日時:1995年8月6日(日)。時間:14:00からだったと思う
場所: Lolo Fernandez(ロロ・フェルナンデス。リマ・ペルー)
天候:うす曇り、気温は25度ぐらいだったと思う(リマはいつもこんな感じなんで…)
結果: La U(ラ・ウー) 5−1 Municipal(ムニシパル)
ガイドにスタジアムまで送られ、試合を見る。スタンドに入ると、既に試合開始から20分ぐらいたっていて、席を探していてピッチがよく見えないうちに、ペルーの首都のホームチーム(の一つ)の「U(ウー)」が同点に追いついた。いきなりもの凄い騒ぎである。一般論として、ペルーのサッカーは非常に攻撃的であるようである(4〜5点は当たり前?)と思っていたが、下記の新聞では当日の他の7試合の合計得点が7点しかない(0−0引き分けが3試合もある)ので、そうでもないのかもしれない。この日の“U”は、サイドバックがどんどんタッチラインをかけ上って行く。そして、相手のバックラインの裏にカーブをかけたパスがどんどん出てきて、「突撃!」という感じである。基本的にはダブルボランチの4−4−2だったと思うが、実質は2−4−4という感じであった。前半が同点で終わったせいであろうか、消極的だと味方からもブーイングが凄かった。そして、かんしゃく玉・ブーイング・唄を交えた応援はなかなかのものである。「なんとかかんとかなんとか、ラ・ウー!(『ウ』ないしは『ウッ』のほうが合っているかも、最後に大きなアクセント)」という「統一コール」に迫力がある。そうか、「ウォークマン」で隠し録音をすればよかった。私はホーム側のペナルティ・エリア付近に位置したが、ゴール裏は木の板の座席の上で飛び跳ねるのだ。芝はまずまずだったと思うが(黄色かったかも、記憶あいまい)、スタジアム全体が揺れていて、正直言って恐い。ガイドが「危ないから貴重品は絶対持っていくな」と言っていた意味とは別の意味で危ない感じである。カメラを持っていたが、圧倒されて写真を撮る気が起こらない。それでも、親子連れも結構いるようだった。試合は結局“U”が5−1で勝ち、サポーターは大満足であったが、ホームが負けたらどんなことになるのだろう。
データ
データは翌日買ったスポーツ新聞?「ajá」95年8月7日13,16(最終面)頁より。値段は0.8ソル(30円位)。ちなみに「ajá」は、「アハ」と読み、「そうだ!」という意味
Lolo Fernandezは、小さなスタジアムで、リマ市北西部にあるようだ、「Lonely Planet」や「地球の歩き方」の地図にも出ていない上、ガイドに近くまで車で連れていかれたこともあり、更にはカラー印刷の立派なチケットも後でカバンごと盗まれてしまったので、場所がよく分からないがセントロから徒歩で行ける距離。そして、ペルー・サッカーはこの1試合の他、テレビで少々見ただけだが、熱狂度は非常に高いようであり、もし行かれるチャンスがあったら、是非1試合見ることをお勧めする。まあ、どんなことになっても知らないけれど… レプリカを道で売っていて、2,000円はしなかったと思う。前後に広告も入っていて、なかなか派手なのでお土産にお勧めだ、洗うときは色落ちに注意。ペルーサッカーでJリーグと縁があったのは審判のアルベルト・テハダ氏。確か94年頃笛を吹いていて、結構厳しいカードを出していたような… カズにサウジアラビア戦でレッドを出したペレス氏じゃないよ。
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