ロッカールーム
SHADOとその背景
前SHADO時代 / タコ部屋時代 / 何ゆえにUCC缶コーヒーなのか / SHADOへの入会 / 焚火の日 / F9 / 星無き夜のHAA / インターセプト / N氏 / 魑魅魍魎 / 宴会'98 / 濱ちゃ / 庵展 / 取材 / 星の民 / 宇部高地学部回報 / 鍋島喪失 / 宴会'99 / 宴会'00 / 「式日」ロケ / シモラク / 宴会'01 / 厄 / 帰マン / カルトなくすぐり / 宴会'02 / 宴会'03 / 宴会'04
グループSHADO(Virtual喫茶の方でなく)の歴史はいつから始まるのだろうか?
知る限りでは1977年なのだが、今度発足当時のメンバーに確認したいところだ。
ところで仲間内はご存じのように前SHADO時代というべき期間がある。
HAAの時代である。
その略号は墓場天文協会に由来している。
メンバーの多くは「地学部」に所属していた。
天文に興味があるから、という理由で所属する者も勿論いるが、おもしろいクラブだから、という理由で所属する者が結構いた。
当時部長であったマスターの人徳であろうが、いろいろなことをやった。
先のHAAだが、これは近場で天体観測に適する場所を求めた結果、墓場になったわけで、やってることは純粋に天体観測である。
ただ、保護者や学校の立場からすると夜間徘徊に他ならないため、対応は慎重にならざるを得ず、自然に結束が強まることになった。
こういった観測会は当時、アジカンというものも、別のグループで行われていた。
類が友を呼ぶというべきか、これらのグループはなぜか知人友人縁者の集まりであり、SHADOが拡大する元になった。
この間、強烈なイベントがあった。
宇部沈没の製作である。
有料道路、石炭記念館、青少年会館、商店街等々をゲリラ的に撮影した8mmフィルム作品はサウンドトラックでなかったため、現在は鑑賞に堪えないが当時はそうそうたるメンバーが燃えたものである。
庵ちゃんがアニメを用意してくれたのもこの作品である。
非営利とはいえ、一般に庵ちゃんの作品が公開されたのは宇部沈没かPAF(プライベート・アニメーション・フェスティバル)が最初ではあるまいか。
このPAF用作品製作の最盛期は1980年からの数年である。
学生はいいのだが、社会に出たメンバーの努力には頭が下がるものがある。
アニメーション製作は一人でこつこつやるのは、テンションが続かないため大変苦しい。
勿論、庵ちゃんや淳っちゃんにシンヤも、一人でやらざるを得なかったのだが、製作に係っていたのはそんな小人数ではない。
そこでメンバーが一堂に会して作品を作ることになった。
これがタコ部屋の起源である。
追い込みで徹夜になるとだんだんテンションが高くなり、明け方には大変なことになっていたりする。
原画の人を邪魔しないように、ひたすら塗り絵をしたり、指定通りに撮影したり、BGMのマスターを作ったりと大変である。
特に撮影は締切間近の暑い最中、撮影用のランプにあぶられながらの作業であるから原画を汗で濡らさないように苦労しなければならない。
家主のタムチンには心からお礼を申し述べたい。
やがて全員が社会に出るころ、PAFへの出品もしなくなっていった。
だが、作品はそれからしばらく独り歩きをしていた。
あの作品ではUCCコーヒーが登場し、この話題にコーヒーメーカーが逆乗りしたとき、一部のメンバーには感慨深いものがあった。
UCCコーヒーを多用したのはマスターの「宇部沈没」が下敷きで、当時マスターはUCCコーヒーを絶賛していたのである。
この頃の思い出をフィードバックしてプレゼントしてくれた庵ちゃんの心優しさが嬉しかった。
この手の仕掛けは、あの作品の(そこまでマニアックに見てはいないが)いたる所にちりばめてある。
庵ちゃん恐るべし。
ただし、シモラクは現在、山口県酪であるから、「シモラク」と入った牛乳瓶は事実上入手不可能である。
SHADOの正式メンバーは発足時のままである。
しかし、SHADOは拡大していった。
これはPAF出品を行わなくなって以降、SHADOは「会費無し、会則無し、あるのは宴会だけ」と言われ実体なき団体だからである。
この宴会のルールを把握した人間がSHADOのメンバーであり、ルールに反する行動を自然にとる人間は、何度宴会に参加してもメンバーから浮いてしまう。
逆に、明らかにSHADOそのものなのにSHADOではないと言い張る人間もいる。
まあ、この漠然としたルールのもと、メンバーだろうと思われるのは20人を超える。
