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大江戸線車いす漫歩

築地市場駅


 築地は江戸・明治を通じて、ウォーターフロントとして当時もっともハイカラな、にぎわいのある土地。将軍家御殿・皇室の宴遊地であった浜離宮庭園、立教、青山、明治学院などのミッションスクール発足の地でもある。明石町の外国人居留地、海を埋め立てて建立されたことから「築地」の地名発祥となった築地本願寺などの系譜から、莫大な手間と金銭をかけて創りだされた空間であることがうかがえる。現在では、中央卸売市場を中心に海外市場もふくんだ巨大流通施設のほか、国立がんセンター、海上保安庁、朝日新聞社などの施設が所在する。(東京都地下鉄建設株式会社発行「駅デザインとパブリックアート」より)

●東銀座で降りて
 車いすでの大江戸線利用が日常化して久しく、東京が狭くなった感じだ。障害のため、行動に制約がともなう車いす利用の人間が、広い大東京を「狭い」と感じるようになったのだ。これは一大変化に違いない。人生の新たなる可能性への大飛躍でもある。
 駅によってはラッシュ時の混雑があるようだが、このまま利用客の状況が落ち着いてくれれば、ラッシュのある駅、ない駅の色分けもできる。そうなれば障害者の社会参加に別の新たな役割も加わるだろう。たとえば、車いす利用者の就職はどうだろう。
 ラッシュ時通勤ができないとあきらめていた就職が、大江戸線によって可能になる。その際、トイレをはじめとする職場内のバリアフリー化などの課題は残されているものの、選択肢のひとつが増えることは確かである。ただ、これも現在の超不況という現状が打破されないことにはどうしようもないが。
 しかし、そうではあっても、別の面から職業開拓の線は残されている。仕事はあるが、持って行くわけにはいかないという状況のなか、これまでだったら断っていた仕事を大江戸線に乗って自分から取りに行くことができるのだ。それで飛躍的に仕事量が増えたという人を間接的な話でも聞いている。
 大江戸線がまだ通ってない頃のことbb。
 パソコンで版下製作といえば、DTPというしゃれた言葉を用いる。文字入力から編集まで、なんでも机上の範囲内でできるという意味の略なのだが、その英語を解せないとおなじくマックの立ち上げには苦労した。それが一段落した1年後くらいの頃、晴海の印刷展に出かけたことがある。
 仕事で一生懸命になることなど実にめずらしい。パソコンを扱うにも、仕事よりは道楽が優先するといっても過言ではない。写真加工ソフトでは、アイコラの首のすげ替えに躍起になっているし、(大容量の記憶媒体磁気ディスク)MO本体を2台つなげたのも、エッチ写真集の編集のためだ。
「少しは本業に精出してくださいよ」と、お得意客に釘を差されるたび肩身が狭かった。
「また、映画ですか?」
「昼間に映画なんか行くわけないだろ」
 そう言いながら、前評判の高かったアニメ映画が夏休みにかかる前、ジャリ共の混雑を避けて仕事時間の午前中つぶして出かけたこともある。
「晴海で催される印刷展だよ」と、そのときに限っては胸を張ってこたえられた。
 東銀座までの地下鉄を使ったのは、晴海の会場に行くためだった。
 とはいえ、歌舞伎座前で降りて晴海まで、一直線といえども2キロ近くはある。そこを夏の盛り、汗をかきかき一目散に電動車いすを走らせた。他に近い駅はいくらもあるものを、乗り慣れた都営地下鉄以外気が進まなかった。
 俺の住む台東区を流れる隅田川は晴海のそばまで来ていた。その川の水が東京湾とまじわる間近に、勝鬨(かちどき)橋がかかっている。子どもの頃見た絵本の印象が強く、橋の手前に来て緊張したのは、今にも橋が二つに割れる場面が胸をよぎったからだ。
 印刷展はパソコン本体と周辺機器、さらには各種ソフトとジャンルごとに会場が分散しており、それらをひとつひとつ見てまわりながら、最終的な関心はプリンターにあった。
 それまでプリンターは、パソコンといっしょに買ったものを使っていたが、それではA4サイズの紙しか扱えず、なにかと不便をきたしていた。そこで目をつけたのが、「A3ノビ」対応の最新プリンターだった。
 A3ノビのノビは何を意味するのか、かねて不思議な呼び方のひとつだった。タネを明かせばA3より広い、つまりそれだけ伸びているサイズだから「ノビ」という、実にバカバカしいネーミングであった。
 しかし、そのプリントサイズの大きさが値段の差でもあり、当時秋葉原値段50万円のその品を買うには、よほどの覚悟が必要だった。和文タイプでの直(じか)印字版下を見慣れている目には、いわゆるワープロのぎざぎざ文字がどれだけ滑らかになっているかが、プリンターの品定めの基準だったからだ。
「この紙はずいぶんザラザラしてますが……」
 プリント見本を手にとって見ながら、メーカー直属の担当者に質問した。
「再生紙を使ってますので」
「名刺に使うとなると、これくらい小さい文字になるよねえ」と、メガネをはずした目がくっつくくらい近づけ、プリンタ面の細かい活字を凝視した。
 その場で見たのと同機種のプリンターが、今日まで約6年間稼ぎつづけてくれたのだ。
 会場備え付けの食堂での昼食はひとりではなかった。以前には写植を扱い、マックは習いたてという車いすの男性と知り合えたからだ。彼は、俺と同世代かそれよりは上くらいの年齢で、頚椎損傷の中途障害者だった。
「ここまでになるとは凄い進歩だね」
「バイクの会社がCD−ROMを書き込む器械にまで手を伸ばすとは、まったく鵜の目鷹の目ですよね」
「パソコンは、もともとアメリカのものだったから、編集ソフトも日本の出版物に合わせたものがなかった。それへの対応も整ってきたよね」
「最初に見たあれですか。縦組み機能なんか、かなり進歩しているみたいだけど……。ところで、編集機というのは、どういった仕組みのものなんですか?」
 カレーをぱくつきながらも情報収集に余念がなかったが、勉強不足の俺には相手の話の半分も理解できなかった。その彼とは以来ずっと年賀状のやりとりをつづけ、最近ひょんなことから再会する機会も得た。まったく、縁というのは不思議なものだ。

