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大江戸線車いす漫歩

上野御徒町駅


 上野広小路・御徒町界隈は、江戸時代から受け継がれた伝統文化と、山の手の東京モダン文化が交差するポイント。文化的には非常に個性的な特徴を持った街といえる。また、銀座に連なるセンスあふれる都会的な商業空間と、アメ横などに代表される活気ある下町の商業空間が交差する地域でもあり、それぞれの対比的な特性が混合し、融合した雰囲気が、上野御徒町の魅力ともいえよう。
 地下鉄、首都高速と、さまざまな交通路線が交差し、JRの始発・終着駅としての古い歴史を持つ上野駅にも近いこのエリアは、常に人や物、車が行き交う活気ある場所。
(東京都地下鉄建設株式会社発行「駅デザインとパブリックアート」より)

初乗り駅
 ホームから改札階までのエレベーターで、おばさんのお客さんといっしょになった。板橋のアパートで、7つ年下の義理の親父と暮らしているお袋よりは、すこし若い感じだ。
「どうぞ」とうながされ、ボタンを押して待っててくれてるあいだに車いすをバックさせて、エレベーターを出る。バックはいまでも苦手だ。
 改札を抜けると、左が銀座線に抜ける道、右が日比谷線とJRに抜ける道、その右のほうの道をしばらく車いすをすすめた。この通路が長くて、お年寄りや歩行障害のある人には苦痛な道だ。こちらは電動で、一般健康人の早足程度の速さだから、気取って歩いているOL風の女の子まで抜いて、どんどん前へとすすんでいく。
 定期券売り場のカウンターが見える角のところで、JR御徒町駅と上野5丁目口のある右に折れる。ゆるいスロープをのぼりきると、地上に出るエスカレーターのすぐ横に電車を降りて2台目のエレベーターが控える。そこへ向かって車いすをすすめ、入るとすぐボタンを押した。と、そのとき、
「待って待ってっ」
 背後からの声に、あわてて別のボタンを押して閉じかけた扉をまた開いたとき、なんとホームからのエレベーターでいっしょだったおばさんが飛び込んできた。
(エーッ!?)
 あの若いOLでさえ車いすの後ろにすぎたのに、つぎのエレベーターで置いていかれないよう、懸命についてきたのだ。
「早いですネー」
「………」
 なにかリアクションを期待したのだが、おばさんから返ってきたのは苦しそうな喘ぎ声だけだった。
 これは、まだ大江戸線が開通したばかりのころ。全駅にかならずひとつずつついているエレベーターに乗るのは、まだ車いすか足弱なお年寄りといった人ばかりで、若い人はさすがに遠慮してほとんどいっしょになることはなかった。
 ところがいまは電車を降りると、エレベーターに近い扉から出た人はいっせいにそっちに向かい、優先されるべき車いすが1台待たされる、なんてことはざらだ。
 そこで先手をとって、エレベーターにより近い出口を覚えておくという心の準備が必要になる。だいたい車いす向きにできていて、専用スペースの備わっている5両目付近にエレベーターが位置することになっているが、駅によってじゃっかんのズレがある。
 たとえば、蔵前から上野御徒町で降りるときは前寄り、築地市場で降りるときは逆に後ろ寄りということが、通算200回(片道換算)乗った経験から得た知識だ。
 さっと早々と乗り込み、そのあとから一般客がつづく。したがって、遅れた何人かは取り残されることも。そうして上に着くと、必ず親切な人がいてボタンを押して扉を押さえてくれている。しかし、
「どうぞ。先に降りてください。車いすで反転して前から出ますから……」
 そういって後から降りるのも定番になった。慣れないバックで人の足を踏みでもしたら大変だ。
 そもそも大江戸線は都営地下鉄12号線といい、その12にあやかって去年、平成12年12月12日開通した。はやいもので、開通してもうすぐ1年がとこ、たとうとしていることになる。
 初乗りは12月14日、乗った駅は今回とりあげる上野御徒町である。