普通の同窓会組織と異なるのは、出身校もまちまち、学歴もまちまち、生れ年も1960年代前後とアバウトなところである。
ある機会に「あの人とはどういう繋がりか」と聞かれることがあったが、細かく辿ることはできるが「友人です」としか言い様がなかった。
但し、SHADO内部では「友人」と言う概念はあまりないのではなかろうか。
「仲間」意識の集合体と言った方が良い。
これはSHADOに重要な意味を持つ。
記憶の分散共有効果である。
詳細は別の項に譲るが、楽しい記憶だけではない、とだけは予め申し上げておく。
SHADOでは年に一度、焚火をする。
正確にはSHADOではなく、「焚火の会」という漠然とした名称で、第一回は1975年にまで遡るらしい。
焚火の会も入会するものではないが、参加するのは自由である。
焚火の会が催される期日と場所は決まっている。
期日は元日である。つまり御来光を目的にする。
場所は近所の御来光の名所である。
20年も同じ場所で御来光を迎えているのはこの場所では焚火の会のみである。
1980年代は血気盛んで30人もの大騒ぎをやったのだが、さすがにこの頃は諸事多忙と見えて10人ばかりしか集まれない。
代わりに加わるのは、焚火のアマチュア達である。
彼らはペースも考えずに焚火を始め、明け方には消えた焚火を見放し、我々の焚火を頼ってくるのである。
ところがこの穏やかな集会にも危機が訪れようとしている。
護岸工事で場所がなくなるのである。
ついでにこの工事の県の担当の一人がSHADOのメンバーである「ゴマ」なのである。
「ゴマっこは一生言われつづけるだろうな。合掌」とはカミさんの弁である。
別の場所に移動して焚火だけは続くのだろうが、カミさんの言葉は実感があるだけに重い。
F9とは0.999999999を意味する。SHADOにはこの名を持つメンバーがいる。
限りなく正確だ、ということだが、庵ちゃんはことさらに9つのFを頭文字に持つ英単語を並べ、彼を表現してみせた。
但し、その性格は温厚で誰も好んで敵対しようとする人物はいなかった。
いわば一種の天才で、物理、数学上の真理を愛した。
あいにく、学府は数字しか見ないので外国語を限りなく苦手とする彼は、8年かかって卒業証書を手にすることになった。
外国語の授業しかない後半の数年は暇であるから、我らが喫茶店で相棒のピグと共にバイトをしていた。
彼の完璧な働きが第一次バイト黄金時代を築いたと言っていい。
卒業後、「箱根から向こうは鬼が出る」とこぼしながら東京に就職した。
皆、総出で送別会を何度もやった。
ところが、驚いたことに彼は数ヶ月で東京に挫折した。
「食いたいものも食えん、飲みたいものも飲めん。」と言うのが帰省の辞である。
かくて、F9は我らが喫茶店の「夜のマスター」として喫茶店業に精を出すことになった。
異変は忍び寄っていた。
腹痛を耐えかね、嫌っていた医者にしぶしぶ出かけた。
「要精検」で大病院に回された。
入院加療を言い渡された。
潰瘍摘出手術を受けた。
退院した。
皆、美味い酒と美味い食い物のツケだと茶化した。
再入院。
そして、真実を聞いたとき、彼の余命は二十日もなかった。
葬儀の後で泣いた、泣いた。
皆がいるときは、お互い無理して笑いあい、一人になって泣いた、泣いた。
あれから8年経つ今でも、彼の話題が出ると誰かが彼の知られざる一面を披露する。
だから、彼は仲間の中ではまだ生きている。
長い旅に、帰らざる旅に出てしまっただけだ。
HAAの存在原義は天体観測である。
当時は月も無い夜中の墓場に人間がゴロゴロと転がっていたのだから、知らない人間にとっては結構恐いものがある。
流星観測などは結構厳しいもので、受け持ちの星空を流星を見落とさないようにひたすら待つのである。
当然、明かりは厳禁である。うっかり明かりを付けたままで、観測会場に近づくと罵声が飛ぶことになる。
実際、明かりを付けたままで近づいた不審尋問の警察官に罵声を浴びせたこともある。
不審人物の団体に罵声を浴びせられた警察官もいい迷惑である。
実際、高校生は事前に観測について許可を取得し、許可書を携帯の上定められた計画通りに観測を実施する建前になっているのだが、天体観測の原則は「晴れたからやる」である。
したがって、多くの観測会は未届出の「闇観」であった。そんな観測の最中に初登場したのが、他にも登場することになるN氏である。
真夜中の墓場の真ん中に、明かりを消した自転車をカラカラと押して、大声で自己紹介しながら彼は登場した。
無気味な場所で、居るか居ないか判らない人の群れに、話しかける彼もなかなか度胸がいい。ところが、空が曇るとみんな暇になる。晴れてても、皆既月食の最中も同様である。
