星の民のロッカールーム

星の賢人、星の愚民


星の旅人久万天離陸超新星小惑星未確認飛行物体天体観測術「運」の共有体その星の名は・・・星空はいずこ天空の城再び、その星の名は・・・


星の旅人

 SHADO(正確にはSHADO and friends)にはHAAを基軸にした関係上、天体観測の経験者が多い。
 中でもチューソンはみずから発起人兼会長として「いものろとっさ天文同好会」を起こし、会員に情報を流しつつけた。
 「いものろとっさ」とは「Astronomy」の強引な逆読みである。
 事務局当時のチューソンの活動拠点は筑波であった。
 筑波というのはSHADOにとって特別な場所で、チューソン、ヤス、神さん、アキコさん、シンヤ、パリサイと数多くのメンバーがお世話になっている。
 お気の毒なパリサイは「星を見るなら筑波」と就職を決めたのだが、就職の報告にいくと筑波最後の星仲間であるヤスは大分への引っ越しの準備中だった。
 パリサイが「筑波残留孤児」といわれた由縁である。

 ヤスは中央高校天文同好会の発起人の一人である。
 活動拠点が福岡に会った頃、有志で大分に天体観測所を構えるべく手筈したのだが、あいにく就職先が筑波だった。
 存分に星を見るべく、大分への転職試験に臨んだ彼の真剣さが他の面接者に勝っていたことはいうまでもない。

 その頃「ふるさと創生」などというのが流行り、いくつかの自治体が田舎を開き直って天体観測所を作った。
 入れ物はできても観測所を運用する人材は育てるのが難しい。
 ある自治体では人材を公募することにした。
 その一つが愛媛県の久万町である。
 実は記録者もこの公募に心を動かされた一人であるが、結局、ヤスが公募に応じることになった。
 とはいっても器になる観測所の下見も兼ねている。
 業者に食い物にされた設備ではやりたいこともできないのである。
 このとき運がよかったことに、大分の観測所を手がけたスタッフが久万の設備も手がけていた。
 現場で、さっそく打ちあわせを始められるヤスはポイントを稼いだに違いない。

 このとき、公募定員は2名であった。
 公募に残ったもう一名はそこそこ貫禄のあるベテランで、ペアを組むには申し分なかったのだが、給料を聞いて最後の最後に脱落してしまった。
 そりゃ、給料が1/2になると聞いたら、家族を説得する気力がなくなる。
 この点、ヤスは独身だったし、今までも給料を天体観測に注ぎ込んでいたのだから状況が変わらないと見て良かった。
 困ったのはパートナーである。
 土壇場でもう一人が降りてしまったため、急遽、パートナーを見つける必要に迫られた。
 プラネタリウムと望遠鏡を一人で面倒見てたら過労で倒れてしまう。
 人選を任されたヤスはチューソンに目を付けた。
 仲間うちのアマチュアではピカ一の実績を持つチューソンは彼にしてみればもっとも期待できるパートナーだ。
 年齢が近いため難色を示した町をねじ伏せて、チューソンに打診した。
 一も二もなく・・・とはいかないが、準備をするからちょっと待てという条件でチューソンは了解した。
 設備の建設が進み開館にこぎつけたが、このチューソンが来ないのである。

 その頃、チューソンは会社で引き継ぎをしていた。
 チューソンは国の基幹産業というべき自動車生産の電装会社に勤めていたのだ。
 それも配線屋さんではない。
 エンジン特性を決めるソフトを扱っていたのである。
 技術を教えるのは大変なことではないが、思想を教えるのは難しい。
 そんな幹部候補生に「星を見させてやるから来い」と声をかけた方も度胸がいいが「いいよ」と応えた方にも覚悟があった。
 チューソンが合流して久万高原天体観測館の歯車が回りはじめた。

久万天離陸

 着任後、戸惑ったことに指示が全くないのである。
 それはそうだろう、町にはその素地が無いから二人を招いたのである。
 二人は協議の結果、「好きにしていいのである」と結論づけた。
 とはいえ、目的はある。
 天体観測館のあるふるさと旅行村の集客力を上げ、同時に、久万町からの情報を発信することである。
 いくら仕事であるからとはいえ、天体の「発見」は根気と労力が必要な作業である。
 それも一般開放時間の終了後に行わねばならない。
 新天体検出のノウハウをたくわえ、インターネットなどの情報伝達手段もとった。
 もともと、チューソンはアマチュアでは知られた存在だったので、情報収集には事欠かない、というよりは絶好のポジションを利用される立場にもなった。

