電脳ジャンキー群像
いってしまった人達
創ちゃんの場合(その1) / マスターの場合(その1) / 濱ちゃの場合 / 伸さんの場合(その1) / チューソンの場合 / シャーの場合(その1) / マックな人々 / Celeron狂騒曲 / G400ショック / トホホな年末行事 / デジカメ / B5ノートの誘惑 / キーボードなるデバイス / メール / 降車する? /庵ちゃんの場合 / PC不況 / デジカメ履歴
あれは1996年の春、仲間内でぞろぞろと博多に遊びにいった時のことだった。目的は「計画的衝動買い」。
創ちゃんは元々、文系である。が、恵まれた周辺環境(電脳廃人の方々)に支えられ、パソコンを始める気になったのである。
たいした向上心であるし、「聴覚障害者のボランティアを行っていくのに今後は不可欠な技術である」との明確な目的もあった。
今から思えば、魔界の入口で遊んでいたら、後ろからひと押しされたようなものである。
さて、買い物の「衝動」を高めるため、一通り街中をさまようと、本命の店にたどり着いた。
そしてそこには、ほぼ希望通りのものがあったのである
それはIBM TP755CDVで形体はノート、CPUはペンティアム、画面はTFT、1.2GBのハードディスク、CD-ROMドライブ付、値段は35万円。
これを創ちゃんのアパートで皆の立ち会いのもと、作動試験を行ったのであるが・・・・・。
蓋を開けたときにまず、「これは大和製じゃないな」と感じていた。
梱包品を並べていくと、妙なケーブルやケースがわらわらとでてきた。
一部は「MWAVEだからモデム関連だ」と分かったが、ビデオケーブルまで出てきた。
「このファンボックスは???」
この時居合わせた濱ちゃとシャーは気がついた。
「これはツチノコマシーンだ!!」
実はCDVはプレゼンテーション用のエグゼクティブマシーンで、当時まだめずらしかったビデオ出力どころかビデオキャプチャ−まで持っていたのだ。
騒いだのには実は他の理由があったのだ
シャーは恐る恐るTFTの背面パネルに手をかけると、このパネルを外してしまった。
実に、TFTが素通しになりOHPの役目をはたすのである。
人のノートに興奮する二人を創ちゃんは呆然と見ていた。
結局、事態の正確な把握ができたのはその定価を知ってからである。
かくて創ちゃんは110万円のノートを持つ初心者になったのである。
1997年初夏、創ちゃんはパソコンユーザーの運命とも言える、悲しい目にあった。
同じく仲間内のベーが15万5千円でノートパソコンを手にした。
同じ、CDVであった。
「一年で半額かよー」
いいじゃないか、一年も最前線で使えたのだから。
今では業務、ボランティア、インターネットと電脳三昧な創ちゃんはこう呟いている。
「MMX233のノートが出たんだって」
その件については今度、親御さんを交えてゆっくり話そう。
マスターは電算機の専門家である、ある意味では。
もはや、「ある意味では」と言わざるをえない理由とは、1980年代の始めには最前線を離れてたからである。
当時は電算機も今からでは想像ができないもので、経理計算言語はCOBOL(85ではない)、BASICの学習はPET、数理計算だけは相変わらずのFORTRAN(90ではない。77である。)。
C言語はまだ現れず、OSはキャラクタのばかりである。
マウスもなければWindowsもない、APPLEの登場当時である。
だいたい、電算機とは冷房完備の部屋に鎮座する、大型計算機のことだった。
これからはコンピュータの時代だ、と言われ、実際就職しようとすれば引く手数多だったのに、家業を継いでしまった。
それでも、NECの機械やEPSONの互換機で経理計算なんかはこなしていた。状況が変わったのはやはりWindowsである。
色々なことを言われながらもWindowsはマスターの店に侵入してきた。
正確にはDOS/V機の侵食といえるだろうか。
コンピュータ関連の話題のうちはまだよかった。
ラップトップは重くて持ち歩けなかった。
ノートが登場して、店にコンピュータが持ち込まれるようになった。
どうかすると3台もノートが広げられ、事例研究、打合せ、PC相談室が始まるのである。
はじめは成り行きに興味があったマスターにしろ、これは行き過ぎである。
週末電算謝絶令が発令されるまでになった。
98互換機止まりのマスターは勉強し直すにしろ、暇と金がない。
あっという間に、電脳発展途上人の地位にまで落下してしまった。
電算の知識があるのに、である。
ちょうど、パソコン創世期に電気・計装屋にパソコンのことを尋ねて恥をかかせたようなものである。そして、マスターはお古のDOS/V機をスイケン(某国家用務員)に払い下げてもらった。
初心者の場合、パソコンに「魔法の箱」に近い思い入れがあるので、メディアコンプレックスが可能な高性能機を薦めるのだが、マスターには再習得用として機械で十分である。
ところがスイケンが2年間使ったAPTIVAを1週間で壊してしまった。
BIOSレベルの破壊だからどうしようもない。
BIOSが消えているのなら最低でメーカー送りになる。
が、故障の実況検分をしたのはゴマ(某県職員)で、LPXのジャンクボードでまがりなりにも復旧したのはシャー(機械屋)である。
「おそらく、静電気だね」と、こともなく決め付けられて、マスターは乾燥したマンションとセーターに思い当たった。結局マスターは電脳魔界の入口で苦悩したままである。
