ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや [小景異情ーその二] より 私が旧制富山高校に入学したのは昭和22年であった。終戦後の廃墟の中、ふるさと岐阜を離れたのはわずかに17歳であったから、この犀星の詩は、多感な少年であった私の心に深い感銘を与えたものだった。 室生犀星は石川県金沢の出身で、市内を流れる犀川の近くで生まれた。その筆名「犀星」はたぶんこの犀川から得たのであろう。21歳の時、文人たらんとの思いを押さえがたく、やみくもに故郷を捨てて東京に出たといわれる。貧困のどん底の中で詩作を続け、食い詰めると金沢に帰ってきたという。その頃の犀星の心情は、上の詩にも次の詩にも、痛いほど読みとれる。 美しき川は流れたり そのほとりに我はすみぬ 春は春、なつはなつの 花つける堤に坐りて こまやけき本の情けと愛とを知りぬ いまもその川のながれ 美しき微風ととも 蒼き波たたへたり [犀川] より 犀星の生活と心情は、当時寮で勉学をしていた、貧しいがそのくせ理想主義的な高校生の生活に重りあう点が多く、彼の詩を愛読する者は少なくなかった。少なくとも私にとって犀星は、抒情派詩人として、長らく心の中にその位置を占めていた。 所が最近になって、犀星が次の詩を作っていることを知って、私は驚いた。 逢いたきひとのあれども 逢いたき人は四十路(よそじ)すぎ わがそのかみ知るひとはみな四十路すぎ 四十路すぎては何のをとめぞ をとめの日のありしさえ さだかにあはれ 信じがたきに [四十路] より わずか40歳をすぎたばかりで、犀星はあの透徹するまでに澄み切った純粋なのもへの憧れを、捨ててしまったのであろうか。私はしばらくは呆然として、彼の詩集を放り出したのであった。おそらく犀星は、老いへの反語としてこの詩を作ったのであろう。是非ともそうあってほしいとの願いが、この詩と犀星に対する年老いた私の心情である。 [1997年8月記] |