●銀座に届け
 6年前、印刷展の会場のあったそばにも大江戸線の勝どき駅ができた。次が築地市場駅だが、この駅が銀座へ行くための中継点となった。
 結局、都営地下鉄の東銀座駅へは、あのあと1度しか行っていなかった。エスカレーターも途中までしかなく、あとは駅員のお神輿に頼るしかなかったので気が引けたのだ。
 大江戸線ができて、一時、映画は新宿で見ることにして、東新宿駅と新宿西口駅を行く映画館に合わせて使い分けていた。しかし、新宿は建物が古いため階段の多い映画館が多く、なんとか銀座で見ることができないかと思って目をつけたのが築地市場駅だった。
 その駅を初めて使ったのは3月20日、春分の日だった。
 ホームを降りたら、線路の向こうの標識に朝日新聞社前とある。
 なつかしい響きを感じた。地域の障害者運動をしていた頃、チャリティーコンサートを企画し、それを記事にしてもらおうと電動車いすのバッテリーを気にしながら新聞社回りをしたことがある。その一番目に訪ねたのが朝日新聞社である。今なら大江戸線でわけもなく来れたのだ。
 エレベーターを降りた向こうに、大きなビルがあり、朝日新聞社の社旗をたしかた。
 広い通りに向かって歩き、すぐ途中の橋を渡った。橋から見下ろす下にも街が広がり、さらにその下を車が激しく流れる通りがある。もとは川だったところが高速道路になったため一段低くなっているのだ。
 昭和通りの一角は歩道が陸橋になっており、夕方までの時間はエスカレーターが動くものの、とうぜん車いすでは渡れない(ブザーを押すと、そばの駐車場から係員が出て、エスカレーターを車いす専用に替えて運んでくれるということを、ずいぶんあとで別のきっかけから知った=大門篇参照)。
 しかたなく、そのまま昭和通りを歌舞伎座方向に進めば、次の信号ではまたふつうの十字路になっている。右正面に歌舞伎座が見えたところに靖国通りが交差しており、そこを左に進めば銀座はすぐだった。
 時速6キロの電動車いすで10分、半径1キロ圏が大江戸線巡りのキーワードである。大江戸線は駅を降りてすぐのところはなにもなくても、1キロ圏内ならけっこう賑やかなエリアに届くことができる。10分くらいなら、冬の寒いときでもさほど苦にはならぬ。ところが、築地市場駅では、これまでの定石が崩れてしまった。
 昭和通りを歩いているときはさほどではなかったが、靖国通りから銀座に向かって歩く頃、人の流れが一気にふくらんでしまった。こうなると、それより遅く歩く人を電動車いすで抜くことはできなくなり、雨で傘でも差していようものなら、さらにのろのろ運転となる。
〈ああ、銀座は人の海だったんだ……〉
 土曜、日曜の新宿の人混みに近い。
 かろうじて10分で銀座に届くから間違いではないものの、めざす映画館へとなると、それから10分はよけいに見ておかなければならない。
 新宿のように若い人ばかりで中年のこっちが気が引けるということはないものの、アベックが多いことでは銀座も新宿に負けてはいない。
 これが、映画を見終わって帰るころには、みんなほろ酔いといった顔になっている。ふらふらと正体を失いかけている者もいる。こうなると男も女もいっしょだ。不思議なもので、酔っ払いというのはしらふの者から見ると、どうしてみんなバカに見えるのか。次からは自分が酔えなくなるくらい無様なものだ。