 こうなると天体観測で目指すのは「三冠王」である。
 つまり、彗星、新星、超新星である。
 特に彗星の発見はインパクトが大きいので小まめに探索を始めることになった。
 趣味とはいえ、観測は孤独な作業である。
 好きでなければできない仕事である。

超新星

 結果はすぐに出るものではない。
 地味な観測は1年半に及んだ。
 もちろん継続が大事であるから、無茶はしない。
 休日にはちゃんと休みを取るし、ヤスは久万で華燭の典を挙げた。

 観測も仲間だけのときは結構好きなものを見ている。
 1994年4月2日もそうで、M51の観測中に記憶にない星を見つけた。
 1994I発見の瞬間である。
 世界中の観測者が寄ってたかって年間20数個しか見つけられないものを発見してしまった。
 ちなみに新彗星は年間10個ほど見つかり、新星は数年に一つ見つかる。

 一夜にして「日本の四国に久万高原天体観測館あり」と世界に配信された。
 日本という地理的な優位を差し引いても、新天体の発見は価値がある。
 特に海外では謙虚に賞賛される。
 普通の人は空に一等星が出現しても気付かない。
 そこそこ天体観測をやっても6等星以上の星なら増えても減っても気付かない。
 それを星雲の中から見つけ出したのである。
 しかも確認用の星雲の写真データが手元のMOに保存してあり、その場で確認ができるほど蓄積ができていた。
 執念に運が応えた形である。
 この超新星、さすがに「超新星」と言うだけあって現在は確認ができない。
 しかし、発見の実績をもとに超新星検出のネットワークを作ることができた。

 1994I(アイ)は現在別のところにも名を残している。
 この年生まれたヤスの愛娘の名は「あい」という。

小惑星

 一方、チューソンが目指したのは彗星である。
 しかし、彗星は競争率が異常に高い。
 何しろ、一度見た彗星がきっかけで天体観測の泥沼にはまった人間は多い。
 自分の名前の着いた彗星を夢見て本格的な観測をしている人も少なくない。
 信じ難いが日本には少なくとも30人は本格的な器材で彗星を探している人たちがいるそうだ。
 関さんのような達人たちに混じり観測を続けるチューソンの挑戦は甘いものではない。
 実際、観測時間はヤスをはるかに凌駕する。
 これだけ徹底的に調べれば予定外のものが見つかることがある。

 1994年12月に見つけたそれは小惑星であった。
 小惑星は滅法、数が多い。
 ざっと20万個はあるだろうか。
 もっとも、地上から観測可能な小惑星となると2万個程度であろう。
 これだけあると、以前観測されたものかどうか怪しいので、仮符号を付けて軌道の追跡をして独自の小惑星であることを確認することになる。
 確認が行われると、ご褒美に命名権が与えられる。
 チューソンの発見した小惑星は軌道が確定され、めでたく6255個目の小惑星と認められた。
 チューソンが申請した名前はもちろん「Kuma(久万)」である。
 この申請が結構辛い。
 無意味なものは不可である。
 重複したものも不可である。
 評価が定まらないものも不可で、政治家の名にいたっては死後50年は小惑星に名をもらえない。
 更に、名の由来を英語で説明しなければならない。
 あまりの鬱陶しさに 著名な小惑星の観測家は気が向かないと名前を付けない。
 何しろ日本での小惑星観測総数でもチューソンの観測数の軽く数十倍くらいある。
 おまけにこの命名はごまかすことが難しい。
 以前、「Fugaku(富嶽)」という申請があったが、「Fuji(富士)」があるので却下されたことがある。
 驚嘆すべき日本通の人間が小天体命名委員会にいる、と思ったら日本人の委員もいるそうだ。
 さて、こうして確定したチューソンの命名した小惑星は「Saragamine(皿ヶ嶺)」「Maruseppu(丸瀬布、久万町と交流がある)」「Shiki(正岡子規)」「Misakatouge(三坂峠)」「Dogo Onsen(道後温泉)」と愛媛に縁があるものが続く。