すると、雑談が始まるのだが、こんなことがあった。
先輩に相対性理論の講義をしてもらったのだが、先輩が地面に書くものを探していた。
地面を探ると適当な木片らしきものがあったので、先輩に渡すと・・・
周囲の人間が凍り付いたように、その木片らしきものに注視した。
「骨だ。」
思わぬことに全員が自分の足元を確認すると、更に幾つかでてきた。
恐ろしいことにその幾つかは、折れ口がぴったり接がったのだ。
墓場でやってるのだからありそうなことだが、実際に食らったのはこの時だけである。
翌日、近所の寺に持ち込んで供養してもらった。また、墓の鑑賞もした。
古い墓や個人墓は結構面白いのがあるのだ。
こんな時、迷惑なのが夜目が利くシャーで、突然墓の森から明かりも持たずにヌッと出てきたりする。
さらには、燃え残りのろうそくに火を灯してうろうろするので余計にたちが悪い。免許取り立ての庵ちゃんが観測の合間に猛スピードでドライブしたのも墓場の未舗装の裏道である。
BGMが大江戸捜査網のテーマで、運転手が「死して屍、拾うもの無し」などとナレーションを入れるので、同乗者は脅えていた。こんな場所にうっかりさ迷い出て来たら、小猫もいい迷惑に合う。
遊んでもらうのは小猫も楽しいだろうが、とことん遊ばれてしまう。
ところがこの猫、脇腹にでっかい切り傷があったのである。
今度はかまっていた人間が脅えてしまった。その後、この墓場の近所に厚生年金会館が建ち、照明が夜空にこうこうと灯されるようになり、現在では死者も夜の眠りを妨げられることは無い。
ひところSHADOの地元在住の面々はよく連れ立って旅に出た。
主な行き先は出雲・松江である。
ただ、その行程たるや「季節の声」を聞くと迎え撃ち(インターセプト)に行くのであるから、いささか強行軍である。誰か(主にシャー)が行くぞ、と言うと深夜に車を走らせ、出雲大社の境内で仮眠を取る。
明るくなるのを待って、出雲大社から日御碕神社に参り、ウミネコのご機嫌を窺い、食事が始まる。
大社町では荒木屋、阿国、ワイナリー、松江界隈ではおおはか屋、八雲庵、リビドーあたりを食い荒らして昼ごろに帰るのである。
若いからとはいえ、700km走って蕎麦を食べに行くのもどんなものか。
ただ、彼らに言わせれば、粋であり華がある行動となるらしい。
未だに「インターセプト形式」というと心躍るものがある。勿論、無理をしないで温泉宿に投宿し、2泊2日にすることもあった。
出雲・松江以外でも耶馬溪・阿蘇・高千穂や鹿児島もやったのだがいずれもなぜか、全力をつくして遊ぶことになってしまう。
それが最近では、たかが鳥取に行くのでさえ億劫になるとは・・・。
N氏は会話の懐の深さと、「初対面に対しては礼を尽くし、知友に対しては厚かましく」という姿勢で、SHADOにおいて重要な位置を占めるに至った。
SF的素養はとてつもないものがあり、航空、通信、アニメ等々にわたり、特に特撮については瞠目に値する。
ところが、彼の学校ではこういう内容で話し込むような友人には恵まれず、浮いた状態になっていたらしい。
ひょっとすると、周囲はそのパワーに呆気にとられていたのかもしれない。
そこに我々という格好な餌食が現れただけかもしれない。
あいにく、我々も食えない連中ばかりだったので、あっさりメンバーに加わってしまった。
その行動力は既に中学時代から雑誌への投稿をしていたところからも判る。
学生時代から既にジャーナリストとして活動を開始し、SF関係、航空関係、放送、バイクと様々な顔を持つに至った。
数種の名刺を持つ人間はいるが、20種類の名刺を使う人間は他には知らない。
まあ、アクが強く、暴走といっていいほどの行動力を誇っているのでフリーのジャーナリストにならざるを得なかった。
日常の足にオフローダーを使う彼は2輪関係の取材が多いが、守備範囲は極めて広い。
固定した組織に所属するとこの楽しみを失うことになることを嫌ったともいえる。
地元には年末年始を含む、年に数回、ふらりと帰ってきて、かなりの日数メンバーを振り回して遊ぶ。
その後、後ろ髪を引かれるように現場にかえって行く。
彼がそのパワーを全開にするのは、宴会である。
「会費が無い、会則が無い、あるのは宴会だけ」といわれるSHADOのスタイルを作ったのは間違いなく彼である。
ピグは霊のお友達で、引っ越し前は「白手夫婦」「パチパチ君」「渦巻君」など様々な霊体験を食らっている。
ピグは金縛りのベテランでもあり、金縛りを食らうと身体中のまだ動ける場所を確認して、動ける場所をいっせいに動かし金縛りを抜けるという荒業をあみ出した。N氏はSF畑の人間であるから、霊の存在は信じていなかった。
