シユスタニ

シユスタニ遺跡(Chulpa de Sillustani)=プーノ(Puno)の近郊 1995年1月4日(水) …その2


 午後はシユスタニへ。ここはプレインカ時代からの遺跡だが、半日・日帰りに便利ということで、ウロス島と組み合わされる場合が多いそうだ。

 バスは小高い丘を上り、小一時間で着く。ガイドはスペイン語のみである。プレインカには4人の皇帝がいて、アイマラ語が用いられていたこと、シユスタニはプレインカとインカのものがあることぐらいしか分らなかった。これじゃ「地球の歩き方」のほうが情報量が多い。

 午前中のメンバーに2人が加わったが、ガイドが、スペイン人による征服をこの上なく残虐なことのように話すので、一人が反発している。ガイドはアイマラの文化を強調しているようである。

 日本人の団体が来る。日本語ができるガイドに「インカのヒーター(写真)」について教えてもらう。「タダでありがとう」と言う。1人で遺跡や美術館を旅しているときの日本人団体のガイドは、実に「便利」である。一番熱心に聞き、質問までしてしまうことが多い。現地の情報を仕入れることもできる。まあ、ほどほどにしておきましょう。

 こっちの団体のポルトガル人に、「理解しているのか?」と聞かれ、「太陽への信仰ね?」と答えるが、苦しい・・・ ガイドは4,000メートルというが、彼の高度計は3,900メートルを指している。小さな博物館に行ってからバスに戻る。帰路、ガイドが突然バスを降り、草を抜いてきて「○○だ」という。サンショウそっくりの匂い。何だろう? 知っている人は教えて!


 シユスタニにはプレインカ時代の石を積んだ墓がある。インカ時代のものもあるそうだ。どれがどれだかは不明だが、粗いもの、細密なもの、いろいろある。
 プレインカの「ヒーター」。高山地域は昼間は気温が上がるので、熱が伝わり難い水を温めて溜め、保温するんだったっけな?
 でも、何故か遺跡でリャマ(?)が放牧されているのだ

 プーノ駅へ近づいてくると、突然もの凄い雷と雹。一人一人をホテルまで送ってくれる。親切だ。

 ホテルでしばらく眠り、「Andino Tour」へ。クスコのホテル、一泊分と値上げ分を支払う。日本への帰りの飛行機のリコンファームをたのんだが、うまくいかず、また来いとのことである。

 そして、明日のクスコ行きのチケットについては、「オスカルは6時だ」とガイドは言うが、彼は7時だと言っていた。ホテルで待つ。その間に他のガイドが来る。彼は増加する日本人に対応すべく頑張るそうだ。6時半頃オスカルが来て、7時だという。部屋の番号を言って部屋に戻る。しばらくするとドアがノックされ、オスカルがチケットを持って立っていた。金を払って完了。

 再び「Andino Tour」へ行くが、リコンファームはうまくいかない。ペルーは観光国だが、予約とか、手続きとか、時間や手間がかかることが多いようである。

 「Rico Rio」という店で夕食。「リングィネの牛肉のせトマトソース」を頼むが、パスタは柔らかすぎ、トマトソースは酸っぱすぎ。

 ホテルでシャワーを浴びようとしたが、冷たい。震えながら体を拭き、水筒にも湯を入れようとして蛇口を緩めにしたら、ぬるい湯が出てきた。カイロを2個使って眠る。


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公開日 20 de Feb. 2000
最終更新日
(表の枠、レイアウト、文字の色修正)
25 de Jun. 2004