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近代伊勢参宮名所図絵 河 崎 周 辺 2012年5月1日 戦国時代初期の長享年間(1487〜89)に地元の豪士・河崎宗次が領有し、防衛のため惣門と惣堀(環濠)を備えた町として伝えられている。江戸時代には大勢の参宮客が宿泊する宇治・山田に物資を供給する一大問屋街に成長を遂げ、その繁栄は「伊勢の台所」と呼ばれるほどだった。戦後、物資輸送の主力が陸運に変るにつれ、徐々に衰退した。 川の周りの蔵沿いに遊歩道が出来たため、風情がなくなりましたねぇ。 1600年頃 大湊出身の角屋七兵衛栄吉は御朱印船により安南・交祉(こうち)まで貿易し、交祉に日本人町を建設。 大日本帝国陸地測量部 昭和5年実測及仲図修正の地図の一部を拡大し着色、 古い絵葉書に出てくる名所について、あった(と思われる)場所について年代無視で示しています。 間違っている所や追加しなければならない所もあると思いますので、 現地に行って確認し更に精度を上げたいと思っていますし、ご指摘いただければ幸甚です。 |
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地名 |
鍛冶屋垣外 |
A4 |
かじやがきそと |
宮後2 |
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地名 |
河崎町 |
A3 |
かわさきちょう |
河崎1〜3 |
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地名 |
神田 |
D2 |
かんだ |
神久4 |
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地名 |
久志本 |
B2 |
くしもと |
神久3〜5 |
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地名 |
二軒茶屋 |
D1 |
にけんじゃや |
神久6? |
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地名 |
根起松 |
C4 |
ねおきまつ |
神久1 |
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地名 |
濱郷村 |
D3 |
はまごうむら |
神田久志本町 |
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地名 |
船江町 |
A1 |
ふなえちょう |
船江2 |
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公共 |
魚市場 |
B3 |
うおいちば |
河崎2 |
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公共 |
神都公会堂 |
C5 |
しんとこうかいどう |
岩淵2 |
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公共 |
濱郷村役場 |
D1 |
はまごうむらやくば |
神久6? |
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学校 |
有絹小学校 |
A2 |
ありぎぬしょうがっこう |
船江2 今でもあります |
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学校 |
宇治山田中学校 |
A3 |
うじやまだちゅうがっこう |
船江1 現三重定期貨物がある所 |
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学校 |
商業学校 |
C3 |
しょうぎょうがっこう |
神久2 現
県立伊勢工業高校 |
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学校 |
有絹幼稚園 |
A2 |
ようちえん |
船江2 今でもあります |
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河川 |
?材池 |
B1 |
?ざいいけ |
神久5? |
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河川 |
勢田川 |
C1 |
せたがわ |
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河川 |
檜尻川 |
C1 |
ひじりがわ |
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河川 |
養魚池 |
BC1 |
ようぎょいけ |
神久5? |
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橋 |
小木橋 |
A1 |
おぎばし |
船江3〜4 |
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橋 |
北新橋 |
B2 |
きたしんばし |
河崎2〜3 |
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橋 |
中橋 |
B3 |
なかばし |
河崎2〜3 |
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橋 |
南新橋 |
D3 |
みなみしんばし |
河崎2〜3 |
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北新橋
中橋
南新橋
東洋紡績トロッコ鉄路跡 |
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道路 |
八間道路 |
B4 |
はちけんどうろ |
吹上〜河崎〜船江 |
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線路 |
D4 |
さんぐうてつどう |
吹上〜神久〜神田久志本町 |
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線路 |
東洋紡績トロッコ鉄路 |
AB1 |
とうようぼうせきとろっこてつろ |
船江1〜3
今でも道は真っ直ぐ残っています |