異変が始まったのは平成になってからである。
深夜の修験場に出かけ何もないところに御辞儀をしたり(本人は住職がいたといっていた)、広野の真っ只中で親子連れの幽霊に出くわして錯乱したり、飲み屋の窓に女性の影を見つけたり・・・。
以前は人から仕込んだ幽霊話で周辺をびびらせて喜んでいたのに、自分に降り懸かると意外に小心であることが判る。
それでも親子連れの幽霊に出くわしたときは、すかさずカメラを向けたのだから流石にプロのフォトジャーナリストである。(フィルムは赤い光が入って何も写ってなかった。)スイケンのところにはF9の死後、F9が夢に出て来て「飲みに行こう」と誘った。
ところが、スイケンほどの飲み助が夢の中で断った。
未だに「あのとき一緒に行ってたらどうなってたのかねぇ」と話している。サムも霊は信じていなかったが、血筋はあるとのことだった。
そのサムがおじさんの葬儀に行ったとき、派手に祟られた。
おじさんの家に入るといきなり体が重くなり、心臓が止まりそうになった。
家に寝床を用意してもらったのだが、命が危ないのでお祓いがしてある自分の車で寝た。
葬儀の最中もお守りを身に着けてしのいだそうだ。
何でもおじさんは自分の後の家のことを心配していたらしく、誰かに頼みたかったらしい。
火葬場が一番しんどかったそうだ。
「解りました、解りました」と心の中で唱えつづけた。
本人だけなら「過労だろ。」と、片付けるのだが、姉さんもきつかったそうだ。ちなみによく「天文やっている人はUFOを見ない」という俗説があるが、これは正確さに欠ける。
確かに空飛ぶ円盤は見ていないが、未確認飛行物体は見るのである。
ただし、経験を積むと説明できるものも多い。
それは白鷺であったり、金星であったり、スポットライトだったり、イカ釣り舟のこともある。
闇観でも天頂から急に移動した光点が出現したことがあるが、これは正体不明のままである。
ところで、あれほど夜間に活動したのにSHADOには心霊現象が起こっていない。
「幽霊みたいな奴はいるからだ」という説が有力である。
今年もお約束の宴会が催された。
近隣のメンバーは妻帯者単身者老若男女問わず集まるはずだったのだが、恥ずかしながら今回連絡漏れが異常にあった。
ナカオ夫妻、おっちゃん、フルタニ兄弟、カミカワ夫妻等々ごめんなさい。
たむちん、淳っちゃん、庵ちゃんは無理だろうなと思い、念頭になかったけど、帰省してたらほんとにごめんなさい。恒例の焚火は迎え火と同時に鍋島の送り火となり、過去再大規模の火炎を出現させた。
参加者は年々高齢化の一歩を辿り、寒いからイヤだの、かみさんがうるさいからダメだの、風邪だの、腰痛だの言う割に明け方になるとそこそこの数になった。宴会は我らが喫茶店で同じ元旦の夜行われた。
こちらは御来光組以外も来るので毎度盛況になる。
山ちゃん、ピグ、チューソン、ヤス、黒ちゃん、みっちゃん、ベー、濱ちゃ、お師匠、シャー、ゴマ、サム、スイケン、スエ、お師匠、創ちゃんご苦労様。
ご家族の皆様ご苦労様。
何より、マスターと新旧スタッフの方々ご苦労様。ところで、来年はテレビゲームは抜きにしましょうね。
茶髪のネーチャンも政治家のセンセイもホームレスのおじさんもゲートボールのばーさんも、自分で自分を変人だとは考えないだろうし、各人の「普通の人間」像はそんなに差はないだろう。
大きな差が出るのは、「普通の人間」の許容範囲が我田引水でベクトルのサイズと向きが違うからだと思う。
従って、自らを変人だ言い切れる人は、変人を演じているという意識があるだろうし、逆に、どこから見ても「普通の人間」は「普通の人間」を演じる犯罪者である可能性すらある。SHADOでの変人といえば本人がどう思っているかは別にしろ、庵ちゃんであるのは間違いない。
濱ちゃにしても「普通の人間」とは考えがたい。
この「味がある奴」は敬愛すべき偉人でもある。七転八倒、七転八起して研究生活を送る彼を比喩する言葉はあまりないが、敢えて言えば「まじめな明石家さんま」であろうか。
TAD'S GALLERY以来のイベントが突発したのは実は濱ちゃの披露宴の二次会においてだった。
発起人は商店街事務所のマルゲンさんである。
本来、商店街の行事はSHADOに関りがないところなのだが、庵ちゃんの個展と聞いて「まずい!」と思ったメンバーがいたのは間違いない。
困ったのはこの時点ではマルゲンさんが、「有名人の個展」程度と考えていたことである。
日本初の庵ちゃんの個展の顛末や如何に!?、順次レポートを入れていくことにする。
メンバーが世に出ることは嬉しいことである。
