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 フジはいつまで「鬼平」をつづける気だろう。
 これで最後、これが最終といいながら、また放映した。
 しかも、これは一度使っている題材でもある。

(写真左・現中村吉右衛門「鬼平」 
写真右・自作レーベルの先代白鸚=松本幸四郎「鬼平」 
写真はフジテレビ出版「『鬼平』を極める」より 
キャプ画は時代劇専門チャンネル放送分から)



「鬼平」卒論

「鬼平」の“情”
 鬼平犯科帳は時代劇であり、チャンバラであるが、単純な勧善懲悪ものとは異う。毎回ゲストとなる悪役などにスポットを当て、悪事に至る経緯や生い立ちを解き明かし、ドラマに奥行きを与えている。主人公のヒーロー性は薄く、むしろ平蔵が狂言回しになって脇役を立てる場面も多かった。それが「鬼平」の魅力であり、命ともいえた。
 親友の剣客・岸井左馬之助に、落剥して盗賊の手先にまで墜ちたかつての恋人をからませた「本所・櫻屋敷」(第2話)、「うじ虫ってのはドブやゴミ溜めに湧くものだ」と兇盗に叫ばせ、悪をはぐくむ社会性まで問題提起した「蛇の眼」(第3話)、密偵粂八の過去に、継母からいびられた平蔵の過去をもダブらせた「血頭(ちがしら)の丹兵衛」(第4話)など、傑作の多くが第一シリーズに集約していた。
 悪との対決が縦糸なら、その対決にからむ人々の人生が横糸となる。鬼平配下の与力同心もだが、昔の仲間からは犬と蔑まれながらも悪人摘発に命を賭ける――そんな密偵と呼ばれる人々の描き分けにこそ濃度を感じさせられた。
 わたしが吉右衛門版・鬼平を語るとき、どうしても忘れられない1本がある。それが、密偵のひとり、おまさにスポットを当てた「狐火」(第11話)である。おまさ役・梶芽衣子――そう、「女囚701号 さそり」の、あの松島ナミである。
 江戸に狐火勇五郎を名乗る兇盗が出没、かつて勇五郎を愛したおまさは独自に探索し、勇五郎と再会を果たす。非道の張本人は腹違いの弟だった。すがるおまさを振り切って、勇五郎は単身ニセ者を討ち取って鬼平の縄にかかる。だが……
 勇五郎役速水亮の二枚目ぶりも良し、ニセ者探索の過程で立ち寄る昔の仲間瀬戸川の源七役垂水吾郎の朴訥さも優れもの、さらには源七の娘お久を演じた池田純子の楚々とした初々しさも絶品、と、なにからなにまでいいことずくめに思える感銘と感動の作品だった。
 この回に惚れ込むあまり、「原作は原作、そこから転化したドラマや映画は別物」と思い、「原作は原則読まず」としてきたこれまでの禁忌を破り、池波正太郎原作を読んだ。しかし、原作からドラマ「狐火」を超える余韻はついに得られなかった。脚本・星川清司の勝利である。
 そのラストはこうだ(ただしセリフは、うろ憶えにつき御容赦)。
「お縄を」
 鬼平のまえに両手を差し出す勇五郎。
 だが、おまさと添い遂げさせようとする平蔵は狐火を目こぼしする肚だった。
「その代わりに、金輪際盗っ人はしないという証文を置いていけ」
 そういって抜く手も見せず小刀で狐火の利き腕の筋を切る。映画版「鬼平」ではこの場面、バッサリ片腕を斬る(腕だよー!)。
 ただ、十両盗めば死罪といわれた時代。狐火の異名を取るほどの大盗賊が捕まり、腕だけ、筋を切られただけで笠の台も飛ばず、島流しにもならなかったならもっけの幸いといえるか。
 そうして勇五郎、おまさは恋の成就の道行きとなる。
 月日はめぐり、空は青空。その日は源七の娘・お久の婚礼。
 遠くから見守る鬼平のまえに、おまさがひょっこり旅姿のまま現われる。びっくりする平蔵――。
「おまさ!?」
「勇五郎は旅先でみまかりました」
「そうか」と鬼平ガックリ。「やはりわしが斬った傷が元で……」
「いいえ」と静かに首を振るおまさ。
「そうではありませぬ。流行り病でした……でも、短いあいだではありましたが、お頭のお情けをもって、まさ、生涯一生の幸せでした」
 そう言って寂しそうに川の流れを見つめるおまさ。そのおまさを見守る長谷川平蔵――。
 そこに名調子、中西龍アナウンサーの「茫々と川は流れ、人の世の転変もまた川の流れの如し……」そんなナレーションがかぶさり、エンディングテーマ曲へと受け継がれる。これを最高傑作といわずしてなにを最高というか。
 ところが、それほどまでにハマった「鬼平」厳選ビデオをすべて処分した。なぜか。

