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2002年9月11日、わたしは映画館の闇のなかで11人の世界の映画作家たちのメッセージに接することになった。それが『11'09''01/セプテンバー11』(統括製作者は、なんとわたしが大好きな映画『Z』に製作も兼ねて出演し、その当時から社会派映画プロデューサーとしての手腕と硬骨をうかがわせていたジャック・ペラン!)である。
要請を受けた監督11人に与えられた作品1本あたりの条件は、9月11日とその前後についての“9・11”に対するそれぞれのイメージを(事件の日付にちなみ)11分9秒の枠内に収めること。それ以外は自由。
その顔ぶれたるや、『男と女』がデビュー作にして出世作であるフランスのクロード・ルルーシュはじめ、イランのサミラ・マフマルバフ、インドはミラ・ナイール、当事国アメリカがショーン・ペンで、わが日本からも昨年故人となった今村昌平が参加してトリを務めた。
(最初に請われたタケシは断ったという。なぜだろうとも思うが、やっぱりとも思う。顔ぶれを見て反米色が強くなると見抜いたタケシの見識――というより“要領の良さ”であろう)。
『セプテンバー11』について、11本それぞれの1シーンとプロフィールも含めた監督の顔写真、11本の内容を的確に伝えているサイトがあるので、そこで参照していただきたい(本題である「ケン・ローチ監督による『セプテンバー11』採録」巻末に直リンク)。
じつはケン・ローチはもちろんだが、この監督の次に登場するアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(メキシコ、『アモーレス・ペロス』があまりにも有名!)の作がもっとも衝撃的戦慄的恐怖感にあふれていた。
直リンクでは、なぜか本作だけ簡略に触れているので敢えてそれだけ取り上げたい。
不思議な映像である。また、映画という媒体をこれほど効果的に活用した手法をこれまで見たことがない。“コロンブスの卵”といってしまえば実も蓋もないが、つまりは非凡な才能に尽きる。誰にでも思いつくことではない。
真っ暗闇のスクリーンの向こうから、無数の人々の呪文のような声が聞こえている。ただ、それだけ。その暗闇がしばらくつづき、呪文は朝のニュース解説に変わる。
湿度もあまりない快適な夏の朝、気温は32度とかいっている。
やがて飛行機の離陸音。スクリーンはもちろん闇のまま。耳をすませば沈黙のなかにも、さっきから聞こえている呪文とニュース(断続的に入るニュースは各国語で、なかには日本語も含まれる)のなかにも、「パツーン」「パツーン」という衝撃音のような擬音が出しぬけに入ったりもする。
と、一瞬、4分の1秒あるかないかで映像が挟み込まれる。なにかは分からない。斜め横から見た高層ビルの壁――それにしては、なにか点のようなものが動いている。
つぎに「あれは何だ!」「飛行機がビルに向かっているぞ!」と、いよいよその朝の惨劇の決定的な瞬間のニュース解説につながる。画面はまだ闇のままだ。そして時おりサブリミナル効果で挿入される映像が、ビルから人が落下する瞬間を切り取ったものであることが分かる。
音は、その中から、これからビルめがけて飛び込む(あるいはピッツバークの山林に墜ちたとされる)飛行機内から家族に宛てた携帯無線の再現記録に変わる。ある男性は切羽詰まった声で、ある女性は淡々として、かえって聞く者を落ち着かせようと努めて……。
そして、「これは戦争だ!」と叫ぶ声。「テロリストを叩く。かくまう奴全てが相手だ。家族も、親も子も、すべて容赦しない!」と報復を叫ぶメッセージに変わる。
やがて崩壊するツインタワーの映像がスローモーションで、こんどはじっくりと見せて……
その後のアメリカの“報復”の延長であるイラク戦争について、2点だけいいたい。
2年半前、武装勢力の抵抗で市民がおおぜい巻き添えになった時、戦争に反対するわたしに対してしたり顔をして反論した者がいた。
「なにもしなければいいんですよ。アメリカが出ていくのを待っていれば。口惜しくても、腹が立っても、おおぜいの人間が死んだり自爆したりするよりずっといい」と――。
理屈が逆転している。
そうしてイラク市民は独裁といわれるフセイン政権下をじっと耐えて生きてきたのではないか。そこへ侵攻してさらに過酷な現状――15万人とも65万人ともいわれる死者を生み、フセイン政権下でも想像もつかなかった内戦状態を引き起こしたのは誰か!? それを陰ながら後方支援し、侵略を支持したのはどこの国か!?
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