 記録者が愛媛に研修で出かけたついでに久万まで足を延ばしたのは1997年晩夏のことだった。
 サイトの見物から観望会までお世話になったのだが、チューソンに宇部の新聞社の連絡先を訊ねられた。
 小惑星に名前を付けたので確定したら発表したいとの事だったが、面白いので新聞社の知り合いに事前取材を進言した。
 これが小惑星「Onoda(小野田)」「Ube(宇部)」である。
 新聞社も乗って一面トップの記事になった。
 この記事を発端に講演会まで開かれることになったのは余録である。

 さらに発見は続き「Tukuba(筑波)」「Juzoitam(伊丹十三、松山で青春時代を過ごした)」「Shoko(沢田聖子、これはチューソンの趣味)」「Tamakasuga(玉春日、もちろん愛媛出身)」「Hyoichi(河野兵市、愛媛出身、歩いて北極点に到達した冒険家)」と確定してきた。
 「Shoko」とか「Tamakasuga」にどういう英文の推薦状を書いたのか大いに興味があるところである。

 とはいえ、「本星」である彗星を発見できることを心から祈りたい。

未確認飛行物体

 別項で書いたが、天体観測をしている人は異常な発光物体についての知識をかなり持っている。
 そのいずれにも分類できないものが初めて未確認飛行物体に分類できる。

 シャーの場合、1972年にまで遡るが、極めて低緯度で水平に移動する低速発光体を確認している。
 もし、天体であった場合、高度補正をすると火球に分類されるが、確認された方向が航路にあたるため大型船のマストの明かりである可能性が高い。

 HAAの観望会でも唯一未確認飛行物体が確認されている。
 これは1977年のもので、一等星程度の星がいきなり移動して消えてしまったというものだ。
 流星の可能性もないわけではないが、通常流星はカーブとかシュートとかはしない。
 軌跡が曲がる場合には、変曲点で光度が変化するなどの特徴的な現象が起こるのが普通である。

 夜の闇の中ばかりではない。
 黒ちゃんは横須賀在住当時、昼間の未確認物体をよく見かけたそうだ。
 これは戦闘機や民間機の可能性も高いが、急激に曲がるという特徴的な動きが目撃されている。

 一般に未確認飛行物体に誤認されるものには金星や月が多い。
 ウソのような話だが、たまに都会で晴れ渡ると、天文台に問合せがあるそうだ。
 月で影ができることも知らないような人が多いのだから無理もない。
 少し前は、スポットライト併用のアドバルーンが誤報されることもあったし、曇天ではスポットライト自体が誤報されることもある。
 めすらしいところでは夜光物質を付けた鳥を誤認したり、天体望遠鏡の中で見つける人もいる。
 何と、アイピースの中にダニがいて、ダニの移動で星が見え隠れしたのである。

 普通は、対象を冷静に見て、地理条件・気象条件を勘案し、人工衛星と流星の可能性を検討すると「枯れ尾花」ばかりでガッカリすることになる。
 そして、天体観測をやっている現場では「未確認飛行物体」=「円盤」などとはまず考えていない。
 天体観測をやる人間は、円盤から降りてきた宇宙人にさらわれる恐怖などこれっぽっちも考えない。
 怖いのは天体観測機器を泥棒する人間の方である。

天体観測術

 タイトルには「天体観測術」と書いたが天体観測を楽しむのには特別な技術技能が必要なわけではない。
 最近は器材の向上でモータードライブ付きの20cmなら二十万円そこそこで購入できる。
 これと双眼鏡があれば通常の観測は可能である。
 あとは行きつけの天体観測所があれば幸せである。

 が、天体観測はその周辺技術がモノを言うのである。
 ある有名な赤道儀は独特の誤差をもっているのだが、これを補正するプログラムをカスタムしてしまった人もいる。
 冷却カメラの時代には魔法瓶のような35ミリカメラを作った人もいる。
 「マニアック」な技術ばかりではない。
 天体観測を行うのに避けて通れない必修技術として「野営」がある。
 地域によってはマイナス20℃で夜中に写真追尾などを行うわけで、テントの設営、防寒着の常識、カイロの使い方、ガソリンバーナーの扱い、夜食の知識、梱包とハンドリングなどの技術を習得しなければならない。
 今日では車が一般的になったので昔ほど酷い目に遭わなくなったが、現在のRV騒動が起こる遙か前から天体観測のために無理して車を所有していた人は多い。
 車がないと気が遠くなりそうな重量をメンバーで分担して担いで移動する必要に迫られるのだ。
 特に望遠鏡は重い。
 ご丁寧にダンベル並の重さがあるバランスウエートまで付いている。