 しかし、まだそのときは仕事を終える6時という時間帯には、あいかわらず片道を電動車いすの走り一本にかけていた。というのも、ふつうなら通勤ラッシュの時間帯で、いくらバリアフリーといえども、押し合いへし合いやっとの思いで乗るなどまっぴらだった。
 ところが、都営新宿線のマンモス客と合流する森下駅を例外として、「大江戸線にラッシュなし」といわれているなど最初は知るよしもなかった。
 上野御徒町駅へは週2回平均往復するが、たのしい目的を語る前に、上野についての思い出をちょっと振り返りたい。

あゝ上野駅
 地方の若者が、就職列車に乗って着く東京の最初の玄関口が上野駅である。
 俺が上京の目的は就職ではなかった。就職するための職業訓練を受けなければならず、そのため新宿の施設に入ることになった。郷里の佐渡から佐渡汽船の船で新潟に着き、そこから今度は列車に揺られる。新幹線など通っていなかったから、上京するまでほぼ一日がかり。夜に着いて、上野に一泊。
 まだ、16歳、同級生は養護学校に残って上の高等部をめざしたが、早く社会人になりたい俺は進学をとらなかった。とはいえ、一足飛びに社会人というわけにはいかず、施設の延長である寮暮らしに変わりはなかった。初対面のおとなばかりの世界にまじって生活する明日からの不安に、旅館の窓から見る駅の明かりのなんとさびしげだったことか。
 それから7年たち、それまではあいだに施設生活をまじえて半社会人だったのを、名実ともに施設を飛び出しての就職がかない、三畳間生活とはいえひとり暮らしの“城”をかまえることになったのが、上野、浅草を観光の代名詞とするような下町・台東区であった。
 上野は、よくくる街になった。
 障害者とボランティアでつくるサークルの行事が花見なら、とうぜんくるのは上野公園だし、その花見は会社の慰労会でもあった。
 ミニコミ新聞を発行する活動に手を染めると、上野駅前を拠点に街頭販売もおこなわれた。
 浅草公会堂で障害者芝居をすることになると、資金集めのカンパ活動もした。車いすでマイクを握って通行人に呼びかけるものの、「乞食をするくらいの芝居ならやめろ」と毒づかれたり、「そんなに口が達者な障害者がいるはずがない」と首根っこつかまれ、酔っ払いに車いすからひきずり下ろされそうにもなった。
 いい思い出も悪い思い出も、悲喜こもごもである。
 台東区には3度住まいを変えているが、三筋にいたときは春日通りを台東区のはずれまできても、そこから曲がってさらに行かなければ上野には届かなかった。しかし、合羽橋商店街の一角に変わったときは、浅草通りまで出ればあとは1本で上野に届き、すこし近くなった気がした。ところがそこを火事で焼け出され、今の住所にきたら最初の三筋よりさらに遠くなってしまった。ちょうど台東区のはずれからはずれに行くかっこうになる。
 JRに乗るには、時速6キロの電動車いすでも40分走らせないと上野駅には着けない。手前の御徒町ならすこし近いが、去年の夏に何年ぶりかで使ったとき、あいかわらず駅員が何人もで抱えたのには気を使った。12キロの軽量手こぎイスの時代とちがい、70キロの電動車いすでは気の使い方も何倍にもなる。だから、JRに乗るときは遠くとも上野と決めてきた。
 大江戸線上野御徒町駅は、エレベーターを降りたところがJR御徒町駅の真ん前。車いすできたときには30分以上もかかった距離を、蔵前から電車に揺られることわずか4分。
 駅を降りて右へ歩けば、10分たらずで上野駅につき、その途中にはヨドバシカメラやアメ横もある。左へ行けば秋葉原電気街があるが、ここへは15分かかり、ちょっと遠い感じがする。とはいえ、車いすでしか来ることができなかったころを思えば隔世の感がある。
 さて、いつものお楽しみは別にある。右でもなく、左でもない。まっすぐ行ったところが目的の場所、乙姫様が入れ替わり立ち替わりする竜宮城、とはおおげさだが俺にとっては憩いのオアシス。

「お湯をかける少女」
 JR御徒町駅近くにある松坂屋デパートの7階ファミリーレストランで、週2回、サーロインステーキ定食を食べることをつづけていた。サーロインといっても、税込み1260円、値段から推して知るべし。どうせ、オージービーフかなにかの安物に違いない。