いいじゃないか、こっちにおいでよ、楽しいよ。
マスターには素地があるから、立派な電脳廃人になれるって。
濱ちゃはコンピューターに囲まれて暮らしている。
古くは大型コンピューターの上位のアカウントでFORTRANの数理計算をバンバンやっていた。
BASICはとうの昔にドブに捨て、C言語を始め、逸早くDOS/Vに手を染め、Windowsをみんなに紹介した。
日頃は研究室にいていろんなモノ(機械とか論文とか学生とか教務とか)と戦っているらしい。
貧乏神には連戦連敗らしい。
論文といえばTEXである。
TEXと言えばUNIXであるから手頃なDOS/V機はLINIXに置き換えられた。
思えばこの頃から大変なことになっていったのであろう。
実験結果を演算させる、論文を書く、インターネットに行くという仕事は全てLINIXで間に合ってしまうことに気がついたものだから、濱ちゃの触る機械は片端からLINIXになっていった。
ビル・ゲイツの悪口を言う暇があったら、さっさと第三のOSに乗り換えてしまう行動力には恐れ入る。
触るのは1台だけじゃないか、と尋ねると「他の機械はずっと計算させている。」とのこと。
どんな計算をさせてるのやら。
PENTIUM PROが導入されるとWindowsを立上げることもなく初期化してしまった。
この機械で数値計算をさせているらしいが、「遅い」とおっしゃる。そして、DOS/V機は増殖する性質がある。
LINIXともなれば、なおさらである。
電源が壊れてコンセントから外せなくなったノートだとかジャンクと化したボードが自然に堆積し、気がつくとLINIXが走っていたりする。
気がつくと濱ちゃの管理下のパソコンは10台にまでなっていた。
そしてさらにLINIXにできる型番落ちの安いサブノートを探している。
「LINIXは軽いからいいのです。」と言われても、記録者はUNIXを知らないので論評はできないが、WINDOWSの世界から見ると燃えないごみでもLINIXの世界では現役だということになる。
当然、世の中掘り出し物ばかりで増えてしまったらしい。
自作に近いものだから、ハードにはめちゃくちゃ強い。そんな彼が困っていた。
「MS-WORDを使わねばならぬ。」
悩む必要はないのだろうが、X-Windowsは別にしてWindowsを生理的に受付けなくなっているのだろうか?
「WINDOWS95はそんなに詳しくない。」
冗談みたいな話であるが、そこいらのインストラクターよりマシである。
「NTにするか。」
その程度の悩みである。
電脳廃人というよりは電脳超人に分類するべきかもしれない、電磁波を10台分浴びて磁気化しているかもしれないから。
「放射線も扱ってます。」
ウ〜ム、いっそ電脳ゴジラか。
伸さんの場合(その1)
伸さんはマッキントッシュを愛用している。
合理主義のDOS/V、理想主義のマッキントッシュと言えば分かりやすいが、何事に付け一家言のある方である。
同じニュースソースでもAT機側とMac側ではずいぶんみ方見方が違うものだと感じさせるサンプルでもある。
先日のマイクロソフトのアップル社への資本参加でもAT機陣営は「マッキントッシュの終焉である」と見ていたのだが伸さんは「これでアップルは安泰である。」との解釈にいたった。
論拠は「アメリカの独占禁止法は厳しい。マイクロソフトは独占禁止法を逃れるためにアップルを支援せざるをえない。」という至極もっともな意見である。
マイクロソフトの事情とユーザーの事情は随分異なっているのだが・・・・・。
傾く船の逃げ先は、当面マイクロソフトであろうし、マイクロソフトに腹を立てた人間の行き先は、当面UNIXではあるまいか。エプソンがカラープリンターの世界に衝撃を与えていた頃、伸さんはじっと世の趨勢を見ていた。
世の趨勢を見極めて買った機械がアルプスのマイクロドライである。
8ピクセルで1色表現するより1ピクセルで1色表現する方がきれいなのは当り前だと言う判断である。
慎重だが十人並みはイヤ、という姿勢がここにも見えている。
横縞が出ることには目をつぶる事にしたらしい。
Power Bookが欲しい、聞いて久しいがPower PCの出荷停止までに購入する決意が固まればいいのだが。ともあれこだわりの品々に身を包み、いつもダンディな姿は、DOS/V機の面々がボロボロの格好をしているのとは一線を画する。
マックユーザーたるものはかくあらねばならない、といわれたら私は即座にマックユーザーになることを放棄するであろう。当面私がマックユーザーになったら即座に困るのは、「トラブルを誰に相談すべきか?」という問題である。
伸さんはそこがすごい。
医者に行く。
別にパソコンのJAFではない。
何でも、お医者先生達はマックが好きなのだそうで、そういう人達と情報交換するのだそうだ。
やはり、貧乏人同士の付き合いとは幅が違うと言わざるをえない。このままでは伸さんは永遠にマックユーザーであろう。
よくて、AT機も持つマックユーザーであろう。
どなたかにマックユーザーをAT機に転ばせるすべを教えて頂きたいものである。
あの資本力がAT機に注がれたら、周辺に群がる廃人達は、おこぼれだけでも結構幸せになれるのだが。
チューソンは電算、アルゴリズムの知識はあっても、電脳廃人とは言いがたい。
