デラックスバス移動記

サンタフェ・デ・ボゴタ,バスでカリ(Cali)へ 1994年8月11日(木)


 朝8時頃のバスでカリへ向かう。ボゴタにもう少し滞在したかったが、帰りにももう一度立ち寄る街なので・・・ 


バスターミナル。朝夕は結構冷える。

コロンビアで、普通の旅は可能なのか?

 バスが発車する。いきなり戦車が動いているところが見える。多分、日本以外ではそんなに珍しいことではないのだろう。誰も動揺していない。道はきちんと舗装されている。コロンビアというと、皆恐れをなすし、行く直前にエスコバル暗殺事件(ワールドカップ代表。オウンゴールをした。帰ってきた後でメデジンで射殺された)があったことも、恐怖感を増加させるものになるかもしれない。でも、人は観光客ズレしていないで、大らかな感じがする。それほど特殊なところではないように思える。「少なくともボゴタは普通のところじゃないか?」という印象。とはいえ、「行ってはいけない場所」には近寄っていないけれど… バスはちゃんと走るし、ホテルもある。食事もできる。何を普通というのが正しいかという問題はあるだろうが、結論としては、普通の旅が可能という感じである。ただし、山がちで、バスでの長時間の揺れは覚悟である。

トイレも付いているデラックスバスだが、タイヤがパンクして、1時間近く停車。

 昼食休憩はイバーゲで。生活臭ただよう街で食堂のお姉さんも感じがよい。もの珍しげであった。運転手の近くに座って、バスが出てしまうのを防ぐ。

アルメニア。きれいな街のようである。イバーゲ・アルメニアとも一度宿泊してみたい。

 午後の4時ぐらいに大きなバスターミナルに着く。カリまではあと1,2時間かかるはずだ。何という名前の町だろう。とりあえず外へ出る。皆外へ出る。あっと思った瞬間バスが出てしまった。走って追いかけるが追いつかない。ここは終点のカリだったのだ。「大荷物」を上に乗せてあるのだ。そこにいたコロンビア人に"¡Ayúdame ! ¡ Por Favor!(アユダメ・ポルファボール=助けて!)"というと通じた(「アユデメ」のほうが丁寧)。5人組で、そのうち1人以上がワシントン住まいということで英語も通じる。バスの車庫に行ってドアを開けるとそこに荷物が残っていた。お恥ずかしい限りである。コロンビアでこんなに緊張感がないというのも問題だ。彼らは5人乗りの車に私も含めて6人で乗って(助手席に、夫の上に妻が座った)ホテルまで送ってくれる。高級ホテル(といっても30ドルクラス)"Rio Cali"を薦めるが、近くの"Maria Victoria(15ドルクラス)"にしてくれと頼む。しかし、後者は一杯で、前者に泊ることとなる。"Rio Cali"は旧名を"Menendez(メネンデス)"といい、彼らもそう呼んでいる。夕食はホテル近くの食堂に、閉店間際に駈け込む。店のお姉ちゃんがてきぱきと掃除をしている。「仕事沢山だね」というと。「そうなのよ」。悪い感じはしない。


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1994 コロンビア・エクアドル・米国」へ

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