御 師
2010年12月1日 |
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御師は「御祈祷(いのり)師」あるいは「御師匠」に由来すると言われ、他の有力社寺に置かれたものを「オシ」と呼ぶのに対し、伊勢では「オンシ」と呼ぶのが通例である。また御師が「大夫」を称するのは、権禰宜になると五位の位=大夫を授かったことに由来する。仕事は現在で言う神宮への旅行業者であり、全国の檀家を廻ってお札や伊勢暦などを配って参宮の勧誘をしたり、神宮を訪れる伊勢講の人々の宿泊や案内の世話をした。 御師は以下の4階級があった。 1.神宮家:内宮・外宮の10員の禰宜を世襲する家柄・・・宇治:荒木田神主、山田:度会神主 2.三方家:神領自治役所である、 宇治会合(50家 所在:宇治中之切町)と 山田三方(24家 所在:一之木町)の年寄を任ずる家柄 3.年寄家:山田の各町の年寄職で三方に属していた 末家:宇治の年寄に属した家。 4.平御師職:一般の御師で年寄の支配下にある廻檀や商業を営んでいる (5) 殿原(とのばら):御師のもとで全国を廻檀した御師の手代 (6) 仲間(ちゅうげん):苗字なき庶民 |
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神 職 神職とは神に奉仕している神社の職員全般の総称で、一般には神官あるいは神主と呼ばれています。戦前は伊勢神宮のみ神官と呼ばれ、それ以外の神社では神職と呼ばれた。その仕事の内容は(1)神に仕え、神徳の高揚を図る、(2)神社の運営、(3)祭儀及び社務全般を行う。 神職の職階
出典:「神道のよくわかる本」 PHP研究所出版
阿部正路著、「伊勢の町と御師」伊勢市立郷土資料館 宮掌より下位がどうかは不明だが、出仕、楽長、楽士等が神職として奉仕している。(平成18年初版検定お伊勢さん公式ガイドブック) |
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歴 史 |
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平安時代後半 |
この頃には存在していたようです。 |
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江戸時代 |
最も多い時には 宇治に271家、山田に615家の御師があった。 いろいろな職業を兼ねていた御師もいた (内宮)十文字大夫(土倉=高利貸)、 (外宮)榎倉大夫、久保倉大夫、金屋大夫、釜屋大夫、鎰屋大夫(かぎや・八日市場)、瓦屋与一大夫、錦屋大夫 大主大夫(漆器屋・八日市場)、杉木宗大夫(一志久保町・造酒)、松木館(まつきだち・岡本町・麹座)、吉大夫(割木座) |
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明治 4年7月 |
(1871)御師制度が廃止された。廃止直前の御師数<山田>487<宇治>174 |
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明治 5年7月 |
内宮祈祷所が設けられる。神宮で直接、御祓大麻を作る。 |
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明治 8年 |
外宮祈祷所が設けられる。 |
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明治11年 |
神宮暦を頒布するようになり、御師の活動を神宮が引き継いでいった。 |
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主な御師家の遺構 |
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御師家 |
家柄・檀家 ほか |
所在地 |
遺構 |
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山本数馬大夫 |
<内宮>徳川将軍家 |
宇治 |
現、浦田家 |
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太郎館大夫 |
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宇治 |
門:現、祭主職舎(旧、慶光院) |
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浦田大夫 |
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宇治 |
門:現、少宮司職舎 |
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藤波神主 |
禁裏(皇族)御師 足利将軍家 |
宇治 |
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織田・豊臣両家 |
岡本町(旧、六日市) |
敷地碑:地方裁判所 |
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三日市帯刀大夫 |
(三方家) 10万戸以上 |
岩渕町(旧、三日市) |
敷地碑:税務署付近 明治40年御幸道路開通により南北に分断された。 |
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久保倉大夫 |
久保倉弾正(三方家) |
岩渕町(旧、三日市) |
旧山田郵便局裏にある右近邸跡碑の場所か? |
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東大夫 |
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一志町 |
門と蔵が残る 厚生小学校そば |
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春木大夫 |
<外宮>徳川将軍家 |
本町 |
現 覚田真珠本町寮当たりか?この土塀は名残か? |
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福井大夫 |
織田信長 |
一之木町 |
門:多気町五桂珊瑚寺 |
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龍 淡路大夫 |
(三方家) 10万戸以上 |
大世古町 |
敷地碑:大豊和製紙 |
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福島相模御塩焼(みさき)大夫 |
(三方家)安永6年(1777)には18万5千軒余り |
八日市場町 (旧、八日市) |
門:現、神宮文庫門 敷地:現、宇仁田呉服店付近 |
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丸岡宗大夫 |
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宮町 |
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葉山大夫 |
中級御師 千葉県などを中心に2万4千戸余り |
常盤町(旧、上中ノ郷) |
薬医門:徴古館裏門 |
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橋村肥前大夫 |
橋=筋向橋に由来 |
常盤町(旧、上中ノ郷) |
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中西大夫 |
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常盤町(旧、上中ノ郷) |
門:現二俣4松葉邸 |
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福島みゆき大夫薬医門
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福島御塩焼(みさき)大夫邸跡碑
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友達の宇仁田君の実家 現宇仁田呉服店 |
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福島御塩焼(みさき)大夫は外宮土宮の御塩焼物忌職を務めたことにより御師名とした。場所は現宇仁田呉服店のところである。 安永9年(1780)年建立の薬医門は昭和10年3月に八日市場より移築され、現在神宮文庫の黒門となっている。 |
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中西大夫邸門
(現二俣町 親戚の松葉さん邸) |
上部 (うわべ) 越中守大夫邸跡碑
岡本町地方裁判所
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葉山大夫家の薬医門
常盤町の友達の病院にあったのを移築 したもので、現在、徴古館裏にある。 |
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丸岡宗大夫邸門
今でも丸岡さんが 住まいされていました。 伊勢に残る御師の館で 原型をとどめている 最後の建物だと思いますが? |
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久保倉右近邸跡碑
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三日市次郎大夫邸の名残りの土塀? |
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龍大夫邸跡碑 |
龍家はもと山田の御師で三方会合の年寄家であった。山田の大世古に移る前は宮川の左岸松倉村に住んでおり、龍の社という鎮守を祀っていたころから龍を家名としたと伝えられている。明治13年明治天皇が神宮にご参拝の時には行在(あんざい)所に当てられた。1日に7〜800人が収容できたという。 |
橋村肥前大夫邸名残りの蔵か?
