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| 新宿西口駅界隈は、周辺を超高層ビル群や都庁に代表されるオフィス街、百貨店や南口再開発にともなう巨大商店街などに囲まれ、駅地下街、歌舞伎町などの歓楽街といった、さまざまな都市の顔をあわせもつ、24時間眠らない活力のみなぎる街である。特に地下街は、「地下発展都市・東京」のなかで最も発達した、かつ迷宮のような空間となっている。この新宿西口駅も地下1階コンコースは新宿副都心の地下歩道ネットワークの一環となることから、幅広い大規模な通路とするとともに、地下4層の深淵にいたる、大江戸線のなかでも特に大規模な駅となった。(東京都地下鉄建設株式会社発行「駅デザインとパブリックアート」より) |
| ●「地下鉄に乗ろうよ」 この頃、大江戸線のあちこちの駅で、「大江戸線捜査網」なる動きがあると聞く。車いすの一団がボランティアをともない、大江戸線各駅を回って駅界隈のデートスポットなどを調べて歩いているらしい。 若い女性のいるところなら、いつ、どこへでも飛んでいきたい。それがやさしいボランティアならなおのこと。鼻の下を長くし、目尻を下げて待っているものの、大江戸線捜査網からのお呼びは、さっぱりかからない。なんとなればこの噂、出所は車いす旅行アクセスのベテラン、カツヤさんだというから真偽のほどは怪しくなる。 カツヤさんは、筋ジストロフィー症だった。 大江戸線ができる前の地下鉄で、カツヤさんの住む江戸川区一之江の自宅を訪ねたことがある。 筋ジストロフィーといえば、昔は誰でも若くして亡くなるものという間違った認識があって、いつまでも元気なカツヤさんは俺の目にも不思議な存在に映った。しかし、進行するタイプと進行しないタイプがあり、カツヤさんは幸いなことに後者だった。 「俺は一言だって進行性とは言ってない」 江戸川の自宅を訪ねたときも、怒ったようにそう言った。 若くして亡くなるどころか、彼はきれいな奥さんをもらい、2人の娘まで育て上げたから大したものである。 俺がカツヤさんを知ったのは、まだ20代そこそこの頃。当時俺は、私鉄の小田急に車いすひとり乗りを認めさせる運動をしていた。血の気はいまでも多いが、当時はぎんぎん、ばりばりの勇み足で、どんな相手であろうと噛みついていた。 まだ社会をあまり知らず、自宅にこもりがちだったカツヤさんをたきつけ、外へと誘ったのは俺の方だったとカツヤさんは言っている。 運動拠点ともなった施設の最寄り駅に車いすスロープが付き、小田急闘争は間もなく、発展的解消をとげた。そして、次なる喧嘩相手を求めて闘ったのが、文化庁が主催する1974年5月のモナリザ展だった。 美術に関心を持つほど高尚な趣味はないが、身障者デーをもうけてその場しのぎの対処をしようとする文化庁の方針が気に入らなかった。このときに作った団体名は、建築基準法改正ナントカ団体だったが、向こうがその場しのぎなら、こっちもその場限り、浅い知識で身を固めただけの理論なき運動体に過ぎなかった。 こんな運動が長続きするわけもないし、世間の注目を集めるはずもない。ただ、さわやかな春風を受けて、老若男女、多国籍と、あらゆる階層の人波がごったがえす上野国立博物館前で行われたビラまきで忘れられない場面が2つあった。 ひとつはスプレーネエちゃん。 スプレーネエちゃんとは、モナリザ展初日に分厚い保護ガラス越しのモナリザ画にスプレーをかけ、堂々と逮捕された活動家女性のことだ。少し足をひきずる程度の障害者だったが、これは「立派」に記事になった。 ネエちゃん率いるヘルメット軍団は旗竿を振り回して駐車場入りする車を制し、ひるんで止まった隙にビラを手渡すという水際だったやりかたをしていた。 このネエちゃんが、ビラを持って近づいてきた。何をされるのかと戦々恐々の面持ちで待ちかまえていると、 「あんたら、なに、ちまちまやってんのよ。建築基準法なんて既存の法律をうんぬんしたって、障害者差別の体質は何も変わらないのヨッ」云々かんぬん説教され、たいした知識もないこっちは、ただ言い負かされているだけだった。 そして、忘れられない2つ目というのがカツヤさんである。 「コレ、ナンノ、ビラデスカ?」と、手渡されたビラをひらひらさせて質問する外国人客相手に、ぺらぺらと達者な外国語で応じて説明を加えているのである。