 私の知る範囲ではボーイスカウト、ワンダーフォーゲル、ユースホステル関係者と天体観測をする人間とは妙に仲がよかったが、これは「似たもの同士」の連帯感だと思っている。
 ただ、彼らにしてみれば「宵っ張りの朝寝坊で堕落した」人間に見えていたかもしれない。

 困ったことに便利になったのは都市生活も同様で、現在では天体観測を行うのは光害との戦いである。
 ふと見上げた夜空の満天の星に感動を覚える人がどんどん減っていくのは残念なことである。
 漆黒の空に瞬く星は実に簡単に人をロマンチストに変えるのである。
 

「運」の共有体

 天体観測には「運」がモノをいう。
 これは発見などという大それたものに始まり、通常の観測にもつきまとう。
 なにしろ普通の天体は曇ると見えない。
 こればかりはどうしようもない。

 日頃忙しい人は天体のイベントがあると時間を調整して観測しようとする。
 あらかじめ分かるものとしては流星群、日食、月食、彗星、掩蔽などがある。
 せっかく時間を作って雨でも降ったら、ふて寝するしかない。
 この手の天体イベントを楽しみにしている人間は少なくないので、日本全国のあちこちでため息が漏れることになる。
 いわば、「運」を共有しているのだ。

 天気以外の運に左右されるものに流星群と彗星がある。
 1998年11月18日未明のしし座流星群のピークが半日ずれてがっかりした人も多いと思うが、周期性の流星群には当たり外れが大きい。
 1972年のジャコビニ流星の時も外れた。
 悪いことにこのときはマスコミがこぞって大流星群出現の予報をしたため各社とも信用をなくすことになってしまった。
 彗星の増光も同じでジャコビニ流星群に懲りたマスコミが情報をほとんど流さなかったウエスト彗星が実に長大な尾を見せた例がある。

 残念なことに今までの傾向ではマスコミが乗ると当てが外れるという傾向がある。
 「運」というのはマスコミ情報などという他人任せでは掴みにくいものなのかもしれない。

後日追記

 誠に残念な話であるが、獅子座流星群もジャコビニ流星群の轍を踏む結果になってしまった。
 しかし、エジプトにまで行って、ついに流星雨を拝んだ日本人がいたのには恐れ入った。

その星の名は・・・

 今日もヤスとチューソンの探索は続いている。
 先日、ある小惑星に名前が付けられた。
 チューソンの友人であり、我々の仲間である彼の名である。
 SFテレビアニメとしては「ヤマト」「ガンダム」に次いでひさかたの社会現象になったあの作品の監督の名である。
 推薦文の拙訳を以下に示す。


 (9081) Hideakianno = 1994 VY
 1994年11月3日久万高原においてA.Nakamura によって発見された。
 山口県の宇部市で生まれた日本のアニメ作家にして監督であるHideaki Anno(1960年生まれ)に敬意を払い命名する。
 彼は1981年からいくつかの大成功したアニメーション作品の制作に貢献した。


 画像付きの解説は久万高原天体観測館のHPに詳しい。

星空はいずこ

 「星明り」という言葉がある。
 わずかな明るさのことであるが、通常金星の明るさから来ている。
 実際にアマチュア天体観測の啓蒙で知られる藤井明さんが裏磐梯で金星の明かりで影が出来ることに驚嘆している。
 天体写真をとる時も「金星の明かりで被った」ということも時々聞いた。
 惑星も見えない状態では真っ暗だと言っていいだろう。
 八丈島は非常に暗いので星明りが地面でスパッと切れる。
 切れたところが崖っぷちなので気を付けろといわれた。

 たまに撮影旅行に行くと雲が動かないで途方に暮れるアマチュア天文家がいる。
 しかたなく肉眼で望遠鏡を眺めていると雲だと思ったのが銀河だったので仰天したそうだ。
 銀河というのは本当に天空の川のように見える。
 英語でもミルキーウェイであるから万国共通な印象なのであろう。

