『式日』日記
映画のロケがやってきた!


 以下は宇部で行われた『式日』のロケの周辺の様子を日記風に綴ったものです。
 伝聞情報も多く、記憶が不確かなものもありますがご容赦ください。

 文中のQ&Aは2000年11月に『式日』公式HPで企画された南里プロデューサーの裏BBSでのやりとりです。

2月28日

 この日、店に庵ちゃんから宇部で映画を撮るとの電話があった。
 思い返せば、1998年に「ラブ&ポップ」の上映会で「宇部には画になる場所がないわけではない。協力さえ得られれば映画を撮ってみたい。」という趣旨の発言があった。
 上映会に先立って銀天街の屋上に初めて立った後の発言であるが、このときは実現しない夢だと思っていた。

 この年から庵ちゃんは公私共に宇部を往復する機会が増えた。
 なにしろ、それまでは数年に一度しか帰郷しなかったのに、この2年間に5、6往復はしたはずだ。
 この間に何らかのイメージが出来上がったのは確かであろう。
 また、1999年の春には庵ちゃんがジブリで作品を作るという噂は聞いていた。 (後日、これは全く別の大型企画だったと分かる。)
 1999年4月には花見で庵ちゃんと藤谷さんが出会っている。
 この席で藤谷さんは小説を書いていることを話題し、後にこの原稿は樋口真嗣氏から庵ちゃんに渡った。
 以後の曲折はプロデューサーの南里さんの記述に詳しいが、徳間社長が大型企画のついでに『式日』も撮ることを快諾してくださった。
 年末には「庵ちゃんが宇部で何かやるかも」というニュアンスは伝わっていたが、宇部で映画を撮るとは正直驚いたし喜んだ。
 嵐が来るかな?とも思ったが、なるようにしかならないので深く考えないことにした。

 Q:ロケ地が決まったのはいつ?
 A:記憶ではこの企画に正式にゴーサインが出た頃だと思います。時期は、2月の初旬あたりかな。

2月29日

 改めてメールで連絡があった。
 このメールで「宇部を基地にして撮る」わけでも「宇部も撮る」のではなく、ドップリと「宇部で撮る」ことが分かった。
 4月にクランクインであるが、3月にも数度テストのロケハンもある。
 銀天街への協力要請の資料も見た。
 以前よそからの情報では「ハッピー・バースデイ」であったが、要請時点での仮題は「アンビエンス・バースデイ」である。
 強引に訳せば「誕生日の背景」とでもいうのだろうか。
 この後、台本が出来ると「サブライム・バースデイ」になっている。
 これも訳せば「崇高なる誕生日」だろうか。

 資料にはこのほかストーリー、メインキャスト、予算、想定ロケ地の記載がある。
 このときのストーリーは自分のメモによるとやはり純愛物で、肉親を誕生日の前日に次々と亡くした過去を持つ「彼女」と「カントク」の一ヶ月間の物語で、誕生日の前日に何が起こるのか?誕生日を無事に迎えられるのか?がストーリーの焦点になっていたと思う。
 文面からは12月7日へのカウントダウンのサスペンスタッチの作品と読み取ってしまった。
 この時の私のメモにはメインキャストについて「ガメラ対Love Letter」と感想が書いてある。
 予算は一億五千万円と言われても素人ではピンとこない。
 岩井監督の「Love Letter」が二億円といわれて、そんなものかな、と思う程度である。
 想定ロケ地は実に庵ちゃんらしいと思ったが、コンビナートの反応塔の上、小野田線の木の内装の車両の中、大和の閉鎖された屋上、銀天街、興産大橋のたもと等々うらぶれた場所ばかり選んである。
 この時、この資料では作品のイメージは全く分からなかった。
 ただ、映画祭参加用で一般劇場には流れないということから、実験的作品の匂いがしていた。

 Q:台本の作成期間は?
 A:0稿(アンビエンス・バースデー)は、2/13に脱稿、初稿(サブライム・バースデー)は、3/16に脱稿。
  初稿をもってクランクインし、細部は現場で修正・変更を加えました。
  0稿に至るまでに、プロットやメモという形式で、ストーリー案が何度かテーブルに上がりました。