すでにこの時点で彼は何カ国語もしゃべることができ、この日は英語圏の人ばかりでなく、ラテン系の人の質問にも答えており、その縦横無尽のバイリンガルぶりには、ただただ舌を巻くばかりだった。 その後、俺は車いすで電車を使うようになり、仕事のかたわらミニコミを発行するようになると、取材に、販売にと、電車に乗ることも多くなった。しかし、満8年続けたミニコミ発行活動に終止符が打たれると、電車に乗る必要もなくなり、地元台東区にひっこみがちになった。運動のために電車に乗り、「障害者の自立を側面支援する」というミニコミのスローガンにより、方々の駅での駅員とのトラブル、「乗せろ」「乗せない」・「付き添いをつけろ」「いや、付き添いなどいない」の闘争を繰り返してきたようなものだった。元々は引っ込み思案な性格に過ぎなかった。 カツヤさんはその間にも公共交通機関を利用し続け、俺がもっぱら地上の電車だけだったのにくらべ、彼は最寄りの地下鉄駅を起点として、東京はおろか日本中を飛び回り、飛行機で海外に飛び出すことさえざらだった。地元の一之江駅にできた車いすスロープやトイレは、彼が付けたといっても過言ではない。たゆみない一人の行動の集積が人々の意識や社会のシステムすら変えることができるbbそれを実証した車いすアクセスの達人、それがカツヤさんなのだ。 パソコンに向かって仕事などしているとき、ときどきカツヤさんからの声が受話器を通して耳に入る。 「今日は晴れてて気持ちいいよ。地下鉄に乗って出てきなよ」 そう言って何度も何度も誘われた。 俺はそのカツヤさんによって、地下鉄利用への心の扉を開かれたのである。 ●危うし! 新宿西口駅 大江戸線が開通した当初、「大江戸線捜査網」を言い出したのはカツヤさんであった。車いすバリアフリー化された大江戸線を乗り継ぎ、駅近くのうまいもの店、デートスポットを探索しようというのが提案の趣旨だったが、こっちの仕事のつごうで実現しなかった。 しかし、彼は彼で、もちろん大江戸線も、よく利用していたようである。 情報交換はもっぱら、電話によった。 「今、どんな映画がオススメ?」 「ホンマタイムス見てよ」 「ホームページに行くの、めんどうなんで」てな調子で話がはじまる。 「大江戸線、使ってる?」 「うん、いいね、なかなか」 交通機関の情報を尋ねるのは、もっぱら俺の方だ。俺はまだ、数えるほどしか乗っていなかった。 「車いすトイレ、全駅にあるんだったよね」 「うん、あるよ」 「全部の駅、降りてみた?」 「うん、大丈夫だよ。全部」 と、彼は言った。これは筋ジスが長生きするとかしないでなく、確かにそう答えたのである。 新宿行きは、たいてい映画がらみだが、歌舞伎町や伊勢丹周辺に行くには東新宿駅が手ごろな近さだが、東口辺になると新宿西口駅がちょうどよい、というのもだんだんにわかった。 蔵前編で書いたように、「電動車いすで歩いて10分」がキーワード。最速6キロの電動車いすなら、10分で半径1キロ圏内ということになる。大江戸線の駅は、降りてすぐのところにメインゾーンはなくとも、1キロ圏内ならけっこうこちらの目的に適う場所へと届く。 2月の最終土曜、初めて新宿西口駅へと降りたとき、テープで流れる女性声の車内アナウンスが、「場所によっては、ホームと電車の間が広く空いているところがありますので、ご注意ください」と言っていたような気がしたが、電車の走行音にかすんでよく聞き取れなかった。いつものように運転士のいる先頭車両に乗り、いつものように後ろ向きで無事ホームへと降りた俺には、さっきの車内アナウンスも杞憂でしかなかった。 B4ホームから第1のエレベーターでB3改札へ、改札を抜けて少し歩くと雑居ビルに入り込む第2のエレベーターがあり、居酒屋の前を横切って3つ目のエレベーターで外に出るという順路。 「ここはどこなんですかねえ。小田急デパートのあるのはどの方角なんですかねえ」 いっしょに乗り合わせた中年男性や若い女性に、それこそぽっと出の旅行者然として質問をぶつけたとき、なんと目の前に小田急、京王のデパートがそびえ建つではないか。 「おー、ここへ出るのか。これはいい!」 JRに乗り継ぐことを考えて思わず口を突いて出たことばだった。小田急や京王なら何度も来なれたところだ。デパートのエレベーターを使って地下まで降りればなんのこともない。 しかし、この日は映画。 