぱちで、美沙樹はこれまで電気責めなど未経験だった。それが3、40分のいたぶりによって、いつしか悲痛な呻きに甘美さが混じっていた。
「あ、あーあ……」
 みどりが、照明の先を上に向けた。上体から先がぼんやり明るくなって、目を半開きにした悶え顔がのぼせたようになっていた。
 電圧をきっちり10ボルトまで下げた。
「さ、こんどは尿道に入れるわよ」
 美沙樹が「ひえーっ!」と叫んだ。
「すぐよ、すぐに慣れるわ」
 そう言ってなだめ、ドライバーの片方を膣に挿入してそのままにし、ヒマになった指で尿道孔をひねり出した。
 そこへ別のドライバーの先を押し当てた。
「きゃあーっ!」
 美沙樹が卒倒した。
 テーブルを揺すって腰が逃げようとしたが、みどりは身体ごと押さえつけ、ドライバーの先を尿道のなかにゆっくりと入れていった。
「ひぎゃああーっ!」
 暗いなかで美沙樹の上体がのたうちまわり、あばら骨が無惨に浮き立った。
 みどりが口元をゆがめた。尿道に食わえられたドライバーに愛液がにじんでいる。ゆっくりと滲みだしてきた。
「ふふふふ、身体は電気を欲しがってる」
 そううそぶいたとき、「うーっ!」と悲痛な呻きとともに、すうーっと尿道からあふれる愛液がドライバーを伝わって流れた。
「あひいーっ!」
 悲鳴――だが、2筋目の愛液がドライバーを伝わり、しずくが玉となり、細い糸を引いて床にしたたった。
「ああ、あっ……」
 悲鳴がさっきより弱くなった。
 気まぐれと思わせ、じつはみどりは美沙樹の反応を慎重に見きわめ、ドライバーを持つ手に力をくわえたり、静止したりした。そのたびごとに、
「うーっ、うあぁっ!」
 悲鳴が高まり、悲鳴に合わせて愛液の発散が見られた。つつーっと流れ、糸を引きつつ床に垂れた。
「ほらね、沙樹ちゃん、もうすっかり電気責めの虜(とりこ)だわねー」
 そう言って笑った。
 美鈴も快楽電気責めでつなぎ留めたつもりだった。誘えばいつでも乗ってくると電話した。だが、2度目以降は出ず、やっとつかまったかと思ったら、あの恫喝だった。
(あれはたぶん京子。だが、そうなると……)
 女刑事高嶋裕美とはツーカーと思い込んでいたから京子の怒りも当然だが、それでは美鈴が知らなかったことの辻褄が合わなくなる。
 いずれにせよ美鈴の捨て身な姿勢は威圧的で、京子とてゆだんならない。
(美鈴をたらしこむには別の手が必要だな)
 思案をめぐらせながら、また美沙樹への電気責めを継続した。

 電気責めプレイは延々つづいていて壁掛け時計は12時になろうとしている。
「きひいーっ! ああ、つうーっ!」
 美沙樹が半狂乱の声をあげていた。
 このときにはドライバーは2本とも、みどりの手で操作されていた。
 1本は尿道深く挿入され、金属部分を支えつつ指の先で尿道孔をひねりだし、別のドライバーは途中の部分をクリトリスに触れさせ、なおかつ尿道孔近くに押しつけられている。
 美沙樹の局部は、そのとき快感電流の回路と化し、尿道孔や膣から愛液をしたたらせていた。
「うあ、ぬああーっ!」
 首を振って身悶えした。
 頭のうえで組まされた両手、ガニ股ポーズで縛りつけられた両足、それら四肢は硬直の筋をぴくぴくさせ、胸の下にはあばら骨の浮き立ちを際だたせている。
 尿道孔に向かって伸ばされたドライバーを押しつけるとき、美沙樹の反応が高まった。
「う、うっ……ああーっ!」
 くの字が向かい合って伸びている下肢がぶるぶる震えだした。
「沙樹ちゃんが発散するラブジュースが世界地図描いてるわよ」
 世界地図は冗談にしても、たらたらと愛液が糸を引いて落ちている絨毯の床には確かに染みが広がっていた。
「あ、あ……うむうーっ!」
 背中を浮かせ、あばらを浮かせて悶える美沙樹の口からむずがるような、感極まったような2種類の呻きと悲鳴がくりかえされた。
 いつしかあたりには、むせ返るほどの性臭が立ちこめはじめていた。
「あ、あっあっ……」
 苦悶が際だとうとしていた。
「行くのぉー?」
「い、い……ああっ!」
 美沙樹が、またも絶頂の瞬間(とき)をむかえようとしていた。
「あっ、ああっ……」
 振り返ったみどりが美沙樹の苦悶を見つめつつ、(まだ、行かせるものか!)と思った。
 ドライバーを持つ手に、微妙な力とバリエーションの変化をくわえた。それが美沙樹の快感反応に、微妙な苦痛反応を加味した。
「ひいっ! あ、ううっ!」
 ドライバーの力の強弱につれ、悲鳴が瞬発的に起こった。快感の電流波に電気ショック刺激がプラスされた。
「ああ、あっ! ひいっ!」
 ガクン、ガクンと背中がのけぞり、大きく割れた太腿がひくつき、美沙樹の小柄体型をしっかりくくりつけたテーブルがぎしぎしと揺れた。
 愛液と体液の発散が一時弱くなった。
「うああーっ!」
 美沙樹の悲鳴が大きくなって、暴れかたも激しくなるときは、みどりが気まぐれにドライバーの腹の部分を尿道孔に強く押しつけたときだった。
「いやあっ、いやいやっ!」
 激しく拒否の声もだして、そのときばかりは床に届きそうな爪先が固く丸まり、縮こまってブルブル震えた。
 あたりに立ちこめる性臭が一気に強くなった感じがした。
 限界が近い。
 そう思ったとき――
「ひっ!」
 一声、笛のような悲鳴を発し、ガニ股に伸ばされた下半身が激しく痙攣した。爪先がこれ以上ないほど丸まって力んだ。
 たらたら、たらたらっと、尿道からは透明の体液がしたたり、膣からは乳液状の愛液がじゅくじゅくとあふれ、白い糸を引いてゆっくりと床に落ちていった。

 時計が1時を差した。それを確かめ、電気責めを中断した。
「さ、こんどはちがうことね」
 耳元でささやいておいて、部屋の奥のオーディオラックに近づいた。
 ずらっとならぶ音楽CDのなかからドナ・サマーの『愛の誘惑』を選んでかけた。

  AAA―― Love To Love You Baby
  AAA―― Love To Love You Baby……

 単調な歌詞の繰り返しに、濃厚な愛のため息がかぶさるセクシーソングに乗って、いつの間にか足音を忍ばせ、美沙樹のいとしい愛がそばにきていた。
 耳元に口を寄せ、ささやき声で訊いてきた。
「どうでした?」
 こんどはみどりが、愛の耳元にささやき返した。
「3時間、濡れっぱなし。すっかりビデオに録ってあるわ」
「一汗かいたらよく見て勉強させてもらいます」
 愛が、かしこまった言い方をして奥へ向かい、ほどなくして甘えた声が聞こえた。
「なんでよぉー」
「ごめんごめん。あとはたっぷりわたしが……じゃ、いいわね?」
 あやし、あやされるやり取りのあと――
「うっ、うーっ!」
 美沙樹の悲痛な、だが甘美な呻きが起こった。
「あー入る入る。拳、入ったよ、美沙樹ぃー」
「ひいっ!」
 悲鳴と水音――
 ため息ソングが混じる悩ましい雰囲気いっぱいの愛の巣を、みどりはキューピットがぶら下がる扉を押してあとにした。


