アジア人の芸(?)

ブタペスト,鉄道でパリ(Paris・フランス)へ  1992年1月3日(金)


 ブタペストの最終日は市場へ。どこの町でも市場が「基本」。寝坊したので遅め(10時頃)に着く。そのせいか、人が少ない感じがするが、それでも元気で面白いところだ。
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市場の入り口
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日本料理屋があるらしい
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肉の塊を運ぶ人。よく見ると、車がきれいだ。
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 パプリカの国だけあって、どこに行ってもパプリカは欠かせない。それとニンニクもたっぷり
 このパプリカってやつ、調理にも、付け合わせにも出てくる。色(赤・オレンジ・黄・緑),大きさと形(大きくて丸いの・日本で普通のピーマンと同じようなもの・シシトウみたいなの)で、無限の組み合わせがある。だが、少なくとも我々には、口に入れるまで辛いのか、辛くないのかが分らないという問題点がある。しかし、彼らにとっては、冬季の貴重なビタミン源であるだけでなく、料理に彩を与えてくれるという意味でもありがたい食べ物なのであろう。寒い国の割には野菜が豊富で、独自かつそれなりの「食文化」を感じることができる上に、皿の上もカラフルなのが楽しい。

 

 この後、お決まりの、「お土産買い」に。ただし、スロバキアほど物が少ないということはないが、あまり「いいもの(特にデザイン)」は少ない。ワインは安くて旨いけれど、日本でも売っているしねえ。

 

 さようならブタペスト。この時期になると、社会主義国の駅で写真を撮っても、御咎めはないようだ(ハンガリーは前からそうだったのかもしれないが

 ブダペストからパリへの車中で、アメリカ人カップルと出会う。オーストリアへ出国の時に、「まずい、小銭が財布に一杯! 隠してない(本当は持ち出し禁止)。」と思っていたら、カップルの彼が、「持ってないと言えば大丈夫だ。」と教えてくれる。ここでもヴィザの控えが1枚残ってしまった。エグリ・ビカベール(トカイの項参照)を開けて一緒に飲む。彼もコスタリカ・ファンで、パスポートには、コスタリカの印紙(出国のときに数枚貼る)が、びっしりと貼ってあった。そこへホンコン人がやってきた。我々日本人組は、彼と漢字で筆談する。怪しげな文字を書いて、話して通じないものが通じるということが、アメリカ人には非常に面白いことらしく、これは「芸」として使えるのではないかと思っただけのことである。列車は翌朝、パリに到着。


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