クスコを「犠牲に」ティティカカ湖(ウロス島)

プーノ(Puno) 1995年1月4日(火) …その1


 7日の土曜日にクスコからリマに飛ばなければならない。前日の6日はマチュピチュ。そして、プーノ・クスコの移動には半日。そう考えると、ティティカカ湖あるいはクスコが犠牲(ほとんど時間がない)となる。迷ったが、浮島ウロス島だけは行きたいと思っていたので、ティティカカ湖を選択した。


 6時半に起きて近くの店で朝食を摂る。主人曰く「オスカル(昨日のガイド。芸能人の「きたろう」にそっくり)には気をつけろ! ホテルアレキパも注意!」 大丈夫だろうか? 今日の旅は…

 7時40分頃。ホテルでいきなりドアを叩く音。笑顔が無邪気な感じのよい、少し日本人的なおばちゃんが立っている。ウロス島(Isla Uros)行きのバス(小型のもの)が出るとのこと。
 「オスカルは9時半って言ってたよ。」
 「あらあら…」
 「あいつ大丈夫? 俺、金も払っているんだけど、クスコ行けるかなあ?」
 「それは大丈夫よ。」

 バスをもう1台乗りついて船着場へ。ここで、ガイドが乗り込んでくる。おばちゃんペルー人で、スペイン語のほかに英語を少し話す。「昨秋東京と京都に行った。」このバスは、日本の中古車を輸入したものなのだが、「ヒダリニマガリマス。」と「日本語」で言って左折する。ペルー人はこれを聞いてどう思うのだろうか? 船に乗ってウロス島へ。30分ほどで到着。グループは8人。ポルトガル人1人、アルゼンチン人2人、スイス人(?)4人。このポルトガル人がスイス人(?)にドイツ語でガイドのスペイン語を通訳している。


 ウロス島はティティカカ湖に浮く島で、トトラというネギとワラの合いの子みたいなもので(アシの一種)、できている。浮島の感触を噛みしめる。

ウロス島、ティティカカ湖写真集

ガイドが子供を集めて座らせる。各国の唄を歌う。私のために日本語で、何故か「処女寺」をヘンだけれど歌う。チップはキャンディーということになっているらしい。
 島には学校・電話局・病院もある(写真)。お土産売りもいるが、非常におとなしい。5ソル(約200円)のおつりを貰ったスイス人女性が、当時流通していた5,000,000(インティス。旧単位)を貰って仰天する。インフレがいかにひどかったかが容易に想像つく。
 バルサというトトラでできた船に乗る。1人が操縦して8人で乗る。このアシは食用にもなることを教えてくれる。ネギみたいだが無味、食感はいい。
 バルサで釣り(?)をする人。水面はまっ平らで、まことに静かそのもの

 


 ガイドに誘われ、グループと一緒に食事をする。「Hotel Internacional」のレストランへ。マスのフライと野菜サラダ。私はアルゼンチン人2人と同じテーブル。彼らは生野菜を食べないが、私は食べてしまう。朝下痢をしたことを思い出して、午後のバスに乗ってから慌てて薬を飲む。やはり、生野菜はいけないのだろうか? 午後はシユスタニ(Sillustani)へ(次に続く)。


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公開日 13 de Feb. 2000
最終更新日
(表の枠、レイアウト、文字の色修正)
25 de Jun. 2004