通りを渡って、別名ションベン横丁の入口を横目で見ると、ガード下のトンネルを抜けて東口に直通する。駅前の通りを少し過ぎたところに、映画の老舗・武蔵野館も入っている武蔵野ビルがあり、名画座系のシネマ・カリテがある。ここは車いすトイレも完備されて便利だが、最近あまり車いすトイレの有無を意識しなくなったのも、大江戸線効果というものだ。いざとなれば駅ですればいいという意識が気楽にしている。いつでもできるという気楽さから、めったに用ももよおさない。 ここのカニ道楽や居酒屋はいっぺん入ってみたいと思うが、いまだにその機会がない。 さて、映画を見終わって帰る段になった。新宿西口公園でも散策しようと思ったが、冷たい雨も降っていてとりやめ。まっすぐ帰ることにした。 エレベーターでホームに出て、また先頭車両へと車いすを進める。まだこのときは、車いす優先席のある5両目のご利益を意識してなかった。バリアフリーでどこからでも乗れるが、不測の事態を案じて職員のいる位置から一番近いところと決めていたのだ。 ごとごとごとっ……という音が遠くから徐々に近づき、線路際の壁にかかる駅名表示板の緑の部分が点滅すると間もなく、構内アナウンスも電車が入ってくることを告げるとき、いつものように少し身が引き締まる。もちろん、過去に暴走したこともある車いすだから、線路に鼻先は向けず、電源もしっかり切ってある。先頭車両がゆっくりとスピードを落としたところで、電動のスイッチを入れてスタンバイする。 電車のドアが開いて、降りる人を待っていよいよ乗る段になった。 「!?」 ホームと電車のあいだにすき間が、ばかに広く見えた。一瞬の逡巡。しかし、その間にも頭の中はいろいろな思いが錯綜する。 「危ないかな」 「いや、カツヤさんはどの駅も大丈夫と言った」 「大江戸線に危ない駅などあろうはずがない」 「これでコケたら俺はよほどのドジということになる」 えーい、ままよという思いで突進した。しかし、小さい方の前輪が電車に乗り切らず、ぐすぐずしているあいだにホームと電車のすき間に落ちてしまった。総重量70キロの車いす、こうなってはお手上げである。 「お手伝いしますか?」 中学生の男の子と、サラリーマン風の年輩男性が立ってサポートを申し出て、年輩男性はわざわざ電車を降りてきた。 「いや、ちょっと……」 思えば、こういうときのためを思って運転士のいる先頭車両に乗ったのだ。しかし頼みの運転士は降りてくる気配がない。このまま気がつかず、電車が走り出したとしたらどうなるのか。助けを借りたいのはやまやまなれど、車いすに手をかけた人が巻き添えをくうことを心配した「いや、ちょっと」であった。しかし、長いと思ったその時間はほんの数秒だったのかも知れない。外から運転席の扉を叩くと、間もなく運転士が降りてきた。 「どうしました?」 「いやぁー、ドジっちゃって……」 ただただ頭を掻くばかりだった。 2分ほども電車を停めたであろうか。 「ああいうこともあるんだねえ」とか、「ところどころすき間が広いところあるんだよね」とか、別に聞いてもいない最前の中学生に向かってぶつぶつこぼしていた。 あとでカツヤさんに文句たらたらぶちまけたことは言うまでもない。 ●大江戸線ボケ これまで、ずいぶん勘違いが多かった。 新宿西口駅でのトラブルも、考えてみればそう大したことになる可能性があったとも思えない。なにか異常があればセンサーが感知するようだし、運転士はモニターで人の動きを監視している。 第一、なにがなんでも先頭車両に乗るというのは、そこへ行くまでのあいだに間違って線路に落ちるリスクも高いということだ。これはとんでもない勘違いだったかも知れない。どこから乗っても同じなら、エレベーターに近い車いす優先車両に乗る方がいいというのは自明の理である。 そこで、新宿西口のヒヤリ体験を機に、以後大江戸線乗車の際は真ん中の5両目と決めている。 4月に杉並区西荻の知人宅に行く機会があり、大江戸線を乗り継いでJR総武線で新宿から乗った。大江戸線で19分、新宿からの常磐線で15分、電車だけの所要時間は34分でしかないのに、西荻の駅から知人宅まで10分歩いたとしても、1時間以上もかかったのはどうにも合点がいかない。 一番のトラブルは、西荻駅での駅員によるエスカレーター操作のまずさ。3人がかりでああでもないこうでもないやりながら、20分たってもエスカレーターを動かすことができなかった。