宮川口にて

 

掛軸のことを調べているうちに実際に

現地に行ってみたくなりました。

笑門

河崎にて

いにしえの昔、スサノオノミコトが根の国に行こうとしてミタワの国まで来た時に暴風雨に遭い困っているとその地の民の蘇民将来が助けてくれたのでミコトはそのことを大層感謝し、疫病が流行るからと忠告したので蘇民一家は難を逃れたと云う。そこで疫病除けなどのため「蘇民将来子孫の家」と札に書いて玄関に掛けるようになったのですが郷里伊勢では未だにその風習が残り、この注連飾りを1年中玄関先に飾っております。蘇民将来子孫の家の門を略して「将門」となりますが、悲運の武将、平 将門と同名になってしまうため、それを嫌って「笑門」と書くようになった。

年末には各氏神神社前やスーパーなどで売られますが、「笑門」と書いた物が「蘇民将来子孫の家門」より多いと思います。簡素で「笑う門(かど)」という感じが受けているのでしょうか?筆で書いた物もありますが、判子の物も多くあります。

 

近世伊勢参宮名所絵図

  山田駅〜宇治山田駅周辺

山田郵便局

度会府庁跡碑

麹屋・菊一文字

旅館 山田館宿泊記

大晦日の外宮

足代弘訓邸碑と墓

光明寺と結城宗廣墓

  月夜見宮〜筋向橋周辺

筋向橋

東邸

松田ミシン(工場)

秋田洋品店

旅館 奥文宿泊記

清野井庭神社と大間国生・草奈伎神社

荒木田久老邸跡碑

  古市周辺

小田橋

古市芝居跡碑

備前屋・油屋・大安跡碑

伊勢音頭恋寝刃 お紺と孫福 斎の墓

両宮常夜燈

角屋

千束屋里登が牛谷坂を改修

麻吉宿泊記

間の山 お杉お玉碑

宇治惣門跡碑

栄松山寂照寺と月僊

世義寺

虎尾山 明治聖代戦役記念碑」跡

虎尾山 旅館五二会館と五二会商品陳列館

川端町 地蔵院(旅館五二会館玄関移築先)

  河崎周辺

   かね安

   伊勢河崎商人館

   レンガ倉庫

   七種神社と善光寺

  神社・通周辺

  柏谷旅館宿泊記

   昌久寺

   文庫筵船積出地跡碑

  筋向橋より西周辺

     尾崎咢堂記念館

      地蔵院:五二会ホテル遺構

      桜の渡しと柳の渡し

       松井孫右衛門社と山口誓子句碑

       (番外編)ミニチュア姫路城

宇治周辺

      林崎文庫

      祭主宮官舎 元慶光院

      水月楼 すし久

伊勢の鉄道

参宮鉄道(現JR東海紀勢本線参宮線)

参宮急行電鉄(現 近鉄)

もう一つの伊勢電気鉄道跡

伊勢の市電

伊勢電気鉄道跡(旧三重交通神都線)

朝熊登山鉄道跡とその位置

合同電気 3つの煙突の位置

神苑会の業績

神苑会碑

太田小三郎君紀功碑

神宮徴古館

神宮農業館

御幸道路

豊宮崎文庫

勾玉池

賓日館

秋田教方萬金丹

小西萬金丹邸

切妻妻入建築

野間萬金丹とその朝熊岳本店遺構?

岩城萬金丹

御師

上部大夫邸跡碑

三日市大夫邸跡碑

久保倉大夫邸跡碑

東大夫邸

春木大夫邸跡

御師龍大夫邸跡碑

御師龍大夫邸跡(大豊和紙工業)

福島大夫門

丸岡大夫邸跡

葉山大夫家の薬医門

橋村大夫邸跡

山田三方会合

山田奉行所と山田奉行所記念館

神職の職階

伊勢と言えば「伊勢うどん」

 

私は子供の頃から食べていた近所の丸栄食堂のそれが好きだったけれど、先代店主が亡くなってから味が変わってしまったのが残念。友達と議論した結果、うまさについては如何に子供の時に食べた味に近いかで決まるようだ。私は素うどん以外の食べ方は邪道だと思っているけれども、友人の奥さんが、以前やっていた食堂直伝の玉子とじを作ってくれたが、それも格別でした。この2つ以外の食べ方はしたくありません。

今回は伊勢市駅そばの昭和通りにある「山口屋」で食したが、「こし」のないのが伊勢うどんの特徴なのに、ちょっと、「こし」があったなあ?

 

さかき

 

伊勢だけの習慣かどうかは分かりませんが、お墓に「花」と呼ばれる木をお供えします。

ようやく墓参りするような歳になって、その花に2種類あることを知りました。墓の家の宗教が神道の場合は「さかき」を、仏教の場合は「しきみ」を供えます。

植物学的にどんな分類の木でなければならないのかも分からず、正確な「しきたり」も分かりません。どなたかご教授を!