_______ダイイングメッセージ


 劇は、まだはじまってはいない。
 ただ、幕が開いたままの舞台スクリーンには、ここに入ってきた当初からわずか十数行の詩が映しだされたまま消えずに残っていた。

  なんぼうにも
  むごいよ
  みんなにもうわすれられて
  埋もれてしまった
  ほとけたち……

 美鈴はとっくに読んでしまった詩の残り4行を、まるで心の陰画に焼きつけでもするかのように、じっと見つめたままでいた。

  月のかたぶくばんには
  ゆうれいになってやってこい
  母さんとはなそうよ
  うしろむきになってはなそうよ
      (「声なきものへ」 山田数子)

 やがて開演――。
 童謡「やしの実」のメロディーがながれるなかを、麦わら帽子に普段着姿の6人の女優が色違いの台本を手に登場した。
 舞台スクリーンには美しい空がひろがっている。波の音も聞こえてきた。
 ある者は立ち、そしてある者はすわったままで一人ずつ朗読がはじまった。

 演劇集団、地人会による「この子たちの夏」は、広島、長崎の原爆禍に遭った子や母たちの詩や手記などを元に構成し、6人の女優が中心になってつぎつぎに語り継ぐ朗読劇である。
 戦後40年の1985年、その年1年限りの予定だった公演はファンの声に衝き動かされて毎年行なうようになり、2002年のこの年は6月から順次地方公演を経て、本拠地東京にもどった8月は6日から9日まで銀座で催された。
「まえから一度見たいと思ってた舞台なのよ。こないだの仲直りを兼ねて、すずちゃん行こう? ね、行こうよ」
 そう言って京子が熱っぽく誘いかけ、美鈴が快く応じてきた8日は、明日は最終日という夜の部の舞台だった。

 朗読は銃後の広島、子どもたち家族のその日の日常スケッチからはじまる。
 勤労動員に行く姉を見送る妹。ハシカで寝ていた男の子。隣家の猫にミルクをとどける少女。祖母の葬式で疎開した田舎からもどった子はやさしい母の笑顔に迎えられ、幼い弟を抱いてあやしていた。
 警戒警報――。
 見上げる空に銀色の機影が朝日に映えた。3機のうち、2機は去った。残る1機が四角いマッチ箱のようなものを落とした。
「落下傘に付いたものが落ちてくるぞ」
 そう言った大人もいた。
 寝間着から服に着替えようと思った人。その作者が感じた“ピカ”は、朗読では「わたしのまえに赤鬼が立ったように見えました」という表現だった。ただ、「幾百のマグネシウムを焚いたような光を感じた」というほうが具体的で空恐ろしく感じられた。
 そのあとは人工地獄の再現だった。
 劫火のなかを生き別れた家族をもとめ、水をもとめ、服も髪もぼろぼろの焼けはだかになってさまよい歩く幾百、幾千の人々の群れ。「空も地上も灰色一色にぬりつぶされ」、この世に色というものがあるなら「全身血まみれの赤ばかり」だと朗読は語る。
 のちに原爆詩人と呼ばれた人の詩も読まれた。

  なんのために
  そしてあなたたたちは
  すでに自分がどんなすがたで
  にんげんから遠いものにされはてて
  しまっているかを知らない……
      (「仮繃帯所にて」峠 三吉)

 美鈴は最初から最後まで身じろぎもできなかった。語られる言葉は日常語だが、内容の悲惨さに恐怖さえ感じた。そして自分があの日、あの時の広島に、長崎にいるように錯覚した。

 気がついたら、劇が終わっていた。
 おおぜいの観客といっしょにロビーに吐き出されたとき、美鈴は軽い疲労感におそわれて、できれば座るところを求めたかった。
 ホールを出ても、ビルから出て表通りのネオンの並木を歩いても、美鈴も京子も口を利けなかった。
 いっしょの電車にならんで座った。
 京子がぽつりと言った。
「なんだか無性にお母さんに会いたくなった」
「わたしも――」
 その夜はそれきり、美鈴は友と語り合うことなく別れた。

 地元墨田に着いたとき、美鈴は大通りに出ないで、わざと人気のない裏道を選んだ。
 大人の背丈以上もあるコンクリート塀がつづく道は、塀のむこうに隅田川から分かれた人造河川が3キロ超にわたってつづく。そこを歩きながら朗読劇の余韻にひたった。
「水ヲ下サイ」は原爆碑文にもあるが、繰り言と思いつつ、「どうせ死ぬならなぜあのとき腹いっぱいの水を呑ませてやれなかったか」と悔やむ母心が胸を打つ。
(そういえば、このあたりも東京大空襲では水を求めて無数の人が亡くなったんだわ)
 そう思うと怖くなった。
 劇の最後を飾った詩は最初1人で、次いで2人、3人、それからまた1人にもどり、あるいは4人になってと変則的に朗読されたのだった。
――明日も輸血が入りますよう! 白血球よ増えるな。こんなに苦しいものなら早く死にたい。でも、どちらかといえば生きたい。生きて料理がしたい。朝の散歩もしたい。わたしいま25歳。お母さんにまだ甘えたっていいでしょ。××先生、○○先生、試験台でもかまわないから治してください。生きてあの空を仰いでみたい……
 そんな内容だったが、原爆病に蝕まれ、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて逝った女性の無念が、あのとき6人の女優の連朗読によって津波のように心に押し寄せたのだった。それを思い出して涙をこぼした。
 見上げた夜空に月は煌々と冴えていた。
 その月を見ながら、スライドにでてきた子どもたちの顔を一人一人思い浮かべながら美鈴は下宿に帰った。

  月のかたぶくばんには
  ゆうれいになってやってこい……

 あの詩を思い出し、美鈴は唐突に早紀を思った。
 あわてて居間に飛び込むと、ちょうどひと月まえ、京子からもらってきた晩から座卓のうえに載ったままのワープロから、カバーを取り去った。
 ずっと鎖されていたものが、なにかの拍子に突き抜ける、その刹那の予感があるものだ。このときの美鈴のひらめきがそれだった。
「アザミ。もしかすると……」
 入力しっぱなしの6行の文字を見つめて首を振った。
「かんがえすぎよ。まさか、そんな……」
 ただ、この時点でも気になることがあった。
・なぜ、連続した手紙文ではなく、詩のような形式の手紙文だったか。
・そのなかの句読点である「、」と「。」がハッキリと書かれてある。
 この2点によって、流麗な早紀直筆の筆記体ではわかりにくい文字の配列が、升目に沿った文字、つまり1字1句確実な文字送りとなるワープロでならわかるのではという想像だった。
 6行だけではこうなる。

 
鈴ちゃん、今日も元気にしてますか?
 
なたのことは、ずっと心配でした。
 いつも、
んなにヤキモキさせられたか。
 甘えてふ
けて、エッチまでしたよね。
 そんな思い出づく
、楽しかった。
 そしてこれからも
鈴ちゃんとは一緒です……

 6行中の「あ」「ざ」「み」のとなり合った文字をたどると「みどり」になる。これは偶然だろうか。もし、これがダイイングメッセージだとしたら? とにかくやってみることだ。
 馴れない器械操作にぎくしゃくしながら、はやる気持ちを抑えに抑え、やっとの思いで時間をかけて全文入力した。
 それをプリントアウトしてから青ペンで「あ」「ざ」「み」の全部に青丸をつけ、つぎには赤ペンでとなり合う文字に赤丸をつけた。
 そして、愕然と肩を落とした。
 翌日美鈴は、京子を電話で呼びだした。
 自分から出向くというのを、京子のほうから美鈴の下宿にきた。
 さっそく京子のまえに謎解きした紙を置いた(ここでは青と赤の○を付けた部分を色ちがいに表示する)。

  鈴ちゃん、今日も元気にしてますか?
  
