もう「時効」だろう。バルデラマを「J」に呼ぼうとした人の話

リオバンバ,バスでキトへ 1994年8月18日(木)

キト→ボゴタ 8月19日(金)

ボゴタ→ロスアンゼルス 8月20日(土) 


リオバンバ,キト

 リオバンバを8時20分に出たバスは12時20分にキトに到着。鉄道に比べるとバスは恐ろしいほど早いのが南米である。グアヤキルで足止めを食らって予定が「押して」しまったので、帰りはキト・ボゴタともあと1泊である。まず、旅行会社で明日のボゴタ行きのチケットを手配する。そして、ホテルはR.Pasadaを再訪。喜んで同じ部屋を手配してくれる。例のイスラエル人女性は、相変わらずこのホテルにいた。街でセーターを売っている人がいる。38,000スクレ(約1,900円)と言うので、30,000(約1,500円)だと返すと、あっという間にその値段となる。キトの気温は日中29度、夜は19度。


キトからボゴタ

 キト発14:39、ボゴタ着15:49という飛行機(Avensa航空)に乗るため、タクシーで空港へ。タクシーが他の車とぶつかりそうになり、運転手同士が言い合いとなる。私のタクシーの運転手の言葉で、分るのは、"Puta(プータ・娼婦)"のみ。罵倒するときに使うようだ。「プータって言ったな。」と言ったらニヤと笑う。空港で国際線に入ると、一人旅の日本人女性と出会う。大量の荷物を持っている。リオデジャネイロからアスンシオン(パラグアイ)・ラパス(ボリビア)経由でキトまでやってきたそうである。久しぶりに日本語を話すことができて、嬉しい。


ボゴタ

 ボゴタでも、同じホテルを再訪すると、また同じ部屋を手配してくれる。そして、我がサッカーチームのユニホームをコロンビアのナショナルチームのそれで揃えるというのは、時期的にもエスコバル事件(米国ワールドカップのときにオウンゴールをした選手が殺された)直後でもあり、「シャレにならないが、あり」ということで、スポーツ用品店へ。Atranta Deportes(Carrera 10c No.18-64)という大きな店があるが、番号のバラエティは7種しかなかった。エスコバルの2番はなかった。値段は安く、1枚1,000円しないが、やはり11枚欲しいものだ。


もう「時効」だろう。バルデラマを「J」に呼ぼうとした人の話

 ボゴタの空港にチェックイン。2人の日本人がいる。1人はコロンビアで、長年あるスポーツのコーチをしていた日本人で、通訳を勤めている。もう一人が「主役」なのだが、彼はいわゆる「呼び屋」ではなく、スポーツレジャーの設計等の仕事をしているそうだ。彼はバルデラマを日本のあるチームに呼ぼうとしているそうだ。どこのチームかは分らないが、彼はどちらかというと、関西の「土建屋」系の人(「関西or土建屋がスポンサー」のチームだとし、94年ということを考えると、いくつかに絞られるのだが…)。彼は私に「ナンバーって雑誌を知っていますか?」と聞くので、「ええ、有名です。」と言うと、焦っている。この時期、ちょうどナンバー誌がコロンビアに取材に来ており(*)、バルデラマの獲得交渉をしている彼らとも遭遇し、このことが報道されると、年俸が高くなってしまうので避けたいということで、編集部に「口止め」をお願いしたいのだと言う。日本のスポーツ誌ナンバーを知らない人が、コロンビアの最大の宝バルデラマを呼ぼうとしているというのも面白いことだが、私は日本に帰ってから、彼に編集部の電話番号を調べさせられた(大したことじゃないが)上に、私からも喋らないように頼まれていた。さすがに今口外しても、誰にも迷惑はかからないだろう。この号には当然バルデラマ関係の記事もあった。しかし、彼が編集部に電話した甲斐があったのか、それとも獲得の話がこの編集締め切り以前にダメになったのかは分らないが、Jリーグのチーム獲得に動いているという話は掲載されていなかった。

 ボゴタ・ロスアンゼルス間の飛行機には、エメラルド仕入れの日本人が結構多い。でも、ロスアンゼルスのホテルで、「どこから来た?」と尋ねられ、「コロンビア」と言えばコロンビア州だと思われる。そして、「南米のコロンビアから帰って来た。」と説明すれば、宇宙から帰ってきたかのように見られるのだ。

竹澤哲(文)、田中茂(写真)「[コロンビア潜入ルポ]麻薬とサッカー。エスコバル事件の裏にひそむもの」『ナンバー350(94年10月13日)号』85頁。

エスコバル,マトゥラナ,バルデラマ,イギータ,ガブリエル・ゴメス等が登場。私は涙なしには読めなかった。


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