 お目当ては、若さを発散して飛び回るウエイトレス嬢を見んがためである。そのため、安物サーロインにも、格別の味がくわわる。
 ことわっておくが、決してこれがうまいとか、ひとりでも多くの人に食してほしいとかと推奨しているわけではない。本コラムの読者が勘違いしておなじものを注文し、あとで文句を言われたということがある。それは困る。
 俺が食べるサーロインには、ウエイトレス嬢の笑顔とお愛想という、俺にしか効かないだろう特別のスパイスがふんだんにプラスされているということなのだろう。だからやめられぬ。
 レジ兼用の食券売り場で「いつもの」と言いかけ、自分のわがままに気づいて言いなおす。いつものと言って通すということは、いつものメニューをウエイトレスに覚えさせるということだ。
 かく言う俺は、マックDTPをなりわいとしている仕事の過程で、客に「いつものように」とはなるべく言わせないようにしている。もちろん、客を相手だから高飛車に言うわけにはいかない。
「まちがいのないよう、いちおう大事な指示は原稿に書きこんでください」と伝える。
 その俺がいやがることを、可愛ゆいウエイトレスに求めるなんてできるわけがない。
「なじみのお客さんは30人くらい。それくらいのお客さんの好みや注文は、憶えるのが仕事ですから……」
 立派だ。しかし、やはりそうはいかない。
「サーロインステーキとビールの中瓶、アサヒビール」
 いつもの注文をちゃんと伝えた。
 がちゃーんと、機械がはじく音がして、
「1732円です」
「……32円。えーと、30円は、あるある。あと、1円玉2個……あったかなー」
 背中に別の客の気配を感じてあわてる。
「ここのステーキはうまいですよ。なんたって松坂牛(まつざかぎゅう)ですから」
「えっ!? そんな高級なの使ってんの?」
「だってそうでしょ。松坂屋の牛だから松坂牛……なーんちゃって!」
 時間かせぎにバカなジョークを飛ばす。だーれも笑ってないってんの。それどころか後ろのオジサン、いらいらして頬がひきつってるよ。
 細かいゼニでもたついているあいだ、別のウエイトレスはイスをとっぱらって車いすの席を用意してくれている。
 食堂フロアーのほぼ真ん中、壁かけ時計の数字も読め、厨房も見わたせるその場所が、いつのころからか俺の指定席みたいになった。厨房が見わたせるということは、そこから客の注文を運ぶウエイトレスの様子もほぼ見わたせるということでもあるのだ。
 待つあいだ、それとなくするウエイトレス・ウオッチングもまた楽しい。
 最初に目をつけたのが、ポニーテールのナイスバディな子だった。
 印象的なできごとがある。
 おととしの初めも初め、正月三が日が終わったばかりの最初の土曜、例によって食券売り場で注文したところ、特別メニューのためサーロインはしばらく外したとのこと。
「えーっ!?」
 それこそあたりに響くように素っ頓狂な声で驚いたものだから、そのとき応対してくれたポニーテールのその子まで、たじろいでしまった。
「代わりの注文を……」
 恐る恐る切りだしたものの、ショックで立ちなおれないのはむしろ俺のほうだ。
「これは新年早々重大ニュースものだよ」
 青くなってそう言ったら、それがよほどおかしかったのだろう。いつもはすましているだけのナイスバディーのおネエちゃんから、実に可愛いい笑いがこぼれた。
「そんなにおかしい?」
「だって……」
 特別メニューは一時のみ、今はまた俺の胃を満たしてくれてるが、それをきっかけにナイスバディーちゃんとはすっかり打ち溶けた。
 ある日、その子が母子連れのテーブルの担当だったとき、3歳くらいの幼子の顔に見入って、実にやさしい笑顔を送っていた。
「そんなに子どもって可愛いい?」
「ええ」
「ダンナさんはどうでも?」
「ええ。子どもだけだっていいですよ」
「女の人って、みんなそう言うんだね」
「そうですか?」
「そうやって、みんな結婚するんだね。もったいないなー」
「え? なぜですか?」
「結婚しないのが、いい女なんだよ」
