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大江戸線車いす漫歩

蔵前駅


 蔵前駅は隅田川に架かる厩(うまや)橋の西、江戸通りと春日通りの交差点に位置する。周辺は商店、住宅及び中小企業が多く、一部に中高層マンションが混在している地域である。江戸通りには、玩具や工具材料をあつかう卸問屋が数多く軒をならべている。かつて日光街道・奥州街道の一部であった江戸通りの東一帯には、幕府の米蔵が立ちならび、隅田川から天領(幕府直轄地)の年貢米が陸揚げされ、貯蔵されたところである。この米蔵は浅草御蔵とよばれ、蔵前の地名は浅草御蔵の前、日光街道沿いの地を“御蔵前”とよんだことに由来する。寛永年間には蔵の数は54棟におよんだという。また春日通りに面した蔵前の駅前には榧(かや)寺がある。住吉カヤの大木があったことからの通称で、正式の寺名は正覚寺。この寺には国文学者で狂歌師の石川雅望をはじめ、洋画家安井曾太郎、ジャーナリスト長谷川如是閑、37代横綱安芸の海ら著名人の墓が多いことで知られる。(東京都地下鉄建設株式会社発行「駅デザインとパブリックアート」より)

始発駅は歩いて2分
 地下鉄大江戸線が、昨年12月12日、全線開通5周年を迎えた。
 営団南北線のように電車とホームがドアで直結したホームガード方式でなく、駅員のいないホームからいつ車いすが、白い杖の人が転落して大事にいたるかと案じたが、いまのところ不幸な報はない。この年で性懲りなく友だちと深酒し、正体なくした俺でさえ無事帰っているのだ、みんな存外だいじょうぶなものだ。
 大江戸線は正式には都営地下鉄12号線といい、開通日の12月12日はそれにあやかったものだ。台東区を走る3駅のうちの蔵前駅は、我が家のあるマンションの目と鼻の近くにあり、ここを起点としていろんなところに足を伸ばせた。俺にとっては、まさに蔵前駅が東京行脚の“始発駅”にあたるのだ。
 そもそも俺の住所は台東区駒形で、それまでは駒形どぜうにあやかって駒形、駒形といっていたのだが、これを機に蔵前と宗旨代えすることにする。だいいち駒形は、川向こうの墨田にも東駒形というのがあってややこしい。
『大江戸線車いす漫歩』と題したこのシリーズ、皮切りはなんといっても地元蔵前駅からはじめることにするが、さて、この蔵前という町、困ったことになにもない。昔は国技館があって、蔵前といえば蔵前国技館と連想ゲームのように出てきたものだが、両国に取られてそれもなくなり、メッカとは片腹痛いか。
 しかし、それでは困るので、個人的なオススメも含めてこの町を紹介することにしよう。

