私と強迫神経症・・・★chu-koさん★ 
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私がこの病気を知ったのは、7年前のちょうど、秋だった。近所関係のトラブル・娘(当時6歳)の幼稚園の お母さんたちとの付き合いに疲れ、精神的に落ち込み、それに、追い打ちをかけるように、息子(当時3 歳)のアトピー性皮膚炎の悪化。息子のかきむしる傷口から、ばい菌=エイズが入り込むことを恐れ、傷 口にバンソウコウ、包帯でグルグル巻きにし・・・真夏というのに、長シャツ・長ズボン・・・。洗濯機は、何 回も、自分が気が済むまで回す。すべてが汚染された気になっていた。自分のストレスを娘にあたり、一 歩、間違えれば、虐待になっていた。「何か、おかしい?」自分で自分をコントロール出来ない状態になりつつあった・・・。仕方なく、母親に相談。いかにもあやしげな新興宗教、祈とう師、厄払い・・・全てが通じ ない・・・。周りの人の想いは、通じないまま、精神病院に通院。私の症状は、前にも増して、ひどくなる ・・・。養女に入る予定だった伯母夫婦は、「病院が、悪いんじゃないのか?」「早く治ってもらわないと・・ ・。」厳しい言葉を、吐かれ、私の精神状態は、人間不信へと変わっていった。主人以外の人間に対して、 疑惑観念が、出始めていた。両親さえ、拒み、自分を、閉じ込めることで、気を静めていた・・・。「ひきこも り」の始めだった。半年経ち、先生から、「強迫神経症」と診断される。そのころには、ひとりで、外出も出 来ず、今まで住んでいたマンションを出て、実家に近いアパート生活が始まるのである。子供は、母親に 預け、夫婦2人の生活になる。約4年間の闘病生活は、きついものとなった。外のあらゆる音に怯え、電 話の音も怖かった・・・。耳栓をして、昼間は、主人の帰るのを、ジーと待つ、そんな生活だった。そんな生 活に耐えられず、「私さえいなければ・・・」何度も、自殺を試みる・・・。強迫行為は、ますます、エスカレート ! 手を洗う、何回も、何回も・・・。自分を自分で罵りながら・・・。そんな中、月2回のカウンセリングは、続 いていた。私の過去にまで、話は及ぶ。「トラウマ」・・・私には、「親の決めたルール」があった。ワンマンな 父親、それに服従する母親・・・。父親の決めた事には、誰も、逆らえない。たとえ、それが、違うことでも ・・・。そういう家庭の中で、私は、我慢することを、余儀なくされていた。私には、反抗期がないのである ・・・というより、反抗することが出来なかった「親の決めたレール」にただ、乗っていた。そのレールは、親 の想いどうりに進んでいた。私も、それで良かった。そうする事で、父親の逆鱗に触れることを、避けていた のかもしれない・・・。母親もそう思っていたんだろう。始め、先生に言われた「あなたにはアイデンティティ ーがない。感情がない!」それも、今は、納得できる。自分の感情を抑えること、それが、必要だったから ・・・。親の決めた短大へ行き、就職、それも、父親の会員だったゴルフ場の受け付け・・・。そして、見合い 、結婚、出産・・・そして伯母夫婦のもとへ、養子、養女へ・・・。これが、「親の決めたレール」。まさか、私 が、病気になるとは、思っていなかったんだろう。出産まで良かったものの・・・。私も、この病気のおかげ で、自分自身、見つめられるようになった。もちろん、あれ以来、伯母夫婦との関係もなかったことになった 。私も、もう、会う事は、ないと思ってる。それより、娘のこころに傷を付けてしまった事に、心痛めていた。 最近になって、娘が、マンションの話をするようになった。「ママ、あの頃、怖かった!」かもしれない・・・。 でも、話すようになった事は、良かったと思っている。この3年余り、実家の隣に家を建て、希望だった犬も 飼い始め、私の症状も、回復しつつある。疑惑観念で始まった「ひきこもり」は、相変わらずだが、不潔恐怖 も、洗浄強迫も、気にならない状態になっている。この病気で、失ったものもあるけど、それ以上に、自分を 発見出来たこと、本当の家族のあり方、モノを、いろいろな角度でみることが出来始めたことに関しては、 皮肉だが感謝している。まだ闘病中だけど、これからは、焦らず、ゆっくり治していきたい。 |