そして報道価値が出るほど有名になると、我らが喫茶店に電話が入ることになる。
一部はオフィシャルなルートで入ってくるのだが、なかにはどういうルートでこの喫茶店を嗅ぎつけたのかわからない取材申込みもある。
基本的にはオフィシャルなルートの取材しか受けていないのだが、問題は誰が取材に応じるかである。
相手を煙に巻いて良いのなら、マスターが担当することになる。
慎重な対応が求められる場合には最近では創ちゃんが担当することが多い。
取材の目的によって担当が変わることになるだろうが、創ちゃんが悪運に見舞われ取材の渦中に放り込まれたり、逃げそこなうことが多いのは確かである。
卑怯なほど取材をのらりくらりとかわすのがシャーで、肝心なときには見事に不在である。
憶測記事を防ぐためにもオフィシャルな取材には今後ともできるだけ応じることになるだろう。が、発表後に「エッ!」と驚くこともある。
そんなこと言ってないぞ、誤字のままだぞ、写真が違うぞ、誇張してるぞ、省略したな、などは取材側ではよくあることらしい。
取材成果を上げるためにはやむを得ないことかもしれない。
きわめつけは本文中の実名報道である。
メンバーの多くは善良な一市民であり、選挙に出るわけでもないので世に広く名が知られてもありがた迷惑なだけである。
せめて文末の取材協力に記す程度にしてもらいたい。この点、庵ちゃんが残してくれた「SHADO」という名前は大変ありがたい。
グループとして動くときには実に重宝に使わせてもらっている。
最近では取材のときも総て「SHADO」で受けた方が被害も少ないと考えている。
メンバーの多くが天体観測の経験があると、昼の顔では考えられないような可笑しなことに巻き込まれたりする。
日本中、いや世界中で天体という同じものが見えるこの特殊な分野では見知らぬ仲でも妙な連帯感が生まれるらしい。この分野でもアニメのように「プロ」になってしまった人がいる。
久万高原天体観測所の職員は普通の公務員とちょっと違った職種である。
このディレクトリでは久万の経緯も取り上げていくが、なにせ当事者ではないもので一部、憶測になることをご容赦願いたい。
指摘があれば順次補正したい。
メンバーの所蔵品に、今になって「あっ!」と驚くものがある。
「宇部高地学部回報」である。
もっともその名前で覚えている人はあまりいない。
「UCC」つまりUbekoChigakubuCircularの方が通りが良い。
この冊子は地学部と観測情報の紹介を目的としたものだが、顧問の先生にしてみれば許しがたい冊子だったらしい。
なにしろ顧問の先生は地学の出身であり天文のことはどうでもいいのである。
従って検閲がかからないように先生の出張中に発行するのが常であった。
学問的な内容の記述は主にチューソンが行い、表紙とさし絵は庵ちゃんが担当した。
毎月発行の予定だったが合併号でずいぶんしのいだ。藁半紙にガリ版刷りだったので現在ではボロボロである。
本来だとこのまま日の目を見ることはなかったのだが、今度の庵展でいきなり着目されることになった。
よくよく考えるまでもなく庵ちゃんの表紙絵なのである。
松本零士先生からの影響は庵ちゃん本人が語るところだが、それが非常にわかりやすい資料である。
裏表紙の部員紹介の項も庵ちゃんのマンガだが庵ちゃんの元々のタッチがわかる貴重なものである。が、現存するものは数部だけと思われ門外不出の資料になってしまった。
このページで内容を紹介しようにもあまりに差し障りが多過ぎるので遠慮したい。
鍋島はSHADOのモニュメント的存在の一つであり、25年もの間の定点観測の場所にもなっていた。
古くは周防と長門の境界を示す島であり、地理の教科書にも陸繋島として紹介された島である。
何千年、何万年も今の姿だったろうからこれからもそうだろう・・・と思っていた。
宇部には空港がある。
近年需要が伸び一日で東京と5往復している。
ローカルなので便数が増やせず大型機を使えるようにする計画になったのだが、これには滑走路の延長が必要になる。
滑走路を伸ばした先には鍋島があったのである。
鍋島がなくなることはこのとき決まった。
鍋島にダイナマイトをセットして市長あたりが発破のボタンを押すのかと思えば、どうやら滑走路の盛り土の下に埋もれてしまうらしい。
護岸工事が完了すれば海流も変るだろうから砂浜がいつまで維持できるか気がかりである。
今年の焚火は薪不足が懸念されたが新年に合わせたようにおあつらえの流木が見つかり、朝まで暖を取ることができた。
スエが準備してくれた段ボールも実にありがたかった。
段ボールにくるまって仮眠をとる情景はホームレスに変るところがない。