 いつもしらふでは悔しいので、こっちも酔ってやれという気になった。
 JRのガード下は、昔から赤提灯の一杯飲み屋が軒を連ねている。ここでもアベックが多いのは、いたしかたがない。こっちが独りだから悪いのだ。いちいち怨まれては気の毒と、いつかこっちがアベックになった日のため、肩を持っておく。
 そのガード下の一角に、おもてのついたてに古い日本映画の広告をべたべた貼り出してある、細長いつくりの飲み屋に入った。広告もだが、外からながめたメニューの「ホルモン焼き」に目が引きつけられたからだ。
 刺身と野菜の煮物を注文し、最初に目をつけたホルモン焼きの品々にも食指が動いた。350円という安さが「気になった」が、食い気に押しまくられてハツ(心臓)とシロ(腸)を注文に加え、日本酒の冷やをつけた。
 窓を通してあらためて見直すと、映画の広告は古いヤクザ映画だった。銀座の映画館はすべて把握している。古い日本映画といえば、銀座並木座がそうだったが、とっくに潰れていたはずだ。他にそれらしい館はないはずだ。それに、新作の『シュリ』までいっしょに並んでいるのは不釣り合いだった。
 そういえば、店の壁にはウエイトレスを女給(この文字をパソコンで入力する際にも、わが日本語変換ソフトでは正しく変換してくれなかった)と呼んでいた時代の映画スターのブロマイドが、セピアがかった色をして貼ってあった。
 どうやら、この店自体、レトロで装っているようだ。
 やがて注文の品が運ばれ、待望のホルモン焼きも目の前に並んだ。期待半分、怖さ半分で口に入れたが、油っぽくて口に合わなかった。やはり値段以上のものを期待するのは無理だった。
 1時間ほどで店をあとにした。
 昭和通りに戻ると、角に日の出寿司というテイクアウト専門の寿司屋がある。関西風で押し寿司が多く、少し味にも物足りないが、この店のいいところは、映画を終わって通りかかる9時半ともなると880円の歌舞伎寿司が500円になり、閉店の10時間際には全品半額になることだ。ただ、その際には残ったものだけという条件はあるが……。
 こうして、また20分近く電車に揺られただけで、家から2分の地元駅にたどり着いてくれる。最近は、電車に乗る際の緊張はまったくなく、先に一般客の乗るのを見届け、さらに一息いれてゆっくりと乗る、という余裕までできた。
 5両目の車いす優先スペースで読書しながら帰るのも習慣になった。車両と車両のつなぎ目近くの窓のところが本を置くのにつごう良く、そこにぴったり車いすを着ければ悠々読書ゾーンとなる。
 駅が近くなった。そろそろ本を仕舞わねば。読書に夢中のあまり、一度は手前の駅で降り、もう一度は逆に乗り過ごしてしまった。気軽に乗り降りできるという緊張感のなさが、そんなポカを平気でする。
 振り返ったところに、バギーを引いた若い母親の姿があった。
「こちらへどうぞ」
 すかさず招じて、自分は乗降口の前へと入れ替わった。
 電車が蔵前駅に着き、ドアが開いた。

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