車のEFIのROMなんかを焼いていたのだから、プロだと言ってい差し障りない。
輸出車のROMは各国の法規に照らしあわせて書き換えていることを教えてくれたのも彼である。
その彼が転職した先は、なんと公務員である。
いや、公務員というのは結構いると思うが、天体観測所職員というのはそんなにいないのではあるまいか。現在、gooで検索をかけると60件近いインターネットのホームページで彼の名前を見つけることができる。
これらのページを見ると、天文家としての実力を伺い知ることができる。
彗星の発見こそないが、小惑星を十個近く発見しているし、相棒と超新星も発見している。
天体観測館での仕事が終わる深夜からが彼の研究の時間だが、町の器材で趣味の観測を行い、研究の結果が町の宣伝になっている。で、彼は現在コンピュータに縁がないかと言うと、そうはいかない。
プラネタリウムも望遠鏡もコンピュータなしでは動かないし、世界規模の即時性が要求される天文の世界ではインターネットは不可欠である。
発見の一報も確認観測の依頼もメールで飛び込んでくる時代なのだ。
道具としてコンピュータとして捉えた場合、彼は王道に近い。
ただ、清貧な生活が完璧を許さないだけだとおもう。その彼も、97年にめでたく結婚した。
奥さんは正統派アウトドアらしいが、チューソンは夜間活動するアウトドアである。
接点がありそうで、なさそうなものだが、この正月にでも尋ねてみたい。
シャーは電算暦が長い。
1978年まで遡るが、最初の機械はシャープのポケットコンピュータである。
以後、5台もシャープのポケコンを乗り継いでいる。
なぜポケコンか?金が無かったからである。
普通のコンピュータが30万円近くした時代にポケコンは6万円程度だった。
普段は「数式通りに入力ができる電卓」として使っているというが、打ち間違いがあまりに多いから「数式の修正が効く電卓」といい直した方が良い。
「設計で幾何的な寸法を出すのには、収束計算が必須である。従って、プログラム電卓が必要だ。」と言うが、彼の電卓のプログラムエリアにはいつもゲームがある。では、パソコンは持ってないかというと、実は持っていた。
PC-8000MkUをPC-8800MkUSRに乗り換えた。
いずれも、亡んだモデルである。
無理をしてもフラッグシップマシーンを買え、という法則が解っていない。
以後懲りて、NECの機械は買っていない。
NECの黄金時代の到来と共にNECをやめた変な奴であるが、DOSの到来に混乱をきたしたと言うべきであろう。
仕事では泣こうが喚こうがNECが迫ってくるのは彼も同じであった。
渋々、MZ-80B用に書いたプログラムをN88-BASICに書き換えていた。再びマシンを買ったのはWindows3.1登場後である。
安いと言って30万円でPS/V Visionを買ってきたが、まもなくコンピュータ会社に持ち込んでしまった。
彼の子供がキーボードを乱暴に叩くのに気付いて恐怖したのだ。
小さい子が、あんな面白そうなものに手出しをしないはずがない。
本人がのめり込めばのめり込むほど、子供は必要に攻撃をしかけるのは判りきっている。
あっさり彼は白旗を揚げた訳だ。結局、彼は図らずも会社にDOS/V機を持ち込んだ最初の人間になった。
が、時流は彼に味方し、気が付けば会社の備品で武装しているのだ。
サブノートにデジカメという1995年当時、最新の装備を創ちゃんに見せびらかした彼は、今でも同じものを持ち歩いている。
「不自由してないから」とはいうが、実際は会社の備品があだとなって、償却が終わるまで後2年も面倒を見ないといけないらしい。
その間、個人持ちであるVisionは改造の末、PENTIUM-MMX200、HDD6.4GB、EDO96MBなどという、あきれるスペックになってしまっている。
オリジナルと比較すると10倍近く高速になってるはずだ。
「改造する金が無い。」
まだ何か不足があるのか。
「ゲームがさくさく走らん。」
個人持ちとはいえ、会社においてある機械のはずだが。
よく見渡せば、マックを持っている人間は少なくない。
伸さん、しんや、ヤス、パリサイと4人はいる。
伸さんは前述のとおりだが、他の3人も事情は様々である。
しんやはデザイナーである。
商業デザインの世界でパソコンといえばマックであるのは常識である。
ヤスは元々石屋さん(集積回路製造)である。
工程管理の仕事をやっていたその昔、まともなパソコンといえばマックぐらいしか思い当たらなかった。
だが現在では値段に釣られ、DOS/Vに食指が動いている。さて、パリサイは獣医学部の卒業である。
卒業後、光学屋に勤めるほどのアマチュア天文家だった。
もっとも、会社でやっていたのは結晶構造がどうだ、電子のスピンがどうだという研究屋さんである。
ところがひょんな事で猫を拾い、責任をもって飼うために獣医に転職してしまった。
ほんの去年(1997年)のことである。
35才にして獣医に勤め、獣医師の免許を取ったというから、驚異的な人物である。
その彼はマック過激派である。
曰く、医者がいるかぎり、マックはなくならない、医者向けのソフトは、マック専用が多い。
実際その通りだから、マックがなくなるとは思えない。
だが、各研究室では事情が変わりつつある。
もはや、コンピューターをつなぐのは常識となっているが、システム管理者はマックを目の敵にしているのである。