なたのことは、ずっと心配でした。

  いつも、んなにヤキモキさせられたか。
  甘えてふ
けて、エッチまでしたよね。

  そんな思い出づく、楽しかった。
  そしてこれからも
鈴ちゃんとは一緒です。

  どんな遠く離れても早紀は一緒です。
  だから
なたは心強く生きて。

  そして、過などは忘れて下さい。
  いつかのア
ミの様に逞しく生きるのです。

  決して後指差される生き方はしないでね。
  もう、黄
の国へと旅立たねば。

  ヨナラを告げる時がきました。
  
なたの新しい年が幸せに輝きますように。

  素敵な天使が訪ますようにと祈ってます。
  遥かオリオン星
の彼方より……。

  とえ、この身が灰になっても。
  
鈴ちゃんへ           早紀



 青をたどった赤はこうだ。
――美・ど・り・に・去・ろ・サ・れ・た
 すなわち「みどりに殺された」になる。

「あの劇のはじまるまえ、ずっと出てた詩あったでしょ? 早紀ちゃんにも、どんな姿であっても出てきて欲しい。そしたら一生懸命、みどりの家の近くのこと言わずにおいたこと謝ろうと。
 つぎに、さっきいった詩のタイトル『声なきものへ』だったでしょ? 早紀ちゃんに、声だけでも伝えてこれるとしたら、なに言ってくれるだろ。早紀ちゃん残したものは手紙だけでしょ?
 ううん。じつは手紙だけじゃなかったのよ。ほらね、アザミの押し花。ずっと大事に、汚れたりこすれて傷ついたりしないで持ってられるよう、ラミネート加工したのはわたしなんだけどね。
 そう思ったら、手紙にあった“アザミ”――」
 美鈴はいまでは形見のそれを示しながら夢中にまくしたてるのを、京子はいちいちうなずきながらじっと聞いていたが、
「ダイイングメッセージだと思ったのね」
「18行中“アザミ”が連続した1単語は真ん中の10行目だけで、これがキーワードを暗示してるとピーンときたの。それでよく見たら偶数行に“アザミ”と読める文字が順送りに3回、あとはメッセージの文頭の“ミ”と――」
「唯一しくじったと思える最後から2行目!」
 京子が待ちきれずに指摘した。
「そう。『たとえ、この身が』の“ミ”ね」
 それには京子がこう推理した。
「惜しかったよね、早紀ちゃんの勘違いだと思う。だって、『身体』と書いても『からだ』と読むでしょ? 早紀ちゃんそういうむずかしい使い方知ってるから。それで2つのうちの1つ残しまちがえたのよ」
 この推理には美鈴が感心した。
「暗号としては単純な方式だけど――」
 京子はそこで絶句した。絶体絶命の境地でこれをかんがえついた早紀には驚嘆するしかない。
「で、どうする?」
 美鈴は京子の答えを待とうとしたが、
「決まってるじゃない。警察行くのよ」
 そう答えたが、そのあと2人で顔を見合わせいっしょに叫んだ。
「女刑事さん!」


_______死んだはずの女


 翌日、美鈴は京子と相談して高嶋刑事を訪ねた。
 受付で待っていると、折り目正しく制服を着込んだ裕美が足早に現われた。9年経って「女っぷりが上がった」というのは京子の印象だったが、美鈴は「相変わらずカッコいい」とドキドキする思いで迎えた。
「うわーっ! 2人とも、すっかり大人になっちゃって。よく来たわねぇー。でも、どうしてここにいることが……」
 言いかけたものの、すぐに気がつきバツの悪い顔をして舌をだした。
「あなたたち食事まだでしょ? わたしも今日お弁当じゃないから、いっしょに行こう? この近くに、おいしい店あんのよ」
 美鈴と京子の顔を均等に見て誘った。
 壁の時計はまだ12時まえだ。京子が表情にだして気にするのへ、
「いいのよ。どうせ古い捜査資料整理するだけのヒマなポストだから――」
 そのときだけはあたりを気にして小声で言って、そのまま3人で警察署をでた。
 美鈴と京子が裕美の消息を知るきっかけとなったのは、7カ月まえの〈拳銃暴発〉が新聞ダネになったことだった。

――横浜市内で連続していた女性暴行事件で神奈川県警は22日深夜、手配中の容疑者が逃亡途中に人質を取って潜伏していた横浜市中区の廃倉庫を強襲して暴力団組員柳原真人容疑者(37)を緊急逮捕、人質となっていた女性(28)を無事解放した。
 なお、犯人逮捕の際、神奈川県警横浜Y署高嶋裕美警部補(31)が犯人威嚇に使用した拳銃があやまって暴発したが、人質、犯人ともにケガなどはなかった。

 記事はほとんどこれだけだったが、9年間、捜査第一課――一課といえば、あつかうのは殺人・強盗・放火・誘拐など凶悪犯罪で、そんな現場でたたき上げたベテラン刑事が、拳銃の暴発などというお粗末があるだろうか。だが、その日の美鈴、京子がその件に触れることはなかった。
 裕美が2人をさそった店は、署をでて5分ほどのそば屋だった。
「ほんとは豪華にご馳走したいところなんだけど、例の減給が響いたままで懐さびしいのよ」
 そう言って、また舌をだしたが実際のところは減給どころではない。平巡査にまで降格されたのだった。
「でも、ここのさぬきうどん、美味しいよ」
 そう言ったから美鈴が「けらけら」笑った。
 京子がきょとんとした。
「裕美さんはうどん屋が信号の数より多いという四国、徳島の生まれなんだよね。それも老舗(しにせ)のうどん屋の一人娘」
 紹介して美鈴はまだ可笑しがった。
 これじゃ9年前、「気楽に話せるよう」という配慮から、みどりに関する事情聴取を“女対女”でするため下宿に呼んだときとおなじだからだ。あのときも「お寿司の出前でも」といいつつ、結局は裕美が調理したさぬきうどんを食べさせられたのだった。
「でも、美味しかったですよ」
 注文を待つあいだ、美鈴は京子と顔を見合わせ用件を急いだ。
「これ見てください。早紀ちゃんからきた手紙をワープロ印字したものですが……」
 美鈴がポーチから出して見せた。
 2種類の丸を追っていた裕美の顔が険しくなった。ただ、それは意外というより「予想していたことが的中した」といったおどろきだった。
「いったいこれはどういうことなんでしょう」と京子が訊いた。
「……………」
 裕美はなにも答えられなかった。
 殺されることを前提に無理矢理遺書を強制される極限状況に、持てる思考力を総動員して暗号をかんがえだした機転と能力――裕美もまたそう思って肚のなかで感心しきっていたのだ。
「あのとき気がついていれば……」
 美鈴が唇を噛んで苦渋を色濃くした。
 京子だったら解いていたかも。そうであれば事件は別の形で展開していただろうと、読み解いた夜からずっと悩みつづけてきたのだった。
 けっきょく9年という歳月は美鈴にあらたな悔恨を植えつけ、早紀への負い目を深めただけなのかと裕美は痛ましい気持ちにさせられた。
 そば屋を出た。すこし歩けば海の見える山下公園もあるが、雑踏を避けて近くの小公園のベンチに3人ならんだ。遠くで3組ばかり母子連れが遊んでいた。
 裕美は、なによりもまず美鈴をなぐさめた。
「美鈴ちゃんが自分を責めることないわ。悪いのは川村みどりとその仲間たちなんだから」
「そうだよ、すずちゃん」
 京子が、黙ってられずあいづちを打った。
 地元I県K署では、SMパーティーに参加した何人かのメンバーの不審死を、殺人事件とみて細々と捜査を続行中だが、「首謀者が高飛びでは、しょせんムダな労苦」といった空気が強く、さっぱり意気が上がらないのだ。
 その話がでて、京子のさっきからの無言の催促もあって、美鈴にいよいよみどりとの再会を告白しなければならない時がきた。
「じつはね、裕美さん。あの川村みどりから電話があって――」
 そこまで言いかけたとき、京子と美鈴がぞっとするくらい裕美が凄い形相になった。
 その理由を2人に説明するわけにもいかず、どうやってその場を切り抜けるか、ほとほと困り果てたくらいだった。