ただ、この日は朝、出るとき忘れ物をしたりして時間を食ったこともあり、これに懲りて次回同じ宅に行くときには1時間半たっぷり余裕を取って出かけることにした。 ところが……。 パワーマックによるDTP製版をなりわいにすること久しく、その7周年記念日が目前にきている。そんなおりもおり、前述の親しい知人からマックを譲り受けることになった。 「ウエルカム・パワーマック」も、いまや「ウエルカム・マックGIV」の時代となり、その最新鋭のGIVを知人が買うことにより、古くなったGIIIを誰か適当な人に使ってもらいたいと、その栄誉に浴することになったのが俺なのである。 古いといってもさすがGIIIである。俺が今まで使っていたマックとは格段にパワーに差がある。その搬送が今度の西荻行きの目的だった。リフトタクシーを呼んで、タクシー運転手に頼んで一緒に運び込んだりしてもらうことになるが、取り付けから設定まで、あれこれ手間を考えて朝早く出かけることになった。 新宿西口は電車を降りるだけだから心配ないはずだったが、JRへの中継を頼むため駅員に迎えに出てもらった。デパートの開いてない時間のため、エレベーターでJRの改札のある階に行くことは不可能だったからだ。 途中まではエスカレーターがあるということたが、その先なにがあるか、この時点ではわからなかった。 大江戸線の駅員に付き添われて、エスカレーターを2台乗り継いだ。西荻みたいに3段平らにして乗せるなんてまだらっこしいことなどしない。動いているエスカレーターにそのまま乗り込み、階段と階段に前輪、後輪かませて車いすの後ろを押さえる、それだけですいすいと上まで運んでくれた。 「階段があるんですね、4、5段の」 「え? 階段があるの?」 しまったと思った。エスカレーターくらいはあるものと思ったのは甘かった。 間もなくその階段が目の前に立ちふさがった。4、5段どころか、数えたら14段あった。しかし、 「大丈夫。今、呼んできますから。私も手伝いますから大丈夫ですよ」 安心させるように言って、駅員は階段の上に消えた。 見上げるそばを、無数の人が行き交い、流れている。車いすにとっては4、5段も、14段も超えられない壁には違いない。そういえば、新宿の映画館は階段ばかりで、車いすでは入れないところが多い。街自体が障壁なのだ。やはり、これは一度大きな地震がきて更地にでもならないことには解決しない問題かも知れない。そのとき果たして生き残れるかどうかは別の問題としよう。 「階段上がるんですか? お呼びしてきますよ」 しびれを切らしていたのは俺ばかりではなかった。そばのマクドナルドかなにかの店から、女の子が見るに見かねて出てきた。 「あ、いや、いま別の駅員さんが呼びに行ってますから」 俺は女の子の親切を丁重にかわした。 それにしても遅い。こりゃあまた、間に合わないかも知れない。 大江戸線の駅員がたった一人で戻ってきた。 「今、応援集めてますからって……」 そう言ってまた消えた。 大江戸線ぼけだと思った。JRを使っていたときは、待つことはざらだった。待つことを前提に予定を組み立てたものだ。そのための余計な時間は、20分や30分じゃきかない。それが便利な大江戸線に慣れっこになり、忘れていたのだ。 さっき消えた駅員が、後ろを振り返りながら階段を下りてきた。間もなくJRの駅員が、2人、3人階段の上に姿を現わす。5人、7人……!?(擬音でいえばなんと言おうか。!付きの「えーっ?」、か、女学生風に、「ウッソー」と言うか)とにかく総勢で12人も出てきたのには驚いた。こんなに集めるんじゃ、そりゃ時間はかかるわな。でも、車いす1台持つのにどうしてそんなに人が必要なの? 俺はただただ呆れるよりほかになかった。 大江戸線の駅員も含め、4人が車いすをお神輿して階段を抱え上げ、あとの駅員はただ黙ってぞろぞろついて来るだけだった。なんだか殿様行列のようだった。障害者をしていると面白い場面によく出くわすが、その日の新宿での体験は近頃にない面白い場面のひとつとなった。 結局また10分遅れで目的地宅に着くことになったが、実はもらうことになったマックをめぐり、その日はもう一度、大江戸線に乗る羽目になった。そしてその体験こそ、「自己責任」の意味を深く、真剣に考える契機となる貴重な出来事だったのだ。 |
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