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駅 |
D5 |
ていしゃじょう
きんすいばし |
岩淵3 |
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駅 |
C3 |
てんしゃじょう
かわさき |
河崎3 |
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神社 |
久志本神社 |
C2 |
くしもとじんじゃ |
神久3 |
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神社 |
河邉七種神社 |
A3 |
しちたねじんじゃ |
河崎2 |
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神社 |
根(寝)起松神社 |
C4 |
ねおきまつじんじゃ |
神久1 |
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寺 |
善光寺 |
B5 |
ぜんこうじ |
吹上1 |
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教会 |
天理教勢山分教会 |
C3 |
てんりきょう |
神久3 |
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久志本神社
河邉七種神社 根(寝)起松神社 八間道路沿い
喫茶店ランプ |
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善光寺
天理教勢山分教会 山田奉行所跡碑 環濠跡 |
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碑 |
D1 |
めいじてんのうごじょうりくきねんひ |
神久6? |
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碑 |
山田奉行所跡碑 |
B5 |
やまだぶぎょうしょあとひ |
吹上2 1712-16大岡越前守も奉行だった |
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跡 |
環濠跡 |
B3 |
環濠跡 |
河崎2 |
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工場 |
B1 |
ごうどうでんきかりょくはつでんしょ |
船江2 |
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工場 |
神都瓦斯 |
B1 |
しんとがす |
船江2 M42設立 後 合同瓦斯 |
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工場 |
製氷場 |
A2 |
せいきょうじょう |
船江2 |
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工場 |
製材場 |
B2 |
せいざいじょう |
船江2 |
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工場 |
勢州織物工場 |
B4 |
せしゅうおりものこうじょう |
河崎1 現
向陽台高校か? |
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工場 |
三重セメント工場 |
C1 |
みえせめんとこうじょう |
神久5 |
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商店 |
小川三左衛門商店 |
B2 |
おがわさんざえもんしょうてん |
河崎2 現
伊勢河崎商人館 友人生家 |
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商店 |
D1 |
かどや |
神久6?二軒茶屋餅 |
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商店 |
B45 |
かねやす |
吹上2 海苔問屋
従兄弟家 |
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商店 |
野八商店 |
C4 |
のはちしょうてん |
吹上2 宇仁田宗馨邸遺構発見できず! |
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旅館 |
星出館 |
A4 |
ほしでかん |
河崎2 一度は泊まってみたいですね。 |
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料理 |
伊な勢 |
B2 |
いなせ |
神久5 高級で知られているようです |
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かね安
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偶然見つけたレンガ倉庫 |
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星出館 |
割烹 伊な勢 |
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河崎の町屋 最近PRが行き届いてきたのか観光客のそぞろ歩きをよく見るようになりました |
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出典: 伊勢商工会議所・伊勢文化舎発行「検定 お伊勢さん」 河崎商人館 パンフレット |
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河崎の町家 案内文はNPO法人河崎まつづくり衆案内板を書き写しました |
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今井家 母屋は天保13年(1842)建造。元菓子問屋松本商店。土蔵は明治18年(1885)築で1階は蔵座敷、2階は家財道具を収納する内蔵となっています。蔵前の床したには火事になったとき、蔵の大戸を閉め、火が入らないように隙間に塗る込むための泥土を入れておく場所が設けられています。家の内部は、昔のたたずまいが良く残されています。屋根の形は「直ぐ」。隅蓋は波です。 |
