頼むから、カーブで十字を切らないで…

パスト,タクシーでイピアレス(Ipiales),ルミチャカ(Rumichaca);徒歩でトゥルカン(Turcán・エクアドル),バスでキト(Quito)へ 1994年8月13日(土)

 


朝の散歩。ひっそりしているけれどきれいな街である。
パストにて

美しい教会が目を引いた。多分「クリスト・レイ(La Ignacia de Crist Ray)」だと思うのだが…

パストの教会


頼むから、カーブで十字を切らないで…

 朝、出発する。乗合タクシーでイピアレスまで。下り坂はジェットコースターのような感じだ。よく見るとメーターが0を指したままである。何キロなのかも分らない。そして、運転手はカーブをブレーキを踏みながら回る。そして、カトリックの南米の常識では、危ないカーブには十字架が沢山あるということがある。交通事故で死亡した人のためのものである。この運転手はいい人のようなのだが、敬けんなカトリック教徒なのか、そのようなカーブでハンドルから手を離して十字を切るのである。生きた心地がしない。そして、2時間程でイピアレスで降ろされる。ルミチャカまで直通があったのかもしれない。再びタクシーに乗って、ルミチャカ国境へ数分間。国境では橋を渡って事務所のようなところへ。「日本のコインはないか?」と聞かれるが、「ない(実は意味が分らなかった)。」と答えると、「そうか?」と言って出国させてくれる。エクアドル側の入国では、部屋に一人で入れられ、二人の係官が荷物を全部開いて点検する。カゼ薬だったと思うが粉薬を持っていたが、特にお咎めはなかった。聞かれたら面倒なことになりそうだったなあ。国境で20ドルを両替して、トゥルカンへ。


トゥルカンからキトへ

何となくユーモラスに見えてしまう鳥たちである
トゥルカンの共同墓地にて(1)

これは、やはり日本の神社にもあるような「アレ」を形取ったものなんでしょうかねぇ? そう見える私が異常なのか?
トゥルカンの共同墓地にて(2)

オンボロで、大荷物は屋根の上。一般論としてはなくならないように注意が必要。バスは揺れがひどかった。おばちゃんが飛び上がって笑った。日本の化粧っ気がない田舎の一般的なおばちゃんそっくりである。気がつくと赤道は越えてしまったようだ。
国境の町、トゥルカンから、首都キトへのバス

キトに到着

 キトに到着。ホテルは安全な新市街で探す。"Residencial Los Andes"というところにしようと思っていたが、道に迷う。ロータリークラブの人(?)が車で道案内してくれて、場所を教えてくれる。しかし、ここは今一つだった。彼らのお勧めの"Pasada Real"というところに案内してくれる。新しいホテル(民宿風)で清潔だ。日本語の「いろは」が書いてあるTシャツを来たイスラエル人女性とイタリア人夫妻がいる。イタリア人夫妻と夕食を食べに行く。バンド演奏がある。20ドルしか持っていなかったので、私がカードで払い、二人分のスクレをもらう。彼らは生野菜を食べないが、私は食べる。妻は医師で英語ができ(医師が食べない生野菜を食べた私は大丈夫なんだろうか?)、夫は元セリエCでプレーしたこともあるとのこと。「サッキは代表選手を代えすぎ」という意見。ホテルへ戻った後も話をするが、彼らは40日程度のバカンスで、どこに行くか決めていないそうである。イスラエル人女性が「きれいなビーチに行きたいと」聞いて、「ベネズエラが最高よ」と言う。確か日本人だとビザが面倒なんだが、のんきなイタリア人たちは大丈夫なんだろうか? ビール一杯で結構酔いが回る2,000メートルの高地で、ホテルの回りも坂が多く、すぐに息が切れる。


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