3月3日

 このときの帰郷はもっぱらロケハンと表敬訪問に充てられたようである。
 ロケの候補地を何ヶ所あげてみたが、さすがに庵ちゃんの地元だけあって一通り頭には入っているようだ。

 宇部市に対しても協力要請がなされたのだが、そこはお役所であるので役所内で伺い書が回った。
 商工観光課から直接、市長宛に流れるのかと思えば、庵ちゃんに詳しい人間のところに内容確認の依頼がいったりするのが面白い。
 これが大企業の場合はどうだったかというと、あっさり協力できませんとのこと。
 もっとも、スポンサーを求められると警戒した気配もあった。
 ただし、担当者レベルでは同郷のよしみで、撮影に関しては「黙認を公認」することになったらしい。
 今回の最大の収穫は太陽家具旧本社の使用を快諾いただけたことだろう。

 この後、中旬にもロケハンが実施されたようだ。

 Q:ロケハン器材は?
 A:デジカムとスチールカメラ程度です。
  あと磁石も重宝します。お日様の行方は、屋外のロケでは重要な関心事です。

3月22日

 嵐の予感はしていたが、来たのはエキストラの依頼であった。
 最初は「仲間うちの家庭持ちを家族参加で」ということだったが「ついでに仲間うち20人ほど集めて下さい」ということになった。
 お安い御用であるが、日付が未定であるのでなかなか員数がまとまらない。
 苦肉の策で、お祭り騒ぎにしてしまうことにした。
 同じ阿呆なら踊らにゃ損である。
 こまめにロケ情報を発信してその気にさせてしまうつもりだったのだが、結局発信元が一番ヒートアップしてしまった。
 発信情報を今読み返して使えそうなものをここにUPしているのだが、身内ネタやローカルネタを除くのでかなり圧縮できそうである。

 ついでの依頼が山ちゃんに仲間うちで唯一セリフが付く別撮りを頼みたいとのことで、こちらも快諾願えた。
 台本もセリフも知らずにOKしてしまうあたりの信頼関係が心地よい。

 Q:エキストラの人選は庵野一任?
 A:手配は◯◯◯のマスターを通じて、大崎助監督が行ったと思います。
 Q:大崎助監督のキャスト起用は?
 A:初稿の脱稿直後だったと思います。

3月30日

 庵ちゃんが宇部に入った。
 店に顔を出したのは昼のことだったようで、すれ違いになった。
 ただの表敬訪問ではなく、お願い事もあったらしく、ついでに食事もしていった。
 が、庵ちゃんは偏食魔なのでナポリタンがただのケチャップスパゲティーになってしまう。
 マスターが味見をしたが「我ながらうまくない」のだそうだ。
 今後のことも考慮し、このスパは改良が行われることになった。

3月31日

 地鎮祭が行われた。
 何しろ廃ビルだから気休めでもやっておくにこしたことはない。
 もっとも地鎮祭に縁のないところでトラブルもあった。
 最初のエキストラは銀天街の続きの三炭町商店街の端にある「駄菓子屋のおばさん」の予定だったのだが、雨の日に自転車で捻挫してしまったのだ。
 雑貨屋は撮影に使わせてもらえることに変わりがなかったが、「おばさん」をどうするか・・・。
 我らが店のオカンが適役だろうということに急遽決まった。
 セリフ付きのこのシーンは4月1日初日を予定された。
 「そのまんまに割烹着でいいです。」
 そりゃそうだ、ギンギラギンに着飾られてはかなわない。

 「駄菓子屋」といっても庵ちゃんの記憶にあるン十年前のことで今は雑貨屋である。
 結局、キャストでは「雑貨屋のおばさん」になった。

4月1日

 エープリルフールである。
 が、ロケは大真面目で初日からおしてしまい、雑貨屋のシーンは延期になってしまった。
 鉄板スケジュールにならないのはいたしかたない。
 我々20人のシーンも16日か23日というだけでなかなか決まらない。