「そんなことないですよ。今は結婚しても若くてきれいで可愛いい女の人、いっぱいいますよー」
 ヤンママってやつか。
 そういえば松坂屋ステーキをぱくつきながら、可愛いいヤンママを見かけたことがある。
 女優でいえば荻野目慶子似の小柄な若い母親が、ひとつ向こうのブロックのついたてごしに、実にやさしい眼差しを下に向けているのだ。そこには1、2歳の子の姿が見え隠れしていた。それに向かい、なにか話しかけ、そのたびにニコッと、太陽のような笑顔を見せる。
 子どもはあんな降るような愛情と笑顔で、ひまわりのように育っていくのだろう。
「あの子もいつかは、あの母親のようになるのだろう」
 ふっと、そんなことを考えた。
 7階ファミリーレストランは、調理場から近い順に「A班」「B班」「C班」と持ち場が分かれている。俺の「指定席」のある場所はB班にあたる。
 土日、祝祭日の混雑時は、指定席も埋まってC班の席にまわされる。すると注文を運ぶ担当以外のウエイトレスの姿は拝めなくなり、俺がもっとも不機嫌になる場所でもある。
 また、このエリアは厨房からもいちばん遠いから、働くウエイトレスにとってもいっそうの歩きを要求される場所でもある。
「万歩計を持っているんですよ。それで計ったら、C班担当で、1日ちょうど1万歩あるくことになるんです」
 そう教えてくれたのは、去年の春、寿退社した先輩格の大柄なウエイトレスだった。
 その話を聞いてからというもの、注文を持って客のテーブルを行き来する女の子たちの脚が、ひときわたくましく見えるようになった。
 2番目に目をつけた真ん丸顔の子がそうだった。ちょっと前には細くなったと思えた脚が、さいきんまた元にもどっている。大江戸線効果で多忙をきわめるようになったということだろうか。まさか!
 ただ、その子ときた日には脚の太さだけでなく、イメージチェンジはなはだしく、面食らってしまう。
 髪型にひかれて印象を強くしたものの、次に見たときには別の髪型になっていた。髪の色も会うたびごとに千変万化。一度は、真っ赤に染めた上に供え餅が乗ってるような髪型でガッカリした。
 夕方6時20分、館内アナウンスのスピーカーからヘンデル作曲『水上の音楽』が流れる時間、最後の交代要員がいなくなって客席係は2人、もしくは1人というさびしさになる。
 すぐうしろの通用口を通っていく子に、「おつかれさーん」と声をかけるのも当たり前みたいになった。
 今日の居残りはYさんか。
 お茶が飲みたいと思っている頃、なぜかアルミの急須を持って現われるのが、前にはナイスバディーちゃんだけだった。それに、今はお得意さんの社長と同じ苗字の彼女がくわわった。
「お父さん、ネーム屋の社長じゃないだろうね」と言ったら、「青森で元気してます」と答えた。
 その彼女につけたあだ名が、「お湯をかける少女」。
「『時をかける少女』という映画があっただろ? それの主題歌をバックに、工藤夕貴が大きなヤカン持って走り回るカップ麺のコマーシャルだよ」
 もちろん、そんな古いCM知ってるわけがない。
「お父さんに訊いたら知ってるはずだよ」
 ニコッと笑って、また他のテーブルに回っていく後ろ姿を見送り、俺もあの子くらいの子どもがいてもおかしくないのだナと、自分の歳をふりかえって、ふっとため息ついた。
 チャップリンの映画、『ライムライト』のテーマ曲が流れはじめた。これが鳴り終わるとき、ちょうど閉店の7時半となる。ああ、また長居してしまった。
「じゃあ、また」
 レジにあいさつして、エレベーターへと向かう。
 そうして夜の街にbb。
 大江戸線のおかげで、ずいぶん近くなった。これからは、寒さの冬にこごえて行き帰りすることもない。そのかわり、あの女の子たちの笑顔を思い返す時間もぐっとせばまったことになる。
 「お湯をかける少女」たちよ、みんな幸せになるんだよ。オジサンも負けずに頑張るから。でも、ロリータ趣味では、もうムリかな……。
(注・上野松坂屋の閉店・開店の音楽は9月1日付よりオリジナル曲に変わった)

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