 その夜のことである。
「“9・11”で死んだはずの女が生きていたというのはどういうことでしょう」
 2人以外、絶対周囲に聞こえないくらい密やかな声で言った裕美に、かつての同僚で、いまは警視庁捜査一課の警部である宇津木一行が殺気を込めた厳しい顔つきになった。
 頭のうえをJRの高架が通る赤提灯は、ときおり通過する電車の響きも気にならないくらい客でにぎわっていた。その喧騒がそのときの話題にはもってこいだった。
「9・11」とはもちろん1年前の2001年9月11日、ニューヨークで起きたいわゆる「同時多発テロ」で、ハイジャック犯に乗っ取られた旅客機4機のうち、2機が世界貿易センタービルへ自爆攻撃を敢行し、ほかの1機はペンタゴンに突っ込んだと〈いわれている〉。
「いわれている」とカッコ付きで語らねばならないのは、事件には謎が多く、アメリカによる国家犯罪としての「やらせ」から「自作自演」説まで、じつに陰謀めいた事件だったからだ。特にペンタゴンの件では、突っ込んだのは旅客機でないことを示す反証がいくつも挙げられている。
「亡霊がよみがえったか」
 話を聞いて宇津木が象徴的な言いまわしをした。
 ただ、裕美にとって9・11は他人事とばかりいえなかった。事件のあったその日その時、センタービルを見学におとずれた友人がいて、事件後もなかなか確認されない死亡者情報にいらだつ日々を送ったものだった。
 日本にいてもだめだと知って現地に飛んだものの、残骸が撤去しきれず、まだ硝煙のくすぶる現場に立ってみて、現地の人々がそこを“グラウンド・ゼロ”と呼ぶことに、裕美は戸惑いと違和感、さらには憤りすらもおぼえた。
 グラウンド・ゼロとは核爆発による爆心直下。「草も木も生えない不毛のゼロ地点」という意味では広島・長崎を象徴する隠語。犠牲の多寡でなく、いまだ原爆を正当化するアメリカ市民による安易な名称使用がどうにもうなずけなかったのである。
 結局、友人の生死は確認できなかった。
 代わりに見つけたのが「ミドリ・カワムラ」名だった。本字では河村碧だが、彼女が勤務していた中東マーケティング・リサーチなる実態のわからない企業の社員名にイングリッド・パーカーの名があり、それによって河村碧が川村みどりであることは確定的とかんがえられた。
「偶然だろう」
 宇津木は断定した。事件を未然に探知していて、それを敢えて止めなかった「やらせ」はあっても――事実“9・11”をテコとしたその後のアメリカの世界戦略はつごうが良すぎるほどうまく運んでいる――が、これがまるっきりの自作自演で、事前に知っていた2人が難を逃れられたなど「話が面白すぎる」というのだ。
 だが、もし事実なら――。
「敵は女をこのままにはしませんよ」
 ここからは多少話が洩れてもけどられぬよう、言葉を選んだ。“敵”とは米政府であり、同時にCIAであり、軍であるかも知れないと当てはめている。
「そして〈偶然にしたい〉となると女が邪魔。いろいろ知ってるんだから。女だけをなんとかするか、それ以外関係のある者全部――」
 バッサリ、というジェスチャーで人差し指を斜めに振り下ろした。
「それじゃリスクが大きすぎます」
「じゃ、この際女だけだな。とすると、それを感知した女は女で自分だけヤ(殺)られないようどう出るか」宇津木は言いかけ、「なんでだ? 彼女はまたなんでのこのこ帰ってきた、いや、帰ってこれたんだ。敵は監視しているはずだろ」
 疑問にすべきことがらに思い当たった。
「ヤられない目算があるからだ。いや、ヤりにくいよう関係者を増やすためにきたのか!?」
 それならとんでもないことだと思いなおした。
 裕美が血相変えた。
「美鈴ちゃんには今後接触しないよう言いましたが、もっと強く念を押しときます!」
 これはハッキリと自分の胸にも言い聞かせた。
 そして、例の紙を宇津木にも見せた。
 じっと読み漁る宇津木の目が潤んでいき、やがてギラギラとたぎった。
「早紀ちゃん凄いな! 凄い精神力だ。よく、これだけのことを――!」とあとは絶句した。
「わたしたちはそれに応えられませんでした!」
 裕美も唇を噛んだ。美鈴に言いたかったことが正にそれだった。「相手は強大すぎて、たとえダイイングメッセージが読み解けたとしても、あの時点では手も足も出なかった」と。
 宇津木がまっすぐ裕美を見た。
「これはもしや、早紀ちゃんのお導きかも知れないぜ」
「え?」
 宇津木が急にそわそわとして口吻を抑えきれなくなった。
「どういうことです?」
 裕美が耳打ちされた。
「ずっと考えてたことを実行に移す。そのための“爆弾”じゃないか」
 例の廃倉庫で犯人を〈射殺しそこない〉、そんな裕美を降格で済ませた奥の手が、宇津木がいま言った“爆弾”だったのだ。