 夜に庵ちゃんが登場したが、初日前夜は眠れなかったそうだ。
 店でビール1本飲んだところで居眠りをはじめてしまった。
 それでも近所の銭湯の在りかを確認していた。
 宿にも風呂はあるだろうに、広い風呂がいいのだそうだ。
 現場に入ってしまえばこれが唯一の贅沢ということだろうか?
 驚いたことにこのロケ中、庵ちゃんは実家には帰っていない。
 自らを律するためか、単に面倒だったためか・・・。
 一応、スタッフ50人のヘッドである。
 まぁ、美術、照明、音声等の専門分野はそれぞれのチーフがいるのだが、中小企業の社長さん状態には変わりがない。

 大崎助監督さんや製作主任の傳野さんともお話ししたが、これが翌日思わぬ形で役に立った。

4月2日

 世間は日曜日である。
 オカンは親戚の披露宴に出かけ、店も休みである。
 この昼に大崎助監督からでマスターに連絡を取りたいと連絡があった。
 マスターの実家の連絡先までは庵ちゃんでも知らないのだ。
 急いで決めたのは「雑貨屋のシーンは明朝」ということであった。
 あちゃー、オカンは今日の披露宴でこざっぱりしちまったぞ。

 ロケの現場に入る気はないがやはり気になるので通勤ルートを変えて、朝夕は太陽家具の駐車場を確認することにした。
 現場には電源車、スカイマスター、マイクロバスが必要なので、ビル内部の撮影か外で撮っているのかは車の有無で判別が付く。
 しかしこのビルの外見では中で映画を撮っているとはとうてい思えない。
 失礼ながら、「廃ビル解体作業中です」といわれれば納得してしまいそうである。

4月3日

 店の昼番の京ちゃんはいつもの通勤ルートが三炭町の通行止で渋々遠まわりして出てきた。
 通行止の正体がオカンとは全く気が付かなかったようである。
 雑貨屋のシーンはあれでなかなか難産で、でっかい35ミリと庵ちゃんとの格闘になっていた。
 オカンはすっかり飽きてしまい、椅子に座って老眼鏡を掛けて新聞を読み始めてしまった。
 「あ、その画もいいですね。」と、ついよけいにカメラを回したりする。
 35ミリなら岩井監督の方が場数を踏んでいるので序盤は実に頼りになったらしい。
 で、仕上がった映画を見ると、オカンはほとんど声だけでうっすら姿が見える程度である。
 「わたしゃ、女優はようやらん」という結論になったようだ。

 この日の夕方、ロケの現場を見る気になったので、ロケ予定地を回って見たら「うのしま公園」で遭遇した。
 もう6時半で外の仕事は終わっていても不思議ではないのに投光器まで用意して頑張っている。
 なぜか周囲は犬のお散歩中の近所の皆さんが集まっていた。
 岩井監督にも藤谷さんにも面識がなかったので、見分けられるかと思ったらオーラの出方が違う人は分かりやすい。
 特に藤谷さんは別の意味で分かりやすい。
 ジャケット、スカート、ブーツ、傘まで赤のビニール系で、髪もツンツンしており、きわめつけは顔の白塗り・・・。
 そういう映画だったのか!
 今までのどんな説明より、イメージの把握には役立った。

4月8日

 一週間の間、ロケの皆さんは突っ走ってこの土曜日は休みだったようだ。
 ただし、前夜は午前3時あたりまで頑張ったらしい。
 休みとはいっても、スタッフの皆さんは朝から仕事があるらしく、一階フロアで作業をしていた。

 ロケに入ると庵ちゃんは滅多に店にも顔を出さない。
 たまに、昼食や深夜に現れたようだが私らのような「一般人」とはすれ違いになる。
 スタッフの食生活はさらに過酷で弁当が一週間続いていたりする。
 製作側ではご要望に応えコンロ、大鍋、おたまを取り揃えて汁物を出せるようにした。
 銀天街でも何か差し入れをせねば、という気運になってきた。