鬼平の“鬼神”
 CSで放映された先代、白鸚(はくおう=当時松本幸四郎)を見て、「これぞホンモノの鬼平!」と喝采、その瞬間には吉右衛門・鬼平など吹っ飛んでしまったからである。
 白鸚といえば吉右衛門の実父。NET(現テレビ朝日)で'69年10月〜'72年3月まで放映。計91本のなかには若かりし日の吉右衛門が息子役で出て、文字どおり親子共演をしている回もあるのだ。
 26話まではモノクロ放送。この白黒映像が重厚感を引き立て、暗さと怖さを際だたせる。
 とにかく白鸚鬼平の眼が凄い。そして、悪との戦い終わって人間平蔵にもどった際の柔和さ、温かさ。年季に裏打ちされた凄みと滋味が、鬼平の「鬼の部分」「仏の部分」を演じ分けるにピッタリ。吉右衛門ではこうはいかない。仏にはなれても鬼は演じ切れなかった。
 にもかかわらず、第2、第3と延々シリーズを重ね、内容の出ガラシ化とともに、「それを補うならキャラに頼るしかない」と思ったか、やたら鬼平のカリスマ性ばかり鼻につくようになった。
 そんな鬼平を「スペシャル版」として久しぶりに見る気になったのは、ゲストに「税務調査官 窓辺太郎の事件簿」でおなじみ、あの小林稔侍が出ていたからだ。
「兇賊」は“鬼平危うし”バージョンの1本。
 腕利き同心配下や密偵に支えられ、そのうえ剣の腕も抜群ときては、もはやスーパーマンに等しい天下無敵の鬼平。それが窮地におちいるなんて題材なら美味しいに決まってる。
 ここで、鬼平ピンチのパターンを3本取り上げてみよう。
 まずは第1話「暗剣白梅香」があるが、これは凄腕の剣客にほとんど寝込みを襲われた形の一対一で、鬼平の不覚といえば不覚だからタイトルのみの紹介にとどめる。
 以下2本はいずれも多勢に無勢。
 父の墓参に訪れた京都で与力の一人、浦部彦太郎と親しくなり、そこで浦部ともども鬼平必殺の浪人集団に襲われる「兇剣」(第12話)。吉右衛門版で井川比佐志が演じた浦部は白鸚版では北村和夫で、向こうがスペシャル枠なら、こっちも前・後篇の2回モノだった。
 そこでの2人は互いに助け合って敵と斬り結ぶが、北村浦部から「平さん、もうダメだと思ったときが負け時だ」と脇役に主役が励まされるという異色作で、鬼平屈指の激闘篇としては白鸚版のほうに軍配を挙げたい。
 そして鬼平を男としても慕い、禁断の恋情を抱きつつ命を賭けて悪人探索に奔走する前出の女密偵・おまさとのなれそめを描いた「血闘」(第5話)ではドキドキする場面もあった。
 そもそもこの2人の出遇いは、平蔵が本所の銕(てつ)と異名をとった昔、おまさは居酒屋を経営する元盗賊の娘という子ども時代だった。そのころから泥酔した平蔵を介抱したり、破れた着物を繕ったり、子どもというよりは世話女房。鬼平にとって忘れ難い存在だった。