_______面影の街


 秋も深まり、ときおり吹く風に冷んやりしたものを感じるまでになった。
 仕事を終えた美鈴が、職場近くの洋品店でウインドショッピングして時間をつぶし、腕時計を見たら8時。あわてて地下鉄に向かった。
 仲見世通りを抜けてあとすこしで駅というとき、アーケードをはずれた路地の一角がやや殺伐とした雰囲気だった。男のはやしたてる声にまじって嫌がる女の子の声もしていた。
(なんだろ――?)
 駅の方角でもあり、野次馬根性もてつだって足が自然と騒ぎのほうに向かっていた。
 路地の暗がりで、若い女性が男たちにからまれていた。
「ンなこといわないで付き合ってよ、ねえ? ただお食事だけと言ってるんだし」
「君みたいな子、そばにいるだけで俺たち癒されるんだからさ、叶えてあげてよ」
 ナンパが高じての嫌がらせだ。こんな男どもにのこのこついて行けば、結果は目に見えている。
(それにしてもなんなの? この無関心の人波は……)
 美鈴は怒ると同時に、どこか見憶えのある光景だとも思った。
 そうだ、あのときだ――いまでは親友の京子との出逢いでもある故郷S川の土手だ。紺野梨沙のグループに脅される京子を、美鈴をふくめ周囲は見物するだけだった。
 いまは見物もしない代わり無視して通りすぎ、助けない点ではあのときとおなじだ。止まって見ているのは屋台のおでん屋と客だけで、さすがに彼らはバツが悪そうだった。
 美鈴が憤然として飛び出した。
「あんたたち、やめなさいよ。男3人で寄ってたかって恥ずかしくないの?」
「なんだぁ?」
 向こう見ずに割ってはいった美鈴に、いったん男たちは呆気にとられたものの、すぐ態勢を立てなおして脅しの矛先を美鈴に変えた。
「このネエちゃん、俺たちにご意見申そうということらしいぜ」
「面白いねえー。なにをおやめになされとおっしゃるのかな?」
 三方から2人をはさんだ。
 とっさに警官を当てにしたが、このあたりは雷門まえの派出所とも水上バス乗り場近くの派出所とも離れていて、2つの中間の死角だった。
「さ、僕たちになにを意見するのかな?」
「おとなしく拝聴しますから、どうぞ言ってくんなまし」
 じりじりと詰め寄った。美鈴はいつの間にか女性と抱き合い、進退きわまった。突如――
 ばんっ!
 大きめのショルダーバックで張り飛ばされ、男の一人がよろけた。
「いてえっ! 誰だ、この野郎!」
 不意を衝かれて他の2人も振り返った。
 こんどの邪魔も女性だった。ただし美鈴よりは明らかに年上で、しかも小柄な男たちを見下ろすくらい長身の颯爽たる印象だった。
「なにやってんのよ」
 不敵な面がまえでにらみつけ、手にしたバッグを振り上げ、またいつでもお見舞いするぞといった態勢でガンをつけた。
(早紀ちゃんだ!)
 美鈴はそう思った。
 もちろん現実にはそんなはずないし、顔だって年だってちがう。ただ、その登場のしかたがS川土手での早紀の登場のしかた――美鈴にとっては初めて早紀と出逢った瞬間の、あの場面にそっくりと感じたのだ。
「俺たちを相手にしようっていうのか?」
「おもしろい」
「やってやろうじゃないか!」
 大の男の3人が3人とも、こんどは本気の喧嘩腰になって助けにはいった女性と向かい合った。
 まるであのときの再現だった。こんどは3対1だが相手は男。早紀のときより強敵かも知れないが、この人もまた撃退するだろう。不敵な面がまえに美鈴は血湧き胸躍る場面を期待したが、こんどはそうはいかなかった。
「おまわりさん、あそこです、ほらっ!」
 誰か注進が、2箇所あるうちのどちらかの交番に走ったものとみえる。
「ヤバイ!」
 チンピラ3人は、声がした時点で風をくらって逃げだした。巡査が駆けつけたときには、初対面の女性同士3人、なにごともなく取り残されただけだった。
 その場でかんたんな事情聴取を受けた。それにより脅されていたのが吉野麗花22歳、あとの助けが矢木沢亮子27歳とわかった。
「この辺は観光地で、これまで物騒なことはなかったのにな。どうもなんだか……」
 警官は被害者であるはずの美鈴らに、一瞬だが見とがめるような視線をおくって引き取った。
 せっかくの場面に水を差された思いで美鈴が憤然としたまま見送った。
「なんなのよ。あれじゃ、こっちにも落ち度があるみたいな言い方じゃない」
「わたしたちが美人だから無意識に男を挑発したと思ったんじゃない。“美貌に罪あり”よ」
 亮子がうまい判定をつけて美鈴だけ笑った。
 ただ、すこしちがっていた。警官は片言の日本語をつかう麗花と、男たち相手に勇み肌を発揮した亮子を、「金が目当てで日本にきたアジアの女」「それを助けた男まさりの水商売女」と、偏見をもとに事件性を低く評価したのだ。
 麗花が他のアジア系というのは美鈴も感じていた。ただ、スタイルも良く美人なのに、どこか影が薄く、はかなげなのが妙に気になった。彼女を盛り立てる意味もあったか、
「意気がったらお腹空いちゃった。2人ともまだなら付き合わない? もちろんわたしのおごり。こうして出逢えたのもなにかの縁だし」
 亮子が誘ったが麗花は固辞した。
「わたし、これから行くところあるから」
「あ、そ。残念だけど、用じゃしかたないわね。で、落合さんのほうは?」
「わたしは喜んで!」
 満面笑みにして、ぺこりと頭を下げた。
 亮子とて本命は美鈴だったらしく、丁重に頭を下げる麗花に手を振り、あっさりと別れて美鈴とならんで歩きだした。
 美鈴は高揚たる思いだった。亮子に姿を変えた早紀とでもいるようだった。この亮子とならどこへでも、またなにをすることになってもかまわない、そんな有頂天な心地だった。

 人通りの絶えた路地の一角で、美鈴と亮子に別れたばかりの麗花が一時の逡巡を見せた。
 足が街灯の明かりを離れてある方向に向きかけた。
「待てっ!」
 暗がりから野太い男の声が飛んだ。
 その瞬間、足が金縛りにあった。
「警官の姿にビビって俺がトンズラしたとでも思ったか?」
「い、いえ、そんな……!」
 男の言葉に殺意すら感じて戦慄した。
 ミニスカートの裾から伸びる、黒のストッキングの線と艶っぽさが、街灯の頼りない明かりのなかにも悩ましく映えた。
 人が通りかかり、それが通りすぎて2人だけになった間隙を縫ってつづけた。
「おまえが行かなければはじまらんのだぞ。さあ、行くべきところに行くんだ。いいか、俺の目はどこまでもおまえに尾いて光っている、そのことを忘れるな!」
「は、はい」
 麗花は一瞬立ちくらみを感じたが、立ちなおって、何事もなければ美鈴が向かうはずだった地下鉄の駅のほうへ歩き出した。その先に待つものがなにかをとくと承知しながら――。


