庵展のロッカールーム
SHADOかく戦えり
発端 / 1ヶ月前 / 苦悩と光明 / 「うーむ」 / 開館 / サイン会 / 楽日 / 八叉の蛇足
現在、地方の商店街は大店法改正の影響で危機に瀕している。
我らが喫茶店のある商店街も同様で、昼間でもシャッターが閉まったままの店が年々増えている。
特に集客力のある店舗の閉鎖が続いたこの一年は、まともな神経がある店主にとっては戦慄すべき状況にある。
ここまで来たらひと暴れしてみよう、と考える人間が出てきた。
これがマルゲンさんである。
たまたま帰ってきた庵ちゃんに直接、個展の話をぶつけ内諾をもらうと商工会議所に働きかけ、正規のイベントにする手筈を整えた。
と、これが1998年3月の話である。
これから6月までは水面下の話になってしまったが、要は「お金が無い」の一言に尽きる。
なんとか話が再浮上した6月初め、マスターはかなり戦慄する。
コーディネーターがいないのである。
さらにはマルゲンさんもこの特別展の破壊力を理解してなかったのである。
そのマスターの認識もメンバーからことさらに甘いと指摘される始末である。かくて、谷兄はコーディネーターとしてボランティアを強要され、創ちゃんはキャプションを監修する羽目になったのである。
濱チャもシャーも黒ちゃんも何らかの心得のある人間は、マスターに徴用されることになってしまった。
SHADOの2年ぶりのイベントはこうして動きだしたのであるが、広報しようにも商店街が決めるべき大枠が決まらないため、1998年7月17日の開会前1ヶ月なのに焦ることしかできない有り様である。
これではあの作品の25/26話と同じ目に遭うのでは・・・とは考え過ぎだろうか?
通常のイベントで1ヶ月前というと、実施以外のすべての部分は終了している場合が多い。
ある意味では、運を天に任せるほかないのである。
逆に言えば、1ヶ月前までに実施側の総意が形成されてないと、泥縄になるということも意味している。何も決まってないとメンバーも動きようがないので、特別展の名称も「庵***の世界」とし、アイキャッチも制作し、会場名も「COSMO21後」ではあんまりなので、今残っている看板の「O」と「M」を消して、CS21(正確には「C S 21」だな)にしようと予定事項を積み上げていった。
余談だが、今回の企画は複数のイベントを8ヶ月にわたり連続して実施するもので、庵展はその第一弾に過ぎない。
英単語はCで始まるものとSで始まるものがもっとも多いので、CS21はあとあとComic Studio、Communication Spot、Community School、Craft ShopなんならCoffee Shopとでも好きに読み替えることができる。が、御大尽は商工会議所であるので、商店街はお伺いを立てて、じっと待つしかないのである。
実はメンバー全員今回の企画書を見たことがないのである。
ひょっとしたら無いのではないか、という疑問は1ヶ月前になって、泥縄に違いないという確信になっている。
気が短い人間なら「儂ゃ降りた、後はめいめい勝手にさらせ!」とキレるところだろうが、各自仕事があるので実際はそんなにかまっていられないのも事実である。
したがって、今はのちのち自分に降り懸かってくる災難と、仮想プランの崩壊に脅えながら待つしかないのである。一方、立派なのは連動企画で「ラブ&ポップ」を上映する、うべシネマクラブである。
19日にはすでに単色刷りながらチラシとチケットが出来上がり、販売が始まった。
ポスター張りは2ヶ月前からやっていた。
定例会以外活動で、しかも日頃馴染みの無い、実験的な作品に取り組んでいただいているのは、チラシから読み取れる。
「エバンゲリオンでおなじみの宇部出身庵野秀明監督作品」
「ラッパのマークでおなじみの正露丸」のノリである。
「エヴァ」が「エバ」なのは、ご愛敬であろう。さて、結局、会場名が決まったのは開会3週間前のことである。
通称イベントホールだったのが、イベントギャラリーになっただけのことだが、赤面するような会場名ではなかったのが幸いである。
後は出品リストの到着と会場に電気が入るのを待つことになる。
さっそく、チケット、ポスター、スタッフネームプレートのゲラを作った。
生憎、オフィシャルな発表は国会延長の影響で7月にずれ込んでしまった。
おかげでおおっぴらな宣伝ができないのだが、どちらにしろ予算がないので大々的な宣伝ができないのには変わりがない。