 再会したおまさは、うっかり乗った仕事が非道な急ぎ働きと知り焦っていた矢先。だから鬼平の手先となるが、発覚して拉致、監禁。おまさが残した手がかりから一味のアジトを突き止めた鬼平。待てど暮らせど来ぬ加勢に痺れを切らし、単身乗り込んでの大乱戦……。
 その刹那に垣間見せたおまさの惨状――。
 庭に忍び込んだ鬼平のまえを監禁部屋からでてきた浪人・天本英世が横切り、鬼平には気づかず指折り数えてうそぶく白鸚版。
「俺で5人目か。しかし、いい女だ」
 襖の向こうでは、おまさが腰巻き一枚で後ろ手に縛られ、転がされている。うつ伏せで乳房は見えないものの、凄いエロス。ここでのおまさは冨士真奈美。いい女だった!
 この直後に決死の突入、大殺陣となるが、天本英世との一騎打ちの際、
「貴様、名を名乗れっ」
「野良犬に名乗る名などない」
 これが吉右衛門版では、さらにこうつづく。
「向こう見ずに飛び込みやがって、てめえ、あの女のなんだってんだ!?」
「俺か? 俺はあの女の“色”なんだよぉ」
 それを戸の向こうで聞いていたおまさ、感極まって涙を流す。こういうところが吉右衛門版では“甘い”! が、まあ、この甘さは許容範囲内としておこう。
 ところで、このラストの斬り合い場面、おまささえいなければ「兇賊」のクライマックスと瓜二つなのだ。ということで、いよいよ本論である「スペシャル 兇族」の紹介といこう。
「兇賊」では、鬼平に子分のほとんどを殺され、「鬼平討つべし!」の復讐心に凝り固まった網切の甚五郎が相手だった。これに元一人働きの盗賊で、いまは居酒屋を営む九平という男がからむ。
 妻につながる親戚をだまし、鬼平をだまし、一家皆殺しにした屋敷に誘い込んでの闇討ちで鬼平は手傷まで負い、九死に一生の生還を果たす。そして最後は江戸を脱出すべく街道筋で甚五を待ち伏せ、子分は捕縛、甚五は斬殺。その際には「己の手にかけた者の怨みを知れーっ!」と言って一刀のもとに倒すのだが、その残酷度、つまりは鬼平の怖さだが、これは'89年版(第9話)のほうがずっと度合いが強かった。
 ちなみに一部配役を比較すると、
 鷺原の九平(芋酒屋のあるじ)
  米倉斉加年('89)/小林 稔侍(今回)
 網切の甚五郎
  青木 義朗('89)/大杉  漣(今回)
 九平はそれぞれにいい味を発揮していたが、網切甚五となると怖さは前作に軍配、大杉漣はちょっと違うんじゃないかという気がする。
 ただ、そういう登場人物の違いよりなにより、両作の決定的違いは前作が通常一回分――CM抜き本篇正味約45分に対し、今回スペシャルでは同約90分と倍の開きがあることだ。当然、上げ底、水増しの失敗作が懸念された。
 あとは小林稔侍の脇役ぶりを愉しむよりほかはない、その程度の期待にとどめてビデオをセットした。
 ところがところが……