LAN上ではUNIXは寡黙なのに、マックは騒がしいのだそうだ。
トラフィックに頭を悩ませる管理者は、マックを槍玉に挙げるのが常である。
こうして、学生はマックから切り離され、マックの新規ユーザーは減少することになる。それでも、医師がいる限りマックがなるなることはないだろう。
もっとも、最終的にはテルモ辺りの医療機器扱いになり、ものすごい高額商品になるかもしれないが・・・。*上の記述は1998年当時のものでその後ジョブスが「i」騒動を巻き起こす前のものである。
iMac、G4、iBookと飛ばしつづけるAppleは「個電」として成功していることに気がつく。
e-Mail登場以降、個人のデータ共有なんてメールで足りてしまうことを証明したようなものである。
個電の問題点はワープロ専用機同様に買い替え需要が起きにくいことで、ジョブスはこの問題点が明らかになるなる前にiCEOを退任するのではあるまいか?
PCというのは目的とバランスが大切である。
1997年頃は「インターネット目的であればCPUの速度を問うな」と言っていたのがその一例だ。
最高の総合性能を要求されるのはゲーム用途で、オンライン型PCゲームの最新タイトルを追いかけはじめると大変である。
PCを自作した場合、金食い虫はCRTとCPUだった。
CRTは使いまわしがきくがCPUはそうはいかない。
AMDの互換CPUであるK6シリーズはまさにそのCPUに着目した戦略である。
このAMDの好き放題をintelが黙って見ているはずがない。
K6に対して放たれた刺客がCeleronである。CeleronとはどういうCPUか?
実はPentiumIIと同じコアなのである。
PentiumII450の生産ラインでは一枚のシリコンウェハスから何個のPentiumII450が取れるかは重要な問題である。
検査で落ちたチップを捨てるのは忍びないので、下のグレードで出荷することになる。
これがCeleronである。
したがって、本来Celeronは450MHzで動く可能性がある。
さらにK6キラーとしての立場から供給量も多くせざるを得ず、本来PemtiumIIとして出荷されるべきチップまでもCeleronとして出荷された、という噂付きである。具体的には対応マザーボードとCeleron300Aで武装することになる。
マザーボードではABITのBH6が一躍有名になってしまった。
これは変則的なマザーボードなのだが、BIOSからCPUの電圧やFSBが変えられる点やクロックアップ耐性が高いなどの評価が売れ行きを伸ばした。
もっとも日本だけで爆発的に売れているという噂もある。
また、この成功を横目に見た他のメーカーも追撃を開始している。
Celeron300Aは二次キャッシュ付きの66MHz×4.5=300MHzという代物だ。
Celeronは倍率は変えられないので66MHzを100MHzに変えて450MHz駆動を目指す。
当然メモリーにも100MHzが流れるのでPC100のメモリーを使うところを従来の製品の耐性に期待して使う。ベース機はP5−200MMXでHDBENCHは
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive 12599 11653 12383 31082 9125 21439 105 23 8896 6109 11907 C:10MB これを450MHzに改造して
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive 16216 36569 29027 24801 4589 21834 111 28 6623 6175 23704 C:10MB ビデオカードが違うため、数字がそろわないが、浮遊小数点と整数演算に着目してほしい。
クロック以上の成果となっている。続いて次のHDBENCHを比較してほしい。
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive 5429 11658 12178 6135 1117 6010 67 2 3468 2801 11643 C:10MB これは同じP5−200MMXでもノートのものである。
ビデオが遅いため体感的に「ノートは遅い」と感じる元になっている。
したがって、先程のALL=16216はビデオを最新型に変えて次のようにできる。
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive 21963 36536 28995 44559 23012 29810 425 29 6182 6186 23664 C:10MB これが最新のゲームに求められている環境である。
一方、IDEのHDDも安くなっていきおり、7200rpmのものも入手しやすい。
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive 23040 36558 29006 44553 22786 29815 425 29 10534 10643 23669 C:10MB ALLはほとんどベース機の倍になる。
この数値も2000年には入門機程度のスペックになるはずである。
現状ではあり余るスペックでもマイクロソフトなどが食いつぶしていくからである。今のスペックでDOSのソフトを動かしたら・・・、と考えているのは記録者だけではないはずである。