町の名医院
 菊嶋クリニックは、俺がひいきにしているかかりつけ医院で、春日通りと交差する江戸通りを浅草橋寄りに歩いてすぐのところ、コンビニ、セブンイレブンのとなりにある。
 成人病が気になる年齢がきて健康診断を定期的に受けるようになった当初、どうにもその時期が近づくと気が滅入るのが胃の内視鏡検査だった。レントゲンが撮れるなら胃カメラなど必要ないのだが、俺の場合自分で立つことができないので、それなりの設備がない病院ではそれが困難なのだ。
 浅草寺近くの病院で初めて胃カメラを飲まされたとき、そのあまりの苦しさにすっかり懲りてしまった。
 頭にきたのは若い担当医が、そばのベテラン医師に「先生、どうしましょう」と指示をあおいでいたこと。「だったら最初からそいつがやれよ」といまいましく思ったが、若い医師を鍛えるためのそうした行為は、どんな現場でもありがちなことという。それに当たったのは運が悪いということか。
「それなら菊嶋先生のところに限るわよ」
 そう言って教えてくれたのが、近所のラーメン屋。
「へーえ、そんなにうまいのかね」
「痛いもかゆいもないのよ。なんたって知らないうちに終わってしまうんだから……」
 魔術を聞かされるような話だった。
 それもそのはず、胃カメラを入れる直前に軽い麻酔をかけるのだ。胃カメラの際の麻酔といえば、ゼリー状のものをのどに含んで15分ほど留めおくものがあるが、それとはちがう。
 のど麻酔15分でのどの神経をマヒさせたうえ、スプーン一杯ほどの苦ーいゼリー液をのどから流し込み、Nさんの言った通り、まったく意識のないうちにことは運び、かえって拍子抜けしたほどだ。
 薬の処方にしても、実にていねいだ。
 俺は障害のせいで体重も並みの大人よりごくごく少ない。それで胃カメラを飲むときののど麻酔の量も制限してくれたが、その慎重さは薬をだすときも同様だ。
 持病のぜんそくで薬が合わず、はげしい動悸に悩まされていたときにも、月に1度のぜんそく担当医の診断を待っておれず、専門外である菊嶋先生のところにかけこんだ。
 その際、応急処置として動機を鎮める薬を処方されたが、ふつうの大人なら1錠と決められた錠剤を、菊嶋先生は半分に割って出すよう薬局に指示したほどである。
 薬局では「そんな出し方はしないのだが」と首をひねっていたが、結果は先生の指示が正解。「なにかあったら時間外でもいらっしゃい」と言われたが、服用してすぐにあんなに激しかった胸の動悸は収まり、案じた異常はなにもなかった。
 看板では内科・胃腸科・整形外科となっているが、それ以外でも安心してかかれる。救急車を呼ぶかと思ったほどの腹痛をあっさり膀胱炎と診断され、わざわざ遠くの病院に行く必要もなく薬で快癒したこともある。
 日曜・祝日の他に木曜休診。

2階のお得意さん
 さっき紹介した医院でがんを見つけてもらった人が、おなじマンション2階で事務所を借り、俺の大事なお得意さんでもあるサンキョー。
 サンキョーさんはネーム屋さん――ネーム屋さんといっても、分からない人のために説明すると、洋服の裏側についている名前札や、値段やサイズを表示する札。前者をネームといい、後者を下札(さげふだ)という。これをプリント製造する会社で、俺はその版下制作を請け負っている。
 この社長、同い年ということもあって仕事の関係以上に親しくさせてもらっている。前の事務所は浅草橋にあったが、大江戸線ができて交通の便もかんがえこっちに越してきた。
 そろそろ健康診断しなければならない時期なのにと思っていたが、この人も胃カメラで懲りている。そこで菊嶋医院を紹介したが、ちょうど以前に切ったポリープの後遺症かと思える不快な症状を訴え、それでかけこんだところ胃がんを見つけてもらった。
「前の病院では、ここまでていねいにはしてくれない」と、いまでは菊嶋先生を命の恩人とも思っている。
 電動車いすの時速6キロは、ふつうの人の早足程度か。10分も歩けば1キロということになる。
 そこで本シリーズでは、半径1キロ圏内というのが、なにかとキーワードになるのでお含みおきを。それでもなければ、とてものことに大江戸線は語れないし、俺の住む蔵前などは1キロ圏内端から端までしらみつぶしてもいいところは少ない。

割烹・牧野
 わが家のある荒井ビルを越し、隅田川にかかる厩(うまや)橋を渡ってみよう。春日通りを一直線に墨田区に入っていくこと10分、墨田区本所にオススメの割烹・牧野がある。
 大きな赤提灯が風に揺れ、作りは古く、さながら時代劇に出てくるような風情がある。しかし、味は良し。
 おばあちゃんを頭に、もうオバサンの3人娘が切り盛りする、女ばかりで支える店だが近所の評判も良く、奧の座敷から2階座敷までいつも客がいっぱいという盛況だ。
 おばあちゃんの味つけを愛するファン層が厚く、その味がいつまでも続くようにとみんなおばあちゃんの息災長寿を祈っている。残念ながら一昨年だったか足をいためて不自由な身になったが、それでも車いすの上から娘さんたちを指揮し、ますます意気盛んなようだ。
 寒い季節には鍋が最高。肉厚のカキや鳥肉で量もたっぷり、一人一人前では他ののが食べられなくなるからご注意。
 夏は夏で肉じゃが、肉どうふ、秋には松茸の香り高いどびん蒸しというふうに、季節ごとに取っておきメニューが楽しめる。
 水曜が定休。