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春木大夫邸の土塀か?
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東大夫邸
古今伝授創始者を祖に持ち累代文墨の才人を輩出したという。麹屋のすぐそばにあり、風情ある建物ですが、どのような才人を輩出したのか、よく分かりません。今度、 調査してみます。 |
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太郎館大夫の門 元慶光院 現祭主職舎
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浦田太夫邸門 (現神宮少宮司職舎門)
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大豊和紙工業
明治32年(1899)神宮の紙札や暦用紙を奉製する地元の3社が神都製紙鰍設立。明治44年11月工場を拡張。大正6年10月旧御師龍大夫邸を買収、同7年から昭和初期にかけて随時、工場を増築。戦後、現社名に変更。 この場所は御師、龍大夫邸のあとで、敷地内に跡碑が建てられています。中学生の頃はこの前を通って学校へ通いましたが、今回、ギャラリーとして公開されていたので、初めて館内に入ることが出来ました。 |
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山田三方会合
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山田(昔は「ようだ」と呼ばれた)の町は大名に統治されたことがなく、神宮の神領として各町の自治組織=三方会合が自治を行ってきた。これはヨーロッパのギルドのようだが、この組織が明治期の繁栄をもたらしたものと思われる。 室町末期、山田の町は中島、辻久留・二俣・浦口、上中之郷、下中之郷、八日市場、曽祢、大世古・一之木、一志・久保、宮後・西川原、田中・中世古、下馬所・前野、岡本・岩渕・吹上の町があったが、江戸時代には三分割され、須原方、岩渕方、坂方に区分された。それぞれから山田三方年寄24家で構成され、山田奉行に直属していた。三方年寄の下に町年寄があり各町の行政を掌握した。 |
山田三方会合所 跡碑 |
そばの橋は会合橋という |
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山田奉行所
山田奉行所は江戸時代に幕府が伊勢国に置いた遠国奉行、言わば幕府の出張所の一つ。その仕事の内容は、伊勢神宮の警備・遷宮の監督・伊勢国の幕府領の支配・鳥羽港の監視などだった。 徳川家康は遠国奉行として、長崎、佐渡についで慶長8年(1603)11月勢州山田奉行所を度会郡有滝村に開いた。江州山中の代官長野内蔵允友長が奉行へ転役されて着任、同時に江戸表より支配御組頭4人、与力6騎、同心20人、四日市より水主40人の派遣があった。また、軍船虎丸、孔雀丸2隻と、関船の天地丸、鬼丸、千速丸、一楽丸、小鷲丸、乙矢丸、小鳥丸7隻を擁し、幕府出先として堂々たる陣容で固められていた。 山田奉行所は寛永12年(1635)第7代花房志摩守のとき度会郡小林村に移され幕府が終焉を迎えるまでこの地にあった。伊勢市内に点在する奉行所跡はこの間に奉行の下代や奉行自身が地理的便宜上出張して裁断を行った場所です。大岡忠相は、正徳2年(1712)〜享保元年(1716)までの4年間、この地で第18代奉行を務めた。 吹上 八間道路沿いにある跡碑 |
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山田奉行所記念館
弘化2年(1845)にほぼ全焼した山田奉行所を翌弘化3年(1846)に新築したときの図面「新造小林役所之図」などに基づき、書院、お白州などその公的部分の一部を復元した。主屋81.3坪、門長屋19.6坪で、その広さは往時の小林役所建物面積の凡そ6分の1にある。 |
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立派な物を作くっちゃいましたね! |
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出典 フリー百科事典『ウィキペディア』 伊勢商工会議所・伊勢文化舎発行「検定 お伊勢さん」 伊勢市立郷土資料館 第13回特別展 「伊勢の町と御師」
写真集伊勢編集委員会編集「ふるさとの想い出 明治大正昭和 伊勢二見二俣」 |
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