リマの困った人
1995年8月6日(日)リマ(Lima ペルー),夜行バスでナスカ(Nazca)へ
マイアミからの飛行機で、リマに早朝に到着する。入国が終わると例の如くガイドの来襲だ。観光客が減少しているペルー、特にリマでは、ガイドの「客取り合戦」が活発であるようだ。写真入りの資格証明書(?)を出してくる。カフェで一服しているとついてくる。実はこちらにも「弱み」が一つある。今日は日曜、是非サッカーの試合を見たいと思っているのだが、スケジュールとスタジアムの場所が分らないのだ。ガイドに聞くと「ある」とのこと。そして、その後の予定とかもしつこく聞いてくる。これで、「カモ一丁」出来上がり。完全に向こうのペースとなる。ナスカ・アレキパへ行くと言うと、朝食に連れていかれる。空港近くの市場で、シーフードのスープをごちそうしてくれる。というときれいに聞こえるが、実はモツの煮込みを味気なくしたようなものである。
市場から戻ると、試合は午後だからナントカ(ここをちゃんと尋ねない俺が悪いのだが・・・)博物館にでも行ったらどうだと言われる。タクシーの運転手を紹介され、1時間10ドル。2時間で20ドルとなる。1月に行ったばかりの国立人類学考古学博物館(Museo Nacional de Antropología y Arqueólogia)である。ヘタな日本語を話すガイドも1月と同じ。
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旧市街の三つ星のホテル、Plaza(プラサ)のタイプライターを使い、彼らは2人がかりとなり、予定がどんどん組まれて行く。バウチャーが出てくる。これは「○○について金は○○領収した。後のサービスは頼む。誰々(サイン)」という紙切れである。200ドルを払わされて、ナスカまで(地上絵見物のフライト・ホテルも含む)の予約が完了する。実にうさん臭い。彼らも「困った人」だが、こんなのに言いなりになっている俺も「困った人」である。
そして、サッカー(次の記事)を見た後、バスターミナルまで送られる。なんと彼は家族を連れてやってくる。素晴らしい仕事ができたという誇りを持っている様子である。ううむ。いろいろ込みとはいえ200ドルはやはり散財ではないか? ともかく早くリマを出て、彼らのペースから抜け出したい。先が思いやられる旅であることは言うまでもない。
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