過去は自分自身である。過去や忌まわしい思い出から逃れるために奮闘する人もいるだろう。でもそのためには善きことを足していくしかない
−ウェンデル・ベリー












学校からの帰り道、交通量の多い交差点の信号に捕まった。

車線が多く青になるまでそこそこの時間を使うことになる。

特に用事があるわけではないので早く帰宅する必要はないのだが、

何もしない時間というのはなんともよろしくない。

どこか息苦しくなる。

重くなった思考を払うように顔を上げると人の姿が目に入る。

どうやら信号待ちをしている人間は俺一人ではないらしい。

同じ学校の生徒だろうか。

というか、この後姿は見たことがある。

同じクラスの女子だった。

名前は、残念なことに覚えていない。

俺が薄情なのではない。

彼女はそういう風に生活していたから。

俺もそういう風に対応しているだけだ。

他人と関わりを持ちたくないタイプの人間なのだろう。

だからこんなところで偶然一緒になったとしても声はかけない。

きっと迷惑するだろう。

でも、傾きかけた日の光の下で彼女の明るい色の髪は、

普段視界に入るときより、綺麗に見えたのは確かだったのだが。



そんなどうでもいいことを考えているうちに信号は赤から青に変わる。



しかし、渡りきっていない車が勢いよく横断歩道に向かってきていたため俺は歩き出さない。



無謀な運転に呆れながらちらりと見ていた車から視線を戻すと、彼女が進むのが目に入る。



気づいていないわけではないはずだ。



それなりの音だってしている。



次の瞬間、大きくクラクションが鳴る。



それでも彼女は止まらない。



なんだこれは。



まるでチキンレース。



ただしそれは彼女のほうがはるかに不利なものだ。



信号は青だから私は進むとでもいうかのように悠々と進む。



その後姿に、迷いも恐怖もない。



普段と同じように進む。



しかしこのままではぶつかってしまう。



運良く死ななくても大怪我をするだろう。



俺は反射的に彼女の手を引いて交差点から引き戻す。



車はその勢いのまま走り去っていった。



彼女のポリシーだかなんだかは分からないが、目の前で同じクラスの娘がはねられ空を飛ぶというのも寝覚めが悪い。

係わり合いになるのは申し訳ないが俺の精神衛生のために声をかける。

「危ないぞ、車とチキンレースしても仕方ないだろ。」

彼女は俺の顔を見てゆっくりと口を開く。

「そうね、危ないところをどうもありがとう。」

その言葉には感謝の感情なんて一分もなく、表情はただどこか不思議そうに淡々としている。

そして彼女は視線を落とす、ああ、手を引いたまま放していなかったか。

「っと、ごめん。緊急事態だったんだ。」

手が放されると彼女はふるふると首を振って、

何事もなかったように再び歩き出していた。



彼女が進む姿を見て俺は動けなくなった。

彼女は震えていなかった。

普通自分の身になにか起こりかけたら、恐怖するなり回避するなりする。

例えば彼女が死ぬのが怖くないとか言う類の痛い娘だったとしても、

生きようとする本能を抑えることはできない。

誰だって震えるのだ。

死にかけたのなら。

本気で死のうとしていても。

震えるのだ。

どれほど死にたくても。

恐怖を消すことはできない。

震えるのだ。

でも彼女は震えていなかった。

俺に虚勢を張っているわけでもない。

俺の視界から離れていく彼女の背中は俺が手を引く前と何一つ変わっていない。

なんだあれは。

命の危険を回避できないほどにぼーっとしているか、

でなければ本能を押さえ込むほどに死にたいか。

今まで見てきた彼女の言動から前者であることはないと俺は思う。

だがそんなことはありうるのだろうか。

それに死にたいなら自殺すればいいだけのことだ。

それをしないのは何故だ。

死にたいが自殺はしない。



それではまるで、



誰かに殺されるのを待っているかのよう。



次第に見えなくなっていく彼女の背中を見つめながら、



俺は彼女を殺そうと思った。



彼女がどんな顔で死ぬのか見てみたくなったから。

























町外れにある廃工場についたころには辺りは夕焼け色に染まっていた。

しかしその工場のぽっかり明いた大きな入り口だけはいつでも真っ暗。

さすがに警戒されると思ったが、彼女は表情を変えず、まだ嬉しそうに真っ暗な入り口の奥を見つめている。

夕焼けのせいか、数日前の彼女の姿が目に浮かぶ。

そして彼女は真っ暗な入り口に一人で進んでいく。

ここなのでしょう?と俺に目配せをして。

その中は光が漏れ入っていて、外から見るほど暗くはない。

さびた金属とオイルの匂いが少し鼻につく。

俺は奥まった区画にある鍵のかかっている部屋のドアを開ける。

とたんに鳴る金属の擦れあう少し耳障りな音。

不気味なうなり声にも聞こえるそれを気にすることもなく、彼女は中に入る。

上手く行き過ぎている気もするが、上手くいっているのだから問題ない。

「ここ?」

部屋の中央に開いたコンクリートの床と基礎を破壊してできた大きな穴を覗きながら彼女は言う。

「ああ。」

「あら、棺。スケルトンなんてすごい趣味ね。」

穴の中にはアクリルで作られた棺が収められていた。

それを彼女は驚いたように見つめる。

「ふふっ。」

何を聞くでもなく彼女は自発的にそれに入ってしまう。

持っていた鞄を放り投げて。

俺は棺を閉じて鍵をかける。

それでも彼女は嬉しそうにしている。

「窒息死…ではなくて…衰弱死?空気穴のおかげで声も外に行くわね。」

