近代伊勢参宮名所図絵

神 社・通 周 辺

2011年2月1日

 

間違っている所や追加しなければならない所もあると思いますので、

現地に行って確認し更に精度を上げたいと思っていますし、ご指摘いただければ幸甚です。

 

<神 社 周 辺>

 

子供の頃、大湊には探検に行ったことがあったけれども、神社(かみやしろ)や通(とおり)には友人もいなかったので行く機会がほとんどなかった。伊勢を探訪するようになってからも、昔の写真集や絵葉書などでは見るけれども、愛用の「大日本帝国陸地測量部 昭和5年実測及仲図修正の地図」には神社や通が記載されていないために、それらを見ても探訪してみたいと言う欲望には結び付かなかった。ところが、昔の会社の同僚が最近、住んでいるということを知って、それをきっかけに探訪してみた。

いやぁ!実に風情一杯。レトロ好みの私を充分満足させてくれる町並み、勢田川河口で海も近い、「ここに住みたい!」と思いました。「海の駅」ではいろいろ教えていただき、「みなとまち館」で写真を撮らせていただきました。(※印)

 

 

                                  (左)神社港より勢田川の河口を望む                           (右)神社の昔の地図※

 

地図がないために、同所海の駅でいただいたパンフレット記載の「神社港 昭和初期のすがた」神社みなとまち再生グループ作成の地図とGoogle地図を重ね合わせて、昭和初期の地図を再現してみました。町割りはほとんど変化していないと思われます。

 

 

 

 

公共

町役場

B1

まちやくば

現在は児童公園

公共

巡査駐在所

A1

じゅんさちゅうざいしょ

 

公共

大蔵省塩専所出張所

C1

おおくらしょうしおせんしょしっちょうしょ

明治38年専売法施行 塩専売所ができた。

レンガ倉庫が残っている

公共

海の駅

BC2

うみのえき

いろいろ資料が揃っています。

カヤックも借りられます

浴場

新玉湯

B1

しんたまゆ

 

学校

神社小学校

A2

かみやしろしょうがっこう

 

一色大橋

BC3

いっしきおおはし

昭和49年竣工全長7.3km

神社

御饗神社

B2

みあえじんじゃ

外宮の摂社 境内に「辰の井」

神社

一色神社

D3

欄外 いっしきしんじゃ

 

東照山清雲院

B1

とうしょうざんせいうんじ

徳川家康の側室「於奈津の方」の菩提寺

大正4年中興

昌久寺

D3

欄外 しょうきゅうじ

浦の橋にあった御師橋村大夫の館が移築されている

 

  

                                   新玉湯                                         東照山清雲院                       東照山清雲院正門

  

昌久寺(門、玄関が御師橋村大夫の館の遺構)

(碑)

歴代海軍入港地

C2

れきだいかいぐんにゅうこうち

昭和15年頃まで連合艦隊が集結し神宮参拝

(碑)

清水次郎長一家

勢揃いの地

C1

しみずじろちょういっか

せいぞろいのち

荒神山の喧嘩で殺された「吉良の仁吉」の復讐に来た

大蔵省境界石

B1

おおくらしょうきょうかいせき

大蔵省塩専所出張所の境界石

道路元標

C2

どうろげんぴょう

元渡船詰め所前に建立

一色渡船場跡碑

C2

いっしきとせんじょうあとひ

室町時代から昭和49年一色大橋竣工まで続いた

 

   

(左より)一色神社  歴代海軍入港地ガイド 一色渡船場跡碑   塩田跡

工場

かるさや造船所

C1

かるさやぞうせんじょ

 

工場

神生造船所

A3

じんう?ぞうせんじょ

 

旅館

柏屋旅館

B2

かしわやりょかん

今でも営業 平成22年泊まってみました 宿泊記

旅館

駿河屋

B2

するがや

 

旅館

内海屋

B2

うつみや

 

旅館

大崎屋

C1

おおはしや

 

 

 

柏谷旅館

駿河屋1※

駿河屋2※

内海屋※

内海屋たじ※

大崎屋※

妓楼

美咲楼

B2

みさきろう

 

妓楼

小田屋

B2

おだや

 

妓楼

引本楼

B2

ひきもとや

 

妓楼

花月

B2

がけつ

 

妓楼

豊盛楼

B2

ほうせいろう

 

妓楼

真砂屋

B2

まさごや

 

妓楼

誘心楼

B2

ゆうしんろう

 

妓楼

愛国楼

B2

あいこくろう

 

妓楼

清月

B2

せいげつ

 

妓楼

正丸

A2

 

次郎長を仲介して戦わずして勝利を収めさせた当地の侠客、白根要介の元住居

 

  周 辺

 

同写真集49ページ「92通港」に堀松商店の筵(むしろ)倉庫の説明が掲載されていたが、Google地図で堀松商店の記載を発見。今でもあるんだ!ということで行ってみました。

 

  

                                        (右)通港                   (中)堀松商店と思われる倉庫 (右)文庫筵船積出地跡碑

 

(かます):藁蓆(わらむしろ)を二つ折りにし、相対する2縁を縄で縫い閉ぢて、輪を底部とし、袋状とする。肥料、石炭、塩、穀物などをいれる。Wikpediaより

 

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