*この項は99年のものである。
この後、あっという間にCeleronも500MHzを超え、PentiumIIIにいたっては800MHzに達し、20世紀末には1GHzを超えるCPUが登場してしまった。
WINDOWS3.1の時代からパソコンに親しんでいる人にとってMatroxのMilleniumには特別な感慨があるのではあるまいか。
業務用ビデオカードのメーカーであるMatroxはMilleniumでいきなりビックネームになった。
今では考えられないことだが、このカードは3Dカード登場までの数年にわたってデフェクトスタンダードを保ちつづけた。
以後、3Dの立ち後れで他のメーカーに埋没する結果となったが、この1999年に登場したG400は再びMatroxの実力を見せつけるものになっている。
ビデオカードの勢力はVooDoo3とTNT2が市場を握ったようにみえたのだが、いきなりこれをひっくり返してしまったのだ。
それも販売価格は16MのSGRAMのバルク品が初値で18,000円しないのである。さらにはIDEのHDDも新しい局面を迎えている。
QuantumやIBMはDMA33をこえるスピードのHDDを出荷している。
ひと頃は「DMA33」=「早い」という図式だったのに、実はこの転送速度を生かしたきったHDDはなかった。
ところが最近のものはDMA33の転送速度をようやく越え、DMA66が現実味を帯びてきたのだ。
それも、いきなり早くなったので情報が二ヶ月遅れになる月刊誌などではかなり間の抜けたトピックスになってしまった。
IBMのDJNA-371350(7200rpm、13.5GB)が初値で25,000円を切って販売されたのも驚きである。それでは、この二つのパーツを交換したベンチマークを見てみよう。
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive TNT+IBM DTTA -371010 23040 36558 29006 44553 22786 29815 425 29 10534 10643 23669 C:10MB G400+IBM DJNA -371350 37296 36567 29014 102210 7041 85864 630 84 17123 19921 23532 C:10MB 単純には、CPUは同じなのに1.6倍早いと言うべきだろうか。
もっとも、このスペックをいかせるのはゲームかグラフィックデザインであろう。
が、このところ、メモリー出荷不安説が流れ、グラフィックデザインの飯の種であるメモリーが急騰しはじめたところに、止めの台湾大地震がきた。
「禍福はあざなえる縄の如し」と言うことわざが身にしみる。
*HDBENCHもバージョンが上がったのでこの項の数字はもはや意味を持たない。
もっともその後もメモリーはDDRやRIMMの登場などにもまれながら1メガ数十円という馬鹿馬鹿しい値段に下落してきた。
昔は1メガ1万円だった、などと遠い目をすると年がばれてしまう。
PCを趣味の一つに数える人間にとって、年賀状は晴舞台といえる。
家族へのせめてもの罪ほろぼしでもあり、PCの存在の意義を改めてアピールすることにもなる。その武器は年賀状ソフト、プリンターとデジカメであろう。
最近ではデジカメの出番は年末用にとどまらなくなってきており、運動会などでもお目にかかることは多い。
しかし、プリンタと年賀状ソフトは圧倒的に年末向けと思われる。この年賀状ソフトは郵便番号の7桁化以降、確固たる地位を築いたといっても過言ではない。
あんな作業、郵便番号帳片手ではやってられない。
それにつけても年賀状ソフトは多い。
筆まめ、筆自慢、筆王、筆ぐるめなど従来より「筆」がつくソフトが強い。
今年の傾向はずぼら機能と通年利用であろう。
年賀状ソフトで面倒なのは住所打ちなのだから、全国四千万の電話帳を逆引きさせて入力しようというのが筆自慢EXなどの特徴である。
力業ではあるが、ダイレクトメールを行う業種では恐るべき威力を発揮する。
ほとんど、プライバシの保護が問題になる寸前といえる際物になってしまった。
一方の筆まめは住所録だけがデスクトップに常駐するようにした。
この住所録は地図とのリンクや一発ダイヤル、URL表示、メールアドレス帳などの機能を備え、検索・絞り込みが可能だ。
つまり、業務などで名刺管理をパソコンでやっている人間にとっては福音ともいえるソフトに仕上っている。メンバーの様子はというと、創ちゃんは筆自慢を利用している。
シャーは筆ぐるめのおととしの版を使っていたが、今年はとうとう筆まめに乗り換えた。
シャーの場合には業務用の電子名刺帳の色合いが強く、データが単なるCSV形式であった筆ぐるめが加工が容易で都合が良かったのだ。
ところが、昨年の版はたいした機能強化もないのに、データが専用形式になったため、乗り換えに躊躇してしまった。
結果、どうせ専用形式になるなら、業務でカリカリに使える筆まめにしてしまったのである。
シャーの場合でも奥さんの住所録までは年賀状ソフトに登録していないらしい。
ソフトを使っても他人のデータを打つのは億劫だといういう証左であろう。プリンターは、この数年実によくなった。
あまりによくなりすぎて、買うタイミングを逃しつづけたのがシャーである。