今崎家 かっては酢味噌醤油を製造していました。明治時代に建造された土蔵は、勢田川回収の前には、北新橋の坂を下りた正面に蔵の全景が見られました。回収により道路が嵩上げされて、蔵が道より下になり、全景が見られなくなったのは残念です。北新橋のたもとに建ち、今も河崎の景観スポットの一つになっている建物です。 |
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山五鰹節店(版画は八太宿の飯田さん提供) 元禄年間(1688〜1703)山五魚問屋を創業。かっては魚問屋を主宰し、また鰹節店を営んでいました。建物は江戸時代から明治時代のもので、通りに面して母屋と内蔵が並び、通り土間を持つ河崎問屋街の代表的な商家のたたずまいを残しています。帳場(以前は畳敷き)は昔の面影がそのまま残っています。奥には蔵が3棟あります。屋根の形は「反り」。隅蓋は波です。 |
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山崎家(旧桝屋合名会社) 明治17年(1884)頃味噌醤油業を創業。屋号「桝屋」。現在の建物は江戸後期または末期のものと思われます。古い商家のたたずまいをそのまま残しています。屋根の形は「反り」。隅蓋は波です。 |
西川家 肥料問屋を営んでいた商家で、道側の明治初期建築の母屋は、反り屋根で大庇と張り出し南張り囲いや、千本格子などがあって、玄関には重厚な木の引き戸と、昔の姿が良く残っています。屋根の両端の隅蓋は亀です。新家は世古の道に面して西入りで建てられており、凝ったちっぱな造りです。 |
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西山家(元酒問屋川元)(版画は八太宿の飯田さん提供) 明治26年(1893)創業。酒問屋「川七」に奉公していた初代が主家(西田家)の土地建物(明治中期までの建造)を譲り受け、酒問屋「川元」を創業。当主は5代目。母屋の向かい側の石垣は大正10年(1921)に伊豆石を使って建てた石蔵の壁で、現在外壁だけが残っています。母屋は昭和61年(1986)出火しましたが残った外郭部分を生かして修復再建しました。屋根の形は「反り」。隅蓋は亀。川沿いの積みは保全され、往時の姿が見られます。 |
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村田家 雑貨問屋「角仙」の本宅。角仙の創業は寛延3年(1750)で代々河崎の年寄衆を務めた旧家です。当主は9代目。かっては16棟もの蔵を持っていました。現在でも蔵が6棟あり、そのうちの4棟が再生活用されています。母屋の建造は昭和4年(1929)で、母屋と蔵が並ぶ典型的な河崎の商家の形を示しています。切り妻妻入りの外観も細部にわたり河崎の特長がよく現れています。屋根の形は「直ぐ」、隅蓋はガマ蛙の背中に乗った仙人です。 |
和具屋(大西家) 元禄年間(1688〜1703)創業と伝えられる老舗の陶器問屋。当主は15代目。元魚問屋で御師も務めており、1800年代には陶器問屋を始めました。母屋、土蔵をあわせて150坪、入り口から蔵の奥まで35間(64m)。かってはその倍ほどの奥行きがありました。運搬用のトロッコのレールが今も残っています。母屋と土蔵は宝暦7年(1757)の建築で昔の様式をそのまま残しています。店には幕末から明治期の古い陶器や民具類が展示されています。伊勢まちかど博物館に指定されています。 |
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堤家 古くは勢田川を通る船より税を取り立てていた川守(河役人)の役宅でした。道沿いの土蔵と建物を残し、主屋は新築されていますが、河崎には珍しく川側に大きな庭園があり、樹齢450年以上という見事な枝ぶりの松が今も往時の姿を伝えています。 |
大長商店(中江家) 天保年間(1830〜43)創業の乾物問屋。当主は5代目。店部分は当時の姿をそのまま残しています。母屋の通り土間に接続して、江戸時代後期に建てられた3階建ての土蔵を含む6棟の土蔵があります。屋根の形は「反り」、隅蓋は波です。 |
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奥野家 明治初年創業の酒問屋鹿海屋商店の蔵。当主は6代目。会社は小木町へ移転しましたが、河岸の建つ3棟続きの蔵は川側に入口を持ち、船から直接蔵へ荷物を収めた昔の姿をよく残しています。勢田川改修により川側に道路ができ、川と蔵との全体の景観が見られなくなったのは残念ですが、それでも対岸から見る蔵は大変美しく、河崎の代表的な景観を表しています。 |
川口材木店 |
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ヨード工場 写真集「明治大正昭和 伊勢 二見 小俣」編者
写真集伊勢編集委員会 昭和61年初版の61ページに「111ヨード工場:神社港と竹ヶ鼻町の境界の入江にあった。操業は大正5年から10年頃まで。大阪順慶町の薬品会社の経営」とあり、工場の姿は大きな煙突1本の後方に左右両側に太くて低い煙突が<6本>ずつ林立し、細く高い煙突が右側にある。そのバックに朝熊山の雄姿を望み、工場手前には川と河口あるいは入江らしいものが見られる。 特徴的な煙突の形状から、現・船江2丁目27-43の勢田川沿い・合同電気の第3の煙突があった場所=現、東邦ガスのガスタンクの対岸にあった三重セメントの工場ではないかと考えていた。その工場の形状はブログ「いにしえの伊勢」Jyugemuさんが発見した伊勢新聞の写真とほぼ同様の容姿をしているが、左右両側に林立する煙突の数が<7本?>ずつであり、全く同一というには疑問が残った。 そこで、「ヨード工場」の写真と同じアングルの場所はないか調査した結果、同じアングルの写真を撮影することに成功し、掲題の写真は三重セメントの写真であるという結論に至った。場所はやはり三重セメントのあった場所だった。従って、神社港と竹ヶ鼻町の境界の入江にはきっとヨード工場があったと思われるが、「111ヨード工場」の写真はヨード工場ではないと思われる。このことから特徴的な煙突は朝熊山に向かって、左に7本、右は6本あったのではないかと推測される。 |
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現在松野建材の倉庫(ねずみ色の大きな屋根)が建っている場所が正に特徴的な煙突の立っていた工場があった場所。
右写真は山並みが家屋で隠れているので山並みを補修 |
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