タクナ,アリカ国境越え
1995年8月12日(土) アレキパ,バスでアリカ(Arica・チリ)へ
お金も出たのでMさんにバスターミナルまで送ってもらう。はるか南のチリ・サンティアゴを14日に出る飛行機で帰るので、時間も「押して」きている。チリ側の国境の町アリカからサンティアゴまでは、陸路で行くのでは「移動のみの旅」となってしまうので、飛行機に乗らなければならないであろう。しかし、強がり抜きで、アレキパを離れるのが寂しくなってくる。だから、「これに懲りずにまた来ます。」と言って別れる。彼女たちも「強がり」と思ったかもしれない。「アレキパや、ペルーを嫌いにならないで下さいね。」と言う。別に嫌いになってはいない。単なる不注意で皆さんに迷惑をかけただけである。その証拠として、97年に再訪しているのだから・・・ 「怪我の功名」として、このように知己もできたではないか。まあ、私は「嘘つきではなく意地っ張り」なのかもしれないが、これを読んだ方にも、アレキパは本当にお勧めの美しい町であり、手放しで訪問をお勧めしたいのだが・・・
昼の2時頃にタクナ行きのバスは出発する。早いスピードで走る。昼寝から覚めると隣りに警察の制服を着た人がいる。私の傷だらけの顔の事情を話すと、同情して、これからいいことがあるようにと言ってくれる。彼は途中のMoquegua(モケグア)というところで降りる。家に帰るそうだ。小さいけれどきれいな町だ。そこから2時間ほどしてタクナに着く。夕方だ。少し暗くなってきた。時計もないので詳しい時間は不明。
バスターミナルで、「アリカ・アリカ」と言うと、「あっちだ」と言われ、コレクティーボ(ミニバス)へ。運転手がパスポートを預る。ペルーを出国するときに、入国カードの控えがないことに気がついた。しかし、そんなことも「些細なこと」として、あっという間に片付き、むしろエンジンをかけるのに時間がかかっている。運転手の他には2人の女性と私とあと2人。女性がタバコを預ってくれと頼む。麻薬だったら大変なことだが、他の人も預っているし、その場の勢いで応じてしまう。結局大した検査はされずにチリに入国した。

アリカ丘陵から町を見渡す(チリの北部の都市は、土砂漠の中のオアシスが多い。97年5月2日撮影)
チリに入ると灯りが目立ってくる。他の客が全部降りて、運転手と私の2人になる。ホテルまで送ってもらうが、チップなのか何なのか、結局100ソル(3,000円強)も取られてしまう。何やってんだろう。俺は・・・
ホテルはMさんに紹介状(何が書いてあったんだろう)を書いて貰ったところだが、フロントにいる女性は、白人系で少し口うるさめで短髪の世話好きそうなチリ人ステレオタイプの教育ママ風である。彼女が両替所まで連れていってくれる。200ドルを両替した。その後彼女お勧めの近くの食堂へ連れていってくれる。シーフードはなく、鶏肉(フライドチキン風)とワイン(ガトーブランコ。日本でもよく売っているネコのマークの白ワイン)。ホテルはResidencial Valencia(レジデンシアル・バレンシア。Gral Velásquez 719)というところ。中心街から歩いて行ける。安いし悪くはない。
日程的にも陸路を諦め、ホテルに戻って彼女に明日のサンティアゴ行き飛行機のことを聞く。朝6時にタクシーで出発ということになる。早い方がいいか? アリカも通過するだけの街となる。
翌朝、時計もなく、時間も分らないので早く目が覚める。シャワーを浴びようとするがお湯が出ないので断念。「時間制限」があるのか、器具をいじればいいのかは不明。
タクシーが来る。イタリア人風のきれいな女性が3人乗っている(相乗り)。チリ人だそうだ。運転手に顔の傷のことを言われそうだったので、アレキパの話をすると、「ここはチリだ、安全だ」というラテンアメリカらしい話が返ってくる(ペルーではこういう風にはあまり言わないようだが・・・)。空港でタクシーを降りると、2人のチリ人男性が加わってくる。皆、ペルーからサンティアゴへの帰りだそうだ。ペルーで撮影済みフィルムを盗まれた事情を話し、顔写真を撮ってもらう。(住所を書いたのだが未だに送ってこないので、ここに掲載することができないのが残念である。)写真の中ではヤケクソ笑いしているはずだ。
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