今年の徹夜組は8名だったが、最年少は山ちゃんのところのリョウ君である。
初日の出は護岸工事の影響で堤防の突端から見ることになった。
久々に氷が張るほど冷え込んだが、近年まれなすばらしい初日の出を拝むことができた。
早いもので新年宴会の記述も2回目である。
今年はスペシャルゲストにTAD'S GALLERYからの付き合いであるシンちゃん&さいちんをお招きした。
ほとんど茫然自失状態であったがSHADOの一面をご覧いただけたかと思う。
旧来の屍累々状態の飲み会だったら途中で逃げ帰るか犠牲者になっていたに違いない。
濱ちゃ夫人も初登場であるがこちらも「押さえ気味」であったらしい。
マスター、お師匠、山ちゃん、クンちゃん、あすか、リョウ、濱ちゃ夫妻、サム夫妻、、ピグ、ヤス、スイケン、創ちゃん、谷さん、べー、黒ちゃん、スエ、ゴマ、やっクン、ミッちゃん、タサカ 皆さんご苦労様。
アレがあったので心理的にお流れになるんではなかろうかと懸念された今年の焚火であるが、アレが原因で止めたとあっては後々の祟りが恐いので、平年通り開催された。
薪は以前にも増して大量の柱(どこの?)をスエから提供していただけたほか、年末にベーが隠しておいたのもあったのでカロリー的には大量にあったのだが、「火元責任者」がいないのでどうも最初の立上がりが上手くいかない。
やはり、ターボオイルがないと盛り上がりに欠けるのは否めない。
まともに巨大な火炎が現れたのはベーが手直しした後であった。今年は暖かかった関係か、久々に来客があった。
谷兄の教え子さんの女性4人で、なかにはお父さんが松本零士ファンという子もいて、ジェネレーションギャップを感じる羽目になった。
なんでも当時は999のリュックサックをあてがわれたとかで憤っていたそうである。
明け方には山ちゃん親子、やっくん、スエ、ベー、谷兄、黒ちゃん、みっちゃん、宮、典子夫妻ら17人になり旧交を暖めあった。初日の出は護岸工事の関係で良いアングルがなくなってしまったが、きっちり拝むことができた。
新年宴会は19:00から。
Y2Kの余波で参加者は若干減。
無闇にテンションが高いサムがいないので良くも悪しくも落ち着いた飲み会になってしまった。
だいたいの雰囲気は闇鍋'00寿バージョンで。
本年の肴は「課外授業」の庵ちゃん編であった。
「課外授業」は国際エミー賞を受賞するほどの作品群なんだそうだが・・・。
マスター、司、お師匠、山ちゃん、クンちゃん、あすか、リョウ、ケンタロー、ピグ、ヤス、スイケン、創ちゃん、谷さん、黒ちゃん、スエ、ゴマ、やっクン、ミッちゃん、 皆さんご苦労様。
庵ちゃん初の35mm映画は宇部界隈のオールロケで撮られた。
クランクインが2000年4月1日、クランクアップが4月30日、完成が7月7日で12月7日から半年にわたり東京都写真美術館で公開される。
東京国際映画祭にもスタジオ・カジノ第一回として出品され「優秀芸術貢献賞」を受賞した。
仮題は「ハッピー・バースデイ」>「アンビエンス・バースデイ」>「サブライム・バースデイ」>「式日」に変更になった。
変わっているのはローカルセットを用意し、全スタッフを1ヶ月まるまる宇部に缶詰めにした点であろうか。
ローカルセットを組んだのは地元の家具屋さんの旧本社ビルで、宇部市の商店街に位置する。
ロケ地はほとんど宇部市内であり、庵ちゃんの勝手知ったる素材は庵野ワールドとして再構築された。地元も宇部市役所、様々な企業、組合や個人が協力し、我らが喫茶店も現場の外でサポートに回った。
エキストラも地元調達でSHADOの面々にもお鉢が回ってきた。
結局、我らが喫茶店の関係者が23名ほどカメラの前後でかかわったことになる。詳細は公式HPがあるのでこちらを参照願いたい。
ファンサービスといってはおこがましいが、宇部の我らが喫茶店の周辺の事情を日記風に掲げる。
シモラクは下関酪農協同組合のブランド名で、現在は山口県酪に統合されているのは以前述べたとおりである。
ところが新たな展開があった。
シモラクブランドが復活したのである。
これは山口県酪の品揃えとして高品位牛乳を開発したところから始まるのだが、このブランド名として「シモラク」を復活したからである。
残念ながら900ccのビン入りで、さらには配達専用であるから、相変わらず一般の人の目に触れることはない。
今年も変わらず焚火から始まった正月であるが、何しろ21世紀である。
焚火は事前の資材調達と現場へのアプローチに無理があって、省エネバージョン。