創ちゃんは必要最小限の年賀状しか書かない口なので、BJC-35Vで長らく我慢していた。
今年はついにシャーもプリンターを買い替えることに決め、創ちゃんも事情がありプリンターを探すことになった。
たどりついた結論が二人ともPM-800Cなのはこのご時世であるから、当然の帰着だともいえるのだが、ちょっと考えれば別の結論が導き出せたはずである。
PM-800Cが45,000円なのに対して、PM-770Cは35,000円である。
葉書が主要印刷物であればフォトクオリティーペーパーもへったくれもない。
しかもPM-770CのカラーバージョンであればUSBケーブルが付属しているのである。
さらに、新製品であるPM-800Cの主要消耗品であるインクの調達はPM-770Cに比較し困難だといえる。
つまり、ちょっと印刷速度が速いだけのために、1万円余計に払ったといえるのである。トホホは世のPCユーザーの常であるからこんなのはかわいいものだが、そこそこのキャリアがあるものでもつまらぬミスをおかす例といえよう。
*当時のEPSON vs CANONの構図は現在でも相変わらずだがユーザーに行き渡ったとみえて過激な攻防は見られなくなってきた。
もっとも技術のブレークスルーがあるとどんなデバイスでもブームになりうるのがPCの面白いところだ。
現在の人気周辺機器の筆頭といえばデジカメであろう。
デジタルカメラ自体は決して昨日今日の代物ではない。
業務用としては早くから注目されており、その分数百万円と高価だった。
ところが1995年転機が訪れる。
カシオがQV-10を発売したのである。
不出来な安物が数十万円で売られていた時代に定価7万円であった。
たかが8万画素の320×240であったが、ピンと来た人間は多かった。
これからはデジカメの時代だと確信させた機械だといえる。
カシオがこんなに度外れた値段をつけたのには理由がある。
QV-10以前のパーソナル家電のはしりとしてカシオは「社会の窓」なるポケットテレビを発売しそこそこの成功を収めていたのである。
つまり、QV-10は安価なデジタルカメラではなく、カメラ付きのポケットテレビとして開発されたのである。
機能の切り捨てでチューナーを廃止したらデジタルカメラになってしまっただけである。
したがって、ニッチな商品としてそこそこ売れるだろうという価格設定になった。
QV-10の開発スタッフがえらかったのは「デジカメとはこうあらねばならない」という点をあらかた押さえてしまったところにある。
パソコンとのリンク、電池のもちの良さ、液晶ファインダー・・・そしてあくまでカメラライクであること。
さらにレンズアングルが自由に変えられる点が「アナログカメラじゃできないものね」と、ウリになった。
ポケットに入るイージーさも従来の「デジタルカメラ」=「高額周辺機器」を破壊していた。以後、曲折はあったが「デジカメ」は用語としてもパソコン周辺機器としても定着した。
特に98年から99年のブレークは大変なもので、運動会でデジカメを構える人は珍しくなくなってしまった。
ブレークはカラープリンターの普及に実によく呼応している。
一般の家庭にある17インチディスプレーの実用表示量が1280×960で130万画素である。
これだけの情報量があれば一応、写真画質のプリントが可能といってもウソではない。
この100万画素台が普及価格帯になったのが98年から99年にあたる。デジカメの現在の市場でのキーワードは「高画素数」と「光学ズーム」である。
「光学ズーム」はともかく「高画素数」に走る現在の市場は疑問がある。
デジカメは本来ペーパー(印画紙?)レスの尖兵のような製品であったはずである。
であれば、一般家庭で1600×1200の表示をしている人が少数派である現在、250万画素とはなんなのか?
ホームラボが趣味である人以外には無縁な世界である。
しかも、いくらハードディスクが安価で大容量になったとはいえ、ひとコマ1メガバイトは洒落にならない。
しいてあげるならば、プロよろしくトリミングスペースを確保している程度である。したがって、今後ヒットするであろうデジカメは100万画素以上200万画素以下であると推定できる。
FUJIのスーパーCCDハニカムが登場すれば画素数ではなく、画素子が問題だったことがはっきりするはずである。
これにズームがついてコンパクトに仕上げれば出来上がりである。
後は価格が実売で4万円を切ればいい。
虫がいい話だが型落ち機種では現実になってきている。(1999年12月にリコーのRDC-5000がRDC-5300により型落ちになり通販最安値で4万円を切った。)
型落ちで現実になっているということは、遠からず新製品でも現実になる可能性が高い。
実現するのはカメラ屋ではなく集積技術がお得意な家電屋であると予想している。
ほとんどのデジカメはこなれた(言い替えれば「面白みのない」)道具になっていくだろうが、遊び心のあるデジカメや洒落たデジカメも残ってほしいものである。
*2001年現在これらの予測はおおむね当たってしまった。
高画素競争は実質的に頭打ちになり、100〜200万画素のデジカメは実用機として市場でちゃんとその存在意義を果たし、値段も4万円を切り始めた。
メーカーもSONYの独走にCANONが待ったをかけて次のステージに向かおうとしている。
次のステージ?