 映画の仮題が「サブライム・バースデイ」だと分かったのもようやくこの頃である。
 何しろ、「彼女の姉」の方言指導も店のRIEちゃんが担当することになったのと、編集の上野さんのホームページで紹介が始まったからである。
 該当部分の台本のコピーを見ても何がなんだか分からないのだが、ことさらに上野さんによると台本には結末部分が「以下未定」・・・。
 「自転車の男」も方言なのだが、こちらは一応東京で山口弁の指導者がいるが、これも後日一波乱ある。

4月12日

 太陽家具で穴を掘るバイトがあった。
 いや、地下室で防水工事があった。
 長らく使っていない廃ビルの屋上の手すりを直す仕事があった。
 廃線でヘルメットも付けずに工事をしている人がいた。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この頃になるといろいろな証言情報が出てくる。
 が、反面あちこちで誤解も生んでいたらしい。
 その点、おばちゃん方の情報網はすばらしく、製作の人が驚くほどロケ現場を把握していた。

 ようやく我々のエキストラの日付も23日に決まった。
 中学当時の同窓会と設定されており、午前10時集合。
 でも、夜のシーンとして撮られる。

 エキストラの依頼が回ったのは我々のところだけではない。
 鵜ノ島小学校や新川小学校にも案内が回っている。
 庵ちゃんが「んー、200名くらい欲しいですねぇ。」と言ったとか。
 最近の少子化で予定していた鵜ノ島小学校だけでは員数が足りなくなったらしい。

4月14日

 この夜、現場を通りかかると見慣れぬ銀ピカの車が止まっていた。
 給水車である。
 このビルにも水くらいは引いてあるはずなのだが、地下室にでも使うのかと思いながら後にした。
 真実はすぐ翌日に分かった。

4月15日

 夕べからの雨が小雨になり、店に昼食を食べに行く途中、銀天街の入口がやたら水びたしになっている。
 ここだけ集中豪雨になったのだろうか?と思っていると頭上に人の気配がした。
 見れば製作の傳野さんが雨具完全武装で立っている。
 「この雨はうちが降らせたんです。」とのこと。
 あー、給水車はこういう風に使うのか。
 

4月16日

 エキストラの暫定リストが出来たので届けに行く。
 だが、太陽家具は留守。
 例によって、ロケ予定地を回って見ると旧宇部港駅への廃線で見つけた。
 知らない人が見たら、ただトラックが止まっているだけである。
 藤谷さんの化粧はすでに白塗りではなかった。
 まさかこの後「喪服の男」のシーンがあろうとは予想せずさっさと退散。

 同じ週末に小学生240人を動員したシーン撮られたようだ。
 小学生の一群を見た庵ちゃんは、「こんなにいるんですか!」・・・。
 庵ちゃんがタコ殴りにされたのはいうまでもない。
 最終的にはこの員数を生かすために、岩井監督が演出を行ったようで、自然で納得の行く仕上りになった。
 だが、別のシーンではエキストラを1000人という案もあったらしい。
 「最高責任者は監督ですから」とはスタッフの弁。
 何かあったら庵ちゃんが水の冷たい宇部港に浮かぶということだろうか?

