マイアミ(Miami)(1999年1月8日(金))
マイアミとは、私にとっては、「行き帰りにやむを得ず寄る町」である。逆にいうと、情報もなく、失うものは何もない(命や金を失いたくはないが)町であって、知らないが故の発見があればいいという楽しみもある。まあ、ヨーロッパでいえば、東欧や北欧からの帰りのパリやフランクフルト、中米からならロスアンゼルスのようなもんだ(その町のファンには叱られそうだが…)。
初めてのマイアミは94年末に、ラパス(ボリビア)行きの飛行機が1日遅れたときに、ココナッツ・グローブというところで半日過ごした。今回はボゴタからの飛行機が昼前に着いたので(入国チェックが甘くて驚いた。俺、コロンビアから来たんだけど、ナメられてるなぁ)、ホテルに荷物を置いて、ベイサイド・マーケットプレイスに行くことにした。行きのタクシーでは、米国で初めて英語をほめられた。何のことはない、スペイン語を主要言語とし、英語は「外国語」として話す人だったからである。「サリン事件のことを説明せよ」と言われた。運転手も英語とスペイン語が混ざってきて、段々こっちも疲れて来たが、結構楽しかった。
ここへ行こうとしたのは、小クルーズで一周して、グロリア・エステファンの豪邸でも見ようと思ったからだったが、食事をしてからと思い、出そうな船を見送って2時頃の昼食をした。食事の後で見ると4時半頃に出ることとなっている。聞くと5時半だという。小一時間潰して戻ってきたら9時まで出ないという。なんだこりゃ! 結局メトロで町を一周しただけ。
ホテルへ戻るタクシーでは、20.25ドルのところ21ドル払ったらチップが足りないと言われ(俺は何か特別のことをしてもらったっけ?)、25セントだけ叩き付けて降りた。「相場」からするともっと必要だったみたいだが、多すぎてなめられるよりも「他の日本人の皆のため」だろう。って違うかもしれない。しかし、今回は相性がよくない町となってしまったようだ。
翌日、マイアミ空港で感じたこと。日本人に2種類いる。一つはディズニーランド大好きベタベタ・ペアルックを頂点とする「米国ウキウキ派」。もう一つは、「ここは単なる通過点。南米に行ってきましたと顔に書いてある派」。私はどっちにも見えないようなかっこをしていたつもりだが、結局、暇に任せて話していたのは、ヒゲヅラの、アルゼンチン15日間の旅の男2人組。こっちの組は少数派で、何か日本人の中で異端児扱いされているように自ら思ってしまうのが哀しい。わざとスペイン語話してみたりする。キューバ人地区とか、見てみたかったが、ガイドブック(マイアミの部分だけコピーした)には載っていなかった。
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