途中、初心者が「火をください」とやってきたが、松明じゃあるまいし火のついた薪を何百メートルも運べるはずもなく「こちらに合流しなさい」とアドバイスしたら、意地になってバイクで走り回って海岸中の廃材の清掃をしていた。
何年続くかわからないが、気骨は認めるので暖かく見守っていきたい。新世代代表としてリョウ君、ユウ君、トモ君が参加。
まだ下働きしか勤まらないが、子供の成長につれて自分らが年をとっていくのを実感してしまう。御来光は雲間から拝むことになったが、一瞬だけで再び雲の中へ。
日本経済を暗示するようで気が重い。
新年宴会は19:00から・・・の予定がマスターが買い出しできっちり遅刻。
SHADO時間でのスタートとなった。
こちらに参加の子供らはシャーのところだけ。
サムのところは子供も自立をはじめ、かみさんにも見放されたらしい。
毎度ながら闇鍋'01寿バージョンで雰囲気は汲んでいただきたい。
本年の肴はあの「宇部沈没」。
F9、N氏、濱ちゃが元気に動いているのがちと辛い。
むしろ盛り上がったのは「頭文字D」である。
年甲斐もなく、皆さん好きですなぁ。
マスター、しんや、山ちゃん、クンちゃん、サム、ケンタロー、ピグ、ヤス、スイケン、創ちゃん、ベー、スエ、黒ちゃん、ミッちゃん、シンちゃん&サイちん 皆さんご苦労様。
月日が巡り人としての一通りの泣き笑いになじんだ頃にやってくるもの「厄」。
人生50年の昔であれば収穫の時期であるが、現在では人生の折り返し地点といえる。
厄が何なのか詳しくは知らないのだが、社会的責任が大きく変わる時期だとも、体調が変わる時期だとも聞く。
英訳では厄払いをする神主さんは「エクソシスト」なんだそうだ・・・。SHADOの面々には1960年生まれがやたら多く、おおむね半数が2001年が大厄に該当する。
志し半ばで世を去った仲間も見てきたため、大厄集団では気味も悪いので、この際、まとめて厄払いを行うことにした。
厄払いを行う宮も厳選した。
鎮守の森にあるさして大きくもない社であるが一千年の歴史があるといわれる日吉神社である。
この神社は大昔には二度の引っ越しを余儀なくされた上に、度重なる道路拡張で今度は森を削られる憂き目に会っているが、霊験だけはあらたかであるといわれている。
もっとも社格は有力な守護者いなかったのでさほど高くはなく、神主も常駐していない。
当日も神主殿に出張していただきお祓いを願った。
生憎、この日吉神社というのは商業的宗教設備ではないので、当日は御奉仕の清掃から始めることになる。
午後、神主殿をお迎えし祝詞をいただいたのだが・・・久々の正座は厳しい。この後、直会に突入するのだが、会場も厳選した。
日吉神社が昔の川上村の総鎮守であるのなら、直会の場所も阿武郡川上村である。
ここに良質の温泉があり、温泉のある交流センターの裏にバンガローがある。
早めにリサーチしていたのでここの予約が取れたが、真冬でも週末は予約がつまっているようだ。
手をかけるのが面倒なので鍋をつつきながら、正月の宴会の残りの酒を酌み交わしながら午前3時頃まで無駄話や愚痴(内容は極秘!)が続いた。翌朝の10時前には撤収したが実に有意義であった。
惜しむらくは長期休暇でなかったことで、ここに一週間ほども滞在できればリフレッシュできそうだ。
なかには「おれが悪かった!頼むから仕事をさせてくれ!」と街に逃げ戻る人物もでるかもしれない。
庵ちゃんの異色の作品はDAICON FILM版(ゼネプロ版)帰ってきたウルトラマンに止どめを刺す。(ナカムライダーだという向きもいるかとは思うが・・・。)
これにも記録者はタッチしていないので詳しくは知らず、TAD'S GALLERYの時に十三大橋を「あそこが現場かぁ」と眺めた程度である。
作品自体は何度か見る機会に恵まれた。
ビデオやLDで発売はされたが一般に流通したとは言い難い。
それが、この度DVDになってガイナックスの直販で再登場した。
これには「待ってました!」と飛びついた人も多いと思う。
今回のDVDは円谷プロの了解が得られたもので安心して見ることができる。
(発表当時は叱られたら「ウノレトラマソ」として言い抜けようとしていたらしい。)
が、原盤の画質は8mmであり普通のDVD画質を期待してはいけない。鑑賞のポイントは大きく二通りで、シリアスなのだがパロディーであるという作品本来の面白さを楽しむ点と、特撮の作り込みを楽しむ点である。
特撮の小物の一部は庵展で現物(メット、MATアロー、熱核ユニット等)を見たが、手元で見ると意外とちゃちなのである。
だが、画面ではリアルにみえる不思議がお分かりいただけるだろうか。