暗視デジカメやBULETOOTHなんかだろうか?
デスクトップに比較し、ノートはリプレースが難しい。
値段が高いという点とデータを含む環境移行が面倒なのがその原因である。
環境移行自体はLANの一般化により忍耐すればできないわけではない。
値段のほうはなかなかそうはいかず「じっと手を見る」日々が長かった。
それでもA4ノートは徐々に価格が下がりはじめ、30万円以下でそこそこの性能を実現している。
B5ノートの低価格化はそれから一歩遅れて、99年末のことである。
仕掛けたのはPanasonicのLet’s note CF-A1である。
B5クラスでもCeleron400MHzクラスが登場していたが、それに準じる366MHzが搭載され通信環境を強化するとともにiLinkが付いた。
値段のほうは20万円台前半であるから、業界関係は騒がしかったのではないだろうか?
ただし、CF-A1はかなり割切りができたノートで、オプションだらけの構成になっている。
その証拠に同じB5Let’s noteでもCF-M1RはPentiumIII400MHzを搭載して30万円を超えている。CF-A1のせいでミレニアム新春モデルは大変なことになった。
FujitsuのMF-240X以降のハイエンドB5モデルはカメラ、CD-ROM、IO-BOX、XGA、モデム、携帯発信ケーブルとテンコ盛りにして20万円台後半で登場した。
SONYの新VAIOもZ505NにPentiumIII450MHzのモデルにCD-ROM付きで20万円代半ばで登場した。
実は記録者も慌ててキャッシュディスペンサーに走りかけた口なのだが、とある店員に「待った」をかけられた。
MFもZ505Nも遅いのである。
Celeron333MHzとPentiumIII500MHzではどちらが早いか?
Let’s note M1VとVAIO PCG-Z505NRでは再起動時間がほぼ同じなのである。
デバイスが多いことと使用目的が事なるため単純な比較はできないが、この違いはビジネスユーザーにはこたえる。
記録者はLet’s noteのファンであるから割り引いて読んでいただきたいのだが、トラックボールを廃して以後(企業向には残っている)、ようやくユーザーと向かい合った製品が出つつあるという気がする。
記録者の希望は400MHz、XGA、128MRAM、IOポート内臓または添付、CD-ROMと増設バッテリーが排他、モデムとLAN内蔵、B5で20万円前半でいかがなものだろうか?
もちろん待っていれば2000年冬のモデルには、ノートのくせに900MHzというお化けも登場することだろうが・・・。
普通にパソコンに触る範囲においてはインターフェースとなるのはインプット側がキーボードとマウス、アウトプット側がディスプレーになる。
このインターフェースにこだわる人は多いし、奥が深い。
記録者は「どーでもいー」という口なのだが、未だに1994年製のIBMのキーボードを使っている。(もちろん109キーボードではない。)
マウスはロジクールを使っていればいいのだが、キーボードは困る。
地方のショップでは、ほれぼれするようなキーボードにはお目にかかれない。
どうもキーボードは真っ先にコストダウンの対象になるらしく、最近の製品では義理で付けたような酷い代物も少なくない。
では、キーボードを交換するべく張り切って秋葉原にでも行くと「良いものは高い」という当たり前の結果に落ち着いてしまう。
ところがその虚を衝くような買い物もある。
中古キーボードである。
元々、DOS/Vはアメリカから来たものである。
アメリカはキーボードの国である。
つまり、昔のキーボードは付属品とはいえ「まし」なのである。先日、某パソコンリサイクルショップに行くと中古パソコンを山ほど入荷していた。
何しろ、4年足らず前のPCでも値段が付かないのである。
このパソコンも「8000円〜」という妥当なところだったが・・・。
DELLにしろIBMにしろ古いキーボードはタッチが良い。
長期間の酷使でもキーがヘロヘロになったりしないのである。
ちょっと汚れている程度だから、気を良くして何枚か買っていこうかと思ったら・・・。
「付属品だから売れませんよー。新品でも1500円からありますからねー。単品で売っても売れるもんだかねぇ。」
この若い店員が潔癖症と見るべきか、私にオタクがかかっていると見るべきか・・・。
だけどDECのキーボードなんか趣きがあっていいんじゃあるまいか?