_______恐怖劇場へようこそ


 ここは3か月前、美鈴が招かれたプレイルームでもある。
 地下2階の楓407号室は小ホールとしても使用できるが、その広さと仕様にもっとも適した使われ方が、この夜のショーでもあった。
 それまでは4つのテーブルを配した会場に仮面で素顔を隠した会員同士立食、雑談してざわめいていたが、荘重なパイプオルガンの曲がながれだすと急に静かになりだした。
 照明がすこしずつ、すこしずつ落とされていった。左右隅に2つずつある緑の非常灯以外はすべて消え、真っ暗になる一歩手前に舞台の緞帳(どんちょう)が上がりはじめた。それが上がりきったところで曲も止んだ。
 カシャン――
 シャッター音で3方から光が放たれ、まばゆい明かりが交差するなか脚立椅子にみごとなプロポーションで、人の字に拘束されたパンティ1枚きりの、ほとんど全裸といっていい女の姿が浮かび上がった。
 おーっ……
 ホール中に静かなどよめきが起こった。嗜虐の視線にさらされ、あの吉野麗花と名乗っていた女が青ざめた顔をおののかせ、つぶらな瞳に涙をきらきら光らせていた。
 カシャン――。
 こんどの音では舞台の上手奥が横長にぼんやり明るくなりだし、そこに90インチの液晶プロジェクターがあることを分からせた。
 後ろ手に縛られ、V字にくり抜かれた腰かけ部分に尻を載せ、膝を椅子の支柱にベルト拘束されている。椅子が高い証拠には、すらりと伸びた足が床に届かず踵を宙に浮かせている。
 その姿をビデオレンズは斜め仰角でとらえ、太腿、股間のアップ、さらに顔まで見上げて横長モニター画面にぴたりとおさめていた。
 渇いた靴音がひびいた。舞台下手から医者の白衣を着た川村みどりが登場した。拍手に手を振って応えた。
「楓が主宰するミッドナイトSMショーに、ようこそお越しくださいました。今夜は不祥わたくしがインストラクターをあい務めます」
 身体のどこかにマイクを仕込んでいるらしく、暗い客席内へのあいさつが凛としてとおった。
「ここにお集まりのみなさんはSMの極致を求めてやまない特別会員のうち、なんと“電気責め”マニアさんばかりなんですってねえー?」
 とぼけたトークに失笑も沸いた。
「じつはわたくし、この道10年の“電気責めトレーナー”ともいわれております。ですからきっと今夜は、みなさまにご満足のいくショーをお見せできるものと自信をもっております」
 カーテンコールを気取っての芝居じみた会釈に、ふたたび拍手が沸いた。
 その拍手がつづくなか、こんどの白衣姿はアイシャドーの濃さといい、目張りのきつさといい、まるで京劇役者のようなメイクの顔でワゴンを引いて現われた。ワゴンからは電気コードが垂れてうしろへつづいた。
「助手を務めてくれる叶深雪ちゃんでーす!」
 拍手が盛り上がって、深雪と呼ばれた色白細身体型の女が元来無愛想が信条なのか、ほんの申しわけていどの愛想笑いで応じた。
「さて」と、みどりのほうは口調も雰囲気もがらりと変え、ワゴンから特徴のある先端部を持つ乗馬鞭を振った。
「この者は金麗花。22歳の中国人留学生ですが、とっくに滞在ビザが切れたのに金が欲しくてこの国に居残り、身分を偽って某商社の接待コンパニオンを務めていたところを発覚……」
 口からでまかせた罪状をならべたてた。
 会員情報から客の嗜好、思想、信条を吟味し、客が喜びそうな今夜のストーリーを組み立てたのも、みどり自身だった。
 鞭の先を麗花の顔のまえにかざした。
「!」
 なにかしらデザインしたものだろうが、ふくらみ部分はささくれていたり、えぐれていたりで見るからに刺激的だった。
 その刺激の先端が喉元をかすめ、胸の隆起を這い降り、つと止まって乳首をはじいて腹に触れ、そのまますうーっと下降した。
 先がパンティのなかへもぐり込んだ。
「うっ」
 とっさのことに麗花が呻いた。
 深く分け入った鞭が手前に傾き、パンティのゴム部分がぐうーと延びた。
 麗花が刺激に顔をひくつかせた。
 鞭は割れ目に沿って触れられ、刺激をあたえながら上下にこすらされた。
「あっ、うっ、ふううーっ……」
 麗花が刺激に反応した。
 大型モニターが功を奏する場面でもある。パンティにもぐって往き来する鞭の動作は、薄布のふくらみの移動でも見てとれる。
「う、うーむ。あ、あーあ……」
 首を振って拒否しながらも、無理に感じさせられ、ひきつる顔の眉間がぷるぷる震えた。
 モニターが映すパンティ部分が湿り気を帯びた。最初はそれとわかりにくかったが、やがてはっきりと染みになり、その染みが徐々に範囲を広げていくようすが見てとれる。
 みどりの手の動きが荒々しくなった。鞭でパンティを下に押しやって、陰毛の股間を見せながら膝ちかくまで降ろしていった。
 鞭が突然上向きになったと思うや、
「ひっ!」
 麗花がびっくりした声を上げた。一気に10センチほど挿入されたのだ。その一瞬、ぴちゃっと水音がした気がした。
 刺激の先で掻き回された。
「うう、ああっ!」
 身悶えする麗花を冷然とながめ、ひとしきり掻き回して、それからゆっくり抜き出された。
「ふん。やはり淫売体質だわ」
 うそぶき、凌辱のぬめりを明かりにきらめかせて侮蔑をあらわにした。
「この汚らわしい売女(ばいた)には、やはり今夜の“拷問講習”の実験体の役割がぴったりのように思われます。ねえ、みなさん?」
 ホールは左右に各7、8人宛てテーブルが2つずつ。舞台まえになにか置かれているが、いまは黒いシートに覆われていた。ビデオカメラを載せた三脚はそれに縦列して立っていた。
 客席から手が挙がった。
「ヌルい責めじゃ飽きたらない!」
 ひとりがそう言い、
「高圧電流で焼き殺せ!」
 そんなヤジも投げられた。
 ヤジに笑いがはじけた。
 一時、助手の深雪と客とでSM問答が交わされた。その間を利用して、マイクの電源を切っておいてみどりが麗花に問いかけた。
「〈神谷の親父〉から聞いたわよ。あんた逃げようとしたんだって?」
 なんと、あの監視人が元悪徳刑事の神谷剛太郎だったとは――麗花はもちろん否定する。
「パーティーは朝方までつづくわ。もちろん、飲み食いは最初のうちだけ、あとは客も入れてのSMショー、いや拷問ショー。いいわね」
 とくと言い聞かせた。
「う……くくっ……!」
 しゃくりあげる嗚咽が洩れた。
 みどりが踵を鳴らした。それを合図に深雪が問答に終止符を打つことになった。
「……はいはいはい。じゃあ、みなさん飲みすぎないようにね。あとの愉しみが控えてますから」
 そう言って下がった。みどりよりは年下のようだが、誇張されたメイクからは心の素顔ものぞけず、年齢すら想像がつかない。
 みどりが、また中央に出ていった。
「ゴウモン――いい響きですよね。
 軍隊でも、しばしば捕虜への拷問に電気を用いますが、電気ショック拷問は体表面に目立った傷痕をのこさず、それでいてダメージはおおきい、クリーンで効果的な拷問方法といえます」
 ワゴンのうえのブリーフケースが開かれた。なかは装置で埋め込まれている。中南米の非人権国家で使われている本物の電気拷問装置を用意した。
 ケースから細長い電極棒――ちょうど電気テスターの検針棒そっくりの、ちいさな器具をコードごと引っ張りだして両手にかまえた。
 深雪が麗花の背後に立った。両手で頭と顎を押さえつつ、片方の指で上瞼を押し上げ、別の片手の指は下瞼を剥きおろして瞳を露出した。
「あ、あ、あ……」
 麗花が恐怖にすくんだ。
「泣き叫んでもいいわよ。でも、目をつぶすと厄介だから動かないでよね」
 狙うのは瞳ではなかった。裏返しになった下瞼の、毛細血管が縦横に走って赤みがかった粘膜に電極棒の先を2本とも触れさせた。
「ぎゃああっ!」
 片目を見開かされた顔から絶叫が上がった。
 深雪の両手が反対側の目に交替した。
「あ、あ、あっ……」
 ふたたび瞼がめくられるあいだ、椅子に長くくくりつけられたほとんど全裸の全身が恐怖の苦悶にぶるぶる震えだした。
 みどりは表情ひとつ変えず、電極の先でまた下瞼の裏側の粘膜を突ついた。
「うぎゃああっ!」
 満場、水を打ったように静まりかえってその光景を見つめていた。
「顔には、目、耳、歯など、痛さを強く感じる部分が集中しています」
 まったくの事務口調で説明をくわえた。
 深雪が今度はななめまえにでた。すこし身体を低くすると哀れな実験体の鼻を押しあげ、2つの鼻腔をこじ上げた。その両方の穴へ電極の先が仲良く1本ずつ当てられた。
「ひえーっ!」
 脚立椅子がガタガタ音を立てた。
 麗花は早くも息を上げている。ハアハアと苦しい喘ぎを立てていた。
「このように鼻の穴とて例外ではありません。
 しかし、みなさんの関心は別でしょう。誰しもおなじです。戦場でも、治安出動の現場でも、捕虜となる者はしばしば性的な部分を狙われ、ひたすらそこを攻撃されます」
 深雪がふたたび背後にまわった。抱きすくめるように後ろから両手をまわすと、形の良い片方の乳房を掴んでむげにひねり出した。別の手はさらに乳首をつまんで突き立てた。
「やめてぇー」
 涙をぼろぼろこぼしながら哀願した。
「だまっていろと言ったのよ」
 みどりの顔が一瞬、悪鬼の形相になった。
「こんどはすこし長く責めます。悲鳴がしばらくつづいてうるさいですが、ご勘弁を」
 そう言って電圧を上げた。
「うぎゃああーっ!!」
 顔をいっぱいに引きつらせて、電極棒で乳首をえぐられた麗花は絶叫をあげつづけ、全身を烈しく震わせつづけた。
「ぎゃあああああ……」
 まだやめない。絶叫も絶えることなくつづいた。
「いやっ、ぎぁあああーっ……!」
 烈しい叫び声がつづくなか、もう、会食に手をつける者は誰もいなかった。本物の拷問の迫力にホール中が興奮の坩堝(るつぼ)と化し、皆、目を点にして見入っているのだ。
 悲鳴が止んだ。
 だが、すぐまた再開された。
 深雪とみどりの手が、責める乳房を交替して無惨な電気拷問をくり返された。
「うぎゃっ、うぎゃああっ、ぎゃああああっ!!」
 2人の女に押さえられ、ひねり上げられ、敏感な乳首に電流を流されながら、地獄の絶叫が叫ばれつづけた。
 悲鳴が止んで、がっくりと首を垂れた。首を垂れて、ハアハア、ゼイゼイ麗花は苦しい喘ぎをつづけた。
「どうです、みなさん。これが電気拷問です。非常に効果的ですが、乳房を責めるのは賢明とはいえません。なぜなら、心臓に近いことで、強烈な電気責めには体力が保たないからです」
 みどりの勝手な私見だが、肯定的な反応が潮のようにざわざわと返った。
 暗い場内は、目を凝らすと楓のママの潤子やSM嬢たちが裏方として散っていた。
 みどりが柏手をひとつ打った。
 それを合図にミーシャと愛が舞台まえのシートを除けた。美沙樹が壁のスイッチを操作すると全部の照明が点いた。シートの下から現われたのは開脚寝台だった。
「では、みなさん中央にどうぞ」
 立食パーティー時の明るさにもどったホールに、脚立椅子から解放され、残りのパンティも剥ぎ取られた麗花が、深雪とミーシャにささえられ舞台からおろされた。
 愛と美沙樹が2人を手伝って、麗花は肘を曲げた大の字体型に寝台に拘束された。
「この厭らしいオマンコを、とくとご覧あれ」
 逆三角のデルタを描く陰毛の下には、わずか黒味を帯びたピンクの秘肉が臭うほど艶やかな陰影をたたえている。男も女も、仮面の客たちは舌なめずりして、にじり寄った。
 みどりの手にはコードの付いたワニ口がつかまれ、ラビアが乱暴に剥き上げられると、1本、2本と麗花の性器にはさみ付けられた。
「いやあーっ!」
 麗花が激しく首を振った。
 いったんスイッチが切られ、電圧が一気に上げられた。
 麗花が目を見開いてなにか言いかけたが、
「ぎゃああっ!!」
 間髪入れず絶叫がひびき、寝台が跳ね上がるかと思うくらい一瞬揺れて、そのあとはガタガタガタっと音を立てて震えた。
 スイッチが切られた。
 その瞬間ガックリと、ついさっきまでの苦悶がうそのように悲鳴も止んでおとなしくなった麗花が、ふたたび、三たび――
「うぎゃっ、ぎゃああっ!!」
 すざまじい苦悶と痙攣が再開された。
 しばらくその繰り返しで、悲鳴が叫ばれたり止んだりした。
「ひいいーっ!! ぎえええーっ!!」
 左右に開かれた脚がびりびりと筋を浮き立たせ、爪先が勝手な方向に突っ張って震えた。
 スイッチが切られた。
「はあ、はあ、はあ……」
 麗花が、死にかけの重病患者のような喘ぎをあげつづけていた。
「どなたか、やってみますか?」
 みどりが操作を中断して客をうながした。
 だが、誰も遠慮して出ようとしない。
「それじゃ俺が」と、周囲を尻目に一人腕まくりして出てきた。全頭マスクですっかり顔を隠した神谷だが、声から自分をここまで監視してきた男と知った麗花が戦慄に騒ぎたてた。
「チャンコロ娘、覚悟しろよ」
 この神谷のセリフは、客に聞かせるためのものだったが、やけに板について生に聞こえた。そうして愉快そうにスイッチを押す。
「いやっ、ぎゃうううーっ!!」
 左右に開いた両脚が、ぶるぶるぶるっと烈しく痙攣した。はじめ宙を掻きむしっていた爪先が、それから固く握りしめられ、さらに力んで丸まった。
「ぎゃあああーっ!!」
 神谷はスイッチを押したまま動かない。全頭マスクの目が笑っていた。笑いは不気味な声となっても聞こえた。
「ぎゃあああーっ、ぎゃあああーっ!!」
 絶叫が耳をつんざいた。背中を浮かせてのけぞる上体が、あばらを浮き立たせてぎしぎしときしんだ。
 惨たらしいリアル拷問の再現に、パーティー参加者は息を呑むばかりだった。
 その苦悶地獄が、性的拷問の凄惨な光景が、大型モニターの画面によっても余すところなく映しだされていた。
 神谷の手がやっとスイッチから離れた。
 麗花の全身がガックリ力を失い、同時にまた烈しい喘ぎをくり返した。
 客から、また男が1人、これは強引な神谷とはうって変わっておずおずと弱気の体で歩み出た。どんどん歩み出て、麗花の息が顔にかかるほど近くまで来た。
「おまえ、ほんとに中国人なのか?」
 期待に胸ふくらませて尋ねた。
 じつは今夜の客のほとんどがインターネット募集したもので、募集をかけた掲示板サイト名は「非人権国家中国のスレを立ち上げる会」。だが、なんのこともない。主張に名を借り、人種偏見を基に女をオモチャにしたいヤカラの欲望を当てこみ、みどりが立てた企画だった。
「う、うう……」
 うなずくでも、否定するでもなく涙で顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
「可愛ぃいなあ」と、綺麗な稜線を描く美乳をさすったりひねったりしていた男が、
「クスコ、ある?」
 深雪がうなずき、たっぷりとローションで滑りを良くした大型内視鏡が仮面客に渡された。
 男は麗花のまえに膝を着いた。ラビアからワニ口をはずし、一時割れ目をもてあそんでいた手が、やにわにアヒル口の器具を押しつけた。
「うーっ!」
 女の苦痛を歯牙にもかけず一気挿入を試み、奥まで突き通すとアヒル口を全開させた。
「い、痛いーっ!」
 桜井式といわれる大型内視鏡に開かれた膣内は、ぽっかりと空いて、柔肉と粘膜の洞の奥に紫がかってこんもりした、女の命そのものの器官をはっきりのぞかせていた。
「ドライバー」
 また催促した。
 そして太めのマイナスドライバーを受け取り、無意識に突っ込もうとして神谷に止められた。
「あんた、それじゃ面白くないよ」
 こうするんだと言って、内視鏡の取っ手にワニ口の片方を、ドライバーの金属部にもう片方をとを結んでから、ふたたび手渡してきた。
「なんたって“電気拷問ショー”なんだからさ」
「おお、そうだったそうだった」
 男は慣れないことに、やっと気づいた。
「ショートに注意してよ!」
「かまうものか」
 みどりの助言を振り切り、クスコに全開された膣に勢いよくドライバーを突っ込んだ。
「ぎゃっ! ぎゃあっ! ぎゃああっ!!」
 麗花もすざまじかったが、そのまえにバチバチッ、バチッと火花が散って、火花のなかをドライバーの先がくぐって行って子宮孔に突き立ち、ぐいぐいと挿入された。
「ひぎゃあああーっ!!」
 麗花がめちゃくちゃに暴れた。
「大金払って参加してんだ。せいぜい好きにさせてもらうぞ、このクソ中国娘がっ!」
 棒器具をおおきく前後に突き動かした。電流の流れているドライバーはそれだけで拷問凶器だが、そのうえ尖った部分で責めたてた。
「ひっひひひ……昔はこうやっていたぶり、なぶり殺したんだよなあ。いい時代だったよ」
 男は面白がって責めまくった。
「ぎゃっ、うぎゃあーっ……!!」
 開脚寝台に縛りつけられた腰から下が筋を浮き立たせて突っ張り、爪先が痙攣しながら空しく宙を掻きむしった。
 定点撮影のビデオカメラがライトを受けた膣道をズームでとらえ、凶器を食わえた秘孔から流れ、膣を赤く濡らして広がる血の記録を舞台上のモニターにくっきり映し出していた。