江戸名物・どじょう鍋
 大江戸線蔵前駅で降りて浅草へ、というのが目下の歌い文句のようだが、どうしてどうしてけっこう道のりがある。
 その途中の駒形界隈でオススメなのが、その名も駒形どぜう。どぜうと書いてどじょうと読むのはみなさまお馴染み。このどじょう屋、火事で焼け出されるまで住んでいた合羽橋商店街のはずれには、すきやきの今半と並んで飯田屋というのがあって、この方も有名。
 江戸通り沿いを浅草通りへ抜ける途中にある。
 古い大看板が出ている店先には、縁台に席待ちの客が身を寄せ合い、お上りさんが記念撮影にいそしんでいる。ここも鳩バスコースかと見まごうほどの人だかりがいつだってできている。
 ここでいいのは、着物姿の店員さんがどの子も十代のアルバイト学生。マニュアル通りの機械調な応対はご愛敬、あの年齢で海千山千な接待ぶりではかえって怖いものがある。ロリ好きの俺にはたまらんわい。
 高いといってもこの時節、びっくりするような値段ではないし、酒がだめでも定食なんかが手ごろで食べがいもある。

花火
 実はこの駒形どぜう、花火と縁がある。
 俺が荒井ビルに越してきた最初の夏、待望の隅田川花火大会の日がやってきた。
 悦び勇んで11階の屋上に知人を呼んで酒宴を広げたところ、がっかりした。自分のところの給水塔にじゃまされ、すぐそばの川から上がる花火の半分までがそれで隠れてしまったのだ。
 土地の友人が早くも機転を利かせた。
「どじょう屋の前に行こう。そこの方がよく見えるよ」
 そんな馬鹿なと思った。ここで見えない花火がどうして地上のどじょう屋から見えるのかと。
 だまされたつもりでエレベーターを降り、駒形どぜうに向かった。
 もちろん花火が上がる時間にはどぜう屋の前は人でいっぱい。しかし、まだそこが穴場というのは外部から来る人には知られてなかったらしく、今ほど混んではいなかった。
 ぺこぺこ頭を下げて席をあけてもらって入ったところ、なるほど百聞一見である。
 なぜそこがかっこうの見物場所かというと、その向かいに服部商店という小さな駄菓子屋のような店があった。10階程度のビルが林立するなかにあって、二階家のここだけがちょうど花火が邪魔されないキャンバスとなり、下の方で上がる仕掛け以外の花火は凄い迫力で観賞できたのだ。
 車いすの知人2人と福祉会館の職員にともなわれて見たときは、駒形どぜうの列からも離れ、景気づけに飲んだビールがたたって服部商店の前で座りションをし、うっかりその場も離れようとしてえらいことになるところだった。
 車いす3人がうろうろしているところを、後ろから知らずに来た一般の野次馬がつまずいて倒れ込み、車いすは全員将棋倒し、その後ろも将棋倒しになるところ、ウドの大木のような福祉会館職員が仁王立ちして防いで事なきを得た。
 花火で死にたくはない。以来、隅田川花火は御法度である。
 服部商店も店を閉め、あの二階家はとうに取り壊された。いまはそこに高層ビルが建った。駒形どぜうから見た花火も今は昔の思い出になりつつある。
 結局、蔵前からは10分と少々、1キロ圏内のぎりぎりに浅草・雷門がある。

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