肩 線 バ ッ ク と 等 半 袖
肩線が袖付け側で後ろに回っている(
肩線バック
)商品を見かけることがある。
昔(と言っても大昔)は、それが普通だったものが今は一つのデザインとなっているようだ。
1920年代の文献を見ると一様に肩先の高さは、前が高く後ろが低い。つまり肩線が後に回っている(写真及び図参照、分かり易いように写真は肩線に線を入れている)。
そもそもヨーロッパにおいて19世紀後半に入って今の背広型に進化したと言われるが、それ以前からやられてきた方法として、生地を体にあてがい余るところはつまんで体に合わせていったと思われる。
その時、肩下がりをつまんでいくと肩甲骨を超えた袖付け側に一番多く余りが出る。
そこにダーツをとるように縫い目をもってきて、肩甲骨の膨らみを出しやすくしたと思われる。
現に後ろに回す肩線は斜めになった分、イセは多く入れられるので背幅が増え、肩甲骨を包み込む効果は出しやすい(シャツのヨーク切替え線やラグラン袖の線に近く、操作しやすい位置でもある)。
それがアメリカの古い技術書「ミッチェル式」を見ると前と後ろの肩先の高さが同じになっている。それは、いち早く既製服化したアメリカでは肩線が中央にあった方が作業しやすいと言う背景があったようだ。それが今では普通になっている。
また、袖は
等半袖
(同じ袖幅の二枚袖)になっている(図参照)。
古い時代の衣装展などを見ても、かなり体に密着した服で、袖は腕の形に曲がっている。
昨今、細目の袖でカーブを強くしたものが多いが、昔の服の方がよりカーブしていたようだ。
ただ今と違うのは、当時の袖は腕のカーブに添って直接縫い目があった事(縫い目が見える)。従っていかようなカーブでも作れると言うもので、等半二枚袖の成せる技でもある。
ところがその後、内側縫い目を隠すように更に内側に移動し、側面から見えないようにしたのである。
そうなるとカーブに限界があるし、縫い目の無いところにアイロンテクニック(クセ取り)でカーブを移動し、袖カーブを作らなければならないので難しくなった。
このように男の背広は、限られた縫い目にアイロン操作を加える事によって、より立体になる要素を多く含んだ線の構成になっている。
そんなルーツを知って商品を見ると、先人が歩んできた技術の奥深さが感じられる。