しきみ()

現在在住の神奈川県のスーパーでも両方販売されていました。全国的な習慣のようで、知らなかったのは私だけ?宦官(かんがん)の至り(古すぎる言葉ですね)です。しきみはしきびともいい、鑑真和尚が伝えたという。狼や犬がしきびの葉の匂いを嫌う事から、墓を荒らされないようにするため墓前に供えるようになったということらしい。(お葬式なんでも相談室 お葬式の歴史HPより)

 

探訪寸記

15回

平成23年

12月27日(火)

31日(土)

今年の後半は珍しく仕事で伊勢の調査は進まず、何の準備もなく来てしまいました。神宮のお膝元ですから伊勢の方々は年末は皆さんお忙しいのは当然ですが、そん中、奇特にも自利利他の山本さんが私の意見を聞いてくれましたし、いにしえの伊勢の筆者Jyugemuさん、八太(ハタ)宿の飯田さんとも情報交換などをさせていただきました。ただ、図書館なども年末閉館となり行く所も無くなり、墓参りして帰りました。

14回

平成23年

10月09日(日)

14日(金)

新しい発展を望んでNPO「伊勢志摩さいこう会」という組織に入会したことで、伊勢の町屋調査プロジェクトの現地調査のために伊勢を訪問。担当した中島地区の古い建物は友人宅も含め、佐々木さんという棟梁がほとんど立てたということが分かりました。

また、そのついでに何時もの探訪もしてきました。いにしえの伊勢の筆者Jyugemuさんが所在地が分からないと言っていた「曽祢町の柳屋旅館」が今では同名の喫茶店になっていることを発見したり、古市「備前屋」の蔵が住宅に改造されて現在でも、象徴的な牛車マークを刻印した瓦が使用されているのを発見。なかなか充実していました。

13回

平成23年

5月23日(月)

27日(金)

土日千円のETCを利用して帰りました。7月になったらなくなるのでしょうか?前述の飯田さんからいただいた「小柴富久子著 清雲院考-所在地の変遷とお夏の方-」(伊勢 郷土史草 平成22年 伊勢郷土会発行)にはまってしまい、今まで関心のなかった江戸時代の伊勢の地図の調査をし始めました。今まで明確でなかった御師の所在地やその遍歴などがはっきりしてきています。いずれまとまりましたら発表させていただきます。

12回

平成23年

4月25日(月)

29日(金)

土日千円のETCを利用して帰りました。前回お会いした飯田さんとそのお友達、古市参宮街道資料館館長さんと歓談させていただきました。最近、再び調べ始めている「御師」の資料探しに終始しました。

11回

平成23年

2月22日(火)

25日(金)

伊勢古市参宮街道資料館で開催中の22年度企画展「伊勢歌舞伎」を観に行きましたら、初瀬街道の旅籠を研究されている、同街道沿いの八太(ハタ)宿にお住まいの飯田さんとお会いし、情報を交換させていただきました。また楽しい輪が広がり、喜んでいます。

10回

平成22年

12月16日(木)

21日(火)

伊勢在住の「伊勢志摩さいこう会」の方々に同様の講演をさせていただきました。また「さいこう会」主催の「伊勢の町屋再生 ミニファーラム&公開展示」を聴講させていただき、友達の輪が拡がりました。

さらに今回は都合よく会いたい友人たちにも会う事が出来、飲み過ぎました。

 

平成22年

9月15日(水)

  「ふるさとを離れて住むわたしたちに、伊勢志摩のために何か出来ることはないだろうか」をスローガンに、伊勢志摩地方出身の東京在住者を中心に2004年に発足したNPO「伊勢志摩さいこう会」からお誘いがありましたので、会議を傍聴させていただきました。今月は町屋の実測調査をされるそうですが、みなさん、本当にまじめに取り組まれていることが理解できました。

  帰り掛けに理事長を含む3名の方と一杯いただきましたが、飲んだ勢いで普段の考えを暴言してしまい、遂には11月に「女郎の作った町」(題名がちょっと暴言が過ぎて申し訳なく思っていますが、その時の勢いで、こうなってしまいました。)と題して、勢いのあった明治時代の伊勢の歴史について話すことになってしまいました。11月11日(木)永田町都道府県会館にて講演

9回

平成22年2月20日(土)〜22日(月)

8回

平成21年

8月3日(月)

7日(金)

これまでは一人で探訪することが多かったのですが、今回はブログ「いにしえの伊勢」Jyugemuさんに始めてお会いして、古い絵葉書の真贋を確認するために雨の中を歩き回ったり、名古屋で宇仁館ゆかりの方にお会いしました。  また、掛軸繋がりで伊勢の画家 水溜米室ゆかりの神田さんとそのお友達にも初めてお会いし、歓談させていただきました。伊勢を愛する方は良い方ばかりでした。

7回

平成21年01月15日(木)〜19日(月)

6回

平成20年05月05日(月)〜08日(土)

5回

平成19年11月12日(月)〜17日(土)

4回

平成19年08月13日(月)〜15日(水)

3回

平成18年12月30日(土)〜31日(日)

2回

平成18年11月25日(土)〜26日(日)

1回

平成18年10月14日(土)〜17日(火)

 

伊勢度会近世歴史年表に戻る

トップページにもどる