FLIX 1993年5月号

「撮影が終わった後、気が狂いそうになった。
……僕は、全スタッフが立ち去っても最後まで、セットに取り残されていた。」
ロバートの記事は「チャーリー」の頃が海外でも日本でも圧倒的に多く、やはりオスカーにノミネートされるなどもっとも有望な若手として注目された時期なのだなあと感じます。伝説の人チャップリンを、「チャーリー」でみごとに演じきったロバートもまた、新たな伝説を生んだ役者と言えるでしょう。日本への初来日も果たした、1993年当時のインタビューです。

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……1889年、イギリスの貧しい家庭に生れたチャップリン。24歳でアメリカに渡り、サイレント映画の先駆者として一躍、世界に名声を響かせ、26歳で億万長者になった。数々の未成年女性とのスキャンダル、4回の結婚。でも彼の一番の情熱は女性にではなく、サイレントからトーキーまでに至る映画作りに向けられていたのだ。ハリウッド映画界に貢献した40年近くの渡米生活は、赤狩りによって無残にも国外追放として休止符を打たれたのだ。
 1977年のクリスマスに88歳で亡くなったチャップリンの一生が、いま伝記物語『チャーリー』として描かれた。……

 もうすでに次回作『ハート&ソウルズ』の撮影を開始したロバート・ダウニーJr.は、わざわざ休みの日に『チャーリー』に関するインタヴューに応じるため、ロサンゼルスのフォーシーズン・ホテルまで出向いてきてくれた。礼をいうと「礼なんてとんでもない。僕はチャップリンについて話すのが好きなんだから」と目を輝せた。
「チャップリンは僕の人生の二倍の経験を持つマスターなんだ。彼は20世紀、最も偉大な人道家だと思う。あなたは輪廻を信じる? 日に見えない僕の内に秘める声に、導かれたように感じる。僕を走らせるためのバトンをチャップリンが渡してくれたように感じた。まるでチャップリンが僕のことを心配しているかのようにね。彼に扮することが、僕の運命だと思った。この役のためなら、何でもするつもりだった。こんな栄光は人生に2回と訪れてこないかもしれない」
 アッテンボロー監督がオフィスに出向く日を調べると、直接、会いたいと彼を訪れたダウニーJr.。いきなりスパイキーなヘア・スタイルにイヤリング、ファンキーなブーツを履いた若者が"チャップリンになりたい"と言いにきたときには、監督や製作者は笑いを誘われたという。ところが、ファンキーな若者ダウニーJr.は、見事に大役をこなした。監督はダウニーJr.のことを「瞳に情熱と感情を持つ俳優」と評している。
「撮影が終わった後、気が狂いそうになった」
ダウニーJr.は真剣な眼差しで告白した。
「僕の全てをチャップリンに捧げたのに、撮影終了後のセットにはもう誰もいない。僕は、全スタッフが立ち去っても最後まで、セットに取り残されていた。たまらなくなってしばらく姿をくらましたほどさ。ヨーロッパを放浪しながら考える時間が必要だったんだ。この作品を完成させるまでに学んだことは、仕事が終わった後、あまりにも重すぎた。全力投球したから、力が冬きてしまったのさ。人生の大切な部分が、終わってしまったんだ。人生って何てむなしいんだろう。それにアメリカが赤狩りの名のもとに、チャップリンに仕向けた屈辱に対して、怒りを持つようにもなった」
 以前にもダウニーJr.に会ったことがあるが、いま目の前に座る彼は、以前の何倍も魅力的である。角がとれ、経験を積んだ大人の貫禄が輝いている。
「誰もがリトル・トランプなんだ。誰もがチャップリンのキャラクターのように、ホームレスなんだ」と、語っていたダウニーJr.のチャップリンは、永遠に彼の一部として生き続けるだろう。

抜粋

インタビュー:あずまゆか
記事提供:ウーラさん