謎の美女、東京在住歴あり。テレビでバルデラマを見る

ロスアンゼルス(米国)→ サンタフェ・デ・ボゴタ(Santage de Bogotá・コロンビア)  1994年8月10日(水)


謎の美女、東京在住歴あり

 ロスアンゼスからボゴタへは夜間飛行。隣りにすごくきれいな女性が座っている。以下、私はつたないスペイン語を使い、辞書を使いながら会話している。彼女はローマ字部分は日本語(ほとんど固有名詞だが)を使っている。

私「タバコ、吸ってもいいですか(南米行きは結構タバコOKの席が多い)?」

彼女「ダメ。Nipponjin-Desuka?

私「そうだけど・・・」

彼女「Itabashiに住んでいたの。コロンビアではペレイラ(中部のコーヒー集散地。カリから近い。)に帰るの。」

私(板橋ねえ)

彼女「日本は大好きよ。1年半日本にいたのよ。Ikebukuroで働いていたの。姉(妹?)は日本人と結婚したの。で、貴方もコロンビアの彼女に会いに来たの?」

私「(何でそんなこと聞くんだろう。ああそうか!)違うけど… でヴィザとかあったの?。」

彼女「ヴィザはないわよ。」

私「(決定的な質問したろー)ところで… Sukebeって日本語知ってる。」

彼女(爆笑)

私(ううむ。分ったような気がする。ホント、モデルみたいにきれいな娘なんだがね。)

 飛行機ではエメラルド商人の日本人をちらほらと見かける。入国の際にも、彼女は親切にいろいろと手伝ってくれるが、友人の1組のカップルと一緒に街の中に消えて行く。リマと違って空港にしつこい観光ガイドもいない。あっさり入国し、バスで市内へ。ホテル・テケンダマ(Calle 26)を目印に降りる。


ホテルに入り、ボゴタ散策

ホテルはLa Sabena(Calle 23 No.5-23)というところ。かつてはAlexanderとかいう名だった。感じのよいホテル。
しかし、99年に訪れたときには、このホテルは、なくなっていた。

黄金博物館へ。なかなかのもの

 時差ボケはあるも、午前中から町を歩き回る。別にそれほど危ない街ではないが、警官に2度、呼び止められ、荷物を検査される。「さようなら」という言葉はいろいろあるが、1日に2度も呼び止められたので、「(しつこいなあ、近いうちに)また(会うことになるだろうよ。コノヤロ。)」という意味は"Hasta luego(アスタ・ルエゴ)"だと思い、皮肉を込めてそう言ってみるが、真意が伝わらない。"Hasta pronto(アスタ・プロント)"なら、「のちほど」という意味になるが、こういう皮肉は理解されるのだろうか?(無理なような気もする。)


テレビでバルデラマを見る

 テレビをつけたら、ジュニオール(Junior・コロンビア。バランキージャのチーム)とベレス(アルゼンチン)の試合(サッカー・リベルタドーレス杯)をやっている。Juniorは、普通のスペイン語読みなら、「フニオール」という発音の筈だが、アナウンサーがこう言っていたので… 花火が放たれ、選手入場。バルデラマがいる。存在感が違う。観衆の熱狂は凄い。アナウンサーの早口も凄い(1分間当りの語数、世界一じゃないかと思う)。私のスペイン語力では、とてもじゃないけど理解できない。あまりに面白いのでテレビの音を録音していたら、ジュニオールの若き(当時)ストライカー・バレンシアーノ(94年ワールドカップ、コロンビア代表。"El Tren"ことバレンシアとは別人)が、あっという間にゴールを決める。アナウンサー絶叫! 「ゴール・ゴール・ゴール・ゴール・ゴーーーーーーーーーーーーー(20秒ぐらい)ーオールッ! なんとかなんとかdeコロンビア(ラテンパーカッションとボーカルの音楽が続く)」というエキサイティングな状況。今でも景気付けにこのテープを使っている。その語も「バレンシアーノ、2点目か、あ、外した、なあんてこ・と・だ!!!」みたいな(想像)シーンもあったが、ビールを飲んでいて時差ボケもあり、結局途中で眠ってしまった。コロンビアではテレビでしかサッカーを見るチャンスがなかったが、一度スタジアムで見てみたいものだ。バレンシアーノは、その後、95年にバルデラマと共にジュニオールの親善試合で来日し、ベルマーレ平塚戦(何と東京ドームでの試合)ではハットトリックを決め、イエローカード(故意のハンド)まで貰っている。その後ケガに泣かされ、98年のワールドカップには出場していない。田坂(現清水)とバルデラマの「髪型対決」も面白かったのだが… この試合見た人、いませんか?


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