 この日は昨日とはうって変わって天気が良く、厚東川の新橋でいい夕景が撮れたようである。
 たまには庵ちゃんも日に焼けて良いのではないかと思っていたのだが・・・。
 

4月17日

 前夜というより17日早朝まで撮影は行われていたらしい。
 で、この日は休みである。
 しかも、前日の屋外ロケのせいか、庵ちゃんは風邪を引いてしまった。

 このちょっと前にサンプルの音取りがあった。
 なんでも「ザワザワ」音が欲しかったそうで、店でサンプリングした。
 あいにく、後で録音を再生すると、スエのハイテンションな声しか聞こえなかったのだそうだ。
 が、この宇部弁に感じ入った大崎助監督はスエ御指名で方言指導を依頼してきた。
 どうせやるなら、完璧な宇部弁を「自転車の男」にしゃべらせたいという意図である。
 台本を読んだスエは慌てて大崎助監督を呼び出した。
 夕方から宴会だった大崎助監督を引っ張り出したのには、宇部弁のバリエーションに理由があった。
 標準語の「なんだよ!」はシーンによって「なんや」にも「なんかいや」にも「なんかっちゃ」にもなりうる。
 そのために、シーン説明が必要になるのである。
 単語も宇部弁の語彙に直したのだが、どうもズレる。
 「自転車の男って何歳です?」
 「22〜23才って設定です。」
 スエよりの十ン才も若いのではこの補正も必要になる。
 「どういうストーリーのどの部分なんですか?」
 「んー、難解なんです、三重構造になってるし・・・。」
 助監督がわからないはずがないとお思いだろうが、現場ではパーツとしてのシーンしか目にすることはなく、完成した画は庵ちゃんの頭の中にしかないのである。
 しかも、クライマックスは白紙で向かうことになる・・・。

 一通り、打合せを終えて帰る頃に、スエは俄然やる気を出した。
 主演が藤谷さんと聞いたからである。
 「ガメラ娘のためにやる!」
 せっかくの決意であるので藤谷さんが今回どういう役なのかは詳しく説明しないままにした。

 この後、店には岩井監督と藤谷さんが来たのだが、ちょっと面白い光景だったそうだ。
 藤谷さんは宇部弁教習用のビデオでRIEちゃんを知っているのだが、RIEちゃんは藤谷さんを知らなかったのである。
 世間一般と逆パターンの初対面だった。

 皆さんはスナック「友」で酒盛りだったようで、この日に宇部入りの大竹しのぶさんもいっしょだったそうだ。
 相手が友のマスターなもんで「しのぶちゃん、お久しぶりー」。
 こちらは友マスがテレビで一方的に知っていただけ。

4月19日

 庵ちゃんの食生活は一般人からみれば悲惨である。
 ロケ弁当ではほとんど手をつけられるものはないだろう。
 スナック菓子だけで食いつないでいる状況が想像できる。
 製作側としては「監督にもしものことがあったら・・・」と精神衛生上悪かったのではないだろうか?
 気が向くとオカンが稲荷ずしや茹で卵を差し入れていたが、この日は店にオーダーがきた。
 「ピラフ」である。
 マスターも意地で「ピラフ」マイナス「肉類」マイナス「魚介類」マイナス「葱類」なる方程式にのっとって一品仕上げた。
 なんのことはないただの大盛焼き飯である。
 マスターは一言、「こんなもんじゃ、金が取れん」

 この日、地下室を水びたしにした撮影があったらしい。
 「らしい」というのは、電源車をつなぎっぱなしで事務所に明かりも灯さず何かを撮影していたからである。
 この地下室の撮影は結構厳しい仕事だったようだ。
 寒い、冷たい撮影でスクリーンの上でさえ他のシーンとは異なる空気が伝わってくる。
 藤谷さんもバスタブの中で痺れて動けなくほど寒く、気合いの演技だったようだ。
 この上「カントク」に水をぶっかけるのは危険なので、湯気が立たない気休め程度のぬるま湯だったそうだ。

4月20日

 昨日、方言指導に関しては一つの決断が下った。
 「全てをスエに任せる」
 スエはガメラのLDを手に意気揚々と現場に向かったが、方言指導自体はそんな甘いものじゃない。
 銀天街事務所の会議室で村上さんはスエにマンツーマンの方言指導を受けた。
 撮影は21日であるから、直前集中講座である。
 重要なのは文字にできる宇部弁ではなく、イントネーションの方なので指導を受ける村上さんの力量にかかってくる。
 

4月21日

 山ちゃんのシーンは一発OKだった。
 本人はあれこれ考え悩んだようなのだが、カントクのイメージと一致すればOKなのである。
 イメージとズレた点があったとすれば、山ちゃんがかみさんの命令で床屋に行った上に、髪をきっちり白髪染めしていた点であろうか・・・。

