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惜別 兼子 次生
私が書いている速記符号を考案された植田裕(うえた・ゆたか)さんが、80歳の天寿を 全うされた。
香川県立高松商業高等学校の速記部の卒業生で、母校に残り、速記を指導された若いこ ろ、中根式の速記符号を盛んに研究、「か行曲線符号」を公表された。奇しくも私は、た った2人しかいない、か行曲線符号の継承者の1人である。 高松商業からの転校生(故巌正之さん)が大阪市立西商業高等学校へあらわれ、3年生 のときに速記部をつくった。そこで1年間中根式速記植田派の符号を植え付けた。 その中から芽を出したのが、1人は西村泰一さんであった。彼は高校卒業後、愛媛県松 山市から天王寺区へ進出していた故石川吉正さんの門をたたいて早稲田式でA級試験に合 格、速記士となった。その縁があって、私は西村さんのおもいやりで、石川さんの学校で 育ち、一緒に受けていただいた1級に西村さんを抜いた第2位の成績(1位は関西学院大 学の宮下さん)で合格した。大阪早稲田の客分の私にとり、石川さんは育ての親である。 大学に入って、初めて植田さんにお会いしたのは、昭和38、9年、兵庫県立神戸高等学 校で開催された中根式の西日本大会だった。稲垣正興さんから紹介されたダンディな植田 さんにごあいさつすると、ポケットからリング製本した小さなメモ帳を取り出して、符号 を見せてくださった。そのときの話のポイントは、植田さんが英語のグレッグ式の書線を 理想とされ、いわゆるライナビリティ(故西来路秀男さん)を追っておられたということ だった。そのころから植田さんの動態符号は完成されていて、濃淡のない、なめらかな書線が印象 的だった。初対面で、その研究者の姿を見た。か行曲線符号は2年ほどの実験で 終わり、もとに戻っていると語られたが、その理由の説明はなかった。私は孤児になって いる符号であることをそのとき強く感じた。生みの親は中根式符号研究の鬼であった。 しかし、私は植田派の符号を変えずに、稲垣さんの符号を初め、衆議院式、早稲田式、 片っ端から他式の理論を採り入れて、大学3年の4月、独力で1級に合格した。たった2年ほ どの命だったが、「か行曲線符号」は西商業に渡来したとき少し形を変えていた。 植田さん直伝の「か行曲線符号」の操り手に、脇卓二さん(大阪南部・熊取町)という 方が1人いる。ちなみに脇さんとの符号の違いは「ヌ」(ノに加点)の1符号だけである。 しかし、似ても似つかない符号を書いていると私は想像する。 社会へ出てからも植田さんとのつきあいは続いて、細く長く切れることはなかった。 植田さんは絶えず符号を工夫されてきた。それを速記科学研究会で後進に常に伝えよう とつとめられた。その符号はとっくに中根式とは言えない形に変化している。それを三代 目宗家の中根康雄さんは大きく受け入れてきた。中根式最後の符号研究者であるからだ。 植田さんから私へご研究のすみずみまでお知らせいただき、菅原登さんとともに後世へ伝 える役割の1つを与えてきていただいた。早稲田式の佐竹康平先生も亡くなられるまで、 その著作のすべてを贈呈いただいたが、植田さんは故森卓明さんとともに、まさに中根式 の最高の研究者であった。 目を閉じると、符号の解説に打ち込まれる植田さんのお顔が映る。若いころの植田さん の写真がパソコンの中にあった。 植田さん、ゆっくりお休みなさい。長い間、ありがとうございました。
上記の写真は中根速記協会機関誌「中根式速記」(昭和30年2・3月合併号)へ掲載されております。 ![]() 香川県支部紹介の写真は「中根式速記」(昭和30年1月号)です。左端が副支部長、符号研究部長の植田裕先生です。 右から2人目が支部長・川田秀幸(故人)さんです。 解説:滝 鞍二
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