この間にせっせと本業に精を出すことになった。
・・・本業に精を出すはずだったが、銀天街のHPが商工会議所のリードでUPされるのであれば、今回の展示会には間に合わないだろうということで、「表」SHADOのHPをせっせとUPした
正味、1日で作ったHPであるが、自画自賛といったところ。問題はこのHPが見てもらえるかどうかで、検索エンジンには依頼したのだが、採用されるのは少し先だろうし、中には採用しないところもあるはずである。
結局、GAINAXにお願いし、日記のコーナーで取上げていただいた。
翌日から、カウンターがガンガン回りはじめたのであるから、GAINAXのご威光はさすがである。地方紙にも展示会が一面の見出しで取上げられたが、なんと「エヴァンゲリオン展」になっていた。
「あれ程説明したのに」とマスターは怒ったが、「庵野秀明の世界」よりもインパクトと知名度に勝ると新聞社が判断したと思われる。
これでは渉外に当たっているマスターより、傍で情報に飢えているメンバーのほうがキレそうである。
もっと大変のがマルゲンさんで、今回で懲りたので次のイベントは早めに詳細を決めようとすると、いくつものイベントを平行して調整する羽目になっている。
もっと色々な事があるのだが、セキュリティーの関係でこのローカルページにすらかけないこともある。
ファンが来なくてマニアばっかりだったら、セキュリティーはザルと化すに違いない。会場と展示物の確認作業が始まれば馬力仕事であるし、いちはやく展示物を拝める役得で、みんなが動きやすくなると期待している。
今回、GAINAXにも前例がないことをやるため、かなり「うーむ」な部分もある。
たとえば展示品であるが、双方がどんなものを展示すればよいか解らないのである。
何しろGAINAX自体が多忙であるため、自社収蔵品を把握しきれず「こんなものありますよー」とはいかないのである。
逆にこちらも「こんなことやりたいので、あんなのありませんかー」と尋ねられるだけGAINAXの事情も知っていないし、期間も無かったわけである。
結局、最後は庵ちゃんの手を煩わし、「監督のお仕事」というテーマに沿った展示品を揃えてもらう羽目になった。
展示品の量と方向性が判るのが、展示品の到着時という「うーむ」な事情になったのにはこのあたりが原因である。かくて、「展示品がまだ来ないから焦っても仕方ないものねぇ。」とはやる気を抑えてたのを一括したのがスエである。
「余るスペースは処理ができるが、足りないスペースは作ることができない。」わけで号令一下、壁面の大改造がなされた。
壊さないように汚さないようにとちまちま準備をしていた面々に、「壊れたものは直せばよい!」と突撃を開始するあたりが流石に前線で働く社長だけのことはある。ともかく、ここまでブレーンストーミングはしても会議はしないのが常であった。
自分の出来ることをさっさとして、評価を仰いで修正するというやり方が普通である。
このやり方は、下手をすると全員が同じことをしてしまう危険性もあるのだが、SHADOの内々だけあって黙っていても分業されるのがすごい。
惜しむらくは今回、シンヤに手伝ってもらえないのでデザインワークがど素人ということである。
白状すればロゴやペーパー類は私、記録者が作ったもので、結構「うーむ」な代物である。
ともあれ、12日から16日まで準備して、開館の17日には間に合った。
準備の途中、谷兄が後ろ髪を引かれながら渡米のため宇部を離れた。
会期の終了頃に帰ってくることになるが、その間は残りの宇部組で面倒を見ることになる。
会場で立ち番をしていると、一日に一人程度濃い人物が来る程度で、初日から4日目で600人ぐらいであるから、やはり田舎のイベントは穏やかである。
幸い、表/裏のセキュリティーが作動することがない日々が続いている。
困るのが26日で「どうせ行くなら26日」組が多そうなのである。
それも想像が不能なほど・・・。
結局、整然と処理する方案を立てたが、事務所側で異議がでてしまった。
「カオスがほしい。」というのである。
つまり、正しくイベントを組めば、正当な集客が可能であることを証明したい、というのである。
混沌が発生すれば収穫、調和が得られたらごめんね、というのも変な話だ。
多少の事故なら「問題ない。計算済みだ。」で片づく免罪符を貰ったようなものだが、メンバーは急遽CASE1、2、3を組む羽目になった。
この顛末は如何に!