 同じシーンで「自転車の男」が登場する。
 「おい、待てっちゃ!」と、大声が響き渡ればそりゃ人垣もできる。
 でも、ここの台詞は序の口だったのだ。

 日がとっぷりと暮れる頃、廃ビルの裏手にある廃屋の内部から煌々と灯る明かりが漏れていた。
 この廃屋に作り込まれた部屋の中でのシーンは大変な労作である。
 リアリティーという点では「式日」でピカ一だと思う。

4月23日

 我々のエキストラの当日が来てしまった。
 午前9時からぼちぼち集まったが、スエは熟睡していて遅刻。
 同窓会シーンのスタートも前の現場が遅れてスケジュールがスライドしてしまった。
 もっともおかげで予定員数が全て集合できた。

 岩井「カントク」の席と対面の山ちゃんの席だけ決めると後はワラワラと適当に座り、「前説」が始まる。
 流れはこうなる。

 中学当時の仲間内の同窓会が開かれ、「カントク」も招かれる。
 当日夜、同窓会は「カントク」が遅れるとのことでさっさと始められる。
 盛り上がっている同窓会の様子は「カントク」がちょっと前に忘れていったデジカムで山ちゃんが撮っている。
 30分ほど遅れて「カントク」が姿を見せる。
 皆は歓声で招き入れ、席に案内する。
 山ちゃんが「これ忘れていったろう」とカメラを回したまま「カントク」に返す。
 そのまま、宴会が進行する。

 全シーンをDV-CAMで撮ったので35mmのプレッシャーもなくいつもの宴会をロケットスタートでやっただけである。
 岩井監督が退場後、「カントク」視線で庵ちゃんが追加撮りして「ハイご苦労様でした。」
 正味1時間である。
 その1時間で飲むだけ飲んで食うだけ食ってしまった。
 ちなみに酒類は本物だった。
 この後、店に帰って宴会の続きになったのはいうまでもない。

 エキストラが打ち上げをやっている頃、もちろんロケのほうは操車場や太陽家具で続いていたのである。

4月24日

 人の宴会を見てあほらしくなった訳ではあるまいが、お休みだったようだ。
 休みでも打合せだけはあったらしく、昼食に藤谷さんと庵ちゃんが店に現れた。
 藤谷さんはオムライスで庵ちゃんはスパゲティだった。
 このスパは具なしナポリタンの改良版でカルボナーラとのキメラに昇格した。
 でも、見掛けは貧乏ナポリタンである。

4月25日

 夕方からもうロケ事務所はお休みだった。
 あー、もう終盤で余裕なのだな、と思ったら他の場所で夜勤だったようである。
 なんと、宇部で現像が終わったフィルムを見ているのだそうだ。
 35mmを投影できるような都合の良い場所があるのか?
 閉鎖した映画館を銀天街からお願いして開けてもらったのだ。
 現在はもう取り壊されているので、ピンポイントのような強運である。
 その分、休む暇もなくなりお気の毒ともいえる。

4月26日

 この日、現場でマスコミ向けの発表があった。
 とはいえ、まだこの時はほとんど情報を流していない。
 日本テレビから取材の指示があったローカルのKRYは非常に困った様子だった。

 銀天街から慰労の意をこめて炊き出しをやったのもこの日である。
 豚汁と刺し身の大皿5鉢である。
 この大皿を東京で取ったら大変なことになるのだろうが、そこは地元の魚宗さんの心意気である。
 あいにくこのご馳走に全く手が出ない人物が一人いた。
 普通、監督といったら現場で一番偉いものなのだが・・・。 

4月27日

 ネタに困ったKRYは銀天街に紹介されて店を取材することにした。
 哀れなほど気の毒なのだが、取材の背中には休憩グロッキー中の岩井監督、藤谷さん、村上さんがいたのである。
 制作担当がいないのでもちろん取材はできない。
 ちなみにこのときに取材を受けたのはスエであるが、あくまで「標準語」で受け答えしていた。
 そして、この日は「お姉ちゃん」と「自転車の男」の対峙があったので、スエとRIEちゃんで方言指導と大変な日になった。

