川の向うは北朝鮮(統一展望台)
ソウル,プルグァンドンポストミナル(仏光洞バスターミナル)から、バスでキムチョ(金村)経由統一展望台へ、バスでキムチョへ戻り、鉄道でソウルへ 1994年1月2日(日)
「国境」といえば、パンムンジョム(板門店)が有名だが、ちょっと行き難い(少なくとも当時は)。そこで、当時の「地球の歩き方(韓国'93〜'94版 308頁)を参考に、オドゥサン・トンイルチョンマンデ(オドゥ山統一展望台)へ行くことにする。ミョンドンからチュンムロ(忠武路)で地下鉄3号線に乗換えプルグァン(仏光)へ。朝の地下鉄だが、車内ではニンニクの臭いがする。駅前で朝食。といっても9時半頃。メニューはハングルのみであり、読めるようになっているのはビビンバ(「ピビンバプ」という発音に近い)だけであり、従って食事はいつでもビビンバになってしまいうのである。前菜にキムチ等が何種類か出て来る。腹の調子はよくないのだが、そそられて沢山食べてしまう。何でも、これを全部食べるのはテーブルマナー違反だそうだ。
ビビンバ(ピビンバプ)の読み方。pとbの発音は同じで、お互いの中間音のような感じ。「一つ目と二つ目は下に『ロ』があるかどうかの違いで、三つ目も外観が二つ目に似ている」と覚えていた。これを覚えてしまうと、貴方もビビンバしか食べられなくなる!
|
|||||
|
バスの切符を買って乗り込む(どうやってキムチョまでの切符を買ったか覚えていない)。座席に座っていてちゃんと降りられるか少し不安になる。「キムチョ」の読み方が分らず、「金村」と漢字で書いたものを乗客に差し出すが、なかなか分って貰えない。「金」だから「キム」だろうと思って言うと、一人が「キムチョ!」と叫ぶ。きっとそう読むのだろう。「Yes!」とか間の抜けたことを叫んでいたと思う。こうして無事、キムチョで降りることができる(多分終点ではなかったと思うが、沢山の人が降りたと思う)。キムチョからはバス。降りてから結構坂を登る。ポップコーンのような三角錐を逆さまにした紙容器に入った貝殻のように見えるものをスナックのように食べる親子がいる(ポンテギという蚕の繭を揚げたものだった)。親子連れが非常に多く、「国境」という緊張感は全くない。皆、朝鮮戦争以後に生まれた人ばかりなのだろう。
![]() |
川の向うが北朝鮮。日本の観光地にもよくあるような有料双眼鏡で人影を探すが、正月休みのためか(?)、いないようだ。 |
展望台では、そりゃもちろん北朝鮮を展望するが、大したものは見えない。売店には北朝鮮の切手や、工芸品等の土産もある。ロシア土産もある。ここは92年9月にできたそうなので(上記による)比較的新しい観光地である(今ではどうなっているのだろう)。北朝鮮をバックに写真を撮って貰ったが、まあ、どうってことはないので出すのはやめておく。
帰りはキムチョ駅から鉄道で帰ってみる。駅には漢字の「金村」の表記がある。それでも読めないのが普通なのかなあ。
途中で、生きたドジョウを、水の入ったたらいに入れて運んでいる初老の女性が乗ってきて、売り込もうとする。私のところにもやってくる。「イルボン(日本)」というと、周囲の客と一緒に笑いながら「イルボン、何とか。」と言う。「日本人は生で食うぞ。」とか言ったのだろうか? 嫌な感じではない。自分の名前をハングル書きしたものを読ませる。
列車はソウル駅まで行くのかと思ったら、途中の駅で運転が打ち切られる。正月で特別なようだが、どぎまぎしていると、30ぐらいの女性が英語で話し掛けてきて、バスへ乗り換える方法を教えてくれ、その方向だったらしく、途中まで同乗してくれる。高速ターミナルへ着き、そこから地下鉄でホテルへ戻る。
夜は二人の教師とともに、ロッテホテルの食堂で宮廷定食(?)を食べる(当時は食べたことがなかった料理が並び、興味深かった)。しかし、ずっと腹の調子が悪く、「腹の疲労」が蓄積したものになってきている。ホテルに戻るとすぐトイレである。明日は大丈夫だろうか?
![]() |
トンデムン(東大門)の夜景 |
「1993〜94 韓国」へ
| 公開日 | 27 de Ago. 2000 |
| 最終更新日 (デザイン) |
1 de Ago. 2006 |