「いさちゃん――」と、みどりがつい昔の名前で呼んで、あわてて言いなおした。
「――しまってちょうだい。あのようすじゃ、もう電気責めは無理だろうから」
 いまは叶深雪の、顔も雰囲気もすっかり変わった有沢いさ子が、みどりに素直にしたがい、ブリーフケースの装置をかたづけはじめた。
 開脚寝台の横では、テーブルを付け合わせた仮設寝台に麗花を横たえ、好き者の女が囲んでいたぶりつくしていた。
 汗で額を光らせ、歯を食いしばって呻く麗花の全身を2、3人の手がまさぐり、観音開きさせられた中心には拳が突き立っていた。
「やっと入ったわ。さあー、行くわよ」
「ぎゃあっ!」
 腕が烈しく前後し、悲鳴が起こった。
 方々では男どもがめいめい連れてきた女と、あるいは楓の女の子相手にセックスやらSMプレイやらの狂態に興じている。
 かたづけに専念する裏方は、一人嬉々とするミーシャとは別に、愛や美沙樹は“拷問講習”以降ずっと沈んだ顔でいた。
(なによ、人が盛り上げてんのに――)
 さっきすれちがったママ、潤子の険のある表情をも思い出し、烈しい反発をよみがえらせた。みどりと楓グループとの、これが“不和”のはじまりであった。