 東京出身の人が月で影が出来ることに驚いていた。
 オイルショックの頃でも北斗七星がやっと見える程度で、現在では一等星がいくつか見える程度だと聞く。
 三鷹に天文台があるが実際に望遠鏡を使った研究は難しいと思われる。
 東京に限らず、日本全体でもそうである。
 この事態にとうとうハワイに日本の天文台を作ることになってしまった。
 1999年1月にファーストライトを行った「すばる」はあのハッブル宇宙望遠鏡を凌ぐ性能を出したそうだ。

 現在では望遠鏡での観測も電子的な観測が主流である。
 これが徹底してきたのはわずか、この数年の話でコンピュータの発達に負うところが多い。
 現に微光小天体の観測報告の爆発的な増加は、インターネットによる相互通信も相まって世界的な宇宙観測体制の整備を物語るものである。
 しかし、今現在観測に携わっている人たちの最初の一歩は、肉眼で見た星々に単純に感動したことに端を発しているのではあるまいか。
 満天の星空の下に立つ時の感動を多くの人に味わってほしい。
 今ではぜいたくな望みなのだろうか。

天空の城

 久万町は松山市から1時間弱である。
 ただし、途中に三坂峠(720m)という難所がある。
 直線距離で20km足らずの場所に海があるにもかかわらず、いきなりこの峠である。
 よって久万は「久万高原」と呼称されている。
 風向きによっては峠にぶつかる風は雲を呼び、一面を霧の中に包み込んでしまう。
 ふるさと旅行村はこの高原からさらに山手に入った場所にある。
 そして、久万高原天体観測館は旅行村の事務所からさらに10〜30分ほど山道を登ったところにある。
 山道を甘く見たプラネタリウムのお客はしばしば上映時間に遅れることになる。
 天体観測館に勤めることは、それだけで健康によい。
 先日、連絡用にカートが導入されるとヤスの体重が増えてしまった。
 ヤスの体重がまともに増えるのは社会人になって初めてのことである。

 プラネタリウムと60cm望遠鏡を備えた観測館はちょっと変わった風貌で人々を迎え入れる。
 プラネタリウムを収めた観測館の本館は木造三階建の城そのものである。
 四本の本柱は木の町、久万の名に恥じない樹齢120年の材を用いてある。
 本館の主設備であるプラネタリウムは来館者数を考慮して小振りのものだが、プログラムはオリジナルである。
 一転して60cmの反射鏡を収めたドームは質実剛健である。
 本当は木造を目指したかったのだが、さすがに強度メンバーが不足すると観測に支障を来すのでコンクリ造りである。
 肉眼のみならず、CCD観測にも対応しているのがこの望遠鏡の強みである。
 観測で得られたデジタルデータのほとんどは照合データとして保管されている。
 将来はロボット撮影したデータを標準データと演算して、新天体の発見に結びつけたいと考えている。
 また、天文の啓蒙も主要な仕事であるので、このところ出版、電子カタログと多忙な日々が続いている。

 取材当日はSSERの大会があり観測館のあるふるさと旅行村がチェックポイントになっていた。
 秋の大会では例年、スタッフとN氏の思い出話に花が咲くそうである。
 世間は広いようで意外に狭いのだ。

久万天写真集

再び、その星の名は・・・

 チューソンの探索はその後も続き、小惑星が次々と発見されている。

8552 Hyoichi 河野兵市(北極探検で知られた愛媛の新進冒険家)
8720 Takamizawa 高見澤今朝雄(アマチュア天文家)
9076 Shinsaku 高杉晋作(長州藩士)
9235 Shimanamikaido 本四連絡橋尾道今治ルート
9658 Imabari 愛媛県今治市
10163 Onomichi 広島県尾道市
10375 Michiokuga 久賀通生(天文普及家名)
10601 Hiwatashi 樋渡涓二(電気技術者)
10609 Hirai 平井有三(物理学者名)

 実は10633番に驚くべき名前がある。
 申請者はチェコ共和国の天文学者(おそらくオンドリヨフ天文台所属)であるPetr Pravec氏で、小惑星の名は「Akimasa」という。
 チューソンのことである。
 申請理由は貢献があった天文学者ということだろうが、チューソンは職業からいえばアマチュアといえる。
 世界と事情が異なるのは、日本のアマチュアのレベルが異常に高い点であろう。
 私も迂闊だったのだが、チューソン自体がこの分野のハイアマチュアで、第一人者の中野主一さんを補佐・後継する立場なのである。

 そのご褒美というべき名前だが、久方の明るい話題として報告した。


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