 夜、お気の毒なKRYに高校時代の資料を貸す相談に庵ちゃんを訪ねたら、今日は夜も屋外ロケとのこと。
 のぞきに行くと操車場に巨大な白い風船を浮かべて何かやっている。
 何か抽象的なシーンでも撮っているのかと思ったら、レフ用のバルーンだった。

4月29日

 銀天街の人が「何か差し入れようか?」と訊くと「納豆!」とのリクエスト。
 流石、皆さん関東人。

 今日でロケは終了。
 方言指導もRIEちゃんの出番でおしまいである。
 が、これがなかなか・・・。
 祝日なのに現場の近くで堤防工事があり、騒音でなかなかセッティングができないし、 藤谷さんは土壇場まで宇部弁と格闘している。
 さすがの岩井監督もテンションを持て余して、ロケバスの中でRIEちゃんは非常に居心地が悪い。
 実のところ撮影の現場に張りついたのは今回のRIEちゃんが最初で最後だったのだが、見掛けより厳しい仕事だと思い知らされることになった。

 結局、工事の現場にお願いして時間をもらい、「お姉ちゃん」は背中から撮ってアフレコ覚悟で臨んだ。
 幸い、仕上りは藤谷さんの意地でアフレコなしのOK。
 RIEちゃんの指導もめでたく終了。

 後はお寿司でもとって打ち上げかと思いきや、深夜まで太陽家具での撮影は行われていたらしい。

5月2日

 30日以後撤収準備が終わったスタッフから宇部を離れていった。
 最後まで現場で面倒を見ていたのは製作主任の傅野さんで、ゴミ10トンの後片づけをしていたそうだ。
 ゴミでもファンからすればお宝かもしれないが、映画人としては「作品はスクリーンのうえで語るべきもの」というスタンスであるから、使用済みのセットや小物ですらゴミに違いはない。
 もちろん新品の類いはもったいないのでご近所に配ったようであった。
 店のオカンに岩井監督から寄贈された予備の台本を見せてもらったが・・・やっぱりエンディングは書いてない。
 まっ、これで、ロケの皆さんは全員撤収したことになる。

 その一方で、この日が編集の初日で、庵ちゃん編集の上野さんの素材との格闘が始まった。

 ところが、これで終わりではなかった。

6月1日

 南里プロデューサーからマスターに電話があり、「スタッフロール用にフリガナが入った名簿が欲しい」とのこと。
 一生に一度のことだろうが、映画に自分の名前が流れるのはちょっと照れる。

6月8日

 銀天街にアナウンスが繰り返し流れた。
 内容は他愛もないことなのだが、立て続けに流れたのはなぜか?
 これも南里プロデューサーのリクエストで、背景音として欲しいとのこと。

6月14日

 この日も再びアナウンスがあった。
 アナウンスの内容に特定の文言を織り込んでほしいとの南里プロディーサーからの依頼である。
 庵ちゃんからの伝言ゲームで南里プロデューサーもご苦労なことである。
 場内放送程度は効果さんですぐ作れそうなものだが、虚構を支えるリアリティーに対するこだわりが垣間見える。

6月22日

 作品タイトルが『式日』(SHIKI-JITSU)になったことがわかる。
 また、宇部での試写会は8月20日に決定した。

8月13日

 ローカルな話題で恐縮だが、庵ちゃんのインタビュー記事が載った宇部高校同窓会かたばみ会総会記念誌が配布された。
 もちろん『式日』にも触れているが、取材は完成前なので詳しい記事ではない。

 こうして、7月7日に作品完成の知らせを聞き、8月20日に試写会を迎えることができた。
 『式日』は制作の様子を外から眺めてきた私にとっても、驚くほどの仕上りになっている。
 この試写会で『式日』にはまった人物が出てきても何ら不思議ではない。
 現在、『式日』公式ホームページを作成・管理している方が宇部在住なのはこういう経緯による。

10月9日

 驚天動地なことに「庵野秀明公式ホームページ」が立ち上がってしまった。
 『式日』プロモーションの一環としてのスタートだと思うが、本人の性格を反映して真っ向から真面目なHPである。