こうして迎えた26日、前夜22:00からの栃木徹夜組を先頭に、開館時には40人の行列になった。
整理券の30枚では足りないので、急遽20人分の追加サインをお願いし、この20枚の整理券については抽選にした。
昼には抽選券100枚もなくなり、迎える14:00会場周辺はサイン待ちで並ぶ人、抽選を待つ人、時ならぬ人ごみを見にきた人(^_^;)、取材クルーで200人の大混雑に見舞われた。
いわば「問題ない、予定通りだ。」の状態なのだが、実際に目にするとなかなかの迫力である。
この間もっとも割を食ったのが創ちゃんでテレビ局につかまり、裏方ボランティアのインタビューに応じる羽目になった。
しかも、ニュースではなく特別報道番組だそうである。
結局、この番組は流れた形跡がない。
テレビ局は「商店街活性化のボランティア」としてインタビューしてきたのに創ちゃんは「そんなこと知ったことじゃない、私は友人の個展のサポートをしてるだけだ」と切り返してしまったのが原因かもしれない。実はサイン会前後、徹夜明けの庵ちゃんが行方不明になった。
発見された場所は銀天街の屋根の上である。
昔、大和タワーから見た夢を見残した場所に今日、ようやく降り立ったのである。
アーケード屋上の通路で庵ちゃんは・・・電柱を取材していた(^_^;)。この後、取材、座談会と続き、慰労会の頃には寝てしまった。
スタッフの皆さんもご苦労様。
けんたろーもサムもはるばるご苦労様。
何より、庵ちゃんご苦労様。
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銀天街では久々の混雑。 この絵からみると200人は超えてるらしい。 |
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ついに宇部の屋根に立つ庵ちゃん。 この雄姿が喜びを表している。 |
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で、ここでも電柱の取材。 特にトランスには御執心。 |
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立て、立つんだ、ウルトラマン状態。 立たなくていいから、たっぷり休んどいて下さい。 職場に帰ったら、また締め切り地獄。 |
すったもんだの17日間がようやく終わった。
正確には準備期間もあるのだから1ヶ月半というのが正確であろうか。
判っているだけで栃木、岐阜、神奈川、福岡からの来館者があった。
予想の範疇だとはいえ、庵ちゃんのファンのエネルギーはすごい。
遠くからのファンを厚くもてなしたい一方で、噂には聞いていたがダークサイドに落ちてしまった人も来ていたので、そう甘いことも言えなかったのが口惜しい。
代表格はコードネーム「二重丸君」であろう。二重丸君は皆さんの想像に近い風体であり、収集癖があり、特殊な知識欲があり、努力を伴わない上昇志向がある。
早く更正して一徹な職人にでもなっていただければ、と祈る今日この頃である。
ところが、フェイントをかけて一般人を装った「三重丸君」がいたのには舌をまいた。
その後の評定で、東京には三重丸君に輪をかけた「花丸君」が大量にいるから、花丸君群集心理が働くと禿鷹の群れに変貌しかねない、という恐ろしい推論に至った。
この26日にイベントシーケンス通りにことが運んだのは、ど田舎で運がよかっただけかもしれないのだ。よって、楽日を前にして主なメンバーで撤収シーケンスの確認を徹底したのは言うまでもない。
おかげで16:00に閉館し、21:00には発送準備も済んでしまった。
駆け込みでGAINAXへのレポートも間に合った。
楽日ということで「シンちゃん&さいちん」や北九の前田さんから差し入れを頂いた。
最終ミーティングの後、掲示板にファンからの感謝の書込みを見つけた。
庵ちゃんを支え、庵ちゃんが求めたファンの姿が幻ではないということがこの特別展を通して見えてきた。
スタッフの皆さんお疲れさま、そして、たくさんの庵ちゃんのファンの方々ありがとう、ありがとう。
つくづく残念なのは大和タワーの資料が手元に無いことである。
座談会で飛び出したこの話は、遠来の方には解りづらいが地元の人間には結構ノスタルジーがあるのである。
敢えて説明すると6階建のデパートの屋上に30年も前に立てられた展望台であり、数年前(1995年?)に取り壊された。
当初、有料でそのうち無料になり、やがてエアコンが止まり、遂には立入り禁止になっていた。
昔からの市民は一度は登ったことがあるタワーである。
このタワーから自分の家が見えるかどうかは、子供にとって大変な問題であった。今でこそ市街地にはかなりのビルが建っているが、炭坑があった宇部では4階建以上のビルはそれなりのリスクがあった。
大和タワーは電電公社の電波塔に唯一対抗できる高さで、宇部の鳥瞰を楽しめる建造物だったわけだ。
類型の建造物として宇部常盤公園に石炭記念館があるので写真を掲示しておく。
ただし、大和タワーは更に偉容であったことは付け加えておく。
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半地下のモデル炭坑は「宇部沈没」の撮影にも使われた。
さらに2000年には庵ちゃんの映画「式日」では同じ地下がロケに使われた。 |
特別展で頭が痛かったのはセルの取り扱いであったが、GAINAXでも別の意味で頭が痛い代物なのだそうだ。
庵ちゃんにとって作品とはあくまでフィルムであって、セルは産業廃棄物に過ぎないのである。
かといってセルを市場に流すと作品本来の意図がぶち壊しになる可能性もあるし、著作権も危うい。
ところがセルを燃やすとダイオキシンまで出る始末。
結局、すべてのセルを保管する方法を考えることになるのである。
宇部市の当局に先の見える人がいるのなら、いっそGAINAX資料館でも提供して、すべての資料を管理してしまえば面白いと思う。
いや、いっそ日本のアニメの資料庫を作るべきか。
資料の虫干しと称して展示会を開けば今回の特別展の比ではない騒動になるだろう。
ついでにGAINAXなどの制作会社のサテライトオフィスを誘致するのはそうだろうか。
「君、疲れてるみたいだね。宇部にでも行ってくるかい?」 などと制作の現場で言われはじめるとチョット怖い。
特別展を終了して資料の返却が終わり、GAINAXの担当者からお礼の電話をいただいた。
とびきりの一言は「次に宇部で開かれるときは、もっと用意いたしますので。」
最高の慰労の言葉だと思う。
SHADOの独力では残念ながら「次」は難しいとしか言えない。
まあ、しばらくは「祭りの後」を楽しんでいたい。
「祭りの後」に気が向いて作ったTシャツ
遅過ぎる、恥ずかしい、と大不評