_______ぬくもり


 その2時間ほどまえ、美鈴は上野のホテルで亮子とベッドを共にしていた。
 裸の美鈴を下にスリップ一枚の亮子が上になり、美乳を下着ごしに押しつけながら濃厚なディープキスをしかけてきた。
 亮子の唾液が美鈴の唾液と混じりあい、2つの舌が求め合い、もつれ合った。
 背中に手をまわす美鈴が違和感を感じて、何度目かの不服の言葉を洩らした。
「ねえ、亮子さんも脱いでよお」
「しかたないわね」
 やおら起き上がった亮子が全裸になった。そんな脱ぎっぷりの良さならなぜ最初からと、透きとおるほど白くてきめ細かな肌の、目も覚めるような美体を見上げて美鈴がうっとりした。
「でも、さわらないでよね」
 なぜかそんなことを要求して、また身体を重ねてきた。亮子の体温がより強く伝わった。おたがい一糸もまとわぬ肌と肌で、美鈴は亮子と一つにからんだ自分を意識して熱くなった。
 さわるなと言われたからには、じっとしたまま受け身に甘んずるしかないが、亮子の巧みな愛撫に反応して声をあげ、身も心も溶ろかされながら、どうかするとつい手が出てしまう。
「ああ、亮子さん。いいわ……」
 思わず知らず、自分にはない亮子の豊かな胸の感触を確かめようと手が延びる。吸いつくような感触と適度な量感。それを確かめたあと、背中に手がまわった。
「ダメ!」
 ぴしゃりと払われた。
 傷でもあるのかと思った。
「背中、いやなのよ。性感帯みたいなの。萌えてその気になるまではくすぐったくて、笑っちゃうのよ。可笑しいでしょ?」
 白状して、ほんとうに笑いだしそうにした。
(だったら他の部分で、その気にさせるまでよ)
 内心ほくそえんだが、当てがはずれた。
「そうだ、手がでないよう縛っちゃえ」
 亮子は振り返ることなく器用に膝だけでずり下がると、ベッド際のショルダーからハンカチを取り、ななめに折って、よじって紐にした。
「さ、美鈴ちゃん、奴隷だよ」
 あれよあれよという間に、両手首を頭のうえに、それをくるっと紐のハンカチで縛って慣れた動作でベッドの手すりに結びつけた。
「亮子さん――」
 言いかけたが四の五のしゃべる間をあたえず、また縛った手ではなにもさせず、そのあと亮子が美鈴の下半身を一気に観音開きした。
「かわいい割れ目」
と、指が敏感なクリットに触れた。
「あ、ああ」
 美鈴が甘美な声で反応した。
「かわいいお豆」
と、こんどは大胆につまんだ。つまんで転がし、ひねって剥き上げ、そのたびにつんつん感じて、美鈴は歓喜の叫びをあげた。
「あ……あ、あっ!」
 亮子が左右に割った太腿と太腿の谷間に深く顔を埋めてきた。
 指がラビアをおしのけ、美鈴の秘部を亮子の舌が割り込んだ。
「うーっ、くっ!」
 押し殺した声が、烈しい呻きとなった。
 自由をうばわれ、マゾ感覚を呼び覚まされ、嬉しい「当てはずれ」に歓喜した。
(これが早紀ちゃんのいった「ほんとうの恋」だよね、行為だけの愛なんかじゃないよね)
 亮子に抱かれ、亮子に感じさせられ、幸福のぬくもりに包まれながら、美鈴ははやくも絶頂に達するところであった。
「ひっ、ああーっ!」
 そのとき、快感が愛の電流となって美鈴の背中をつらぬいた。

 ホテルまえの舗道に黒塗りセダンが停められていた。同乗者は助手席と運転席に40年輩の白人と東洋人、後部座席に恰幅のいい白人の計3人が同乗していた。
 助手席と運転席で会話がなされた。もちろん英語で、はじめにしゃべった白人のほうにテキサス訛りがあった。
「このまま朝までいっしょのようだぜ」
「あの2人もヤることになるのか? 背の高いほうはしぶとそうだが……」
「いやあ、どうしてどうして。小柄なほうも活きが良さそうだ。けっこう死ぬまでには、たっぷり時間をかけてくれそうなタイプだぜ」
 運転席の白人がそう言って、2人はそのあと陰湿な笑いを洩らし合った。
 その間、後部座席の初老の白人は、ただ黙って窓外に目を向けていたが、
「今夜のところは引き上げよう」
 張り込みの中止を命じた。
 車は静かなエンジン音をたてて、どこへともなく走り去った。
 こうしてその夜、美鈴と美鈴をめぐる女たちに、無惨な運命の予兆が音もなく不気味に忍び寄っていた。


――毒の章・3につづく――

―創作の記―

――参考資料:朗読劇「この子たちの夏――1945・ヒロシマ/ナガサキ」上演台本(地人会 構成・木村光一)より
――この物語は一部事実をもとにしたフィクションです。
 また、ここに登場する実在の事件、個人、団体名などは、いっさい物語とは関係ありません。

 この物語は、一部事実をもとにしたフィクションです。したがって、本篇で取り上げられる実在の事件、個人、団体名なども、いっさい物語とは関係がありません。
 さらに、登場するSMプレイなどは娯楽として誇張されています。特に、電気責めは直接“死”につながる危険行為であり、決して真似しないようおねがいします。
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