11月5日

 『式日』を出品した東京国際映画祭が閉幕。
 優秀芸術貢献賞を受賞。
 南里プロデューサーでもどういう性格の賞なのか分からないそうだが、式典の解説によると林田さんによる美術が評価されたのでは、とのこと。

11月6日

 『式日』公式ホームページで南里プロデューサー直答BBSがスタート。
 キーワード付きBBSなので自由な書込みができるわけではないが、際どいところまで率直に回答がいただける面白いBBSである。
 11月23日に公開準備で多忙になるため、いったん閉鎖され一般BBSとして再スタートした。

 このBBSで募集したアイディアをもとに12月6日に公開前夜祭「明日はみんなの誕生日」があり、12月7日から『式日』の一般公開が東京都写真美術館で始まった。
 美術館を舞台にした3ヶ月のロングランとそれに続き都市興行が行われる。

 

2001年9月19日

 『式日』は北日本を中心に上映されてきたが徐々に南下し9月には広島で上映された。
 この映画館の支配人はなんと編集の上野さんと懇意だとか。
 世の中は狭いものです。
 この日、飛び込んできたニュースは「『式日』が宇部で上映される。」というものだった。
 驚くべきは、この上映を掛け合って決定にまでこぎつけたのはまだ若い一個人だというのだ。
 それも「宇部では試写会があったから・・・」と尻込みするのを説得してしまったのだ。
 たいしたものである。

9月28日

 上映が11月10日から23日までの2週間と決まった。

10月18日

 某より「何かやってみない?」と打診があり18日をターゲットにファンサービスの作案に入った。
 庵ちゃんにお願いして東京で使ったパネルとロケ地のマップを用意することになる。
 某喫茶でこの展示をやり、別にもうひとつイベントを組むことにした。

11月2日

 一斉に『式日』ロケ地巡礼の告知を流す。
 実は年が明けると太陽家具旧本社うは取り壊されるのでファンの方々には映画とリンクして確認できる最後の機会になりそうだからだ。
 期日は11月18日の上映中日。
 現地でのみ披露できる細かい情報を案内できるのは・・・ガイドは私が引き受ける羽目になる
 出演したエキストラはあらかたうちのメンバーなので連絡が楽で助かる。

 速攻で巡礼参加申し込みがあったのがうれしかった。

11月8日

 パネル一式が到着。
 なんとロケ写真集まで貸していただけた。
 これで上映期間に合わせてパネル展示ができる。

11月9日

 庵ちゃんと藤谷さんが宇部到着。
 庵ちゃんは試写会挨拶、初日挨拶、取材と多忙な3日間となる。
 店でのミニ展示は「ここでやっていいのか?」というほどの豪華さ。
 ロケマップはワンカットのものまで網羅した庵ちゃん手仕事の1点ものである。

11月18日

 とうとう巡礼当日。
 員数が多くては大変なのでネットの海の小島に掲げた申し込みページに20人もの人が応募してくださった。
 旧友(本人もガイドの一人)と自転車の男の登場場面>自転車の男が彼女を追い詰めた空き地>中央大和>銀天ホール跡地>操車場跡>「姉=彼女」が自転車の男との対峙に敗れ早足で通った路地>雨の日にカントクが彼女を見上げたアーケード>太陽家具の非常階段>自転車の男の自室が作り込まれた寮跡>タバコを置いてなかった雑貨屋・・・と見て廻り、銀天街のご厚意でアーケードの天井を開けるデモンストレーションを行った。
 その後、店の展示をじっくり見てもらい○×△や■◎※なんかもやった。(さすがに書く度胸がない。)
 ご堪能いただけたかどうか。

11月23日

 宇部での上映楽日である。
 後に聞いた話だと、この楽日のレイトショーは『式日』のひとり勝ちだったとか。
 まずはめでたい。
 展示も終了し、見に展示の跡をとどめるのはオリジナルのロケ地マップのみになった。
 記念にしばらく店にかけておくことになった。

 


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