
皆さん、ご存知のことと思いますが、横須賀市大津に坂本龍馬妻「おりょう」さんが眠っています。
人を愛し、仲間を愛し、大志を抱き、海を愛した龍馬の妻らしく、そのお墓は横須賀の潮風香る
信楽寺(しんぎょうじ)の高台に安置されています。
一度、訪れてみませんか?。
私は、龍馬は霊山にいるのではなく、横須賀でおりょうさんに寄り添われているような気がします・・・・・・
京浜急行「京急大津駅」
横浜方面からは「浦賀行き」に乗り「堀の内駅」の次
久里浜方面からは「堀の内駅」で乗り換え
駅を降りると案内板が。
案内板の通りに歩くと5分ほどで、看板があります。


信楽寺山門と本堂
信楽寺は、「三浦三十八地蔵尊」の二十七番札所になっています。
山門脇には「よき人との出逢いが自分のものさしを超えさせてくれる」という掲示があります


真ん中に見えるのが「おりょうさん」のお墓
(本堂より左手奥になります)
「おりょうさん」のお墓⇒
「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」とあります
おりょうさんと坂本龍馬が連れ添ったのは、わずか1年10ヶ月ほどでした。

本堂に祭られているおりょうさんの位牌と月琴

若き日のおりょうさんと言われている写真
| 江戸末期の風雲児、坂本龍馬の妻 龍子は、「寺田屋騒動」の折、龍馬の危急を救った女性として広く知られています。 龍子は京都の町医師 樽崎将作の長女として生まれました。 生年月日については、天保十一年説もありますが、本市に残る除籍簿によれば、嘉永三年(一八五0)六月六日となっています。 名は、「りょう」また「とも」と呼ばれ伏見にいた頃は「お春」と呼ばれていたようですが、確かなことは不明です。 坂本龍馬は、慶応三年(一八六七)十一月十五日、京都のしょうゆ商近江屋で京都守護職の輩下 見廻組与力の乱入を受け、斬りつけられて、三十三歳の若さで斬殺されました。 未亡人となった龍子は、夫龍馬の実家 土佐の坂本家に移り住みましたが長続きしませんでした。 その後、京都・大阪・東京と明治初年まで流浪の生活が続きました。 その原因や生活状況については、いろいろの説があり、現在のところでは、定説がありません。 ただ、はっきりしていることは、明治十一年七月二日、三浦郡豊島村深田二百二十二番地(現在の米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治三十九年一月十五日の午後十一時に死亡した事実だけです。 いろいろな資料によりますと、龍馬の死後、龍子の生活は波乱の連続であったようです。 龍子の葬儀は、知人や隣人の助力で明治三十九年十月二十日にささやかに営まれました。 また、遺骨は、当時の信楽寺住職新原了雄師の御好意により、この地に葬られたとのことです。 |
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☆地図はこちら(yahoo!MAPS)
「龍馬 おりょう夫婦等身大木彫座像」展示方法について
おりょうさん没後100年にむけて、我ら「よこすか龍馬会」は木彫夫婦座像制作に取り組んでいます。
この像は、おりょうさんの眠る横須賀市大津の「信楽寺」に安置することが決まっています。
当初の予定では、信楽寺ご本堂の左側に安置させていただくことになっておりましたが、ご住職のお心遣いで
「いつでもお寺にみえた方が、龍馬とおりょうと対話できるように」と「龍馬の部屋」を作ることとなりました。
現時点では、どのような部屋にしたらよいか、どのようにかざるのがよいかなど、すべてが白紙の状態です。
そこでです!
ぜひ、このページを訪れてくださいました皆様に意見をお寄せいただければと思います。
ずべてが未定ですので、例えば「亀山社中を再現する」とか「新婚らしくかわいらしい壁紙に」など、
どのような意見でも構いません。
ぜひぜひ、「よこすか龍馬会」にお知恵を貸してください。
龍馬の精神にのっとり、彼が生きていたらやはりこうすると思いますので、みんなで話しあえる形として
このホームページの掲示板を利用したいと思います。
ぜひ、掲示板にご意見をお寄せください。
皆様と一緒に、龍馬と語り合える「場所」を作っていきたいと思っております。