それでも本家の円谷プロから見れば「微笑ましい」レベルなのかと思うと、特撮の奥深さは計り知れない。主演(?)である庵ちゃんのウルトラマン好きは知られるところだが、当時はウルトラマンネタを時々披露していただけた。
ウルトラマンごっこを8mmで記録して「ウルトラマン」や「ウルトラマンDX」を作ったらしいが、こちらは見た覚えがない。
効果音を自分で発声する必要があり不本意だったのではないかと想像しているのだが、本作では心置きなく演じることができたのではあるまいか。
ただ、ラストの大爆発では「ここでNGを出したらみんなにタコ殴りにされる!」と必至に耐えたとか。
髪の毛を焼きかねない火炎に平然としている「ウルトラマン」を演じるのも大変である。
(実際に腰が引けてるのが画面でも分かる。)
庵ちゃんの作品にはさり気なく宇部関連のものが散りばめられているのは知られている。
幸か不幸か人名はあまり出ていないが、小物やくすぐりは本人のテンションが上がると連発する傾向がある。
もちろん「式日」は宇部だらけだが、特に「大和(ダイワ)」が台詞で出ている。
「シモラク牛乳(既述)」は有名であるし「09(スーパー丸久のコアショップだったが取り壊された)」もさり気なく台詞に割り込ませてある。
テロップで「山口県宇部市」と大書きされたり、宇部界隈に大都市がある間接的な表現(夜景で灯火が集中している)もある。
また、UCCコーヒーだって宇部時代の思い入れがある。過去の作品から拾ってみるとその他にも「宇部興産(宇部最大の大手企業)のタオル」「ウルトラひかり宇部駅(現在、宇部には新幹線の駅すらありません)」なんて分かり易いものから「一久(宇部で著名なラーメンチェーンで庵ちゃんが帰郷した際の巡回コースの一つ)のカップラーメン(お土産ラーメンは実在するがカップ麺ではない)」「利休饅頭(宇部の名物の小ぶりの饅頭で数社が製造・販売している)の広告」「地酒男山(宇部の地酒)の広告」「0836局番(電話番号のメモに宇部の局番を使用)」という難解なものまである。
山口弁の台詞もいくつかあるし、「ブチバカ」などという落書きもある。
宇部で撮ったスチルを作品で使ったこともあるので、庵ちゃん本人しか知らないようなくすぐりはさらに多いと想像している。
本人曰くに「ここまでマイナーだとクレームがつく心配がない」とか。まぁ、昔の記憶に依っているのでこれから先も多用されるとは限らないが、子供のころにウルトラQの特撮セットに「山口銀行」の文字を見つけたときのうれしさを、現在も味わう事ができる幸せには感謝したい。
薪不足は昨年と同じ。
でも、ちゃんと暖が取れました。
問題は風が冷たかったことです。
さらには初日の出はカケラしか見えませんでした。
昨年は一瞬だけでも見えましたから今年の日本経済は更に・・・!?食材が残るともったいないので今年はセルフうどんと湯豆腐。
それでも完食には至らず。
酒も最盛時の1/3程度。
でも、闇鍋'02寿バージョンのノリで話のネタはつきないし、きりがない。
11時過ぎて名残惜しくも閉会。
マスター、しんや、司、ごま、サム、ケンタロー、ヤス、スイケン、創ちゃん、ベー、スエ、黒ちゃん、ミッちゃん、シンちゃん&サイちん 皆さんご苦労様。
初日の出は寒かろうと予報されていたがそこまで酷くはない。
ただ、薪が太かったため薪に合わせて会場を移動する羽目になった。
肝心の初日の出は海の果てから出る絵にはなりませんでしたが、ぼちぼち。鍋もここまで続くとマスターも飽きてしまい、今年は鉄板焼き。
しかも食材持込で食べたいものを食べるパターンである。
さすがに今年は完食した。
鉄板焼き'03寿バージョンで上げたように穏やかな会だった。
マスターは今朝の「年越したそば」の製作で疲れ果て爆眠中に散会となった。
マスター、ごま、サム、スイケン、創ちゃん、ベー、黒ちゃん、ミッちゃん、シンちゃん&サイちん 皆さんご苦労様。
今年は山崎家抜きで焚き火を行う羽目になったほか諸事都合にて焚き火はコンパクトバージョン。
初日の出が拝めれば上等である。件の宴会と違うのは創ちゃんの事情説明から始まったところで、本人不在のまま苦言を続けても埒が明かないので創ちゃんの好物の蕎麦を皆で食って悔しがらせることにした。
この蕎麦が滅法うまい。
前菜、主菜、デザートと今年もご馳走いただいた。
酒量は面子の関係もあるが激減。
警察が怖いという本音もある。今年は良い年にしたいものである。
マスター、ごま、サム、スイケン、司、ヤス、シンちゃん&サイちん 皆さんご苦労様。
べっちゃん、焚き火ありがとう。
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