夜鷹物語
「遅い、遅すぎるっ!」
 網切一味を船宿に追いつめた鬼平一党は、潜入させた密偵からの合図がないのに痺れを切らしていた。粂八の「信じてくだせぇ」の一言にほだされ、ひたすら時をつぶしたのだが、
「もう待てん!」
 突入を命じた。が、そのときはあとの祭り。甚五一味には逃げられ、密偵は惨殺、「手柄を立てさせたい」との粂八の仲間への思いやりは、かえって仇となった。
 場面変わって、とある宿場はずれの街道。
 故郷を訪ねた九平は驟雨を避けての雨宿り。その荒れ堂の軒先へ江戸をフケる網切一味。そのときには子分は2人しかいない。密偵始末の一件を手柄話に、甚五は子分の前で鬼平誅殺をほのめかす。
 じっと聞き入る九平。
 そこでコマーシャルが入る。そのあと――
 冒頭から1年後の江戸は九平の居酒屋である。客は私服で浪人風体の平蔵一人だが、もちろんこの時点で彼を鬼平とは分からず、九平は芋酒、芋なますの講釈をする。感心して聞き入る平蔵。「土産に。女房に持ってく」とニンマリしているところへ、北風といっしょに〈どうらん〉の白さもケバケバしい夜鷹が入ってくる。
「おじさん、熱いとこ付けてよ」
 ここまでは、'89年版ともにおなじ。
 違うのは、そのあとでの九平のセリフ。
「……申し訳ねえ」
 頭を下げ、暗に「出てってくれ」と頼まれ、せっかく暖を求めて立ち寄った夜鷹だが、しかたなくまた木枯らしのなかへ出て行きかける。
「おーい、なぜだい?」と声をかける鬼平。
「お目ざわりかと思って」と九平。
「なに、目ざわりだ? それなら俺のほうがよっぽど目ざわりだろうが」そう言って「入れ入れ」と勧め、「寒かったろう」とねぎらう。「俺の勘定に」と言って酒まで振る舞う。
 だから夜鷹は、無理に「シナまでつくって」(実際、そんな柄が似合わないほどみすぼらしく)応じるのだが、それに対する鬼平のリアクションとセリフが'89年版とはちがっていた。
「俺も歳でな、そっちのほうは、もう、いけねえんだよ」
 頭を掻いてひたすら照れる。夜鷹を傷つけまいと「下手な芝居」を貫き通す。
 '89年版鬼平では、ぷっ、と吹き出しそうにして、「違う違う、そんなんじゃねえ」と見下した態度。あれでは夜鷹が可哀想だ、仏の鬼平が聞いて呆れると、ずっと心に引っかかっていた。だから今回の古田求脚本版では納得した。
 吉右衛門鬼平の仏の演技はつづく。
「だからさあ、ここへきてゆっくりと呑んで、暖まって行きなと言ってんだよぉ」
 平蔵の情けに涙ぐみ、
「そんな人並みに……」
 あとは絶句。
「なに、人だ? おめえだって俺だって人じゃねえか、この親父だって。どこにちがいがあるものかよ」
 そう言って酌をする鬼平。盃を受ける夜鷹。すっかり感服する九平。三者三様の演技がさながら上質の舞台劇を見ているようだった。
 なかでも夜鷹の演技――足どりもおぼつかなく、掃きだめの人生に身も心もやつれきった姿と表情で、肚の底から絞り出すような「人並みに」の一言。(いい役者だなー!)と、ただしこれはマルの心の声!
 この夜鷹を「もしや若村麻由美」と、疑問形であれ見破れる者が何人いるだろう。姿形だけではない。発声からなにからすっかり夜鷹になりきり、全身から夜鷹の悲哀をにじませていた。
 ひゅうひゅうと木枯らしが吹く路地。
 そのあと、カメラはまた居酒屋にもどる。場面転換は時間経過をあらわす省略法。
 うっとりと酔いしれている夜鷹。その手に帰り際、鬼平は小粒(豆板銀)を差し出す。
「そんな! 親切にしてもらってお金まで!」
「いいってことよ。付き合ってくれた礼だ」と無理に握らせる。
 この場面、'89年版では「薬だ」と、包み紙にして置いて行き、あとで米倉九平に「薬料を開けて見たらばオゼゼなり」などと言わせているが、はじめの鬼平の態度が態度だけに、「お恵み」としか受け取れない。
 あれが仮に二分銀だとすると1両の4分の1。ちなみに1両=1石は人1人が1年間に食べる米の量に匹敵する額。行きずりの夜鷹に、そこまで親身になれるのは、“本所の銕”時代、鬼平が泥沼の女性をあまた知っているからである。
「むかしの女」(第30話)に登場する、山田五十鈴演ずる先代堀おろくは、題名どおり本所の銕時代の鬼平の間夫(まぶ=情夫)だった。夜の盛り場で偶然再会、意気投合したおろくは鬼平に協力して無頼漢グループ摘発の探索に手を貸す。が、逆に捕まってひどい目に遇う。
 これも2バージョンあり、白鸚版沢村貞子のおろくは逃げようとして見張りの浪人に斬り殺され、山田五十鈴おろくは三味線を抱え、唄を歌いながら影のように消えていくラスト。ただ、その際には鬼平に「猫は飼い主に姿を見せず死んでいく」といわせ、結局のところ死を暗示していたが……。
 わたしはこういう話に弱い。夜鷹、遊女、娼婦といった女性がスクリーンやブラウン管に登場するたび、視聴のアンテナが敏感に反応する。つい、肩に力が入る。それというのも身内に遊郭出の人がいたからだ。
 後々まで祖母と思い込んでいた人が実は父の本妻で、最後まで籍にも入れてもらえなかった母が、花柳界暮らしで子の産めなくなった本妻に代わり、後継ぎを身籠もるための代理腹に過ぎなかったことを知ったときのショック。以来、底辺に生きる女性の話には涙腺がゆるみっぱなしなのだ。
 それにしても、スペシャル版「兇賊」における芋酒屋の場面の秀逸さはなんだろう。いや、芋酒屋というより、夜鷹おもんのエピソードというべきだろう。それ以外は上げ底、水増しとも思える全90分中芋酒屋だけでも約10分、そのうちおもん登場場面は半分あるかないか。そこだけ宝石のように輝いていた。