ついでに空調として換気口やらコンプレッサーやらがその透明な棺にはついている。

厚さ3.5CMのアクリルを特殊な接着剤で固めた自作の棺。

彼女の死に顔を見るために作ったものだ。

彼女は嬉しそうに自分で入っていったのがなんとも言葉にならない感情を呼び起こすが、それはそれだ。

「意外に快適ね、痛くないし。」

底には低反発素材を敷いてある。

ある程度の時間なら痛くはならないはずだ。

「ところで、死に至る5段階でも見たいのかしら?でもごめんなさい、私じゃそれはだめだと思うの。

泣いたり、叫んだり、怒ったり、いやらしいことと引き換えに命乞いしたり、心が折れる瞬間は見れないと思うの。

ああ、ごめんなさいどうしてもというなら、頑張るわ。あまり演技は得意ではないけれど。そういうのが趣味ならちゃんとしないといけないものね。」

普段殆ど喋ることのない彼女が饒舌なのも驚きではあるが、

あれだけ嬉しそうにしていて彼女は自分が何をされるのか分かっていたことのほうが驚きだ。

しかしそうしようとした俺自身は彼女の態度に順応しきれずただ圧倒されるばかりなのだが。

「そういえば勝手に棺に入ってしまったけれどよかったのかしら?入る前にすることとかあったら出して”して”いいのよ。

いっそこの部屋に入るところからやりなおす?」

気までつかわれてしまっている。

「そのままでいい、俺はここで君を見ているから。」

穴のふちに用意したパイプ椅子にすわり彼女を見下ろしながら、俺はやっと声を出すことができた。

「見ているだけでいいなんて、無欲なこと。じゃあもう少し色っぽくしておく?」

制服の胸元を少しはだけさせながら上目遣いに俺を見ながら言う。

かすかに覗く暗がりで一際目立つ色の白い素肌から視線をそらして俺はそれを静止する。

「そのままでいいよ。もどして。」

「そう…。」

少し残念そうに、彼女は制服を元に戻す。

「誤解されないように言っておくけど、別に私こういういやらしい性格してるわけではないのよ。

単に、私の望みをかなえてくれそうな貴方のご機嫌取りをしているだけなの。

でもごめんなさいね、可愛げのない女で。こんな方法しか知らないのよ。」

長々と話していたがそこで俺はやっと確信することができた。

彼女は死にたがっていると。

いや、彼女は誰かに殺されたがっている。

だからこんな俺のずさんな行き当たりばったりの計画にも乗ってきてくれたのだろう。

わざわざ目撃者を減らすすことまでしてくれた。

そこまで分かって、俺はやっと趣旨を伝えることができた。

「俺は君の死に顔が見たいから、君を殺す。難しいことはない、君はそのままそこで死んでくれ。

何もしなくていいから、そこで死んでくれ。」

眼下に眠る彼女はいっそう嬉しそうに微笑んで答えた。

「お望みのままに、人殺しさん。」

暗がりの何もない棺の中で、まるで棺に納められる花に彩られたような、華やかな笑顔が咲いた。



こうして俺達の奇妙な関係は始まった。



それは彼女が死ぬまでの数日間。



人殺しと殺されたがりの静かな数日間。



救いようのない数日間。



棺の中で彼女は横たわるだけ。



それを彼は見ているだけ。



交わされる言葉は最後の言葉。



語り合う互いの人生は絶望に満ち満ちて、



その終わりに相応しい。



それでも彼と彼女は互いに笑う。



幸福がそこにあるのだと信じて。












「約束して、昨日の貴方の疑問に答えるけれど、心変わりしたりしないで、

ちゃんと私を殺すと。これから話すことは酷い話よ、でも哀れみも慰めもいらないわ。

私は貴方に殺して欲しいから話すの。ここに一人で放置されてずっと話すことをまとめていたわ。

私の行動を貴方が納得してくれるように。確実に私を殺してくれるように。

もし、本気で私を殺す気がないのならここで私を家に帰すといいわ。

昨日と今日のことは忘れて、今までどおりに生活していればいい。



でもこの話を聞いて、私を殺さなかったら、



その時は私がされてきたことと同じ目にあわせるわ。



そうすれば、貴方はきっと正気を失って私を殺すから。



貴方が何らかの理由で私を殺したいのは分かるけれど、この話を聞いたなら絶対に殺させるから。



それで、その覚悟はできている?」

























「…君ほどの理由は無いよ。だから話していいものか分からないんだ。

くだらない話だよ、本当に。この話に君の決心を揺さぶる力は無い。

ただ、俺も分からないから、こんなことをしているんだ。」












互いの過去を語り合い、二人は約束をする。

彼は殺されたい理由を知って、

彼女は殺したい理由を知って、

彼女は生きた証を手に入れ、

彼は愛された証を手に入れ、

静かに最後の時を待つ。












「幸福な人生を歩む者は、結構多いわ。」



「でも、幸福な死を迎えられるものはそんなに多くない。」



「だから今、私は幸せよ。」












「ありがとう。」



「ありがとう。」



閉じていく瞼。



そうして最後に俺と彼女は棺越しに口付けした。



アクリルはほんの少しだけ彼女の体温を感じさせて。



残ったのは穏やかな笑顔。



安らかに。



ただ安らかに。



幸せな死に顔がそこにあった。



















































約束は果たされる。



最初の言い分どおりだが少しだけ意地の悪い形で。












「君に幸せな死より、幸せな人生を。」












18禁サイコラブストーリー風CG集「殺されたがりな君の死に顔に幸福を。」 近日発売予定。