*その後、同じ店で6676−A01がタダ同然で置いてあるのを見つけて知らぬ顔で購入した。
まもなく、この店は潰れてしまった。
商品知識と消費トレンドを見誤るとリサイクルショップでも即潰れるものだと身に沁みた。
1995年頃にメールといったら社会的には紙に書いてあるものが相場であった。
電子メールだのEメールだのとわざわざ言葉を選んだものである。
それが1998年にはSHADOのメンバーの半数がアドレスを保有するようになり、21世紀の初頭には8割ものメンバーがアドレスを保有するようになってしまった。
よって、主な連絡はインターネットを介して行われるようになった。
この調子で行けばすべての人間がアドレスを持ち常時接続で情報交換するのが当たり前の世の中がすぐ目の前に来ているようにも見えるのだが・・・。情報処理を専攻した某喫茶のマスターはいまだにネット途上人であるのを見てもわかるように、ハードルを絶対にこえようとしない人がいるのも確かである。
現在がネットの時代であるのは間違いないが、すべてがネットで片づかないのもまた確かである。
PCの進化は終点なく爆走する列車のようである。
予算が潤沢にあるのならずっと乗っていてもよい。
が、降車するチャンスもある。1994年当時に濱ちゃが予言したとおり、事務用の標準ソフトはマイクロソフトOFFICEになってしまった。
当時はロータス1−2−3も一太郎も元気だったのだから誠に慧眼といえる。
OFFICE2000でも順当に儲けたかというと、そうでもないようだ。
原因の一つはOSと同時に発売するパターンが崩れたからといわれている。次期OFFICEは抜け目なく儲けるかといえば疑問がある。
インストールが極めて面倒になるようなのだ。
手順は次のようになる。インストール > ネットもしくは電話でマイクロソフトに使用開始を通知 > OFFICEのシリアルナンバーと機器構成から記号化された開始キーを受け取る > 開始キーを打ち込んで使用開始
つまり機器構成が変わると次期OFFICEは動作しなくなる。
機器構成の何をどう関数に使うかはわからないが、最悪オーバークロックを触るたびにキーの再発行を受けることになるかもしれない。
もちろんハードディスクの容量を上げるときは要注意である。ついでに次期Windowsも同様に開始キーが必要になるらしい。
したがって、従来機械の調子が悪くなったり大幅に機器構成を変える度にOSからインストールしていたパワーユーザーは絶望の縁に立つことになる。
違法コピーに業を煮やしたマイクロソフトは「善良な市民はハードを弄るな」と強要しはじめたのだ。対策はあるのか?
まっ、この際、降車することである。
実は米国版のOFFICE2000には開始キーのシステムが組込まれていたとか。
これが原因でOFFICE2000に乗り換えなかった人が多かったとすれば、マイクロソフト帝国は「.COM商人」から「.NET徴税吏」に装いを改めるのではあるまいか。
庵ちゃんはワープロ専用機の人である。
志とは裏腹に半ば文筆稼業の部分が多かったからであろう。
たしか書院を愛用していたはずだ。
周囲の環境に触発されてMacも扱えるようになったのだろうが、基本的にはむしろアナログな生活を送っていたと思う。
NECのCRTの宣伝に出ているのを見たときには世の遷り変りを感じた。残念ながら社会で生活しているとデジタルは自然に侵食をはじめてくる。
1998年には携帯電話を持つ羽目になり、1999年にはメールで追いかけられるようになる。
2000年にはVAIOユーザーになってしまった。
SONY好きであるのと周囲の環境を考えるとやはりVAIOなのであろうか。
合宿には皆でノートを突き合わせて仕事をするあたり、そこいらの会社員と大差ない。こだわりのある、なしが極めて激しい人間なので、PCはむしろどうでもいい物品に分類されていると思われる。
折に触れ「とほほ」と嘆きながらキーボードに向かう割に、ホームページの原稿まで起こしていたりするあたりは憎めない。
おかげでメンバーの3割弱が私用(?)のホームページを持つことになった。21世紀、庵ちゃんの職場は確実にデジタルに侵食されるのだが、これが喜ぶべきものか悲しむべきものかは神のみぞ知ることである。
結局、OFFICE XPは予想通りたいした話題になっていない。
が、影響はそれにとどまっていない。今日のヘビー級アプリといえばOS(正確にはアプリじゃないが)、OFFICEソフト、ゲームソフト、画像映像系ソフトであろう。
この内ゲームは趣味の問題であるし、画像映像系も同じ傾向がある。
従って、ソフトの重さに堪えかねてハードを変えるのはWindowsやMS−OFFICEのバージョンアップにともなう場合が多いと思われる。
従って今度のOFFICEの売上不振は痛い。OSが32ビットになって5年でCPUの速度は10倍になった。
IEがその間やたら重たくなったが、基本的には9x系とNT系しか負荷の差はない。
つまり、現在では普通に仕事を行うぶんには「PCは人を待たせない」のである。
こうして買い替え需要が喚起できない状況が現出してしまった。打開策はあるのだろうか?
Windows XPはOFFICE XPの轍を踏むことが分かりきっている。
現状のハードウェアのロードマップ上には該当するハードはない。
最も望まれるのは高速なハードディスクとそのインターフェースであろう。
ハードメーカーはキラーソフトが望めないのであればキラーハードを目指す必要があるのではあるまいか。
もっとも最大の需要喚起は64ビットシフトになるだろうが、それでも9x系登場時のインパクトは再現できないだろうが。
デジカメが好きである。
予算に限りがあるので滅多に買えるものではないが、最後はやはり衝動買いである。
高額なデジカメはないのが不幸中の幸いだが、何台も首からぶら下げて歩くわけにはいかない。
戒めの意味も込めて履歴を書き出してみた。
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