ゴドーを待ちながら
 '89年版では名前もない夜鷹だったおもんは、このスペシャル版においてはもう1度登場する。
 シーンでいえば物語の最後の最後。その間、はじめの芋酒屋に浪人連れが鬼平を追って現われ、斬り合いの後に駆けつけた九平が、役宅に帰る鬼平の後を尾ける。その尾行は盗賊で鍛えた尋常ならざる速足を用いてのことだが、鬼平はとっくに見破っていた。そして潜り戸を通る刹那、物陰から見張る九平を振り返って一言。
「親父、ご苦労」
 これには九平、腰を抜かして驚く。
「鬼平は怖い」「網切に口封じされるのも真っ平」と、このあと店をたたんで逃げまわり、はじめに要約したストーリー展開となる。そしてひょんなことから密偵の一人にかくまわれることになり――この辺が不自然極まりないのだが、それはともかく網切一味殲滅の一役を買って事件解決。甚五を討ち取った街道筋の荒れ堂まえで、めでたしめでたしの別れの場面。
 感銘のラストシーンは、そのあと――。
 季節はめぐり、冒頭から数えて1年後の冬、ところもおなじく江戸は九平の居酒屋である。
「夢だねー」
 干した盃を指で転がしながら、焦点の定まらぬ目をしてつぶやくおもん(お、顔が変わっている、まえよりずっといい女だ)。
 九平笑って、
「おまえ、あのお侍に惚れたのか?」
「冗談じゃないよ! あんなお侍さんに惚れるなんて、それこそバチが当たるよー!」
 大あわてで否定する。だが、その顔はまんざらでない。やはりうっとりと、記憶の鬼平を手さぐりしているようだ。
 ほかに客はない。なにげなく立った九平が戸を開け、路地の向こうに目をやるが、ひゅうひゅうと木枯らしが吹いているだけ。
 戸を閉めて中にもどる。
 おもんは、まだ夢想している。
「もう一度会いたいねー。でも、また来るだろうか」
 しみじみと九平に顔を向けた。
「ああ、来るさ。きっと来る」
 うなずくおもん。そこではたしかに、若村麻由美の顔になっていた。
 鬼平に会う前と今では、おもんの人も生き方も変わっていた。伝法で、捨て鉢で、半分世を捨てていた夜鷹が、鬼平に会うことで、人の世の真心を知ることで希望を取りもどしたのだ。
 おもんが最後にぽつり――。
「でも……やっぱり夢だよねー」
 ガラッと戸を開けて九平が見る木枯らしの向こうに、芋なますの包みをひょいと肩にしょった平蔵の笑顔。ひょうきんにおどけて見せて一言。
「親父、ご苦労」
 そこにテーマ曲がかぶさりエンディングロールが流れるラスト――そのときの鬼平の出方、消え方が「むかしの女」そっくりで、「こんどこそ終わりかなー」とも思った。
 ふっと、ゴドーを思い出した。
 おもんにとっての鬼平は、いつか来るかも知れない心のゴドー。挫折、失望、諦観……またこのさき、幾多涙の川を渡ろうとも、鬼平の残した真心と言葉はおもんの中で生きつづけ、それゆえいつまでも希望のゴドーでありつづけるのだ。
 フォーエバー・オモン!
 フォーエバー・オニヘイ!

1-AIKA狸吊   2-“鬼平”卒論   3-“無人の野”

4-もう一つの9・11   5-“ガサ入れ”全録


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